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殻の中(sideジェイラス)
しおりを挟む思えば、それはふとしたときに、心に感じた。
幼いころ、腹を空かせていたとき。
仕事を終え寝床にたどり着いたとき。
あぶれ者たちの集まりである傭兵集団にさえとけ込めなかったとき。
物知らぬ俺には、感じた想いを言葉にすることが叶わなかった。
心がずしりと重くなり、そうすると、幼いころ、天窓から差し込むかすかな光に手をのばしたことを思い出した。
(シオリ……)
彼女のぬくもりを知り、向けられる温かな笑顔を知った今だから分かる。俺はあのときーー
(寂しかったのだ……)
紛れもなく、人恋しかったのだ、と。
それに気づけぬほど、俺は人として幼かった。当たり前の人の感情に、気づかせてくれたのはただ彼女だ。
焦がれるように彼女に会いたいと思う。けれどもう、会いにはいけない。
(彼女は俺を許してはくれないだろう)
手に入れると約束した。最善の道を模索すると言った。なのに口先ばかりの俺は、俺自身の欲求を優先してしまった。
(きっと、間違ったのだ)
俺は彼女が苦しむのを見ていられなかった。
彼女自身のためではない、オレが耐えられないからだ。彼女から悪魔の証を取り返したのはただ俺の欲求だったのだ。
大義名分を掲げているようでいて、俺の中の欲望はあまりにも単純なものだった。
浅ましい愚かな男。悪魔になるのにふさわしい。
(ラミアン……)
彼が死に向かうのを感じながら、俺はなにもしようとしなかった。死の間際に彼の呪いを引き受けたことさえ、ただ無意味なことだった。
彼は死に、呪いは俺に。そうして彼女に。
愚かな俺の行為は、結局は愛しい人すら巻き込んだ。
血だらけの彼を見送り、亡骸をそのままに俺は村を出た。今でも繰り返しそのときのことを思い出して、悪夢を見る。俺はただ、もう同じことには耐えられない。
シオリが……彼女が俺の前で呪いにむしばまれて行く姿など……俺には耐えられなかったのだ。
(……自分のことばかりだ)
彼女は泣いているだろうか。怒っているだろうか。
彼女の中に残る魔の力を俺の手でつかむようにして引き抜いた。
驚いた。俺の想像以上にそれは膨れあがっていた。彼女の抱えていた心の中の……魔の力ももともとあったのだろう。
……もしかしたら、人の心の中には、誰の中にもあるものなのかもしれないと、そんなことをふと思う。
抱えられないほどの魔の力を体に受けて、肉体が変化していく。彼女が驚愕の表情で俺を見ていた。
(……すまない)
懺悔の気持ちしか浮かばない。
俺の中にあった微かな希望の光が消える。以前と同じ形で俺の中に収まるのではないかという淡い期待は砕かれた。
(シオリ)
そんな顔をさせたいのではなかった。
彼女と生きて行きたかった。彼女の望むとおりに子供を作り、ありふれた普通の家族のように過ごしてみたかった。
なのにそれを叶えるには俺はあまりに愚かで、間違いばかりを繰り返す。
(泣くな、シオリ)
彼女が泣いている気がした。よく泣く女なのだ。いつも悲しい物事に耐えるように過ごし、そうして感情を爆発させるように泣く。無理をするなと、俺が彼女を守ると……そんな俺の台詞はなんて薄っぺらいものだったのだろう。
ルシアが若造と言ったのも頷ける。結局なにも出来なかったのだから。
俺が証を背負うのは、最善の策ではなかった。
彼女を、俺のせいで死なせたくなかっただけだ。
俺は間違った。だが、どうしたらよかったのか。
あの日。
背中に生えてきた羽を動かすと体が浮遊した。それは形ばかりのものではなく、飛ぶための羽だった。
リオンたちの元を抜け出した俺は空高く舞い上がり、そうして魔の森を目指した。
魔の森には夜を迎える前にたどりつけた。そこの生き物たちは、俺を人間だとは認識していなかった。ただ野生の動物が側にいるかのように、少しの警戒心を持ちながらも襲ってくることはなかった。
(俺を仲間だと認識するものが……こいつらになるとは思わなかったな)
人の社会にとけ込めず、結局は愛する人とも添い遂げられなかったというのに。
夜が来ると眠気がおそってきた。俺はまだ眠れるのかと不思議に思う。兼ねてから考えていた洞窟を寝床にした。
そうして翌日から、俺は『魔物』として、魔の森を徘徊した。それは今まで調べられなかった夜の森の生態さえ、把握出来ることになった。
魔物たちは、夜は好き勝手に動き回り、明るくなると眠る。その繰り返しのようだったが、不思議な動きをしていた。
夜になると彼らは一カ所に集まり出すのだ。森の一角にある、他の場所よりさらに『魔の力』が色濃い場所だ。
気まぐれのように集まった彼らはその場所にいることが心地良いらしく、くつろいだり寝そべったりしている。
何か力が集まる場所なのかと、俺は地面に手を突くと、魔力を感じとるように瞼を閉じた。そうして俺はそこに、一人の男の幻影を見た。
かつて生きていただろう男の記憶が、その地に染み込んでいた。
黒髪と黒目の、ひょろりと背の高い男だった。
(……シオリ……)
とっさに彼女のことを思いだしたのは、彼女の記憶を覗き見ていたからだ。彼女の前の人生を送っていた場所に住む人々の顔立ちと、彼はあまりにそっくりだった。
(彼女と同じ世界の……転生してきた者……?)
だとすると、それは彼女のように魔法を生み出せる、天使となる者なのではないだろうか。
俺は彼の記憶を読みといた。
男の名前は「スグル」と言った。
とはいえ、その名を呼ぶ者は当初誰もいなかった。なぜなら、彼が生まれたこの世界に、言葉というものが存在しなかったからだ。そうしてこの世界に生まれた彼の容姿は、金髪碧眼だ。黒髪黒目の容姿のスグルはこの世界にはいなかった。前の生の姿なのだろう。けれどまるで彼の本体であるかのように、俺の目には彼と重なるように、もう一人の彼の姿として同時に見えていた。
人々の生活に言葉が存在していない。人々は身振り手振りと表情で思いを伝え合っていた。
彼は成長し、親に、家族に、村の人々に言葉と文字を教える。けれど人々にそれは簡単には受け入れられない。彼は長い時間を掛けて人に教え続けた。子供は少年になり、青年になって行く。けれど、そのころやっと言葉を覚えてくれるようになった村人たちとも、彼が思っている以上には言葉での意志疎通が叶わなかった。
彼は焦燥感に駆られるように、人々に言葉を伝え続けた。
少年は大人になる過程で、最初の過ちを起こした。覚えようとしない村人たちにも、交流のある隣村の人々にも、彼は『言葉を覚えなければならない』という命令をくだそうとした。彼の持つ天使の力を使い、人の心を操ろうとしたのだ。それは発動しなかった。けれど、別の形で発動していた。彼自身が、魔に冒され始めたのだ。そうして彼は魔の力を体にため込み、魔の力を使った彼の命令は人の心に染みいった。人々はとりつかれたように彼の言葉を覚えた。
ある日彼は旅の家族の娘である、見目麗しい少女に出会った。
そうして言葉を教えた。彼女は強制的に覚えさせられた。
彼女は、賢く美しい彼を愛した。
最初は彼も喜んだ。世帯を持ち、子を作った。けれど夫婦は時に諍いも起こす。彼は徐々に、言葉で思うように感情を伝えあえない彼女を前に、以前と同じような孤独の心を深めていった。
なぜ分かってくれないのだと、責めるように、魔の力を使い、彼女の心を支配しようとしていた。半ば無意識にやっていた。
無理に心を操られている歪みは彼女の体を蝕んだ。彼女の体は病に冒された。亡くなる時彼女は、彼が教えた言葉で言った『愛しているわ』。けれど彼には、それが本心であるのか、彼が言わせたものなのか、それすら分からなくなっていた。
絶望に支配された彼の心は願った。
「俺を消してくれ」と。
彼の願いを叶えたのは、天使となる力を持って生まれた者だった。それはつまり、自分自身だ。
ルシアは天使の力を持つ者に倒されたと言っていたが、彼は悪魔になった自分を自分で倒したのだ。
解放された彼の心は、ルシアと同じように魔の力の中に溶けた。彼の死に場所は、いつしか魔の森となった。
(きっと彼は、最初の神だ)
言い伝えとも違う。だが彼しかあり得ない。
――そうか。
そうなのか。彼もまた、俺と同じなのか。
(人は間違いを繰り返す)
俺はそのことを誰よりも知っている。
ラミアンは、人を呪い、跳ね返されたことによって家族を亡くしたと悔いていた。
シオリは未熟な心のまま亡くなった自分を悔いていた。
それが間違いなのかは俺には分からない。
だが俺は、彼らの言う間違いを犯さねば、彼らが俺と繋がることさえなかったのだと知っている。ならばその間違いは、俺にはまるで神からの贈り物のようなものに思える。
間違ったのだと言う彼らから、掛けがえのないものを与えられたのだから。その間違いは、俺には狂おしいほどに愛しい。
最初の神は死んだ。
だが言葉は残った。そうして彼の想いも残っている。
体が魔に冒されたのなら、消せる方法があるのだと、言い伝えている。間違った言葉として残されてしまったけれど。
それでも俺には、間違いだけだとは、言い切れないように思うのだ。
魔物たちと同じように大地に寝そべってみると、確かに心地良い。魔の力を持つものは、闇に惹かれ合うのか。
俺は目を瞑りながら、かつての天使……神と呼ばれた者に心の中で話しかけた。
(お前の作った言葉ある世界は、形作られ、残されている)
そのおかげで俺は彼女と気持ちを伝え合うことが出来たのだ。
(お前に感謝するものもいる)
ラミアンを父のように思えることと同じように。
間違ったとのだとしても、それだけではないのだ。
すると、大地が蠢くように、黒い影が揺れた。大地から何かが這うように動きながら、大地を巣食う魔の力が俺に注がれるのを感じた。
「……なんだ!?」
俺の中で力が増幅していく。メキメキと音を立てながら、痛みもなく、頭部に何かが生えてくる。
尖のあるそれは、触ってみると角のようだ。
「……ハッ」
おもわず笑ってしまう。とうとう、言い伝え通りの悪魔の姿に変わってしまうのか。
「いいさ。共にあろう。そして出来るなら……共に消えよう」
けれどそれは、叶うならば彼女が長く生きた末に死んだ後がいい。
俺の消え去るところなど見せたくはないし、ましてやその役目を彼女には決して与えたくはない。俺を知るものが居なくなった頃、ただ悪の象徴として消してくれる誰かが現れるまで待てばいい。
「……心ごと、消えることを願おう」
俺には、ルシアのように世界を見守りたいと思うほどの情はない。
きっと彼もそう願うだろう。
彼はこの世界に留められることなど望んではいなかったのだろうから。
悪魔の姿を手に入れた俺は、自分の死を待つばかりの残りの生を覚悟した。
けれどそれは叶わなかった。
愛しい女の声が聞こえて来たのだ。
「ジェイラス……やっと見つけた」
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