追放された令嬢は記憶を失ったまま恋をする……わけにはいかないでしょうか?

ツルカ

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見知らぬ女(sideジェイラス)

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「お前は……誰だ?」

 手首を掴んでいた女が、別の女になった。
 長く共に過ごしていたはずなのに。
 知らなかった内面があったなどと、そんな言葉では済まされない。まるで別人だった。

 美しく輝く、手入れの行き届いた銀色の髪と白い肌。
 それ自体は変わらないのに、上流階級の言葉遣いと、洗練された身のこなしと、そして、冷ややかな眼差し。

 目の前にいるのは、間違いなく高貴な生まれの、恐らく貴族の子女なのだと一目で分かる女だ。
 美しくありながらも可憐な村娘のようだった『シオリ』とはまるで違う。

 生まれも育ちも俺などとは関わるはずのない、そんな女が……今目の前で俺に手首を掴まれている。

「私は、ルシア・フォスター。追放された……魔女よ」

 女の台詞は、俺がずっと知りたかった情報の一端を語っていたはずなのに、俺は激しく落胆していた。


(……記憶を取り戻したのか)


 この女は嘘は吐いていないと、俺は確信していた。

 彼女は確かに『ルシア・フォスター』なのだろう。だがならば……『シオリ』は誰だったと言うのだろうか。本来の記憶を失っていた間だけの、かりそめの人格だったのだろうか。 
 この女と同じ体を持ちながら『シオリ』と名乗った女もまた、嘘などついていなかったのだから。

「……見知らぬ男に、簡単に名乗るのか」

 挑発するように言う。

 すると彼女は初めて、瞳の中に感情の色を浮かべた。
 探るように俺の瞳を見つめてから、面白そうに微笑んだ。ゆっくりと片手を上げて俺の首筋に触れる。

 冷たい指先の感触を感じ、ぞくりと体が震える。

(何を……)

 その細い指の腹で、感触を確かめるように首を伝っていく。
 男を誘うようなそのしぐさは、シオリと似ているようでまるで違った。

 この女は、誘ってすらいない。不快を与えるために、舐めるように指を這わせているのだ。

「……寝首をかかれるわよ」

 女は魅惑的な笑みを浮かべながら言った。

「良く知りもしない女をベッドに誘うものじゃないわ」

 彼女は知っているのだと確信する。

(シオリの記憶を持っている……)

 シオリは、森で拾った女だ。
 記憶を失い、すがるように俺に懐いている。

 彼女は出会ったときから、なんの躊躇もなく俺に触れてくる。優しさを分け与えるように、起き上がれなくなった俺の額に触れながら、温かな魔法を掛けてくる。

 満面の笑みを俺に向け、幸せそうに寄り添う彼女に繋がれた手を見ていると、心に憂鬱が広がった。すぐになくなることが分かっているぬくもりに、慣れてきている自分を感じていたからだ。

 もう少しだけ、そう思いながら、風呂上がりの彼女に触れた。彼女は不思議なことを言った。異国風の名前で自分を呼べと言う。けれど呼ぶと、しっくりと彼女に似合った名前に思えた。彼女もまた、真実の名を呼ばれたかのように、体の緊張を少し解いた。

 シオリは俺の手を振り払わなかった。
 頬を赤く上気させ、瞳を潤ませながら俺を見上げていた。いつもと変わらず……俺に対して、嫌悪も拒絶の感情も抱いていないようだった。

 共に寝たいと言う彼女に、ならば一緒に寝るかと、俺にしては珍しく女の誘いに乗ってもいいかと思う。

 深く女と付き合う気はなかった。今まではだが。はじめて、少しだけ、女に近づいてみたいと思う。けれど彼女は幼い。子供のような彼女の言葉を鵜呑みにはしていない。おそらく無邪気というのが、彼女を表すのにふさわしい言葉なのだろう。女神でも精霊でもないのだとしたら、無垢な子供なのだ。

 世界のことを何も知らず、植え付けられた常識を持たない。
 目覚めたばかりの世界で、世話をしてくれた男に雛鳥のように懐いた。ただそれだけの女。

 記憶を取り戻せば、もしくはこの世界を知っていけば、彼女もまた普通の人々のように俺と距離を置くだろうと思っていた。

 ならば今だけと。
 そう思いながら彼女に触れた……そのときに、彼女は『消えた』。

「……知らない女ではないだろう」

 無邪気に俺に纏わりつくシオリは、さっきまでこの腕の中に確かに居たのだ。けれど今は……世界のどこにもいないことを感じていた。

 俺の台詞に、女は手を降ろす。

「貴方は何も知らないわ……」

 確かに何も分からないが。この女が何者なのか、記憶を失っていたシオリは誰だったのか。

 ルシアは長い睫毛を上げて俺を見上げた。
 まっすぐな眼差しは、シオリと何も変わらないものに思えるけれど、その瞳に宿る感情の色が彼女と違った。ほの暗さを感じさせながら、射るように俺を見つめる。

「……ねぇ、貴方、悪魔の証を持っていたでしょう?」
「ああ」

 それは今、この女の背にあるはずのものだが。

「悪魔の証を持っているものが悪魔になるのだと、みんなが言っているわね」

 何を今更。そう思う俺に彼女は続けて言った。

「貴方もそう思うの?自分が悪魔になるのだと……信じているの?」

 それは俺自身がずっと考え続け、答えを出せずにいること。

「……信じたくはないが」
「信じているのね……馬鹿ね」

 彼女の否定の言葉に、思わず息を呑む。

「悪魔はなにも証を持っていたらなるわけじゃないわ。知らない間に人の社会に入り込み人の心を動かしていく存在……誰にも正体を知られることもなくね。あなたにそんな芸当が出来るとは思えないけれど」

 まるで俺を知っているように女は語った。いや、シオリとして共に過ごした記憶は持っているのだろう。
 そしてこの女はきっと、俺がずっと探し求めて来た何かを知っているのだ。

「それでも……貴方の存在が私には分からないわ。悪魔でないなら……一体何者なの?」

 女が言う。

「貴方は……誰?」

(そうか……この女神のような能力を持つ女にも、俺の正体が分かるわけではないのか……)

 少しだけ落胆するようにそう思う。
 一体何者なのかと、その答えを知りたいのは、誰よりも自分自身だった。

「誰……なのだろうな」
「……」

 自分に問うように答えれば、彼女は眉をしかめる。

「ジェイラス・リーフ」

 ルシアは俺の名を強い口調で呼んだ。

「シオリについて知りたい?」

 彼女の言葉の真意が分からず、透き通るような美しい水色の瞳を見つめた。
 『シオリ』その存在を、ルシアもまた知っている。

「ならば、教えなさい。貴方のことを。貴方は一体……何者なのか」

 交換条件よ……そう彼女は言葉を続けた。

「俺のこと……」
「そう。どこに生まれ、どう生きてきた、どんな能力を持っている人なのか。貴方が嘘をつくならば、私も何も教えないわ」

 それはつまり、シオリのことを教えてもいいのだと言っているようなものだった。

「つまらない……話だ」
「そうは思えないけれど」
「……俺にも分からないんだ」
「……」
「何者なのか、なんて、俺には……」

 なぜなら俺は、俺が何者なのか、その答えをずっと探しているのだから。

「……シオリよ」
「なに?」
「シオリにあなたを伝えなさい。何を思い、何を感じ、何を大事に生きてきたのか、生きているのか」
「……」

 この女は、一体何を言っている?

「また会いましょう、ジェイラス・リーフ……」

 そう言うと女は、まるで気絶するように意識を失った。慌てて抱きかかえると、不思議なほど安らかな寝顔がそこにあった。

(……何があった?)

 記憶喪失だと言っていた女の中から、別の人格が現れた。普通ならば記憶を取り戻しただけだと思うだろう。けれど、彼女の言動は、それだけだとは思い難かった。

(俺のことを教えろ……?)

 知った先でどうしようと言うのだろうか。

 『シオリについて知りたい?』

 ああ、俺は。

 初めて自分の中の思いに気づく。

(俺は……)

 ベッドに寝かせたシオリの頬を指先でついとなでる。

(俺は……この女のことを、知りたかったのか)

 美しい女は、危険など何も感じてはいないかのように、安らかな顔で眠りについていた。
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