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月人side
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しおりを挟む曇り空から、雪が降り出した。
俺は差した傘から彼女を見下ろす。
彼女は、一軒の家を見つめていた。
住宅街に並ぶのは、普通の、日本の家々だった。
俺は昨晩、ネットでストリートビューを確認していた。この家の表札は、今でも、彼女の苗字のままだと。
「門の前の低木、紫陽花だよ」
彼女が言った。
冬の今は葉もほとんど落ちているが、確かに紫陽花なのだろう。
「うちだ……」
もう、11年経っている。
けれどこの世界での彼女の時間は止まったままだ。
ゆっくりと歩き進み、顔を見合わせてからチャイムを鳴らした。
彼女によく似たご夫人が出てくると、泣き崩れた。
「……美雨!」
それは確かに、彼女自身で思い出した、彼女の名前だった。
抱き合う二人を見つめながらぼんやりと思っていた。
冬が過ぎ、次の彼女の誕生日を迎える頃には、この紫陽花の低木が、鮮やかな花を咲かせている姿が見られるのだろうと。
白木美雨。
郊外の都市で生まれた。
今はもうない、小さなパン屋が昔は近くにあった。
中流家庭、サラリーマンの父親、専業主婦の母親。弟が居た。一つ年下の弟は、今は一人暮らしをしながら大学に通っていると言う。
彼女の母に、父親は夜まで帰らないので、どうか今夜は泊まっていって欲しいと勧められた。彼女はともかく俺までも、と断ろうとしたが、それでは彼女の方が納得しなかった。
結局夜になるずっと前に、父親が帰って来た。彼女たちは泣きながら抱きしめ合っていた。
俺はどこか居心地悪くそれを見守っていた。
泣き疲れた彼女が眠ってしまった後に、俺は彼女のご両親と話をした。
彼女のご両親は、その年齢より老けて見えた。
長い間行方不明になっていた娘を探し、いつか戻ることを信じてこの家で待ち続けたのだと言う。
「半年前に、彼女と知り合いました。それまでの記憶がなく困っている様子の彼女を保護し、また警察にも届けました。僕らは一緒に暮らし始めました」
警察のことは、抜かりなく本当のことだ。
かつての勤務先や、通っている大学の名前など出すと、少しだけほっとするような表情をした。
「生活に落ち着きを取り戻すと、彼女は徐々に昔の記憶を思い出して行きました」
これはそういう設定だ。
「彼女は僕と暮らしたがっています。けれど僕は、彼女はご両親の元に戻るべきだと思っています」
俺の説明を聞いた後父親が言う。
「あなたは娘とはどう言うご関係ですか?」
「僕たちは……一緒に暮らしながら、お互いに好意を伝えあっています。けれどまだ、恋人らしいことはなにもしていません。僕は、彼女が記憶を取り戻せた時に、改めて、彼女に交際を申し込もうと思っていました」
そうか、とご両親は頷いていた。
「お許しを頂けるのなら、彼女に会いに来てもいいでしょうか?」
「それはもちろん、歓迎します。あなたにはお礼もまだ出来てないわ。だけど交際はあの子しだいね。私は、あなたを応援するわ」
母親は何故だか少し嬉しげにそんなことを言った。
「ありがとうございます」
反対されなかったことに拍子抜けし、戸惑いながらも、お礼を言った。
翌朝、帰り支度をしだした彼女を俺は止めた。
「俺は一人で帰るよ」
「え……」
まるで絶望を感じたかのように彼女は表情を無くす。
「……どうして?」
「君は、ここにいた方がいい」
「……いや!」
俺に抱きついて来て、必死にしがみつく。
「いやだ、置いていかないで。離れるために、思い出したんじゃない!そんなことのために、ここに来たんじゃない!」
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