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聖女side

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 私の祈りで分け与えられた力で、私は1番大事な記憶を消されてしまっていた。

 私が祈りつづけた年月、この人たちは、私を不幸にすることしかしてこなかった。

 そして、役立てると思っていたわたしの役割は、想像とはまるで違うものとして使われていたと言う。

「私は……私は……!!」

 ぼろぼろと涙をこぼす。

 馬鹿みたいではないか。まるで都合の良い操り人形だ。なのに、ここの誰もが操り人形のようだ。意思を持って私を攫ったのですらない。

 神の意思を、神殿の意思を、集団の意思を、彼らは遂行して来ただけ。

 そんな愚かなものに踊らされ、逃げる場所などどこにも無く、いつしか私は考えることを放棄し、彼らの思惑通りに祈りを捧げようとしていた。

 私は、吐き気がするほど、愚かだった。

「……聖女」

 気遣わしげな月人の声が響く。

「聖女」

 彼の声は心に沁み入るように静かに聴こえてくる。

「誰が許せない」
「え……?」
「記憶を消したのは、誰だ?」
「……」
「神官長か?神殿長か?責任者だけじゃないだろう。悪気もなくお前を虐げて来た、この世界で神を崇める者全てが憎いだろう?生きている限り、許せることなどないだろう?」

 月人は醜く歪んだ顔で、笑う。

「誰を殺す?」

 楽しそうに言う。

「罪には罰を。いくらでもそれを返せる力を、俺はあなたから受け取って来た。清らかな力で、汚物のような奴らを洗い流せるんだ。それこそが神に仕えるやつらに相応しい最期だろう?」

 神官たちのざわめきと、悲鳴が聞こえる。

「わ、私たちは何も……」
「なぜ神の意思を信じない」
「やはり悪魔の子だったのか!」

 罪には罰を――。

 受けるに相応しい人たちの言葉が飛び交っている。

 どう罰を与えたら、楽になれるの?

 記憶を消され、彼らに連れ去られ監禁されるように過ごした幼少期の苦しみを、私は誰に償って貰えばいい……?

 ……否。

 この人たちを全て殺しても、異世界に送っても、不幸な人生を歩ませても……きっと楽にはならない。幸せにもなれない。

 ならどうしたら?

「どうしたら、いいの」
「……」
「きっと、生きてる限り、ずっと苦しい」

 記憶は無くならない。確かに歩んできてしまった惨めな私の人生は取り返しなど付かない。

「どうしたら……?」

 私も彼らも死んで、そして、全てが無になったら――?そしたら楽になる?世界が滅びた瞬間、私は解放される……?

「聖女」

 月人が私を呼ぶ。

 そうだ。月人が残されるのだ。私と取り替えられて生きてきた彼が。

「持てる力の全てで、彼らの命を奪って還ろう」
「かえる……?」
「本当は、そもそも返還の儀というのがある」
「……返還?」
「聖女を元の世界に戻せるのだ」

 聖女を戻せる儀式?

「召喚してしまったならば、交換で送り込んだ俺と、あなたを引き換える儀式をすれば良いだけだったんだ」

 私は月人と引き換えに戻れた――?

「昔は返還の儀が行われていた。けれど、返還の儀を行っても、帰れる者がほとんどいなかったんだ。丁重に生かされる聖女と違い、異世界に放り出される孤児など生き延びられない。戦や饑餓の時代なら数年すら生きられない。平和な国や時代があったとしても、俺ですら何度も死にかけてる。そして心が病む。……無理なんだ、生きながらえるなんて。そして、返還の儀そのものを、意味のないものとして行わなくなった」

「……月人」

 私は顔を上げて彼を見つめる。

 彼が困難な人生を歩んできたことを知っている。
 今生きてくれていることが、奇跡のようなことなのだと、改めて思い出す。

「生きていてくれてありがとう……月人」
「……」
「神に感謝を……ああ、もう、神に祈る必要はないのに……」

 瞳からぼろぼろと涙がこぼれ落ちる。
 月人からは困惑したようなまなざしを向けられる。

 けれど心から感謝している。
 彼の手紙は私を救ってくれた。

 それを、静かに、思い出して行く。

 彼の人生の困難を僅かながらに聞かせてもらっている。彼がひたむきに生き延びてくれたおかげで、私は救われていたのだ。

 みっともない私の人生で、ただ一つ、清らかな光のようだった人。

「無事で……良かった」

 彼が、生きていける世界を。
 苦しんだ彼が、私を助けてくれた唯一の人が、せめて楽になるような罰を――彼らに。

 彼は考えるようにわたしを見つめてから、小さくため息をついた。

 そして困ったような瞳を私に向ける。

 まるで普通の……青年のようだ。生きている月人。やっと会えた人。5年、私を励まし続けてくれた彼は今ここにいる。

 嬉しくて、何故だか悲しくて、そして胸がズキリと痛む。

 彼は、私と交換で違う世界に放り込まれた人だった。

 初めから、私の存在を知っていたのだ。つまり彼の手紙は偽りに満ちていたのだ。

 聖女の姿が瞼に映ると語っていたり、私の姿で元気がもらえると言っていた、あの手紙は、彼の本心ではなかった。

 だけど……それでも構わない。彼の境遇を考えれば当然だ。なのに悲しい。心が破れそうに痛い。私は痛む胸を抱えながら、彼に伝えなくてはならない。

「私は、私の中の神様に、あなたのために祈るわ」

 偽りだらけの人生で、たった一つ、私のものだと思えるもの。それは私の心だ。

「助けに来てくれてありがとう……」

 たとえ来てくれた彼の本意が、この世界に戻ることだけなのだとしても、来てくれたことには変わらない。

「全部話してくれていても良かったの。知った今も変わらず、私はあなたのために祈ります。あなたが、幸せであるように。聖女の力が無くなってもずっと……私を救ってくれたあなたの幸せを願い続けます」

 偽りの言葉で騙さなくとも、私は知らぬ世界に一人きりの彼のために心から祈っただろう。彼の願いがこの世界に戻ることなのだとしたら、どんな協力も惜しまなかっただろう。

 胸が痛いのは、私の弱さだ。

 私は、偽りの月人から寄せられる純粋な好意のようなものに、期待していたのだ。
 言葉以上のものを欲して、私の欠けた心を満たしてほしいと、飽くことなく求めたのだ。なんて恥ずかしいんだろう。

 ああ、そうだ、彼はこれからどうするのだろう。
 彼を捨てた、この神殿に、復讐するのだろうか。

 復讐――。

 月人の言葉を思い出す『死にたいのか?』

 彼は、殺したいのかも知れない。
 どうしたら、私は彼の力になれるのだろう。
 私に出来ることはあるのだろうか。
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