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しおりを挟む何か月経っても、勇者も王子も姫も、戻っては来なかった。
たとえば、私は彼らが病気になってしまっても、死んでしまっても、そのことが分かることもない。
嘘を付いていても本当のことを言っていても何も変わらない、虚構の世界で彼らに出会ったというのはそういうことなんだ。
幻の彼らに信愛を抱き、幸福な時間を過ごさせてもらった。
ああ、忙しくなってゲームの中のことを思い出せないだけならいいな、と思った。
もう二度と会えなくても、最後まで私のことを気にかけてくれた勇者が私は本当に好きだったし、救われたのだ。元気で、幸せでいてくれたらいいと願う。
長いネット生活で分かったことは。
そもそもこの場所から助けを求めても、私の居場所は特定出来ないのだ。
ネットで得た少ない情報からでも、魔族の膨大な領地から私の居場所をなんのヒントもなく特定することなど不可能なことに思えた。人族は、魔族のことも魔族領のこともほとんど知識を持っていないのだ。
私は無駄な足掻きを何年もして、無駄に傷ついて諦める日々を送っていたのだ。
それに、聖女だからって助けてもらえるなんて思うのもおかしな話だ。
何も出来ない、何もしてきていないただの子供など、わざわざ人族が危険を冒してまで助けにくるには値しないだろう。次の聖女を待つ方がよほど現実的だ。
(私が死んだら、次の聖女が閉じ込められるんだろうなぁ……)
せめてそれだけでも食い止められればいいと思うのだけど。
自分が生きていることで、次の誰かが閉じ込められるまでの時間稼ぎになっているのなら、それだけでも良かったと思えた。
けれどそれ以上のことは、自分に出来ることなどなにも思い浮かばなかった。
(なんのために転生してきたんだろう)
なんのために生まれて来たんだろう、そんな問いと同義のことを考える。
本当に食べて寝てネットをするだけの人生、だったと思う。
誰かの心にすら、深く残らなかっただろう。
(ああ、それでもせめて)
あの愛しい人の心に少しでも残ればいいのに、そう思うだけで涙が出た。
(叶うならば、一度くらい誰かの役に立って死にたかった)
気力を失った私は、よく咳込むようになり寝込みがちになった。
冬がやって来ていた。窓の外には雪景色が広がっていた。
吐き出す息が白い。毛布をかぶり暖を取っている私は、もう、ネットにも接続していなかった。
ネット以外の娯楽でもあればいいと思うのだけど、道具もなにもない部屋では出来ることもない。
体調が悪く寝ている時に、騒がしい音が響いて来た。
叫ぶような、物がぶつかるような、尋常ではない物音だと思った。
(どこから?)
窓の外を見下ろすと、眼下の風景が様変わりしていた。
(火事――?)
煙が町のあちこちから上がっていた。倒れているような魔族の姿が見えた。鎧を着ているような影も見える。
(いや違う、戦――?)
それに、この騒音。眼下の町から聞こえているようには思えなかった。
もっと近くの、扉の外……階段からの音ではないだろうかと思った。
魔族の争いが起こり、この町が敵に襲われている――?
魔族に見つかった人族などひとおもいに殺されるだけではないだろうか。
(なんだ、病気にならなくても、殺される運命が待ってたのか)
もう悲しみも恐怖もない。楽に殺してもらえればいいと願う。
咳がひどく、ベッドの上で横になったまま、扉が開かれるのを待った。
熱もあるのかもしれない。意識が朦朧としていて、緊迫感ある状況のはずなのに眠ってしまいそうになっていた。
扉が強く叩かれる音で、ビクリと体を震わせて意識を戻した。
ガタガタと扉が揺れている。きっと外から開けようとしていても動かないのだろう。
しばらくすると、爆発するように扉が砕け散った。
さすがにぎょっとして見つめていると、鎧の騎士とローブを着た魔法使い風のいでたちの人たちが部屋の中へと入って来た。
(――?)
耳もしっぽも体毛もなさそうなその人たちを見つめて、魔族ではないことを悟った。
(人族?)
こんなところに人族がやってくることがあるのだろうか。
熱に浮かされるような頭で、夢でも見ているのかもしれないと思いながら見つめる私の前に、一人の鎧の騎士が駆け寄ると、兜を脱ぎ、まっすぐに私を見つめた。
青い瞳が私を見下ろしていた。金色の長い髪が後ろで束ねられていた。
整った顔立ちは、かつてよく知っていた人に瓜二つだった。
(――勇者)
ああ、彼は本物の勇者にそっくりなアバターを作っていたのか。設定にどこまでも忠実に再現していたんだな、そんなことに気付いた私は、思わず笑みを漏らしてしまう。
もう会うこともなくとも。今になってそんなことを知ることが出来るなんて。
「変な顔で笑うな……」
本物の勇者は不快そうに眉根をひそめて、言った。
彼は私の前にひざまずき、私の額に手をやり熱の高さを感じとった。そうして何度も優しく頭を撫でた。まるで、私の勇者とそっくり同じように。
そうして毛布で私をくるむと、その両腕で私を抱えて持ち上げた。
「待たせた。こんなに時間が掛かると思わなかった」
持ち上げられている私のすぐ目の前に、勇者の顔があった。
彼の眉間の皺は、ゲームの中と同じように刻まれていて、なんだかおかしくなってしまった。
「……そっくりな容姿だな。聖女と」
返事をしようとしたのだけれど、声が出なかった。
そうか、とやっと気が付いた。私はこの体で実際に話したことなど一度もなかったのだ。
ぱくぱくと口を動かしながらも声が出ない私に、勇者も察したのか痛ましいものを見るような表情をした。
「俺が分かるか。長い時間を共に過ごし、指輪の約束を果たした俺を覚えているか」
頭を撫でられたときに、もしかしてと思った疑問は、彼の言葉で確信に変わった。笑顔で答えた私の返事に、彼は思わずと言ったように、私の頭に彼の頬を寄せた。
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