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9 シュリオン1
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◇◆◇
生まれてからずっと、比べられてばかりの人生だった。いつだって、より不利な条件で。
兄王子は、王妃の子であり、能力にも問題はなく、期待され人望もあった。
そんな存在と比べられる謂れもないはずなのに、常に比べられていた。悪い意味でだ。
『兄王子の方がより優れている』その言葉で、側妃の子の評判を落とし、王太子を持ち上げるためだ。
俺の存在がその程度のものだったのも理解していたし、それでいいと思っていた。
だが兄が亡くなった。彼は十八歳だった。誰も王太子の早すぎる死を想像していなかっただろう。
今度は、比べられる対象が異母弟になった。
十五歳だった俺と、弟王子のどちらかが王太子になるのだと競い合わされた。
出来が良くなく、歪んだ性根を持っている弟よりも、人望だけなら俺の方があったのかもしれない。けれど母を亡くした俺は最低限な教育しか受けておらず、後ろ盾もなく人脈も築けない。もともとが、弟の下になるように育てられていたのだ。俺はまた弟を持ち上げるための駒になるのだと思った。
弟の残虐性は幼い頃から際立っていた。使用人に対する厳しい罰や拷問の話を伝え聞いていた。父王の叱責など聞き入れないと言う。ある日、血だらけの死体のようなものが廊下に転がっているのを見た。使用人だった。まだ生きていた。弟に聞けば、彼の持ち物を落としたのだと言う。ただの紙切れ一枚を。
怒りが湧いた。
だが俺は、その時心に抱いた怒りの意味が、今でも掴めない。
弟の人間性に対してなのか。
不当な体罰のせいなのか。
己の青い正義感のせいなのか。
こんな人間と比べられている自分の立場のせいなのか。
その上で下に見られる自分に対してなのか。
理由も分からないのに、これを王にしてはいけないと、本能が言っていた。俺が彼と争うことにしたのは、ただそれだけの理由だった。
争うことは、自分の身を危険にさらす。
母の死は毒殺が疑われていた。その声は、王家の医師により消されてしまった。その日まで病気もなく元気であったが食後に不調を訴え、そのまま亡くなったのにだ。何が心臓の不調による突然死なのだ。身内である俺が一番にその不審死に疑いを持っている。
ここは、かつて存在していた闘技場の中のようだと思う。奴隷同士を死ぬまで戦わせていたという、負の歴史の中にあったもの。俺は死ぬまで戦うしかない、王家の奴隷だ。
凡庸であるように育てられた自分の境遇を知っている。そしてそれが己の命を守る術だ。
なのに……その時の怒りは俺を変えた。
体を支配したその怒りを、生きる意味にしてしまった。
いらぬ存在として育てられた王子として、生きる理由などどこにもなかったのに、死に導かれる短い道を歩んでいるというのなら、せめてたった一つの生きた証を見出したかった。
それは無理なのだろうと、学園生活で思い知った。
幼い頃から各家門と親しく過ごしていた弟には圧倒的に味方が多かった。彼らの思惑から、俺の存在自体が避けられ疎んじられている。
俺には、幼い頃から体を鍛える自由くらいしかなかった。肉体の強さは誇れるが、それだけだ。学園は、学びの場としては最適だったが、社交に疎い武骨者の俺には、弟ほどの取り巻きや派閥を作れない。幼い時に決められていた婚約者はいつの間にか弟と仲良くしているようだった。あの狂気の弟は、女には優しいのか、騙していたのか。
それでも俺を支持する勢力の接触は多く、騎士科を首席で卒業した後は軍部で実績を上げていくことになっていた。その矢先の出来事だった。突然の拘束。謂れなき罪状。国外追放と言う名の処刑。
魔の森に放り込まれ、兵士たちが離れて行ったあとは死を覚悟した。
どうして今も生きていられているのかが、正直分からない。弟もその後ろ盾も、俺を生かしておくわけなどないのだ。
俺を助けた平民は、エミリアと言った。助けたと言うのが正しいのか分からない。あれは拾ったと言うんだろう。
始めは誰かの手のものかと疑っていたが、どうやらそうではないようだ。
小柄で痩せた少女だった。年下だと思っていたが学校を卒業したと言い、同い年のようだ。物事を良く知っていた。どこか放って置けない子だった。親の形見を気軽に御者に渡しているような子だ。どこで誰に騙されるのかと心配になる。
知人を頼りにし、現状を立て直そうと思っていた。国を弟などに任せられると思わなかった。
けれど、旅の日々で、経験したこともないような平民の暮らしを味わった。
「リオ様!これもおいしいですよ!」
毎日、エミリアが屈託なく笑っていた。
何もかも失った何も持っていないはずの自分との旅の時間を楽しんでいるようだった。
何も考えずに彼女と話す日々は気が楽だった。素性も良く知らない彼女と話すのはとても楽しかった。束の間の休息のような時間。
穏やかな時間の中、俺は考えた。
俺が平民だったのなら、このように過ごしていたのだろうと。
民にとって、日々の暮らしが大事なのであって、王が俺であろうがなかろうが、おそらく興味もないのだろうと。俺自身が生きる理由にしていたものは、一体なんだったのだろうか、と考える。弟の残忍な性質は問題だが、諫める者がいれば、理由もなく民を虐殺したりはしないだろう。だからこそ弟が選ばれたのだろう。俺は価値のないものに価値を見出そうとして生きていたのかもしれないと思う。
生まれが違っていれば、ただの旅人であったなら、俺は何を望んで生きたのだろうか。
宿屋で目覚める朝に。知らぬ土地の慣れない食事の美味しさに。旅の仲間との面白い会話に。
小さな喜びや楽しさが積み重なる。
もしも何も持たぬ民であったなら、きっとこの日々が続くことを願い、大事な人を守るために生きるのだろうと思った。
彼女と過ごす時間はとても楽しく、居心地が良かった。
女性としてもこれほど合うと思えた者に会ったのも初めてだった。どれだけ話しても話が尽きない、知性の高さもだが、その見解は心地よく、また良く見れば、細すぎると思っていた華奢な手足も、瑞々しい白い肌も、綺麗な空色の瞳も、女性としての上等な美しさに溢れ、心を捉えられる。
とはいえ、俺の人生に巻き込むわけにはいかない。
深く踏み込むことはせずに別れるつもりだった。
生まれてからずっと、比べられてばかりの人生だった。いつだって、より不利な条件で。
兄王子は、王妃の子であり、能力にも問題はなく、期待され人望もあった。
そんな存在と比べられる謂れもないはずなのに、常に比べられていた。悪い意味でだ。
『兄王子の方がより優れている』その言葉で、側妃の子の評判を落とし、王太子を持ち上げるためだ。
俺の存在がその程度のものだったのも理解していたし、それでいいと思っていた。
だが兄が亡くなった。彼は十八歳だった。誰も王太子の早すぎる死を想像していなかっただろう。
今度は、比べられる対象が異母弟になった。
十五歳だった俺と、弟王子のどちらかが王太子になるのだと競い合わされた。
出来が良くなく、歪んだ性根を持っている弟よりも、人望だけなら俺の方があったのかもしれない。けれど母を亡くした俺は最低限な教育しか受けておらず、後ろ盾もなく人脈も築けない。もともとが、弟の下になるように育てられていたのだ。俺はまた弟を持ち上げるための駒になるのだと思った。
弟の残虐性は幼い頃から際立っていた。使用人に対する厳しい罰や拷問の話を伝え聞いていた。父王の叱責など聞き入れないと言う。ある日、血だらけの死体のようなものが廊下に転がっているのを見た。使用人だった。まだ生きていた。弟に聞けば、彼の持ち物を落としたのだと言う。ただの紙切れ一枚を。
怒りが湧いた。
だが俺は、その時心に抱いた怒りの意味が、今でも掴めない。
弟の人間性に対してなのか。
不当な体罰のせいなのか。
己の青い正義感のせいなのか。
こんな人間と比べられている自分の立場のせいなのか。
その上で下に見られる自分に対してなのか。
理由も分からないのに、これを王にしてはいけないと、本能が言っていた。俺が彼と争うことにしたのは、ただそれだけの理由だった。
争うことは、自分の身を危険にさらす。
母の死は毒殺が疑われていた。その声は、王家の医師により消されてしまった。その日まで病気もなく元気であったが食後に不調を訴え、そのまま亡くなったのにだ。何が心臓の不調による突然死なのだ。身内である俺が一番にその不審死に疑いを持っている。
ここは、かつて存在していた闘技場の中のようだと思う。奴隷同士を死ぬまで戦わせていたという、負の歴史の中にあったもの。俺は死ぬまで戦うしかない、王家の奴隷だ。
凡庸であるように育てられた自分の境遇を知っている。そしてそれが己の命を守る術だ。
なのに……その時の怒りは俺を変えた。
体を支配したその怒りを、生きる意味にしてしまった。
いらぬ存在として育てられた王子として、生きる理由などどこにもなかったのに、死に導かれる短い道を歩んでいるというのなら、せめてたった一つの生きた証を見出したかった。
それは無理なのだろうと、学園生活で思い知った。
幼い頃から各家門と親しく過ごしていた弟には圧倒的に味方が多かった。彼らの思惑から、俺の存在自体が避けられ疎んじられている。
俺には、幼い頃から体を鍛える自由くらいしかなかった。肉体の強さは誇れるが、それだけだ。学園は、学びの場としては最適だったが、社交に疎い武骨者の俺には、弟ほどの取り巻きや派閥を作れない。幼い時に決められていた婚約者はいつの間にか弟と仲良くしているようだった。あの狂気の弟は、女には優しいのか、騙していたのか。
それでも俺を支持する勢力の接触は多く、騎士科を首席で卒業した後は軍部で実績を上げていくことになっていた。その矢先の出来事だった。突然の拘束。謂れなき罪状。国外追放と言う名の処刑。
魔の森に放り込まれ、兵士たちが離れて行ったあとは死を覚悟した。
どうして今も生きていられているのかが、正直分からない。弟もその後ろ盾も、俺を生かしておくわけなどないのだ。
俺を助けた平民は、エミリアと言った。助けたと言うのが正しいのか分からない。あれは拾ったと言うんだろう。
始めは誰かの手のものかと疑っていたが、どうやらそうではないようだ。
小柄で痩せた少女だった。年下だと思っていたが学校を卒業したと言い、同い年のようだ。物事を良く知っていた。どこか放って置けない子だった。親の形見を気軽に御者に渡しているような子だ。どこで誰に騙されるのかと心配になる。
知人を頼りにし、現状を立て直そうと思っていた。国を弟などに任せられると思わなかった。
けれど、旅の日々で、経験したこともないような平民の暮らしを味わった。
「リオ様!これもおいしいですよ!」
毎日、エミリアが屈託なく笑っていた。
何もかも失った何も持っていないはずの自分との旅の時間を楽しんでいるようだった。
何も考えずに彼女と話す日々は気が楽だった。素性も良く知らない彼女と話すのはとても楽しかった。束の間の休息のような時間。
穏やかな時間の中、俺は考えた。
俺が平民だったのなら、このように過ごしていたのだろうと。
民にとって、日々の暮らしが大事なのであって、王が俺であろうがなかろうが、おそらく興味もないのだろうと。俺自身が生きる理由にしていたものは、一体なんだったのだろうか、と考える。弟の残忍な性質は問題だが、諫める者がいれば、理由もなく民を虐殺したりはしないだろう。だからこそ弟が選ばれたのだろう。俺は価値のないものに価値を見出そうとして生きていたのかもしれないと思う。
生まれが違っていれば、ただの旅人であったなら、俺は何を望んで生きたのだろうか。
宿屋で目覚める朝に。知らぬ土地の慣れない食事の美味しさに。旅の仲間との面白い会話に。
小さな喜びや楽しさが積み重なる。
もしも何も持たぬ民であったなら、きっとこの日々が続くことを願い、大事な人を守るために生きるのだろうと思った。
彼女と過ごす時間はとても楽しく、居心地が良かった。
女性としてもこれほど合うと思えた者に会ったのも初めてだった。どれだけ話しても話が尽きない、知性の高さもだが、その見解は心地よく、また良く見れば、細すぎると思っていた華奢な手足も、瑞々しい白い肌も、綺麗な空色の瞳も、女性としての上等な美しさに溢れ、心を捉えられる。
とはいえ、俺の人生に巻き込むわけにはいかない。
深く踏み込むことはせずに別れるつもりだった。
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