最後の思い出に、魅了魔法をかけました

ツルカ

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 私は立ち上がると、フェリクス様に近づいた。
 怯えるように震えているのに、美しいプラチナブロンドがサラサラと揺れていて、まるで彼を輝かせているようだと思う。頬を上気させて赤くした彼は食い入るように私だけを見つめている。愛しいものから目が離せないように。もっとよく見ようとさらに顔を近づけると、耐えかねたように、彼は小さな吐息をもらす。

 髪の毛が触れ合いそうなほどにも顔を近づけても、彼は視線を外さない。

 これはずっと……私が見たかった瞳だ。
 こんな風に私だけを見つめてくれることがあったなら、決して離れなかったのに。
 無理やりでなければ見られなかった彼の姿。いつか私の知らないどこかで、きっと伴侶になる聖女様に見せることもあるのだろう。

 胸が痛い。見たかったのに、見たくなかったと思ってしまう。それはきっと私の行いに対する報いなのだろう。

「……さぁ、フェリクス様。お前なんかに屈しないと言うのです」
「は……?」
「こんな屈辱を与えてくる私への侮蔑と憎しみを込めて罵るのです!」
「なにを言ってる」
「怒りで顔を真っ赤にさせて、それでも抗えない情熱の籠る熱いまなざしを私に向けるのです。ああ、きっとそのお姿はぞくぞくするほどお美しいことでしょう」
「言えば言うほど、性癖が暴かれていっているのではないか……」
「罪深く浅ましい私をどうぞ罵倒してくださいませ。心のままに。さぁ!」
「……」
「言ってくださいまし……だって、本意ではないことをやらされていらっしゃるのだもの……」

 フェリクス様は苦しみに耐えかねるよう顔を歪めてから、手を伸ばして私に触れようとする。すっと体を引き、私は言った。

「触れてはなりません、フェリクス様」
「……?」
「魅了の魔法が効いている間、触れるとどうやらその人の心の声が聞こえてくるようなのです」
「心の声だと?」
「そうです。私はフェリクス様の心のうちを暴きたいわけではないのです。ただ、ずっとお慕いしていた貴方から、ほんの少しでも好かれていたのだと、そう思えるような一生の思い出が欲しかったのです」

 フェリクス様の瞳が揺れた気がする。私はその瞳を見ながら言い続けた。

「ずっとずっと大好きでした。初めてお会いした時……野山を駆け回っていた私とは何もかも違う、気品のあるお姿に、世界にはこんなに美しいものがあったのかと心に喜びが溢れました。あんなにも何かに心が奪われたのは、後にも先にも貴方だけです。一度でもいいからそんな貴方が……私のことだけで心をいっぱいにしているお姿を見てみたかったのです。もう充分です。望みは叶いました。大好きでした。フェリクス様。どうかお幸せになってくださいませ」

 そう言うとポロポロと涙をこぼしてしまう。
 見たかったお姿は見られたのに、それで満足なはずなのに、強欲な私の心は結局満たされなかったのだ。
 好きな人をただ苦しめただけで、私の心もどこか傷付いていた。家にも多大な迷惑をかける。自分だけの問題なんかじゃない。愚かな私は感情のままに、誰をも不幸にすることをしてしまった。

 一体なんてことをしてしまったのだろう。

「ごめんなさい。最後にこんなことをして私は許されません。心を作り変えられるなんて、とても残酷なことなのに。あなたと、そのご伴侶となる方を侮辱する行為です。愚かな私をどうか罰してください。どうとでも処罰してください。私は全てを受け入れます」

 涙が止まらない。綺麗な思い出すら残せなかった。
 王宮の庭の木に登ってしまった子供の頃の私と同じ。考えなしでやりたいことをやってしまっただけ。本当はあの時から、私はこの方には不釣り合いな婚約者だったのだ。

「馬鹿かお前は!……もっと早く言え。大事なことだから、よく聞け、男は十分もあれば何でもできるんだよ。二度と、密室でこんな危険なことをしないと約束してくれ……」

 どういう意味だろうとフェリクス様を見つめ返すと、彼の手が頬に触れた。

『なぜ最初に触れて確認しないんだ。心の声を読めばいいんだ。浅はかな男の心の欲望など、わざわざ耐え続ける姿など見なくとも、暴けばいい』

「……え?」

 私の瞳をまっすぐに見つめて、フェリクス様はまるで心の声を伝えてくるように、私に触れている。

『折角、感情に蓋をしていたのに、掘り起こされてはもう抑えられない』

「……は?」

『野に咲く花のように生命力あふれる人だったのに。俺が温室に囲ってしまった。世俗を何も教えず与えようとせず、ただ愛でようとしてしまった。輝く笑顔を失わせてしまった。可憐な花を手折ったことをずっと悔いていた。咲き誇れる場所に返してあげようと思っていたのに。これでは返せない。俺のせいでなにも知らずに無垢な大人になってしまったというのに』

 心の声が長い。

 私はフェリクス様の手を頬から放し、ギギっと音を立てるように首を動かして、フェリクス様を見つめた。熱の籠った、私しか見つめていない、ハートが浮かんでいそうな魅了のかかった瞳がそこにはあった。

「フェリクス様、今お考えのようなことは、魅了のせいなのです……」
「……クレア、魅了魔法をなんだと思っている?」
「洗脳でしょうか?」
「似ているが少し違う。理性の枷を外し、元々ある欲望と感情を増幅させるんだ。似たようなことならば酒などでも起こせるし、人為的にも起こせる。むしろ洗脳の方が簡単だ。人の理性の枷をはずさせるのは存外難しい」

 フェリクス様は今度は私の手首を掴んだ。

『もともと好意を向けてきている相手の理性の枷を外したらどうなるのか想像も出来ないほど、籠の中の鳥だったのだお前は。俺がそうした。何も教えず、綺麗な花であることを望んだ。俺とは何もかも違うお前を、穢れを知らないままにしておきたかった』

「籠……の中?」

『俺が、仕向けた婚約だ。当初誰も公爵家への打診を望んでいなかった。他にいないと思わせるだけの根回しをした』

「……え?」

『人を動かすのは難しいことではない。利害と、欲望、快と不快、誰にでもある願望を刺激するように、心の柔らかい部分に、少しずつ染み渡るように情報を与えていく。いつしか先導されているのだと気付かぬうちに思考を動かされていく』

「一体何を……」

『愛する人を手に入れたいのなら、自分のことだけ考えさせるようにすればいいのだ。俺という檻の中に閉じ込めてしまえばいい。俺の言葉と、俺との触れ合いでだけ、喜びと快楽を得られるのだと錯覚させ、俺だけがただ一人幸福を与えてくれるものだと思い込ませればいいのだ。まるで魅了の魔法をかけるように。言葉と行動で支配していく。難しいことではない。俺はそれが出来ると知っていた』

「し、支配?」

 もう何を聞かされているのか頭が付いて行かなくて理解が出来ない。

『気付かぬうちに閉じ込めて、何も考えられないように理性と思考を奪い去り、心と価値観をぐちゃぐちゃに壊して、自分だけを愛する人形に作りかえればいいのだ。白い花を黒く染めあげるように。ずっと塗り上げたかった。願望を抑えていたのに、なのにお前は自分から染まりに堕ちてきたのだ。今からでも、それをしてしまおうか』

 フェリクス様の瞳がギラリと光ったような気がして、ひっと、本能的におもわず手を振り払うと、彼は強い力でソファの上に私を押し倒した。両手で私の動きを止めて、襲い掛かってくるかの姿勢で、熱の籠る眼差しで私を見下ろした。

『……けれど、俺はそれをしたくない。したくなかったんだ。野に咲く花のようなクレアを心のままに動かすなど、考えるだけで恐ろしい。俺は自分が怖い。自分の影響で誰かが動き、思いもよらぬ悲劇が生まれることなど望んではいない。それを教えてくれたのが、何よりもクレアの存在だった。大切に、壊さぬ距離で愛でることを望んでいたが、その花さえも萎れていく。もう、手放さなくてはと、どうしようもないのだ、と……』

 急に心の声が聞こえなくなり、フェリクス様が真顔になっていく。

 魅了が解けたのだ。きっと、時間、切れ。
 熱の消えた凍えるようなアイスブルーの瞳が私を見下ろし、目が合うと恐怖にぞくりと震えた。

「ごめんなさい、フェリクス様……!」
「はぁ……」

 彼は深くため息を吐いてから、体から力を抜き、項垂れた。
 報復が……報復が待っている。恐ろしくてジタバタともがくけれど、フェリクス様は私の掴んだ手を離さない。

 フェリクス様は少し考える時間をおいてから、私の怯える顔をじっと見て、そうして反撃のように美しいお顔を私に近づけて見つめた。近い、近すぎる。息が掛かる。

「好きな花は……なんだ?」
「え?」
「思えば聞いたことがなかった……」

 今更何を言っているのだろう。花?

「フェリクス様の下さる白の花束はとても綺麗で大好きです……けれど私はどんな花も大好きです。色とりどりに咲く花はどれも綺麗で可愛らしいです」
「ああ……そうだな。そうなのだろうな」

 困惑する私に、フェリクス様は少し困ったように笑った。
 笑われると思わなかった。それは自然な笑顔で。

「言葉が足りていなかった。今それが分かった。話し合うということは……こんなにも勇気がいることなのだな。クレアがさらけ出してくれたから……それに気付けた。同じような願望を抱く、普通の、人なのだと」

 フェリクス様は私から体を放し自由にさせてから、座り直して、まっすぐに私を見つめ言った。

「愛している。初めて会った日から……ずっと好きだった」

 そこにあるのは、いつもの冷たい海の色のような瞳。なのに、ずっと心の底で欲しかった言葉をくれている。

「心を通わせ合っているというのなら、望んでくれるというのなら、クレアと共に生きていきたい。少し大変ではあるが、今ならまだ間に合う。間に合わせる。どうとでもする。どうか俺との人生を望んで欲しい」
「でも、それは、魅了で……」
「……お前の十分足らずの魅了など、たいして効いていない。俺の言葉の方がはるかにお前の心を動かせるであろうよ。俺が恐ろしいというのなら、この手の中から逃れられるのは今しかない」
「……」
「互いの色で染め合うことになるのだとしても……それでも叶うなら、この手を取って欲しい、クレア」

 互いの色で染め合う……?
 初めて聞かせて頂いたフェリクス様の心のうちにあるものは、私が抱えていた浅ましい願望などささやかに思えて来てしまうほど大きなもので。
 染め合うことなどできるのだろうか。
 だけど、ずっとずっと、この眼差しの中の熱が見たかった。それは私色に染まる瞳。
 冷ややかな瞳のその下で、耐えるようにその想いを抱え続けてくれていたというのなら――

 現実には思えなかったけれど、扉の向こうから「殿下」と掛けられる声が響いた。「待て」と言ったフェリクス様は、視線で私にいつものように返事を促して、私はせかされるように、はい……と小さく頷いた。

 すると彼は少しだけ笑い、さっきと同じような熱の籠った瞳をして……私に口づけを落とした。

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