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 平民から『聖女様』が現れた。
 小柄で可愛らしく清楚なその女性は国に保護され、慣習によって王子の妃となることになったのだという。年齢的に一番釣り合いの取れる第二王子フェリクス様が妥当であろうと。

 フェリクス様の婚約者である私の人生が変わった瞬間である。




 当家には、婚約解消に至るまでは、何度も事前の相談があった。フェリクス様に至っては直接お越しくださった。いつも下さる白い花の束を受け取りながら、まるでお別れの贈り物をもらっているようだと思う。

「王家の事情による婚約関係の解消になる。公爵家側にはなんら非はないことだ。むしろ公爵は、王家に嫁がせることに近年あまり乗り気ではなかっただろう……喜びを隠しきれていない様子に苦笑したくらいだ。これは今後のクレアの縁組にも、影を落とすことはない。王家側からの補償と優遇を約束している。円満な、解消になる」

 何もかも決められている後で、ただ私の承諾を形だけでも求める会話。いいえ、という言葉すら挟めない。こんなものに意味はあるのだろうか。
 けれどフェリクス様との会話は思えばいつだってこうだった気がする。聡明な彼の決めたことに、反論を挟み込む余地もない。

「はい。お任せいたします」
「……」

 フェリクス様は私の答えに黙り込んでしまい、珍しいな、と思う。いつもならもう席を立ち馬車に向かっているだろうに。

「けれど……意に染まぬというのなら、どうとでもしよう。無理に進めるつもりもない。本当に進めていいのか?」

 珍しいどころではない。
 こんなことを聞くのは、まるでフェリクス様ではないようだった。どうとでもする?今から?聖女様はどうなるの?婚約が続けられるわけではないのに。

 ああ……と気付く。私から、終わらせる言葉を引き出したいのだと。なんて残酷な方なのだろう。

「それが……一番合理的でございましょう。フェリクス様の望み通りに」
「合理的か……」

 視線を落として、そうだな、と呟くフェリクス様の中に、今までにない迷いのようなものを感じた。
 なぜ?と思う。
 即断即決、いつも理性的なこの人が、逡巡することなど珍しい。長く過ごした私との時間が彼に影響を与えているというのだろうか。

 諦めていたのに。
 それを見ていたら……初めて私の中に『未練』のような何かが芽生え始めた。





 領地の田舎で八歳まで暮らし、屋敷の中では令嬢としての教育を受けながらも、野山を駆け巡っても叱られることもない暮らしをしていた。言ってみれば、王都の貴族子女に比べたら山猿みたいな子供だったのだと思う。
 子供時代は、口酸っぱく『何をして生きてもいいけれど世間体だけは気にしなさい』と言われていたので、連れてこられた王宮で登りやすい木を見つけたからと言っても、登ってはいけないことなど分かっていた。
 けれど子供の自分はするすると登り、高所から景色を見渡した時に、宮内の二階の窓のフェリクス様と目が合ってしまった。どう見てもとても驚かれている顔をしていた。というか引いていた。

 山猿みたいな子供だった私と、子供時代から理性的だったフェリクス様の出逢い。

 それは第一王子エリック様のお茶会に招かれたときのことだったのに。なぜか私はフェリクス様との婚約を打診され、そのまま今に至る。出会いから十年経ち、もうすぐ学園を卒業したのち何事もなければ婚姻するはずだったけれど、こんなこともあるのだな、と人生を振り返る。何事もあってしまった。

 元々合わなかったのだ。二人でいてもプライベートな会話もさほどない。彼を少しでも笑顔にさせられることはなかったし、尊重して対応してくださっていたのは分かっていたけれど……私を見つめる瞳はいつもどこか冷ややかだった。けれどそれはフェリクス様の性格の影響も強いのだと思う。誰に対しても鋭利で聡明な眼差しを向けるので、氷の王子などと言われていることがあるのを知っている。

 けれど時々浮かべる薄い微笑が人々を魅了する。その笑みが見たくて、皆が彼の願いを叶えようと動いていく。でも私には目が笑っていないように思えて、心からの笑顔など見たことがないと思っていた。

 プラチナブロンドの美しい髪の下の、アイスブルーの凍えさせられるような瞳。
 あの瞳が、一度でも、情熱の色を持ち私を見つめてくれていたのなら。
 私はきっと婚約の解消に同意などしなかっただろうと思う。

 それほどまでに、決して手には入らない宝石を求めるような気持ちが既に私の中には芽生えていた。
 何もかも私と真逆のように違うフェリクス様に、どうしようもなく惹かれ、憧れ、尊敬し、心を掴まれてしまっていたのだから。





 婚約解消の手続きは、教会で、神の下、当人同士が行わなければならない。
 その日、教会の応接間に通された私は、フェリクス様と手続きまでの間、おそらく最後の時間を過ごしていた。するとフェリクス様は、唐突に護衛に言った。

「少し二人きりで話す時間を取りたい。席を外してもらっていいか」

 そんなフェリクス様に驚いて、けれど、彼も言ってから戸惑っているようだった。
 私も侍女に頷くと、部屋の中は私たち二人きりになった。

 フェリクスさまは少し困ったように私を見つめた。

「礼を言わせてもらいたかったんだ。領地で暮らしたかっただろうクレアを王都に引き留めたのは、俺との婚約のせいだったと理解している。クレアはとても良くやってくれていた。それなのに今になり、なかったことにするなど、本来あり得ないことだ。貴方の時間をただ奪うことになってしまった。申し訳なく思っている」
「いえ良いのです。私も望んだのです。それにフェリクス様のせいではございません。政略的な婚約だったのですから」

 真摯に向き合ってくださるフェリクス様を見ていると、涙が溢れそうになる。
 焦がれたアイスブルーの瞳は、望む通りではなかったけれど、いつもまっすぐに私を見つめてくれていた。そこには確かな誠意があった。

 まさか最後にこんな時間を過ごせるなんて。諦めていたのに、私の中に残る『未練』が心をぐらぐらと揺らす。

 もう二度と、二人きりで過ごす時間を持つこともないのだ。これきり最後。どんなにどんなに、焦がれていたとしても。

「あの……フェリクス様」
「なんだ」
「最後にお願いがありますの」
「……なんでも聞こう」
「今話せる時間はどれくらいありますの?」
「本来手続きをする予定時刻よりかなり早く来ている。二、三十分ほどなら、言付ければおそらくは」
「充分ですわ。少しだけお時間を頂きたいの」

 にっこりと心から笑顔を浮かべると、フェリクス様が目を瞠る。

「クレア……?」
「お願い致します」

 少しだけ訝しむようにしてから、フェリクス様は扉に向かい何か護衛に言いつけている。

「待たせた。最後に、なんでも言ってほしい」

 戻ってきたフェリクス様の、何も疑うことなく気遣ってくれる様子に、私の中に罪悪感が芽生える。それでも。

「ありがとうございます、フェリクス様……『わたくしのことを好きになーれ☆』」
「……は」

 アイスブルーの瞳を見つめながら唱えた言葉に、フェリクス様は一瞬瞳を揺らしてから、がたり、と音を立てて両手で体を押さえた。息を吐き、頭を垂れ、小刻みに震えながら、何かに耐えている。

「……なにを、した?」
「ふふふふふふ」

 顔を上げたフェリクス様の、真っ赤にさせたお顔と、蕩けそうに潤んだ瞳。愛しいものを見るように、熱のこもる眼差しで私を見つめている。まるで瞳の中にハートマークが見えてきそうだ。少しだけ喘ぐように息を吐く姿が、どこか艶めかしい。

「魅了魔法をかけました」
「……は?」
「十分ほどで解けます」
「短すぎるだろう」
「婚約解消の話が出てから急に発現したのです。けれど使うつもりなどなかったのです。こんな機会などなかったら……」
「……」
「おばあさまが使えた魔法みたいですから隔世遺伝ですね。使用人に無意識に使ってしまったのに気が付きました。次からは動物で実験しました。みな、確実にすぐに魔法が解けました」
「……魅了魔法は、国に届け出なければならない」
「発現したばかりですもの。今日この後、手続きいたしますわ」
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