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第1章 帝都レベランシア編

第10話 始まりの一歩

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穏やかなる回復カーム・キュア!」

 自身のダブルを倒れる少女に押し当て――アリスは口早に、そのフレーズをざらついた空気にさらして流した。

「中位回復魔法の穏やかなる回復カーム・キュアか。この程度の怪我なら、カーム一発で全快できるな」

「…………」

 背後で鳴る、見知らぬ男の無遠慮な声色。

 アリスはそれを無視して、もう一度、同じ魔法を繰り返し放った。

 と、受けた少女の身体が見る間に回復していく。脇腹の腫れも、背中の腫れも、やがて何事もなかったかのようにすっかりと引き、彼女の身体は完全に以前のそれを取り戻した。意識は失ったままだったが、それも近く戻るだろう。とりあえず、アリスは一安心した。

「二回も使う必要あった? 俺の見立てでは、背中の打ち身とあばら三本。カーム一発でじゅうぶん全快できるレベルだと思うけどな」

「…………」

「それにしても、珍しいダブルを使ってるな。それ、アンブロシアか? 長槍式(ランスタイプ)の、回復系ダブル。四つ穴のうち、三つまでもが回復系で埋まってる。Bランクの中でも、かなり尖ったダブルだ。ソロではきついし、組んだとしても役割が限定されるだろ?」

「…………」

「……あれ、聞こえなかった? 珍しいダブルを使ってるな。それ――」

「聞こえてるよ! アンブロシアだよ! 聞こえてて無視してるに決まってるだろー! なんなんだ、おまえはーっ!」

 バッと両手を上げて、アリスは怒りの言葉をまき散らした。

 と、男が理解不能とばかりに訊き返す。

「いやなんでそんなに怒ってんだ!? 俺がそのコを伸したからか? 断っとくが先に攻撃されたの俺だぞ? 俺はただ、訊きたいことがあっただけなのに。非は完全にそっちにある」

「ぐなあーっ、ルナを悪者にするなーっ! 黒目なのに黒髪に染めてる異常者のくせにー!」

 黒髪黒目。

 この見るからに頭のおかしい異常者が、ルナをこんな目に遭わせた。

 こんな目に――。

 役目を終え、アリスがルナのもとに戻ると――そこには衝撃的な光景が広がっていた。それは本当に、アリスに取ってあらゆる意味で衝撃的だった。

 壁際で、うずくまるようにして倒れるルナ。遠目からでも意識がないのは明らかで、それだけでもアリスの心を動揺させるにはじゅうぶんだった。

 が、それに加えて、その傍らには黒髪、黒目の男が立っている。

 アリスの頭はその時点で、パァーンと音を立てて弾けた。傷ついた猫を見ただけでも、脳の七割近くが「どうしよぅ……」で埋まってしまう彼女にとって、目の前に広がる光景それはそうなってしかるべき状況だった。論理的に物事を考えることなどできようはずはない。

 アリスは本能のままに動いた。

 すぐにルナに駆け寄り、回復魔法をかける。ヒーラーとしての習性で、混乱している状況でも、怪我の程度は瞬時に把握できたが――念のため、彼女は回復魔法カームを重ね掛けした。エネル消費量70の中級回復魔法を、重ね掛けしたのである。

 今の、このシチュエーションにおいて――。

 ルナの傷が癒えたことでほんの少しだけ冷静さを取り戻したアリスは、直前にやってしまった浅はかな行動にどがけを痛烈に後悔した。

「異常者って……。そのコにも言ったが、この髪は地毛だ」

「地毛なの!? じゃあ、やっぱり十二眷属の……」

「いや違う。それも違う。俺は神の眷属なんかじゃない。おまえと同じ、普通の人間だよ」

「でも、黒髪黒目は神の眷属で、例外はないって……」

「なんでそんなふうに言い切れるのかはよく分からんけど……でも、全世界の人間を確認してまわったわけじゃないだろ?」

「それは、そうだけど……でも……」

 両親にはそう教わったし、先生にもそう教わった。そもそも、それが当たり前の常識だ。誰に訊いてもそう答えるし、みんな当然のようにそう思っている。

 全世界どころか、帝都の人間だって全員チェックしたわけじゃもちろんないけど、でも例外なんて――。

 アリスの脳内は再び、どす黒い混乱で渦巻いた。
 
 と、それを作った張本人がしれっと言う。

「それに、神の眷属なら別に悪党ってわけでもないんじゃないの?」

「悪党だよ! 大悪党! リッツファミリーよりも、ゲヘナ盗賊団よりも、ガルバン商会よりも、ずっとずぅぅぅっと大悪党!!」

「いやそれ全部知らないんだけど……」

「知らないの!?」

 知らないらしかった。

 帝都を裏で牛耳る、悪の三大組織なのに――。

 とまれ。

「とにかく、十二眷属は超極悪集団なの! 理由も、損得も、何もなくヒトを殺すんだから! ヒトを殺すことが目的で、ヒトを殺してまわってるんだから!!」

「……それは、ひどいな。そんな奴らがいるのか……? なんでそんな奴らを野放しにしてるんだ?」

「神出鬼没すぎて捕まえられないの! 顔を見たことがある、ってヒトだってほとんどいないんだから!」

「……なんで?」

「顔を見たヒトはほとんどみんな殺されちゃってるから! それだけ恐ろしい奴らなんだよ!」

 だから、憲兵隊も本気で捕まえようとはしない。捕まえられないのが分かってるから。皇帝のブレアス八世も、彼らのことは見て見ぬふり――野放し状態である。

「……そうか。そんな奴らがいるのか。できればそいつらを全員粛清してやりたいとこだが、神出鬼没なんじゃどうすることもできないな。でも悪人はこの世界から消滅させたい。今の話を聞いたあとだと、なおさらそんな気分にさせられる。代わりとしては、かなりランクが落ちそうな感じではあるけど――でも、とりあえずはさっき出た三つの組織をつぶしてまわるか。なあ、嬢ちゃん。さっき言った三つの組織のこと、もう少し詳しく教えてくんないか? 俺はこの辺の出じゃないから、世情に疎くてさ」

「……え?」

 突然、何を……。

 アリスはわけが分からず、ポカンと固まった。

 その反応を受けて、黒髪の男が不思議そうに黒塗りの瞳をパチクリさせる。

「あれ、俺なんか変なこと言った? 神の眷属ほどじゃないにしろ、その三つの組織も極悪なんだろ? もちろん、ちゃんと裏は取るけど――でももし、その三つの組織が本当に極悪なんだとしたら、俺が責任を持ってこの世界から消し去るよ。悪党が消えるんだ。一市民として、プラスにこそなれマイナスにはなんないだろ?」

「…………」

 アリスのポカンがポカーンへと昇華する。

 が、ポカーンとなっていた時間はそう長くはなかった。

 彼女はすぐさま、グーに握った両手をバッと頭上に上げると、

「そんなのできっこないーっ! ぜったい無理ーっ! その辺のゴロツキ倒すのとはわけが違うんだからーっ! あたしたちの最終目標が、そんなかんたんに達成できたら――」

「ああ、大丈夫。俺からみたら、たぶんその辺のゴロツキと大差ないから。そのコも相当な使い手だったと思うけど、ワンパンだったし」

「ワンパ――ルナのこと、一発で倒したの!? 正々堂々戦って?」

「背後を取られたところを、わき腹にカウンターのひじ撃ち一発。思ったよりそのコの動きが良くて、あんまり手加減できなかったのは悪かったと思ってるけど――まあでも、正々堂々だろ?」

「…………」

 正々堂々だ。

 アリスは小さく口をひらいたまま、唖然と固まった。

 と、そんな彼女をしり目に、

「まっ、そういうわけで、俺の心配はいらないから、その腐った悪党どものことを詳しく――ああいや、その前に名乗っとくか。名前も知らない相手と、長話なんてしたくないもんな。名前を名乗る機会なんて今までほとんどなかったから、なんかちょっと緊張するけど……」

 男は苦笑いでそう言うと、若干の間を置いて、それからゆっくりと照れくさそうに自身の名前を名乗ってみせた。

。トレド・ピアスだ」



 こうして、ブレナ自警団とトレド・ピアスは出会った。

 この後、紆余曲折あって、彼はブレナ自警団の一員となるわけだが――まぎれもなく、これが全ての『始まりの一歩』だった。

 驚天動地の物語が、波乱の中で産声を上げる。
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