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第一章 第一幕 「傀儡を追うは、少年少女」

第二十五話 「責務と後悔」

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【17:30】

「……桐島。買い出し行くぞ。」

空っぽの冷蔵庫を見ながら、俺は桐島に訴えかける。

「そんなに何も無いの?」
「ない。一応食器や調理器具なんかは多少用意してくれているが……肝心のモノが何一つない。」

正直言うと、基本的なものばかりだが。フライパンや鍋なんかはあるが、そこまで物も多くはない。買わなければ駄目だな、やはり。

「これに関しては買いに行く必要がある、可及的速やかに。」
「なるほどね。で、どこ行くの? 私は商店街がいいと思うんだけど。」
「いや、俺の元々住んでた家の近くにあるスーパーがいい。あそこは安いし、俺なら物の場所も熟知してるからな。」
「私の方は、商店街のどこに何があるかを熟知してるんだけど?」
「俺は精肉店の場所しか知らん。だが、スーパーならどこに何があるかは分かりやすい。
どうせ何か他に欲しい物があるとか、そういうオチだろ?」

と、適当にカマをかけてみる。すると意外にも、桐島は黙り込んでしまった。
……マジかよ。図星? そんなアホな。こいつに限って?
こういう可能性を、考えなかった訳じゃない。俺は桐島の、学校外での姿を知らない。たったの一度も会った事どころか、何をしているのかすら知らないんだ。
とはいえ、こんな単純な会話でこれほどまでに差異が出て来るとはな。
正直、今後が心配だ……。

「だったら、今日じゃなくてもいいだろうが。どうしても行きたいんなら休日について行ってやるから、今日は我慢しろ。
状況が状況なんだ、わかるだろ?」
「……ちぇっ。はいはい、分かりました。ただし、あんたも着いてきなさいよ?」
「なんでそこで俺に拘るんだよ、一人で行け。それとも何だ? 俺がいなけりゃいけない理由でもあんのか?」

正直言うと、意地悪な質問だと自分でも思う。何せ、理由の目星はついているのにこんな事を聞くんだからな。
あれだ。こいつは、俺と行きたいんだ。端的に言うと、デートがしたいんだ。
だから俺が来る事に拘る。しかし、今の俺との関係性からその言葉は中々出ないはずだ。逆の立場になって考えれば、すぐにわかる。

「それは、その……ほら! その、わかるでしょ⁉︎」

おっと、ここで何かを閃いたらしい。せっかくだから、少しばかり聞いてやるとするか。こいつの言い訳を。

「私ほら、お金ないから、ね? 金銭管理は幸樹がやるんだから、その辺から見てもついて来てもらわないと……」
「ああそうか、金の問題が……おい、待てや。今お前、俺にしれっと金銭管理押し付けただろ。」
「え、あんたがやるんじゃないの? あの人に頼まれてたでしょ?」

クソが、白々しいな。いやまあこいつに家の財布を握らせたくはないし、俺がやろうとは思っていたが。
だが、やれと言われてやるのは違うんだ。例えるなら、“勉強しようとした瞬間に勉強しろと言われて、結局面倒になってやめる子供”の感性に近い。まあ俺にその記憶はないので、違う気もしないでもないが。

「……はいはい、じゃあ俺がやってやる。ただし、その対価として今日はスーパーの買い物で我慢してもらうぞ。」
「それは嫌。絶対に嫌。」

何がそんなにお前を商店街へ駆り立てるんだ。あるいは、スーパーが嫌いなのか?なんでだよ。

「お前の言い分は理解したが、今は食料品の確保が最重要なんだ。
後で商店街はいくらでも行ってやるし、買いたいものがあったら俺が自費で出してやる。だから、今日は我慢してくれよ。な?」
「え、奢ってくれるの?」
「ああ。今考えるとお前、親からの小遣いがもう受けられないんだもんな。
俺、元々バイトしてたから預金は多いんだ。
それに、相川さんが言うには俺にも組織から給料が出ているらしい。つまり、金は腐るほどあるんだ、使わないと勿体無いだろ?」

我ながら、交渉は上手いらしい。というかこいつがチョロいのか?まあ、好きな相手だからな。理解もできる。

「だからさ、今日だけ我慢してくれよ。とりあえず、今日だけは。いいな?」
「……わかった、今日のところは退いてあげる。だから今からでも行きましょ?」
「ああ、俺もそのつもりだ。」

良かった。こいつがチョロくて、本当に良かった。

【17:45】

『いらっしゃいませ』、という機械音声が狭い室内に響く。
俺はいつも通り、モニターの[お引出し]と書いてある部分を押した。
今、俺はATMにいる。現在の預金残高を確認するのもそうだが、主目的は直近数日のための食費だ。
桐島はあまり金を持ってきていないらしいが、それは俺も同様。正直、この中身だけでは丸一日分ほどにしかならないだろう。だから、先に引き出しておく。念のため、少し多めに。
モニターに表示された指示通り、カードと財布を入れる。すると当然金額入力画面に移動するので、だいたい必要そうな分を入力。カードと通帳は返還され、俺は開いた口から貨幣を取る。
『ありがとうございました』という機械音声が流れると、ATMの画面は俺のことなんて忘れ去ったくらいの感じで操作前へと戻る。

「ふぅ……さて、と。」

金を財布に入れつつ通帳を確認してみると、だいたい俺が二ヶ月で使うくらいの金額が入っていた。これで二人分なので、一月ほどは持つだろうか。まあ、そのうち追加が来るだろう。
俺も、この戦いがあと一月で終わるなんて思っちゃいない。せいぜい尻尾を掴めているのか、それでも掴んですらいないのか。それすら分からない、先の見えないのが現状だ。
……将来の事を考えると、不安になる。俺は、この道を進んで良いのか?
いや、分かっているんだ。俺はもう戻れないって事くらいは。
だが、どうしても想像してしまう。もし俺があの時、お人好しでなかったなら?
きっとそれは、普通の人生。普通に高校を卒業し、普通に大学へ行き、普通に就職する。あるいはその中に、恋愛が入り込んでくるかもしれないが。
普通の人生を送るというのは、それ即ち幸福に等しい。以前からそう思っていたとはいえ、こういう事態に巻き込まれるとより一層その思いは強まるものだ。
そうして普通の人生と、その中にある幸福を捨てて。そして、何が手に入った?
強靭な肉体? 能力の進化? ああ、素晴らしい。それを活かせた時なんて、何一つないじゃないか。結局俺が影野郎を倒せたのは、完全に偶然だ。
たまたま謎の能力が発動して、たまたま倒せただけ。
その前も不意打ちを喰らって、危うく死にかけた。相打ち持って行ったのは不幸中の幸いだが、このままでは足手纏い一直線。そしてそもそも、間接的にとはいえ俺は巻き込んではいけない者を巻き込んでいる。
こんな自分の事を好きでいてくれる、そういう人間さえ俺は痛みと死の渦に巻き込んでいくんだ。
誰がこんな事を望んだ? どうしてこんな事になる? そうまでして、俺は何をしているんだ?この地獄に何を望んだ?
ここは、何の目的も無いような人間が立っていても良い場所なのか?

「ちょっと?」

完全に無警戒だった後ろから肩を叩かれ、驚きながらも振り返る。

「……何よ、怖いわね。なんでATMからお金引き出すだけでそんな表情できるの?
金額が足りないから? そんなに少なかったの?」
「ああいや、何でもない。この金額でどのくらいの期間生活できるか考えていたんだ。」
「そう?ま、何でも良いけど。ほら、行きましょ?」

……こいつに、こんなこと言わせるとはな。どうやら俺も、なかなか疲れているらしい。
ああいう事は、後から考える事にしよう。今からグダグダ考えていたって、何が変わるわけでもない。結局今の俺がやるべきことは、何一つ変わらないんだから。
集中だ、集中しろ。俺の仕事は、こいつを守ることだ。余計な事は考えなくて良い。少なくとも、今は。
きっと全てが終われば、時間なんていくらでもある。考えるのは、その時だって遅くない。

「……急かしやがって、まったくよ。
はいはい。そんじゃ、行きますかね。」 

それだけ言って、俺は財布をポケットにしまう。そしてそのまま、歩き始めた。
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