トラモント

ユーレカ書房

文字の大きさ
上 下
10 / 10

終章

しおりを挟む
 エルド・フォーリという人は三人いるのではないかという、冗談混じりの噂が春の王都に流れた。秋頃の詩、冬頃の詩、そして春が来てから書いた詩と、最近彼が発表した作品の雰囲気がそれぞれにまったく違っていたからだ。むろんこの噂は詩人にとっては賛辞に違いなく、春が訪れて早々大きな喜びごとを迎えたフォーリ家にささやかな寿ぎを添えた。

 「お嬢さまのお支度がまもなくお済みだそうです」

 普段よりいっそうかしこまったジュリオが、廊下で待っているエルドにそう告げる。エルドは明るい緑色の上着に宝石の飾りをあしらい、花婿として申し分なく装っていた――が、普段の優雅さはどこへやら、サナが支度を整えている部屋の前で先ほどからそわそわしているのだった。

 ただ緊張しておられるわけではないようだ、とジュリオは口髭の中に微笑を隠した。彼の主人は、どうやら胸のときめきを禁じえないらしかった。

 「綺麗でしょうね」

 サナの支度が始まってからというもの、もはや何度目か分からないセリフをエルドが呟いた。夕べサナが到着したのを出迎えたはいいが、彼女はろくに言葉を交わす間もなく諸々の準備のために女性たちの中へ連れ去られてしまっていた。準備ができたら呼びに行くからという説得にも応じずにこうして廊下に突っ立っているのもひとえに、サナに早く会いたいがためなのだった。

 ジュリオは何度目だろうと関係なく律儀に返事をした。

 「さようでございます」

 すると、花嫁の控え室の扉がわずかに開いて、マルタがにこにこと顔を覗かせた。

 「お支度ができましたよ。どうぞ中へ」

 部屋の中には淡い緑のドレスで装ったサナが立っていて、ニコラに髪飾りをつけてもらったところだった。彼女は夫が入ってきたのを見て、花が開くように表情をほころばせた。

 「どうかしら? 似合う? 」

 エルドはしばらく沈黙していた。ジュリオは主人の顔つきから、サナになにか詩卿らしい美しい称賛のひとつも贈ろうといろいろ考えていたのに、サナの姿を目にした瞬間すべてが水泡に帰してしまったのだ、というところまで読み取った。

 「――綺麗だ。とても」

 もはや他の言葉では言い表せなかったのだろう。やっとそう告げたはいいが涙腺が決壊し、ぼろぼろと泣き出したエルドを、サナははにかんで見守った。


 
 フォーリ家の正面玄関の大扉が使用人たちの手で押し開けられると、サナとエルドめがけて招待客たちが花びらで祝福した。色とりどりの花びらはみなの祝福気分が高まるにつれて大きな塊になり、新郎新婦の上で鮮やかに弾けた。

 イライザとアリーチェは、そんな顔をするくらいなら出席しなければいいのに、という顔で律儀にも参列していたが、花は持っていなかった。ふたりで喧嘩でもしたのだろうか――アリーチェは目を赤くし、イライザは口を引き結んでいる。徒党を組んでいじめていたサナにどんな意地悪も通じなくなってしまった今、ふたりの友情は案外脆く崩れてしまったのかもしれない。

 コラジ一家とフェルナンドが列の最後で待っていた。コラジ夫妻とエルドが挨拶を交わしている間、レオナルドは普段より長い間を取って妹を見つめた。感極まっている様子だった。

 「……おめでとう」
 「ありがとう、お兄さま」

 サナの返事にレオナルドは一瞬思い切り顔をしかめ、背けた。フェルナンドがサナに小さな花束を渡しながら片目をつぶってみせた。

 「ごめんよ。妹には格好つけていたいみたいなんだ」

 柔らかな海風と日差しの中に、華やかな音楽が流れる。フォーリ家に招かれた幸福な人々は楽の音に乗って読み上げられるエルドの詩に耳を傾け、今日この佳き日を心から楽しんだ。エルドがこの春一番に発表した春の詩は、寂しげだった秋の詩、悲しげだった冬の詩からは考えられないほどうららかなものだった――。

 
美しき子よ。

麗しきは心震える君の優しさ。気高きは 磨かる珠の輝くごとし。

君知るまいぞ うらうらに 照れる春日に我の悩むは、

恋知りて 近寄りがたき君のいとしさ。

世の人に あるやかわゆき 君恋わぬ人。
 
エルド・フォーリ〈春愁〉
しおりを挟む
感想 1

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

チビ818
2023.12.04 チビ818

最後まで読ませていただいてありがとうございました。
私は何よりも、作者様の文章がとても好きです。多分よく考えて作り込まれているように感じました。
丁寧な描写に心を配られているのが伝わりました。
次の作品を心待ちにしてます(^^*)♪

ユーレカ書房
2023.12.04 ユーレカ書房

コメントありがとうございます!
自分の文章はもしかして古臭いのでは……と思うこともあるのですが、
楽しんでいただけてとても嬉しいです(о´∀`о)
次回作もぜひよろしくお願いいたします!

解除

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

【コミカライズ】今夜中に婚約破棄してもらわナイト

待鳥園子
恋愛
気がつけば私、悪役令嬢に転生してしまったらしい。 不幸なことに記憶を取り戻したのが、なんと断罪不可避の婚約破棄される予定の、その日の朝だった! けど、後日談に書かれていた悪役令嬢の末路は珍しくぬるい。都会好きで派手好きな彼女はヒロインをいじめた罰として、都会を離れて静かな田舎で暮らすことになるだけ。 前世から筋金入りの陰キャな私は、華やかな社交界なんか興味ないし、のんびり田舎暮らしも悪くない。罰でもなく、単なるご褒美。文句など一言も言わずに、潔く婚約破棄されましょう。 ……えっ! ヒロインも探しているし、私の婚約者会場に不在なんだけど……私と婚約破棄する予定の王子様、どこに行ったのか、誰か知りませんか?! ♡コミカライズされることになりました。詳細は追って発表いたします。

王子殿下の慕う人

夕香里
恋愛
【本編完結・番外編不定期更新】 エレーナ・ルイスは小さい頃から兄のように慕っていた王子殿下が好きだった。 しかし、ある噂と事実を聞いたことで恋心を捨てることにしたエレーナは、断ってきていた他の人との縁談を受けることにするのだが──? 「どうして!? 殿下には好きな人がいるはずなのに!!」 好きな人がいるはずの殿下が距離を縮めてくることに戸惑う彼女と、我慢をやめた王子のお話。 ※小説家になろうでも投稿してます

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

できれば穏便に修道院生活へ移行したいのです

新条 カイ
恋愛
 ここは魔法…魔術がある世界。魔力持ちが優位な世界。そんな世界に日本から転生した私だったけれど…魔力持ちではなかった。  それでも、貴族の次女として生まれたから、なんとかなると思っていたのに…逆に、悲惨な将来になる可能性があるですって!?貴族の妾!?嫌よそんなもの。それなら、女の幸せより、悠々自適…かはわからないけれど、修道院での生活がいいに決まってる、はず?  将来の夢は修道院での生活!と、息巻いていたのに、あれ。なんで婚約を申し込まれてるの!?え、第二王子様の護衛騎士様!?接点どこ!? 婚約から逃れたい元日本人、現貴族のお嬢様の、逃れられない恋模様をお送りします。  ■■両翼の守り人のヒロイン側の話です。乳母兄弟のあいつが暴走してとんでもない方向にいくので、ストッパーとしてヒロイン側をちょいちょい設定やら会話文書いてたら、なんかこれもUPできそう。と…いう事で、UPしました。よろしくお願いします。(ストッパーになれればいいなぁ…) ■■

人生を共にしてほしい、そう言った最愛の人は不倫をしました。

松茸
恋愛
どうか僕と人生を共にしてほしい。 そう言われてのぼせ上った私は、侯爵令息の彼との結婚に踏み切る。 しかし結婚して一年、彼は私を愛さず、別の女性と不倫をした。

愛すべきマリア

志波 連
恋愛
幼い頃に婚約し、定期的な交流は続けていたものの、互いにこの結婚の意味をよく理解していたため、つかず離れずの穏やかな関係を築いていた。 学園を卒業し、第一王子妃教育も終えたマリアが留学から戻った兄と一緒に参加した夜会で、令嬢たちに囲まれた。 家柄も美貌も優秀さも全て揃っているマリアに嫉妬したレイラに指示された女たちは、彼女に嫌味の礫を投げつける。 早めに帰ろうという兄が呼んでいると知らせを受けたマリアが発見されたのは、王族の居住区に近い階段の下だった。 頭から血を流し、意識を失っている状態のマリアはすぐさま医務室に運ばれるが、意識が戻ることは無かった。 その日から十日、やっと目を覚ましたマリアは精神年齢が大幅に退行し、言葉遣いも仕草も全て三歳児と同レベルになっていたのだ。 体は16歳で心は3歳となってしまったマリアのためにと、兄が婚約の辞退を申し出た。 しかし、初めから結婚に重きを置いていなかった皇太子が「面倒だからこのまま結婚する」と言いだし、予定通りマリアは婚姻式に臨むことになった。 他サイトでも掲載しています。 表紙は写真ACより転載しました。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。