ヤバい奴に好かれてます。

たいら

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「……あっ……あっ……あっ……」
 狹くて声が響く場所。タイル張りの壁に押しつけた額と腕が痛い。
 後ろからの圧力に俺の体は圧倒的に負けていた。
 日中は社員はいなくなり、ほとんど俺一人だけの時間になる。その時間に久保田は戻って来た。そして他に誰もいないオフィスでキスが始まり、強引にトイレに連れ込まれた。
 スーツの上着は着たままワイシャツのボタンをはずされ、肌着はめくられ、裸の胸の真ん中をネクタイが揺れている。ベルトをはずされたズボンは膝の下まで下がっている。
 なんで、会社でこんなハレンチな格好をしなきゃいけないんだよ!
「あっ! ……あっ! ……あっ! ……」
 静かなトイレに俺の声が響く。早く終わって欲しいのに、久保田の動きにはまだ終わりを予感できない。
「……は、はやく終わって……、だれか来る……っ」
「大丈夫です。誰も来ません」
 なんでそんな断言ができるんだよ!
「すみません。あなたの後ろ姿を見て、もう我慢しなくていいんだと思うとつい」
「……がまんしろっ‼」
 会社では我慢しろっ‼
 体力お化けの久保田に、俺の体は全くついていけない。腰を掴む久保田の手によって尻が久保田に預けるように押しつけられている。俺と久保田を繋げるものは俺の中を広げ、我が物顔で堂々と居座っている。こいつが散々、久保田の家や俺の家でも、暴れ回るんだ。
 ちょっとしたことで久保田は簡単に火がつく。本当に目が合ったとか、隣に座ったとか、指が触れただけとかで。よく今まであんなに長く我慢できていたなと思えるほど簡単に。
 お前、どんだけ俺のこと好きなの? ってくらいに。
 ことが始まってしまうとなかなか終わらなくて、俺の体もついそれに反応してしまう。こんなに久保田としちゃだめだって、分かっているのに。触れられれば触れられるほど、久保田の体温が体に移って、触れられていない場所まで久保田を感じてしまうからだめだ。
 こんなの、絶対しちゃだめだ。
 しかも会社でなんて絶対にマズい。俺は額と腕をトイレの個室の壁に押し付け、下半身は久保田に自由を奪われていた。こいつの動きは本当にねちっこい。
「……あぁっ……あぁっ……あぁっ……!」
 久保田が耳元に口を近づけて囁いた。
「残念です。楽しい時間をもう終わらせなければなりません」
 楽しむなっ!
「野坂さん」
 久保田の指が両方の乳首に触れた。
「……あっ、そこはだめっ……!」
「野坂さん好きです」
「あぁっ‼」
 乳首をつままれ、指を動かされると、トイレの個室という狭い空間の中で信じられないほどの大きな声が出た。
「野坂さん大好きですから、そんなに締めつけないでください」
 だめだだめだ、こんなの。まるで久保田の動きに同調するように、勝手に腰が動いてしまうなんて。こんなのだめだ。セックスが気持ちが良いのは当たり前だけど、久保田とはだめだ。
 しかし、腰を強く掴まれると、俺は久保田の攻撃をただ受け止めるだけになった。
「……あぁあぁあぁぁっ! ……」
「野坂さん」
 俺はもう声を抑えられなくなっていた。トイレ内に響き渡る。きっとまだ誰も戻って来ていないはずだ。こんな声、絶対に他人には聞かせられない。
「……ぁあぁあぁあぁぁあぁぁっ……!」
「野坂さん好きです」
 ちょいちょい久保田が呪いの言葉を刷り込んでくる。分かってるよ。お前は俺を好きなんだよ。じゃなかったらありえないだろ、今までのも全部、それにこんなの。
「野坂さん好きです」
「……ぁぁあぁあぁあぁっ! ……」
「野坂さん好きです」
「わ、わ……」
「野坂好きです」
「……わかってる!……」
 分かりすぎるほど分かってる!
 突然動きが止まって、久保田が後ろから左手で俺の顎を掴んだ。顔が斜め後ろを向くと久保田にキスをされた。さっきまでの激しさが嘘のようにゆっくりと吸われる。唇が離れても、お互いの舌がもつれ合う。
 だから、こんないやらしいのは会社ではやめてくれ。
「野坂さん愛してます」
 久保田は小さくそう言うと、やっと体を離した。
 俺は壁によりかかり、そのままズルズルとトイレの床に座ってしまった。服装が乱れに乱れている。スーツを着てるのに乳首も下半身も丸出しで、とんだ変態ハレンチサラリーマンだ。
「野坂さん、すみません。時間がないので僕はもう行きます」
 俺の体は興奮が冷め切っていなくて、まだ指一本も動かせないのに、久保田はすぐに服装を整えた。
「じゃ」
「…………」
 久保田は薄情なほどあっさりと鍵を開けて出て行った。……なんだあいつ。しかしすぐにバタバタと足音が近づいてきた。戻って来たのか?
 鍵は開いたままなのに、なぜかノックが鳴った。
「野坂くん、もう終わったよね? そろそろいいかな? 業務に戻れる? ごめんね。今ちょっと忙しくて」
「…………」
 聞こえてきた所長の声に俺は戦慄した。






「野坂さん」
「はい?」
 名前を呼ばれ顔を上げると、目眩がした。
 ……ねむい。昨日は休みで久保田に昼は外を連れ回され、夜はちょっかいをかけられ続けて、眠れなかったのだ。あいつはウザい。付き合うと百倍ウザい男だった。
 それなのに久保田の方は睡眠不足など一切感じさせない顔で元気に外へ営業に出て行くのである。俺なんて電話を取ることさえ難しいほどなのに。なんなんだ、あいつは。体力サイボーグか?
「村上が逃げました」
「は?」
 もう一度顔を上げてよく見ると、猫目の森田が立っていた。いつの間に戻って来ていたんだ。
「昨日から連絡が取れません。会社も休んでいます」
「そ、それは」
 ……俺はどうすれば。
「野坂さんの方から村上に連絡をしてみてくれませんか? 俺からだから出ないのかもしれません」
「…………」
 俺はかねてより疑問だったことを森田に聞いてみることにした。
「あのさ、村上くんと森田くんてどういう仲なの?」
「え?」
 二人が観覧車でキスをしているところを見てしまったが、それを言ってもいいのか迷った。
「と、友達?」 
 そう聞くと森田が首を傾げた。
「同期ですけど」
「……そう」
 同期だからってキスはしないだろ。
「も、もしかしてだけど、付き合ってたりとかは……」
「野坂さんと久保田さんの関係のような付き合い方はしていません」
 ……どういう意味だ。俺と久保田がどういう関係か知っているのか? 脅す者と脅される者の関係だぞ?
「つまり、恋人ではない?」
「村上は野坂さんのことが好きみたいですよ。本気ではないと思いますが」
 回りくどいな。つまりどういうことなんだよ。そんなこと聞いてないんだよ。眠気のせいか、いつもよりイラついた。
「村上は今まで本気になったことが一つもないんです。ちょっと気になる程度のことを好きだと言うんです。そして上手くいかないとなるとすぐに逃げようとします」
「……俺は村上くんが会社を辞めたいなら止めなくてもいいと思うんだけど。早目に辞めて次に行った方が良いこともあるし、我慢してストレスを溜めても良いことないよ」
 これは俺の経験談だし、村上が久保田のせいで辞めたいんだとしたら辞めてしまった方が良いと思う。森田が言っていた通り久保田が変わることはないからだ。あいつは人間じゃないから気に入った人間はとことん気に入るけど、気に入らない人間はとことんいじめ抜くような奴だぞ。たぶん。
「じゃあ野坂さんはあいつの人生に責任が持てるんですか? ここで逃げたらあいつは引きこもりになったりニートになる可能性だってあるんですよ?」
「……責任は持てないけど、でももっと他に村上くんに合う場所があるんじゃないかな?」
 何もこの会社にこだわる必要はないんじゃないか。若いんだし。
「野坂さんて、逃げた側の人間ですよね? それでこんな誰でもできる仕事を毎日眠そうな顔でしてるんですよね?」
 そうだよ。俺は向上心のない人間だよ。でも俺だって最初からこうだったわけじゃないんだよ。ずっとずっと我慢したせいでこうなったんだよ。そしたら久保田に付け込まれたんだよ。俺だって村上に俺みたいになって欲しくはないよ。
「今日だって眠そうな顔をしていれば恋人の久保田さんが全部やってくれるんですよね? それになぜか所長まで野坂さんには激甘じゃないですか。もしかして所長とも付き合ってるんですか? 二股ですか?」
 あまりに頓珍漢なことを言われ、さすがに頭にきて机を叩いた。
「うるさいっ! うるさいっ! なんにも知らない奴がいろいろ言うなっ!」
 あんなセクハラジジィと付き合うわけないだろうがっ! ふざけるなっ!
「俺は村上くんのことを心配してるんだよ‼」
「俺だって心配しています」
「ちがうっ、お前は村上の先のことを心配しているんであって、今の村上のことは心配していないっ!」
 俺は完全に目が覚めていた。
 久保田とのことを言われるのは仕方がない。しかし、所長と付き合っていると疑われたことは許せなかった。それもこれも久保田のせいだ。あいつが余計なことをたくさんしたからだ。なんで俺があんなセクハラハゲクソジジィとの仲を疑われなきゃならないんだ!
 怒りで頭が沸騰し、気づけば俺は目の前に立つ森田のことを指差していた。
「お前がどうしても村上に辞めて欲しくないなら、村上を脅してでもつき合え! そして久保田から村上を守りたいなら久保田の弱みを握ってやればいい! そして村上の仕事はお前が全部やれっ!!」
 久保田のやり方を森田に伝授してやった。
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