ヤバい奴に好かれてます。

たいら

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 俺の日常は、表向きは何事もなく進んでいるように見えるかもしれない。でも本当は、仕事も私生活も何もかもが崖っぷちだった。久保田によって追いやられている。ついには離れて暮らしている親さえも久保田の手に落ちてしまった。
 俺と久保田の本当の関係を知る者はいない。久保田は俺から全てを奪おうとしている。いや、俺の中の全てに入り込もうとしているみたいだ。気がつけば、俺の周りには久保田の選んだ物で溢れていた。
「野坂さん、大変です!」
 定時になり、そろそろ帰ろうかと鞄を持って立ち上がったところで、村上が会社に戻って来た。
「大変です。大変っ!!」
「なに? どうしたの? また何か手伝う?」
 またミスをしたの? 残業は嫌だな。俺もミスが多いから村上のことを攻めることはできないんだけど。
「違います! 久保田さんです。久保田さんからさっき電話があったんです」
「久保田から?」
「てっきり仕事の電話かと思ってたんですけど」
「うん」
「違ったんです。お家に誘われました」
「……家?」
「はい。今週末の日曜、食事でもしないかって。親睦会らしいです。一体どういう意味ですか?」
「……いや、分からない」
 俺は首をブンブンと横に振った。親睦会と言ってるんだから親睦会なんだろうが、久保田の考えていることは俺には分からない。
「もちろん、野坂さんも来るんですよね⁉」
「いや、俺は誘われてないから」
 日曜は毎週会ってるけど。
「誘われてないんですかっ⁉ じゃあ俺と久保田さんの二人きりですかっ⁉ てっきり野坂さんも来るもんだと思ってOKしちゃいましたよ!」
 村上は色白の肌を青白くして口を手で覆った。
「お願いします! 森田も誘いますから野坂さんも来てください!」
「……嫌なら断ったらいいんじゃない?」
「断ったら月曜日に何されるか分からないじゃないですか!」
 今まで何かされたことがあるのか?
「お願いしますよ! 絶対に野坂さんも来てくださいね! 絶対ですよ⁉ 絶対! 来なかったら一生恨みますからね!」
「…………」
 村上は俺の鞄を奪い取ると、エレベーターの中まで送ってくれ、俺が行くと言うまでエレベーターの中から出してくれなかった。
「親睦会? 僕そんなこと言いましたっけ?」
 久保田が首を捻った。
「いや、村上くんはそう言われたって言ってたけど」
 違うのか?
「ああ、たまには後輩と飲むのもいいかなって言っただけです」
「なんで村上くん?」
「なんとなくです。一番仲良くなりたかったので」
「……ふーん?」
 向こうは全くそんなこと思ってなさそうだけど?
 俺は久保田に言われて食器棚から人数分のコップを出していた。結局俺も久保田に誘われてしまった。このあとこの家に村上と森田が来ることになっている。
 はたして、いったいこの集まりになんの意味があるのだろうか? 楽しめる者がいるのだろうか? テーブルにホットプレートを用意する久保田を見ながら、そう思わざるを得なかった。
「これ混ぜて焼けばいいんですよね?」
「そう」
 久保田がキッチンで野菜を切り、猫目の森田がそれを手伝うようにテキパキと動いている。おかげでやることがなく、俺と村上は大人しく座っていた。テーブルの上には温まったホットプレートと村上が持って来た缶ビールが置かれている。やることのない俺は、人数分のコップにビールを注ぐことにした。
「野坂さんて、よくここに来てるんですか?」
 久保田に聞こえないようにか、村上に小声で聞かれた。
「ううん。今日で二回目」
「えっ、二回目?」
 なぜか村上が驚いた。
 森田が、ボウルの中で混ぜ合わせた具材をホットプレートに乗せた。
「一回目は、二人きりですか?」
「うん」
「……よく耐えられますね。二人で何したんですか?」
「何って……」
 たしか、料理を作ってくれて、俺はリョータのことを言われて泣いてしまって、それであとは。
「歌を歌ってくれた」
「久保田さんがっ⁉」
「うん。誕生日だったから」
「えっ? 誕生日を二人きりで祝ったんですか⁉」
「……うん。あとケーキも……」
 作ってくれた。
 誕生日のことなんかすっかり忘れてたけど、久保田が不気味なハッピーバースデイを歌ってくれた。その後のことはほとんど覚えていない。飲み過ぎて眠ってしまい、起きたら朝だったからだ。
「前から聞きたかったんすけど」
 お好み焼きを焼いている森田が、はっきりと滑舌よく話し出した。
「野坂さんはなんでうちの契約社員の事務員になれたんですか? 野坂さんの前はずっと女性だったのに」
「おい」
 村上が小声でたしなめたが、森田は警戒心の強い猫のような目で俺をじっと見たままだ。
「…………」
 おかしい? おかしいよな。久保田は他の社員をジェンダー化という言葉でぶった切ったとか言ってたけど、森田は明らかに俺たちのことを疑っている。
「うちに来る前から久保田さんとは知り合いだったんですか?」
「おい」
 村上がまた小声でたしなめた。
「二人はどういう関係ですか?」
「…………」
 なんと答えるべきか。久保田が俺だから採用したなんて言えるわけがない。
 返事に困っていると、久保田が出来上がったサラダをテーブルに置いた。
「とりあえず乾杯でもしましょうか」
「…………」
 久保田がビールを手に取り、それぞれもビールを手にした。
 久保田に怯えていつもより口数の少ない村上と、空気を読む気のない猫目の森田と、いつもと変わらないマネキンのような久保田と、俺、という不思議な会が始まった。






「へぇ、じゃあ本当に二人は前からの知り合いというわけじゃないんですね?」
 森田の問に久保田がバラバラになったカードを整えながら言った。
「もちろん。女性しか採用しないと決められていたわけじゃないので、履歴と面接の結果、野坂さんが適任だと思ったから採用しただけですよ」
 お好み焼きを焼いたホットプレートはすでに冷めきり、食べ終えた皿とともに片付けられていた。テーブルには森田が持って来たチーズと、久保田が作った苺のケーキを乗せた皿が人数分置かれている。
「あははっ」
 こいつまたケーキ作りやがったのかと思うと、俺は笑いが止まらなかった。
 空になった缶をテーブルに置くと、久保田がキッチンの冷蔵庫から冷えたビールを持ってきてくれ、それを開けて飲んだ。
「どうします? もうやめますか?」
「もう一回やりましょう!」
「もう一回」
 俺は自分でもどうしてか分からないくらい、さっきから楽しくて仕方がなかった。
 森田はいつもの警戒心の強い猫のような目をしているけどほっぺは丸く赤くなっていて、横に座る村上は口数が増え、目が充血している。
 久保田は肝臓もイカれているのか、何も変わらない。
 俺たちはなぜか村上が持って来たトランプをしていた。村上は久保田の家に行くことによほど戸惑いがあったのか、ジェンガや人生ゲームやUNOまで持って来ていた。修学旅行か。
「まだ続けるんですか? キリがないですよ」
「もう一回!」
「もう一回だけ!」
 なぜか村上と森田が熱くなっていた。さっきからババ抜きで久保田が一番目か二番目に上がり続けているからだ。
「分かりました。じゃあ次からは勝った人が他の三人に命令ができることにしましょう」
「命令?」
「負けた三人はなんでも言うことを聞かなければならないんです」
「別にいいですよ」
 と森田が言い、村上も頷いた。酒が入っているからか、二人の鼻息は荒くなっている。
 トランプを配り終わると、久保田、俺、村上、森田の順番で引いていく。最初に久保田が上がると、命令を出した。
「負けた人が、三番目に上がった人の頰にキスをしてください」
 なるほど。王様ゲームのノリだな。
 二番目には珍しく俺が上がることができた。頬にキスが確定した二人は静かな死闘を繰り広げた。
 ポーカーフェイスな森田と、目の動きが挙動不審な村上。軍配は森田に上がった。
 二人はしばし見つめ合ったあと、意を決したように村上が森田の頬にキスをした。森田の目が一瞬、瞳孔が開いた猫のように黒目が大きくなった気がしたけど気のせいだろうか?
「まだやりますか?」
 久保田が聞くと村上と森田は頷いた。
 村上がトランプを切ると全員に配った。配られたカードから数字が合わさったカードを捨てる。なぜかその時点で久保田だけが圧倒的に枚数が少なかった。
「いったいどんなトリックが」
 久保田が俺を見た。
「トリックなんかありませんよ」
 トリックじゃないならなんなんだ。神通力か。
 案の定、久保田が最初に上がり、命令を出した。
「じゃあ次は負けた人が三人の中から一人を選んで口にキスをすることにしましょう」
「口にっ⁉」
 二人の声が揃った。
「そうです。それくらいじゃないと面白くないでしょう」
 二人は真剣な顔でトランプをしているが、しかし俺はさっきから楽しくて仕方がなかった。だってたかがキスだろ。もう俺は好きな人としかしたことなかった自分とはサヨナラしてんだ。大嫌いな久保田とはしょっちゅうしてるし、もう誰としようが平気だ。
 二人のどちらかがジョーカーを持っているぞ。森田の表情を見ながらカードを引く村上を見て、俺は笑いが止まらなかった。この二人がキスしたらどんな感じなんだろ? 絶対見たい! 俺は持ちうる限りの神通力を使ってカードを引いた。しかしジョーカーがやって来てしまった。
 なんでだよ! 二人のキスが見たかったのに!
 しかし、そのあとも俺のジョーカーが二人に引かれることはなかった。
「じゃあ、三人の中から選んでください」
「…………」
 俺はビールを飲みながら立ち上がり、缶をテーブルに置くと久保田のそばに行き、首に腕を回した。すると久保田も俺の腰に手を回した。
 あれ? もしかして俺からするのって初めてじゃないか? なんか変な感じだなぁ。そう思いながら久保田と唇を合わせた。
「あの」
「ん?」
 口を離し、振り返ると村上が立ち上がっていた。
「俺、帰ります」
「え?」
 村上は本当に鞄を掴み、玄関へ向かってしまう。
「なんで?」
「じゃあ俺も帰ります」
「え?」
 森田も村上を追いかけるようにいなくなってしまった。
「……どうしたんだろ?」
「さぁ? まぁ、そろそろトランプにも飽きたんじゃないですか?」
「え、そう?」
 俺はすげー楽しかったけど。
「それに、お互いに知りたいことが知ることができて良かったんじゃないですか?」
「え?」
 なんのこと?
 首を傾げると久保田にビールを渡された。俺はそれを体に一気に流し込んだ。飲めば飲むほど美味しくなるから不思議だ。何が面白いのか自分でも分からないけど、笑いが込み上げた。ゲラゲラと笑う自分の声が他人のように聞こえる。
「次は二人だけでやりましょう」
 そう言って久保田がトランプを配り出した。
「なぁ、もしかしてお前マジシャンなの? 勝率おかしくない?」
 きっと二人も怪しんでいた。しかし謎を解明する前に帰ってしまったのだ。
「まさか」
 久保田が笑った。配り終わったカードから数字が合わさったカードを捨てていくが、明らかに残った枚数は久保田の方が少ない。
「トランプは村上くんが持って来たものだし、仕込む時間もなかったでしょう?」
 たしかに。でも怪しい。
「僕は仕掛けのないゲームで勝ち続けられるほど強くはないですよ?」
 そう言って久保田が俺のカードを引き抜いた。
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