4 / 4
4
しおりを挟む
俺の歯が立つような相手じゃないというのは、家を見ただけでわかった気がした。
玄関だけで俺のアパートの一室すべてが入ってしまいそうな豪邸には、奥に趣味のためだけに作られたような和室があった。
花はすでに用意されていて、先生と一対一で生け花を体験することになった。
「嬉しいわ。男性が体験に来ていただけるなんてすごく珍しいんです」
「そうですか」
「どうぞお家でもやってみてくださいね」
「はい」
そう返事はしたものの、家に和室はないし、生けた花を飾る場所もなかった。
「上手、上手」
先生は花の茎を鋏で切るだけで褒めてくれる。おかけで明日から生け花が特技になってしまいそうだった。
しかし肝心の先生はホームページに載っていた人物とは全くの別人だった。高比良さんよりもずっと年上の人だ。
……何しに来たんだよ。本当にただ生け花をしてるだけになってるじゃないか。
穏やかな先生の笑顔に見守られながら花を生けていると、和室の外から声が聞こえた。耳を澄ますと鳴き声みたいだった。
「すみませんね。うるさくて」
「……赤ちゃんですか?」
「ええ。孫が散歩から帰ってきたみたいです」
「孫」
「もし教室に通っていただけるんでしたら、次は娘がやらせていただきますね」
「……娘さん」
「今は産休中なんです」
赤ちゃんの泣き声はすぐにどこかに行ってしまった。
上の空で生けても先生は褒めてくれて、初めての作品を床の間に飾ると言ってくれたけど、赤ちゃんの鳴き声が頭から離れなかった。
『だからやめておけって言っただろ? 引きこもりが変な行動力出すなよ』
「生け花の先生の赤ちゃんということは、高比良さんの子供だよね? なんで高比良さんは俺に嘘をついたんだろう」
『妊娠中に離婚なんてよっぽどなことしたんだろうな。それがバレたくなかったんだろ』
「…………」
『慰謝料も相当取られてるだろうし、早々に仕事に復帰せざるを得ないだろうな』
「…………」
うそだ。
そんなわけない。
高比良さんがそんな酷いことをする人だとは思えない。すごく優しい人だって俺は知ってるから。
『余計なこと考えずに高比良さんに直接聞けよ』
「何を聞くんだよ」
すでに嘘をつかれてるのに。
『知るか。俺は今忙しいんだ。切るぞ?』
そう言って木島に本当に電話を切られてしまった。
……一体高比良さんに何があったんだ。
高比良さんがさっきからずっと天井で回るファンを眺めている。
柚子塩ラーメンが人気のこの店は店装もおしゃれだし、女性客も多い。しかも隣にはゆったりと落ち着けるソファが置かれたカフェが併設されている。まるでカップルのデートためにあるような店だ。
別にデートっぽくしたくてこの店を選んだわけじゃなくて、あくまでも高比良さんにくつろいでほしかったからだ。
今日の高比良さんは特に元気がなかった。高比良さんはチラチラと見られている周りの視線を気にすることもなく、コーヒーに手を付けることもなく、ただボーッと天井で回るファンを眺めている。
……やっぱり仕事に戻るのはまだ早いと思う。こんな状態の人があんなにノルマで追い込む職場に戻るなんて心配だ。
やっぱりもう一度生け花教室に行って元奥さんにちゃんと会うべきだろうか。
「ど、どうかしました?」
憂鬱げに高比良さんが俺を見た。力が抜けたような表情にますます心配になった。どう見ても症状が悪化している。
「相談ならのりますよ?」
「ううん」
……子供に会いたいのかな? そりゃそうか。生まれたばかりだし。なんとか会わせてもらえないんだろうか。
憂鬱げな高比良さんは表情は暗いのに、ソファの肘置きに頬杖をついた姿は哲学者や文豪のような気品が漂っている。
やっぱりこの人はかっこいい。俺といるなんて勿体ない。
「あの、実は元同僚から聞いちゃったんです。高比良さんの元奥さんが高比良さんに会いに会社に来てるって」
「元奥さんって? 千紗のこと?」
高比良さんが目を丸くした。
……千紗。やっぱり。生け花の先生の名前だ。親しみがこもった呼び方に胸が締め付けられたように感じた。
恋なんてするもんじゃない。勝手に傷ついて勝手に泣くなんて、もうしたくない。
「どうして?」
「わかりません。高比良さんに会いに来たんじゃないんですか?」
「千紗がどうして? 僕とはもう関係ないのに」
「…………」
……でも子供が産まれているのに。まさか産まれてるのを知らないとか? そんなことがあるんだろうか。
高比良さんが小さくため息をついた。
「誰にも言ってなかったけど、実は千紗の母親は社長の親類なんだ。もしかしたら子供を会わせに来てたのかもね」
「……こ、子供!? って高比良さんとの子供ですか?」
「僕の子供じゃないよ。その辺は複雑なんだ」
そう言って高比良さんは視線を落としてしまった。
……やっぱり元奥さんの方が浮気してたんだ。
それで高比良さんは落ち込んでいるんだ。
なんてかわいそうなんだ。こんなにかっこいいのに浮気されるなんて。
「ずっと考えてるんだ。僕はなんのために生きてるのかなって」
……そこまで悩んでるなんて。
これ以上悩んでほしくない。できることなら俺が代わってあげたい。
しかし高比良さんは眉間に皺を寄せ、さらに苦悶の表情になった。端正な顔立ちがますます文豪作家のようになっている。
「だから仕事に戻る前に君に言っておこうと思ったんだ」
「俺にですか?」
何を?
「僕は君のことが好きなんだ」
玄関だけで俺のアパートの一室すべてが入ってしまいそうな豪邸には、奥に趣味のためだけに作られたような和室があった。
花はすでに用意されていて、先生と一対一で生け花を体験することになった。
「嬉しいわ。男性が体験に来ていただけるなんてすごく珍しいんです」
「そうですか」
「どうぞお家でもやってみてくださいね」
「はい」
そう返事はしたものの、家に和室はないし、生けた花を飾る場所もなかった。
「上手、上手」
先生は花の茎を鋏で切るだけで褒めてくれる。おかけで明日から生け花が特技になってしまいそうだった。
しかし肝心の先生はホームページに載っていた人物とは全くの別人だった。高比良さんよりもずっと年上の人だ。
……何しに来たんだよ。本当にただ生け花をしてるだけになってるじゃないか。
穏やかな先生の笑顔に見守られながら花を生けていると、和室の外から声が聞こえた。耳を澄ますと鳴き声みたいだった。
「すみませんね。うるさくて」
「……赤ちゃんですか?」
「ええ。孫が散歩から帰ってきたみたいです」
「孫」
「もし教室に通っていただけるんでしたら、次は娘がやらせていただきますね」
「……娘さん」
「今は産休中なんです」
赤ちゃんの泣き声はすぐにどこかに行ってしまった。
上の空で生けても先生は褒めてくれて、初めての作品を床の間に飾ると言ってくれたけど、赤ちゃんの鳴き声が頭から離れなかった。
『だからやめておけって言っただろ? 引きこもりが変な行動力出すなよ』
「生け花の先生の赤ちゃんということは、高比良さんの子供だよね? なんで高比良さんは俺に嘘をついたんだろう」
『妊娠中に離婚なんてよっぽどなことしたんだろうな。それがバレたくなかったんだろ』
「…………」
『慰謝料も相当取られてるだろうし、早々に仕事に復帰せざるを得ないだろうな』
「…………」
うそだ。
そんなわけない。
高比良さんがそんな酷いことをする人だとは思えない。すごく優しい人だって俺は知ってるから。
『余計なこと考えずに高比良さんに直接聞けよ』
「何を聞くんだよ」
すでに嘘をつかれてるのに。
『知るか。俺は今忙しいんだ。切るぞ?』
そう言って木島に本当に電話を切られてしまった。
……一体高比良さんに何があったんだ。
高比良さんがさっきからずっと天井で回るファンを眺めている。
柚子塩ラーメンが人気のこの店は店装もおしゃれだし、女性客も多い。しかも隣にはゆったりと落ち着けるソファが置かれたカフェが併設されている。まるでカップルのデートためにあるような店だ。
別にデートっぽくしたくてこの店を選んだわけじゃなくて、あくまでも高比良さんにくつろいでほしかったからだ。
今日の高比良さんは特に元気がなかった。高比良さんはチラチラと見られている周りの視線を気にすることもなく、コーヒーに手を付けることもなく、ただボーッと天井で回るファンを眺めている。
……やっぱり仕事に戻るのはまだ早いと思う。こんな状態の人があんなにノルマで追い込む職場に戻るなんて心配だ。
やっぱりもう一度生け花教室に行って元奥さんにちゃんと会うべきだろうか。
「ど、どうかしました?」
憂鬱げに高比良さんが俺を見た。力が抜けたような表情にますます心配になった。どう見ても症状が悪化している。
「相談ならのりますよ?」
「ううん」
……子供に会いたいのかな? そりゃそうか。生まれたばかりだし。なんとか会わせてもらえないんだろうか。
憂鬱げな高比良さんは表情は暗いのに、ソファの肘置きに頬杖をついた姿は哲学者や文豪のような気品が漂っている。
やっぱりこの人はかっこいい。俺といるなんて勿体ない。
「あの、実は元同僚から聞いちゃったんです。高比良さんの元奥さんが高比良さんに会いに会社に来てるって」
「元奥さんって? 千紗のこと?」
高比良さんが目を丸くした。
……千紗。やっぱり。生け花の先生の名前だ。親しみがこもった呼び方に胸が締め付けられたように感じた。
恋なんてするもんじゃない。勝手に傷ついて勝手に泣くなんて、もうしたくない。
「どうして?」
「わかりません。高比良さんに会いに来たんじゃないんですか?」
「千紗がどうして? 僕とはもう関係ないのに」
「…………」
……でも子供が産まれているのに。まさか産まれてるのを知らないとか? そんなことがあるんだろうか。
高比良さんが小さくため息をついた。
「誰にも言ってなかったけど、実は千紗の母親は社長の親類なんだ。もしかしたら子供を会わせに来てたのかもね」
「……こ、子供!? って高比良さんとの子供ですか?」
「僕の子供じゃないよ。その辺は複雑なんだ」
そう言って高比良さんは視線を落としてしまった。
……やっぱり元奥さんの方が浮気してたんだ。
それで高比良さんは落ち込んでいるんだ。
なんてかわいそうなんだ。こんなにかっこいいのに浮気されるなんて。
「ずっと考えてるんだ。僕はなんのために生きてるのかなって」
……そこまで悩んでるなんて。
これ以上悩んでほしくない。できることなら俺が代わってあげたい。
しかし高比良さんは眉間に皺を寄せ、さらに苦悶の表情になった。端正な顔立ちがますます文豪作家のようになっている。
「だから仕事に戻る前に君に言っておこうと思ったんだ」
「俺にですか?」
何を?
「僕は君のことが好きなんだ」
1
お気に入りに追加
3
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
身体検査が恥ずかしすぎる
Sion ショタもの書きさん
BL
桜の咲く季節。4月となり、陽物男子中学校は盛大な入学式を行った。俺はクラスの振り分けも終わり、このまま何事もなく学校生活が始まるのだと思っていた。
しかし入学式の一週間後、この学校では新入生の身体検査を行う。内容はとてもじゃないけど言うことはできない。俺はその検査で、とんでもない目にあった。
※注意:エロです
R-18♡BL短編集♡
ぽんちょ♂
BL
頭をカラにして読む短編BL集(R18)です。
♡喘ぎや特殊性癖などなどバンバン出てきます。苦手な方はお気をつけくださいね。感想待ってます😊
リクエストも待ってます!
膀胱を虐められる男の子の話
煬帝
BL
常におしがま膀胱プレイ
男に監禁されアブノーマルなプレイにどんどんハマっていってしまうノーマルゲイの男の子の話
膀胱責め.尿道責め.おしっこ我慢.調教.SM.拘束.お仕置き.主従.首輪.軟禁(監禁含む)
ノンケDK♡痴漢メス堕ち♡性処理担当
掌
BL
真面目でノンケなDK、「結城陸」が痴漢に遭い、未挿入で散々アクメでメス堕ちさせられたのち、同級生から襲われてハメハメ♡ドスケベ性活を謳歌するようになる話。フィクションとして切り分けてお楽しみください。
Skebでのコミッション作品です。ありがとうございました!
pixiv/ムーンライトノベルズにも同作品を投稿しています。
なにかありましたら(web拍手)
http://bit.ly/38kXFb0
一次Twitter垢・拍手返信はこちらから行っています
https://twitter.com/show1write
「どスケベ変態おじさま(40↑)専用ボーイ♂ハメハメ店『あましじょ♡』へようこそっ♪」~あやくん(22)とたつみパパ(56)の場合~
そらも
BL
四十歳以上の性欲満タンどスケベ変態おじさまであれば誰でも入店でき、おじさま好きの男の子とえっちなことがた~っぷりとできちゃうお店『あましじょ♡』にて日々行われている、お客とボーイのイチャラブハメハメ物語♡
一度は書いてみたかったえっちなお店モノ♪ と言いつつ、お客とボーイという関係ですがぶっちゃけめっちゃ両想い状態な二人だったりもしますです笑♡
ただ、いつにも増して攻めさんが制御の効かない受けくん大好きど変態発情お猿さんで気持ち悪くなっている他、潮吹きプレイや受けくんがビッチではないけど非処女設定とかにもなっておりますので、読む際にはどうぞご注意を!
※ R-18エロもので、♡(ハート)喘ぎ満載です。
※ 素敵な表紙は、pixiv小説用フリー素材にて、『やまなし』様からお借りしました。ありがとうございます!
おねしょ癖のせいで恋人のお泊まりを避け続けて不信感持たれて喧嘩しちゃう話
こじらせた処女
BL
網谷凛(あみやりん)には付き合って半年の恋人がいるにもかかわらず、一度もお泊まりをしたことがない。それは彼自身の悩み、おねしょをしてしまうことだった。
ある日の会社帰り、急な大雨で網谷の乗る電車が止まり、帰れなくなってしまう。どうしようかと悩んでいたところに、彼氏である市川由希(いちかわゆき)に鉢合わせる。泊まって行くことを強く勧められてしまい…?
部室強制監獄
裕光
BL
夜8時に毎日更新します!
高校2年生サッカー部所属の祐介。
先輩・後輩・同級生みんなから親しく人望がとても厚い。
ある日の夜。
剣道部の同級生 蓮と夜飯に行った所途中からプチッと記憶が途切れてしまう
気づいたら剣道部の部室に拘束されて身動きは取れなくなっていた
現れたのは蓮ともう1人。
1個上の剣道部蓮の先輩の大野だ。
そして大野は裕介に向かって言った。
大野「お前も肉便器に改造してやる」
大野は蓮に裕介のサッカーの練習着を渡すと中を開けて―…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる