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卒業式とスイーツビュッフェ

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 夏休みに入り、バイトメンバーと浦木うらき家で海や旅行に行ったり、花火をしたりと楽しく過ごし、やがて秋になり、冬が来て、クリスマスやお正月が過ぎて。葉汰ようたはまたシフトから外れることが多くなり、気づけば3月になっていて、今日はもう卒業式だ。
 最後に葉汰に会ったのはいつだっただろうか。木曜以外でたまにシフトに入ることはあったらしいが瑠花るかがサントノーレに来るのは木曜だけだ。会わないまま、葉汰は3月いっぱいでバイトをやめることになっている。
 今までも木曜日にシフトに入っていなければ会うことはなかったのだ。サントノーレをやめてしまえばきっともう接点はなくなって、会うことは無くなるだろう。
 2年前にした告白は割とあっさり流されている。その時の約束は、覚えていてくれるのだろうか。瑠花自身は忘れたことはないのだけど、まだ話していた20cm差には届いていない。
 瑠花が通う小学校と葉汰の大学は偶然にも同じ日が卒業式で、式の後、サントノーレでお祝いをする予定だ。もしかしたら、それが葉汰と会う最後になるかもしれない。
 相手は大人で、自分はまだ子供だ。それでも……。

「はい。これでよし。次はこっちね」

 ポンと背中を叩かれる。鏡に写るのは袴姿の自分だ。夏に花が持ってきてくれたカタログから選んだのは水色の生地に赤やピンクの牡丹ぼたんと桜柄の小振袖と躑躅色つつじいろから裾に向かって薄紫、濃い紫のグラデーションになった袴だ。着物を決めて仕立てた際に、一回着て丈を合わせてもらい、当日の着付けとヘアメイクも花がしてくれることになったのだ。「座って」と鏡の前に置かれた椅子まで案内される。

「花さん、髪にこれつけてくれる?」
「いいわよ」

 そう言って、瑠花が渡してきたのは一本のかんざしだ。幾重にも重なった花びらが魅力的なその簪を受け取って、花は器用に髪をまとめていく。両側から編み込んだ髪を中央で結って簪を挿した。クルリと回してもう一度挿し込んでハーフアップに纏めると毛先を緩く巻いて遊ばせてボリューム感と華やかさを足す。それから下ろしたままになっている髪も巻き髪にアレンジした。

「これでどう?」
「素敵!ありがとう!」
「どういたしまして。素敵な簪ね、これ」

 「ラナンキュラスね」と笑う花に瑠花が首をかしげる。

「このお花。ラナンキュラスをかたどったものでしょう?」
「……そうなのかな?貰い物だから、知らなくて……」

 「好きな人がくれたの」とはにかみながら言う瑠花に花は優しく微笑んだ。まだ子供だ。それでも一生懸命に恋をして、幼いながらも真剣に相手を思っていることを、自分も通ってきた道だからこそ、わかっている。

「ピンクのラナンキュラスの花言葉、知ってる?」
「しらない。何?」
「『飾らない美しさ』よ。ラナンキュラス全般は『とても魅力的』。それを瑠花ちゃんにくれた人は瑠花ちゃんのことをよく見てくれているのね」

 優しく微笑む花に瑠花はまた「そうなのかな?」と呟く。それから「そうだといいな」と口元を緩ませた。



「準備できた?」
「ばっちり。可愛いでしょ?」

 着付けをしていた部屋に飛鳥が顔を出す。飛鳥は右袖と裾に桜、梅、菊、撫子や椿が描かれた濃紺の訪問着姿だ。帯は銀糸の袋帯ですっきりとした二重太鼓に結ばれている。
 椅子に座っていた瑠花は目の前の鏡越しに飛鳥を見た。

「可愛い!よく似合ってるわ。髪型も素敵ね。簪の色も合ってる」
「ラナンキュラスなんだって。さっき花さんが教えてくれたの。前にね、もらったんだよ」

 笑いながら話す瑠花に飛鳥は柔らかく目を細めた。

「簪にはね、武器にもなっていたことから『お守り』ひいては『あなたを守る』という意味があるのよ」

 「知ってた?」と微笑みながら訊ねる飛鳥に瑠花は首を振る。

「瑠花は大切に思われているのね」
「……そうなのかな?」

 花言葉と簪の持つ意味。葉汰はそれを知っていたのだろか?それともただの偶然なのか……。

「ねぇ、お母さん、花さん。わたしね、ずっと好きな人がいて、もうすぐ会えなくなっちゃうかもしれなくて……。お願いしたら、これからも会ってくれるかな?」

 振り返り、2人を見上げながら不安そうな面持ちで訊ねる瑠花に、飛鳥と花は顔を見合わせ、それから同時に笑みをこぼした。
 
「大丈夫よ。その簪をくれた人でしょう?」
「意味をわかっていて贈ってるならそんな可愛いお願いきかないわけないわ」

 笑いながら、瑠花の肩に手をのせる。

「私たちが魔法をかけてあげる」
「勇気が出るおまじないね」

 ポンポンと背中を軽く叩き、瑠花の前に膝をついて目線を合わせる。
 飛鳥の指がそっとあごに触れて、唇の上をブラシが優しく撫でていく。

「はい、いいわよ。見て?」

 鏡の中の自分はほんのりとピンクに色づいたつややかな唇になっていた。

「メイクはまだ早いけど、これくらいならね」

 そう言って色つきのリップクリームを片手に悪戯いたずらっぽく笑う飛鳥。今日は卒業式なのだ。ほんの少しの背伸びは許されるだろう。

「瑠花ちゃんは華やかな着物にも負けない、素敵な魅力に溢れた女の子よ」
「瑠花、自信を持って伝えてきなさい。あなたなら大丈夫だから」

 優しく微笑んで紡がれる言葉は背中を押すには十分だった。





 卒業式が終わり、友人たちと記念写真を撮ったりしながら笑い合う。瑠花が通う小学校は大学まである私立の一貫校だ。ほとんどの生徒がそのまま付属の中学にあがるため、お別れという意識はほとんどない。「またね」と手を振り合い小学校を後にする。

「私は着替えるけど、瑠花はどうする?そのまま着てる?」

 歩きながら訊ねる飛鳥に瑠花は足を止めた。

「お母さん、わたし行きたいところあるんだけど、いいかな?」

 数歩前に進んでいた飛鳥は瑠花の方へと振り返り、笑って見せる。

「いってらっしゃい。気をつけてね。お祝いの準備をして待ってるわ」
「……いってきます!」

 飛鳥に向かって笑顔を返し、瑠花は駆け出した。


 


 卒業式が終わり、講堂を出てキャンパス内を歩く。
 あとはゼミに顔をだして学位記を受け取れば終わりだ。今日は飛鳥からお祝いをするから店に来るようにと言われている。葉汰と瑠花、それからバイト仲間のあんも今年が卒業だった。

『三人分だから盛大にしないとね』

 そう言って笑った飛鳥は無邪気で楽しそうで、笑った顔がそっくりだなぁと思ったのは今から1ヶ月ほど前だったか。

「葉汰ー!今からゼミ行くんだろ?一緒にいかね?」
「おぉ」

 声をかけてきたのは同じゼミの仲間だった。並んで歩き出す。

「葉汰は就職決まってたよな?どこだっけ?」
「新しくできるカフェバー主体のホテル。カフェにいるから気が向いたら来て。そっちは?」
「○○出版。ってかもう卒業とか信じらんねぇ」
「それなー」

 他愛もない話をしているうちにゼミの研究室に着き、教授から学位記を受け取った。

樋中ひなか君はなんでも卒なくこなす優秀な学生でしたね。けれど、色々なことを飄々ひょうひょうとかわしていたように思います。時には何かに囚われ必死になるのも若いうちは良いと思いますよ。樋中君のこれからに幸多からんことを願っています。卒業おめでとう」

 微笑みながら伝えられた言葉と差し出された手。その手を握り返し、握手を交わす。

「ありがとうございます。色々お世話になりました」

 一礼して研究室を後にした。



「ようくん!」

 声をかけられ振り向く。そこには白地に薄紫の矢絣やがすり柄に桜の花を組み合わせた小振袖に明るい紺色の袴を合わせた女性が立っていた。

「ようくん、この後のゼミの謝恩会行くでしょう?少し時間もあるし、一緒にお茶でもしない?」

 僅かに小首をかしげて微笑む女性に、葉汰は柔らかな笑顔を返す。そこそこに可愛くて、ゼミでも男子学生に人気だった女性だ。ただ本人がそれを自覚しており、そのうえで周囲からの好意を当然の様に振舞っていることから、葉汰はこの女性が苦手だ。

「私のお気に入りのカフェがあるの。ようくんもカフェ好きでしょ?行きましょう」

 コーラルピンクに桜のジュエルパーツ、綺麗に作られたネイルが目を引く手が葉汰にのばされる。微笑みながら両手で葉汰の手を取ろうとした時だ。
 葉汰のポケットでスマホが振動し、メッセージの着信を告げた。女性に断ってスマホを取り出しメッセージを確認する。

「悪いけどこの後用事があるんだ。後、幹事には言ってあるけど謝恩会は遅れてくから。じゃあ!」

 それだけ告げて、葉汰はスマホをポケットに入れると走り出した。
 届いたのは飛鳥からのメッセージだ。見覚えのあるかんざしを挿した少女の後ろ姿の写真を添えたそれは、一言だけだった。

『そっちに行くそうです』






 瑠花の通う小学校から葉汰の大学までは最寄り駅から電車に乗り10分程だ。駅に着き、歩いてくるスーツ姿や袴姿の学生達に逆らう様に歩けば大学までは迷うことはない。
 大学の正門まで来て、瑠花は足を止めた。来たはいいが、葉汰はどこにいるのだろうか?闇雲に大学内を歩いて見つかるとも思えない。もしかしたらすでに帰っている可能性もある。ここまで来たのは間違いだっただろうか?
 どうしたものかと悩んでいた時だ。

「君かわいいねー!!卒業生?」
「こんな可愛いこ大学にいたっけ?ヤッベ!何で今まで気づかなかったんだろ?」

 突然かかった声と顔を覗き込む様にして見てくる2つの影。目の前にスーツ姿の男性が2人立っていた。

「最後に出会えたのも何かの縁!俺らと飲みにいかない?」
「一緒に卒業祝いしようよ!何でもおごるよー!!」
「え、えっと……わたし、人を探してて……」

 数歩後ろに下がりながら答えると、相手もすぐに距離を詰めてくる。

「人?友達とか?別によくね?」
「後で連絡入れとけばいいじゃん!とりま行こー!!」
「や、やだ……!」

 強引に瑠花の手を掴み、引こうとしたその時だ。

「俺の連れになにか?」

 相手の手を振り払い、瑠花と男性たちの間に割って入る様にして現れたのは瑠花が探していた相手だった。





 瑠花を背中に隠すようにして葉汰は男性2人と対峙たいじする。
 瑠花は可愛い。整った容姿と亜麻色の長い髪は人形の様な美しさをかもし出し、瑠花を実年齢よりも上に見せていた。それでも大学生には見えないが、そこは卒業式も終わり浮かれた学生達だ。少々幼くても気にしないのであろう。さらに言うなら袴姿だ。キャンパス内は袴姿の卒業生で溢れている。袴姿の瑠花もその一人だと認識されても不思議はない。
 飛鳥からのメッセージに瑠花が袴姿であることを知って、真っ先に心配したのは男子学生に目をつけられることだった。瑠花の容姿なら絶対に声をかけられる。キャンパスに入る前、正門で見つけられれば大丈夫だろうと思っていたが甘かったようだ。

「悪いけど、誘うなら他をあたって。彼女は俺が先約だ」

 それだけ言うと瑠花の肩に腕を回し、行こうとうながした。男性たちに背を向けて歩き出そうとする。

「ちょっ!?待てよ!」
「なに?」

 かけられた声に首だけで振り返り、睨みながら訊ねれば男性たちは口をつぐむ。ふと、表情を緩め、綺麗な笑顔を作ると葉汰は告げた。

「いくらこの子が美人でも小学生を飲みに誘っちゃだめだよ」

 ひらひらと後ろ手に手を振って、今度こそ背を向けて歩き出した。

「……今、小学生って言ったか?」
「え?小学生?あのこ?」
『えぇぇぇぇぇっ!!??』





 キャンパス内を歩き、途中、自動販売機で温かいミルクティを二つ買って、遊歩道になっている中庭辺りまで来て、葉汰は足を止めた。設置されたベンチにポケットからハンカチを取り出して敷くと瑠花に「どうぞ」と座る様に促す。

「綺麗な着物きてるし、汚れない様に、ね」

 促されるままベンチに座ると、葉汰も隣に腰を下ろした。

「はい。本当はコーヒーでも淹れてあげたいけど、ここじゃ無理だから」

 笑いながらミルクティの缶を瑠花へと差し出す。

「ごめんね。俺がもっと早く行ってたら良かったね」

 そう言って伸ばされた手が目の下を拭っていき、瑠花は初めて自分が泣いていたことに気づいた。

「わ、わたし……こわ……」
「うん、もう大丈夫だよ」

 話を聞かない強引さも掴んできた手の強さも。うまく交わす方法など知らないし、1人ではどうすればいいか分からなかった。
 葉汰の手が優しく背中をさすっていき、しゃくりあげる瑠花の緊張や恐怖心を溶かしていく。
 しばらくの間、瑠花が落ち着くのを待ち、呼吸が整って来た頃だ。

「あ、ありがとう、葉汰くん。もう大丈夫」

 僅かに目を腫らしながら瑠花はぎこちなく笑ってみせた。

「良かった。飛鳥さんから連絡もらって焦ったよ。瑠花ちゃん可愛いし。絶対変な奴らがほっとかないと思って」

 ぽんぽんと優しく頭を撫でながら葉汰も笑う。

「着物、可愛いね。似合ってるよ。かんざしも使ってくれてありがとう」
「ありがとう。葉汰くんも、スーツかっこいいよ」

 今日の葉汰は卒業式ということもあり、淡いブルーのシャツに濃紺のスリーピースだ。ネクタイは桜色で胸ポケットには同色のチーフが刺さっている。
 似合ってると笑った瑠花の笑顔はだいぶいつもの自然なものに戻ってきた。

「ありがとう。スーツとか着なれないからちょっと緊張するよね」
「わかる!わたしも着物可愛いし、着たいけどちょっと緊張した!」
「ね」

 2人で顔を見合わせて笑い合う。この時間が瑠花は好きだった。他愛たわいもない話をして笑い合う、この時間。それを終わらせたくはない。だから……。

「葉汰くん、このお花、何か知ってた?」

 髪に飾った簪に触れながら、瑠花が訊ねると、葉汰は静かにうなづいた。

「うん」
「じゃあ、花言葉も……?」
「知ってるよ」
「簪の、意味は……?」
「それも知ってる」

 頷いた葉汰に瑠花はぎゅっと胸が締め付けられる。全部、知っていて、その上で葉汰は瑠花にくれたのだ。瑠花はまだ子供で、葉汰は大人だ。きっとまだ全然釣り合わない。それでも、もし、自惚うぬぼれてもいいのなら……。

「葉汰くん、わたしね、まだ151センチしかないし、20センチ差になるにはまだかかるけど、でもきっと変わらないから。ずっと、葉汰くんのこと好きだから、だから、待っててくれる?」

 身長が伸びるまで、大人になるまで、釣り合うようになるまで、近くにいてほしい。今までみたいにおしゃべりしたり、コーヒーを飲んだり、一緒に出掛けたり、そんな時間を重ねながら、待っていてほしいのだ。

「葉汰くんが好きだよ。今すぐじゃなくていいから、わたしと付き合って」





 まっすぐな視線と言葉。向けられる気持ちもいつだって視線同様にまっすぐで純粋だ。それ故に、受け止める事を悩んでしまう。自分はあくまでも憧れの存在で、瑠花には色々な人に出会い、素敵な恋をしてほしいと思っている。それは初めて気持ちを告げられたときから変わらない。だからこそ、ずっと良き兄の様な存在であろうとしてきたのだ。
 このまま側に居続ければきっと最終的に手放せなくなるのは葉汰の方だ。いつまで瑠花が憧れる良き兄でいられるか……。だからこそ、可愛い妹のような存在でいてくれる間に距離を取ろうとした。そんな葉汰の弱さやズルさを瑠花はまっすぐにぶつかって壊そうとしてくるのだ。
 20cmという約束を覚えていてそれを真摯しんしに追いかける。その純粋さが眩しくて可愛くて、愛おしい。
 敵わないなぁ……本当に。

「ありがとう。俺も瑠花ちゃんが好きだよ」

 この素直さを受け止めてしまいたい、そんな気持ちに駆られもする。けれども、それはやはりできないから。

「だから、俺との身長差が20センチ切った頃に同じように思ってたら、また言って?」
「……頑張る」

 柔らかく笑いながら、あの日と同じように瑠花の頭をポンポンと撫でる。

「ちなみに、最近少し伸びて184になりました」
「えー!?」

 葉汰の申告に瑠花は眉根を寄せながら声をあげ、その様子に葉汰は悪戯が成功した子供の様に楽しげに笑った。


  


「瑠花、葉汰君、杏ちゃん、卒業おめでとう!乾杯!」
『カンパーイ!!』

 飛鳥の音頭に合わせ、それぞれが手にしたグラスをかかげる。
 カツンと軽やかな音があちこちで響き、楽しそうな笑い声が溢れる。
 サントノーレ店内の中央にはビュッフェ台が作られており、それぞれ好きなものに手を伸ばし、好きな場所で楽しんでいた。

 艶々つやつやの真っ赤な苺と真っ白なクリームのショートケーキ。
 上質なクーベルチュールを使用したしっとり濃厚でコクのある風味のガトーショコラ。
 ふわっと溶けるような食感のスフレチーズケーキ。
 さっくりとしたメレンゲにふわふわのスポンジをのせてクリーミーなマロンクリームを絞ったモンブラン。
 コクのあるタルト台に艶々と輝く真っ赤な苺がたっぷりのった苺のタルト。
 まろやかなカスタードクリームに甘酸っぱくジューシーなチェリーがのったチェリーパイ。
 程よい苦みと濃厚な味わいの抹茶クリームと抹茶スポンジに黒豆がアクセントの抹茶ロール。
 ココアスポンジに優しい甘さの洋ナシのムースとほろ苦いキャラメルムース、キャラメリゼした洋ナシをのせたキャラメルポワール。
 コーヒー風味のバタークリーム、ガナッシュ、ビスキュイを重ね、グラサージュで7層になった奥深い味わいのオペラ。
 ボトムのクッキー生地がアクセントを加え、ずっしりとして濃厚なコクのあるベイクドチーズケーキ。
 ココアとプレーンの2種のスポンジでフランボアムースをサンドし、たっぷりかかった甘酸っぱいソースの上にラズベリーをのせたラズベリーケーキ。
 バターの風味豊かなサブレ生地でほろ苦いキャラメルとくるみをたっぷり包んだエンガディナー。
 ほんのりと桜の香りがするふわふわでしっとりとした淡いピンクのシフォン生地に滑らかで繊細なホイップを重ねた桜シフォンケーキ。
 アールグレイの紅茶の風味が広がる濃厚かつなめらかな舌触りのプリン。
 グリーンとゴールドの2種類のキウイがたっぷり入った甘酸っぱく爽やかなゼリー。
 チョコレートが噴水の様に湧き出たチョコレートファウンテンとクレープ生地にキャラメル、ストロベリー、ブルーベリーの各ソース。
 その横には具材となるマシュマロ、苺、バナナ、キウイ、オレンジ、メロン、パイナップル、アンズ、プチシュー、ポテトチップス、白玉。
 甘いもの以外にはサンドイッチが5種類。厚切りのローストビーフとたっぷりのフリルレタスとアクセントにクレソンとホースラディッシュ、照り焼きチキンとアボカドとニンジンと豆苗、濃厚な卵サラダとハムときゅうり、モッツアレラチーズとバジルとトマト、生ハムとルッコラとマッシュルーム。
 キッシュは2種類でほうれん草と玉ねぎとベーコン、カボチャとズッキーニとミートソースだ。

「美味しいー」

 カウンターでモンブランを頬張りながら瑠花が嬉しそうに眉尻を下げた。さくさくとふわふわ、メレンゲとスポンジの食感の違いが楽しく、マロンクリームは口の中でほどけるように溶けていく。プレートの上にはオペラやベイクドチーズケーキ、桜シフォンなど一口サイズのミニケーキがまだ色々とのっていた。
 スイーツビュッフェは瑠花と杏のリクエストで、何が食べたいか聞かれた2人がデザートを決められなかったからだ。そのため、メインや前菜になる予定だったローストビーフや照り焼きチキン、モッツァレラチーズや生ハムはサンドイッチに姿を変えたのだ。

「キッシュやサンドイッチも美味しいよ」

 瑠花の隣でミートソースのキッシュを口にと運びながら葉汰が笑う。
 ミートソースは中にチーズが入っていてコクがあり、カボチャはホクホクとして甘く、ズッキーニは味がよく染みていてジューシーで仄かな苦味がクセになる。サクサクのパイ生地もバターの風味がして美味しい。
 照り焼きチキンのサンドイッチは皮がパリパリで歯触りもよく、照り焼きの甘辛い味付けはクリーミーなアボカドとマヨネーズで和えられたニンジンと豆苗とも良く合った。

「あとチョコフォンデュにポテトチップスの組み合わせはヤバい」
「わかる!甘いけどしょっぱいの止まらなくなる!」

 瑠花と葉汰は顔を見合わせて笑いあう。チョコの甘さを引き立てるポテトチップスの塩味がクセになり無限に食べられそうだ。

「プリンも美味しいー。紅茶味のお菓子大好きー」

 嬉しそうに緩められた頬をほんのりと紅潮させて、満面の笑みで味わう瑠花を葉汰は楽し気に見つめる。本当に美味しそうに食べる子だ。
 プリンを食べ終わり、次のケーキに伸ばされかけたフォークがコトリとプレートの上に置かれた。瑠花はちらりと葉汰を見ると、あのねと口を開く。

「葉汰くん、コーヒー、淹れてくれる?」
「もちろん」

 飲み物は各自好きなものを冷蔵庫から出し、コーヒーや紅茶は飛鳥にオーダーすることになっている。けれど、瑠花のコーヒーは普段から葉汰の担当だ。瑠花のお願いに葉汰は笑顔で返すと席を立って、カウンター内に入った。
 戸棚から瑠花専用と書かれた袋を取り出す。このコーヒーが無くなりそうになると発注するのは葉汰の役目だった。
 豆をミルに入れて、ハンドルを回す。コリコリと挽かれていく音を聞きながら、思い出すのは初めてこれを入れた時のことだ。キッチンやカウンター業務にも慣れて、コーヒーの淹れ方を飛鳥から習っていた時だ。瑠花がコーヒーを飲んでみたいと言い出した。その時は「子供にコーヒーはまだ早い」と言った飛鳥だが、翌週には、「これで淹れてあげて」とデカフェのコーヒー豆を発注していた。それからだ。瑠花のおやつには葉汰が淹れるコーヒーがつく様になった。
 挽き終わった豆をドリッパーにセットしたフィルターに入れる。初めてコーヒーを出したとき、ブラックで飲んだ瑠花は盛大に眉をしかめた。砂糖とミルクをすすめたら、「コーヒーの味がわからなくなっちゃう……」と肩を落とす姿がなんだか微笑ましかったのを思い出す。
 粉の中心にそっと置くようにお湯を注ぎ、コーヒーを蒸らしていく。あの時は海外では砂糖やミルクを入れて飲むことも多いからブラックにこだわることはないと教えたら、安心したかの様に砂糖とミルクを足していた。
 中央からゆっくりとお湯を回し入れ、数回に分けて注いでいく。それから葉汰はミルクやホイップクリーム、チョコレートやキャラメル、時にはオレンジやレモンを使って瑠花が飲みやすい様にと様々なアレンジコーヒーを淹れてきた。葉汰の淹れるアレンジコーヒーを瑠花は嬉しそうに飲んでいて、それを見て葉汰もまた、次は何を淹れようかと嬉しくなった。
 抽出したコーヒーが適量になったらドリッパー内のコーヒーが全て抽出される前にドリッパーを外して出来上がりだ。砂糖とミルクを添えて、瑠花の前に出す。葉汰はもうスタッフではなくなる。サントノーレで瑠花にコーヒーを淹れるのはこれが最後になるだろう。だから最後は敢えてアレンジは無し、最初と同じブラックで。

「おまたせ。はい、どうぞ」
「ありがとう!いただきます」

 瑠花がカップを手に取る。まずはそのまま、ブラックコーヒーにそっと口をつけ、コクリと一口飲んだ。
 カカオのような香ばしく、フルーティーな香りが鼻を抜け、口の中に程よい苦味とまろやかなコクが広がり、苦味のなかにもほのかな甘みが感じられた。

「……美味しい……」

 ほぅっと息をつきながら、瑠花の頬が緩められる。それを見て葉汰も頬を緩めた。

「サントノーレのブレンド、美味しいよね」

 初めて瑠花に淹れた時から3年余り、葉汰自身もだいぶ上達したし、飛鳥と同じまではいかなくても大分近い味を出せるようになったのではないかと思う。

「ミルクや砂糖を入れても美味しい様にブレンドされてるから無理せず入れていいからね」
「うん。でも、このままでも美味しいよ。ケーキにもよく合うし!」

 そう言って笑う瑠花に葉汰も笑顔を返した。最初はしかめられていた顔が今は美味しいと緩められていることが、その笑顔を引き出せたのが自身の淹れたコーヒーであることが、嬉しかった。





 ———2ヶ月後。
 桜の花もすっかり散って、青々とした葉が生い茂り、春の陽気から初夏にと移り変わろうとしている頃。
 最初は着慣れなかった中学の制服もすっかり体に馴染み、あと数週間もすれば今度は真新しい夏服に変わる、そんな時期だ。
 小学校を卒業してから買ってもらったスマホの、メッセージアプリが着信を告げる。

『今日は早番なので行けそうです』

 朝一番で届いたメッセージに瑠花の表情が自然とほころぶ。
 木曜だけだった弟たちのサッカー教室は火・木・土に増えていて、中学に入り部活動が始まった瑠花も帰る時間は弟たちと変わらなくなってきている。それでも、瑠花は毎週のようにサントノーレを訪れていた。

 放課後、所属する吹奏楽部での活動が終わってから、瑠花はサントノーレのドアを開ける。
 カランとドアベルが音を立てる。

「おかえりなさい」
「ただいまー」

 カウンターからかかった声に笑顔で返し、定位置となっているスツールに腰を下ろす。
 
 またカランとドアベルの音がして、短髪を立たせた背の高い男性が入ってくる。

「葉汰くん!」
「こんにちわ、瑠花ちゃん」

 かけられた声に笑顔で返す。

「いらっしゃい、葉汰君」
「飛鳥さん、こんにちわ」

 カウンター内の飛鳥にも挨拶をし、「いいですか?」と訊ねると飛鳥は一つ頷いた。

「今日はもう他にお客さんもいないしね。どうぞ」
「ありがとうございます」

 葉汰がお礼を言ってカウンター内に入ると、飛鳥は瑠花にと視線を向ける。

「外の看板片付けてきてくれる?」
「はーい」

 言われるままに、瑠花はスツールから下りて、外に立ててあるブラックボードの看板を店内に入れる。それからドアに掛けてあるプレートをcloseにと変えた。

 瑠花がカウンター席に戻ると、コリコリと豆を挽く音がして、やがてふわりとコーヒーの香りが漂う。カウンターから葉汰が瑠花の前にコーヒーを出す。

「どうぞ」
「ありがとう!」

 笑顔の瑠花に葉汰も顔を綻ばせ、自身のコーヒーを手にカウンターを出た。瑠花の隣のスツールにと腰をおろす。

「今日のおやつはティラミスミルクレープとカシスソルベね」

 瑠花と葉汰、それぞれの前に飛鳥がプレートをことりと置いた。真っ白なプレートの上でマスカルポーネクリームとクレープ生地が何層にも重ねられ、ココアパウダーで化粧が施されたケーキと鮮やかな赤が目を引くソルベは良く映えた。周囲にはキウイやオレンジが散らされ彩りを添えている。

「美味しそう!いただきます!」

 嬉しそうに眼を輝かせ、瑠花が手を合わせる。そしてフォークを手に取りミルクレープをさくりと一口分切って口にと運ぶ。たちまち瑠花の顔が幸せそうに緩んだ。
 そんな瑠花を微笑ましく見つめながら葉汰も「いただきます」とミルクレープへとフォークを伸ばした。

 美味しいお菓子とコーヒーの香りに包まれて、他愛もない会話をする。
 変わらないその時間は、これからもきっと続いていく。
 この場所サントノーレで過ごす、木曜日のカフェタイム。



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