1 / 15
プロローグ
序章 生い立ちと初陣
しおりを挟む
城の天守閣から、領内に広がる青い空、民の働いている田畑を見ながら、山本勘蔵はこれまでの事を振り返っていた。
通称、二代目山本勘助。
十九歳の頃、大手柄を挙げ、主君、御屋形様、(武田信玄)から恩賞として、とある所の城主を任される事になる。
幼い頃、父、山本勘助が信濃、川中島で戦死してからは、山本家は没落し、母上は出家し、姉の楓は気が触れてしまい、母の兄上であり、俺の祖父上様、原虎胤様が、俺の後見人となり、俺は幼い弟、菊丸、姉の息子で、俺の甥の龍丸の面倒を観ながら、武芸、軍略を祖父上様から教えて頂いている。
また、亡き父上の所領八百貫が、三十五貫に減らされ、生活は苦しく、山菜を取りに行ったり、弓矢の練習で、獣や鳥を狩りにいった。
それでも、亡き父は尊敬されていたのであろう……。
御屋形様の家臣、上原城の秋山信友様、海津城の高坂昌信様や真田郷の真田幸隆様とご子息達が、俺に親しくされ、米等を下さる。
ありがたい事だ。
そして、月日が流れ、永録九年、(1566年)九月二十九日、田畑の実り深き秋、十三歳にして初陣である。
敵は上野の箕輪城の城主、長野業盛である。
御屋形様は、二万人の大軍で箕輪城を包囲し、圧倒的な兵力差で落城させた。
その時に、身分の高そうな赤子を守っている武士達を祖父上様と包囲し、家臣達は殺そうとしたが、幼き頃の弟や甥の事を思いだし、
「祖父上様、罪のない赤子を殺しては、亡き父上様に、恥ずかしくて息子と名乗れぬ! どうか見逃さぬか?」
「勘蔵よ! 敵を生かすという事は、報復される覚悟がある者だ! それでも良いなら見逃してやろう。ただし、近くの寺に行き出家はさせるがな。良いな!」
「祖父上様の気が変わらぬ内に、俺達と共に、近くの寺にいくぞ!」
こうして、赤子は寺に入り出家した。
赤子を守っていた武士達は、俺達に感謝し、
「山本様、殿のご子息の命を救って頂き感謝致す。もし、よろしければ、某達を家臣にしてくださらぬか?お願い致す!」
「良いだろう。名を何と申す!」
「某達は間者、(忍者、スパイ)から殿に武士にして頂きました。丁度三人いるので、猿彦、犬彦、雉彦とお呼び下さい」
こうして、山本家臣は、元からいた六人と新に加わった間者武士三人となった。
だが、それだけでは、終わらなかった。
間者武士三人が、上野の元長野の家臣達に呼び掛け、山本屋敷に三十八人の武士を連れて来て、しかも、全員が俺に仕官を求めてきた。
その三十八人全員が、兵糧や武具の管理、村からの徴税等ができる内政官であり、なおかつ、上泉信綱の門下生で、下手な武将より戦いに優れ新陰流、一人一人が、の猛者である。
この三十八人の武士を家臣にしたいが、所領が少ない。
困っていると、代表らしい武士が俺に進言した。
「某、疋田文五郎と申す。某達の生きる術をお考えか?ご心配無用!荒れ地を耕し田畑を作るなり、敵の荷駄隊から兵糧や武具を奪うなり、馬を捕らえ、育てるなり、食うに困らず。ただ、殿のご子息を助けて頂いた恩義を果たす為、仕官いたす。よろしくお願いいたす」
側にいた祖父上様は、しばらく絶句し、
「勘蔵! お主の家臣だ! 大切にせよ!」
「はっ……。祖父上様のご期待に答えまする。皆、俺の家臣だ!よろしく頼む!」
「「「「「御意!」」」」」
後で、祖父上様が御屋形様に、この出来事を話すと、大いに喜び、俺を足軽大将に任命し、所領を三十五貫から十倍の三百五十貫を与えたのである。
何故、この様な褒美を下さったか?
祖父上様が、聞いた話では、
「人は城、人は石垣、人は掘、情けは味方、仇は敵なり」
と、御屋形様は懐かしく語り、近頃の武田家は、すぐに武功を立てる為に、敵を殺したがる。
だが、敵に情けをかけ、敵は恩義を感じて味方になった。
御屋形様、軍略の孫子を気に入り、俺は、それを自然と実行した。
流石、武田の軍師、山本勘助の息子よ!と、嬉しく思ったらしい。
こうして、十三歳の初陣で武功を挙げる事はできなかったが、有能な家臣と所領を得て、山本家は復興したのである。
通称、二代目山本勘助。
十九歳の頃、大手柄を挙げ、主君、御屋形様、(武田信玄)から恩賞として、とある所の城主を任される事になる。
幼い頃、父、山本勘助が信濃、川中島で戦死してからは、山本家は没落し、母上は出家し、姉の楓は気が触れてしまい、母の兄上であり、俺の祖父上様、原虎胤様が、俺の後見人となり、俺は幼い弟、菊丸、姉の息子で、俺の甥の龍丸の面倒を観ながら、武芸、軍略を祖父上様から教えて頂いている。
また、亡き父上の所領八百貫が、三十五貫に減らされ、生活は苦しく、山菜を取りに行ったり、弓矢の練習で、獣や鳥を狩りにいった。
それでも、亡き父は尊敬されていたのであろう……。
御屋形様の家臣、上原城の秋山信友様、海津城の高坂昌信様や真田郷の真田幸隆様とご子息達が、俺に親しくされ、米等を下さる。
ありがたい事だ。
そして、月日が流れ、永録九年、(1566年)九月二十九日、田畑の実り深き秋、十三歳にして初陣である。
敵は上野の箕輪城の城主、長野業盛である。
御屋形様は、二万人の大軍で箕輪城を包囲し、圧倒的な兵力差で落城させた。
その時に、身分の高そうな赤子を守っている武士達を祖父上様と包囲し、家臣達は殺そうとしたが、幼き頃の弟や甥の事を思いだし、
「祖父上様、罪のない赤子を殺しては、亡き父上様に、恥ずかしくて息子と名乗れぬ! どうか見逃さぬか?」
「勘蔵よ! 敵を生かすという事は、報復される覚悟がある者だ! それでも良いなら見逃してやろう。ただし、近くの寺に行き出家はさせるがな。良いな!」
「祖父上様の気が変わらぬ内に、俺達と共に、近くの寺にいくぞ!」
こうして、赤子は寺に入り出家した。
赤子を守っていた武士達は、俺達に感謝し、
「山本様、殿のご子息の命を救って頂き感謝致す。もし、よろしければ、某達を家臣にしてくださらぬか?お願い致す!」
「良いだろう。名を何と申す!」
「某達は間者、(忍者、スパイ)から殿に武士にして頂きました。丁度三人いるので、猿彦、犬彦、雉彦とお呼び下さい」
こうして、山本家臣は、元からいた六人と新に加わった間者武士三人となった。
だが、それだけでは、終わらなかった。
間者武士三人が、上野の元長野の家臣達に呼び掛け、山本屋敷に三十八人の武士を連れて来て、しかも、全員が俺に仕官を求めてきた。
その三十八人全員が、兵糧や武具の管理、村からの徴税等ができる内政官であり、なおかつ、上泉信綱の門下生で、下手な武将より戦いに優れ新陰流、一人一人が、の猛者である。
この三十八人の武士を家臣にしたいが、所領が少ない。
困っていると、代表らしい武士が俺に進言した。
「某、疋田文五郎と申す。某達の生きる術をお考えか?ご心配無用!荒れ地を耕し田畑を作るなり、敵の荷駄隊から兵糧や武具を奪うなり、馬を捕らえ、育てるなり、食うに困らず。ただ、殿のご子息を助けて頂いた恩義を果たす為、仕官いたす。よろしくお願いいたす」
側にいた祖父上様は、しばらく絶句し、
「勘蔵! お主の家臣だ! 大切にせよ!」
「はっ……。祖父上様のご期待に答えまする。皆、俺の家臣だ!よろしく頼む!」
「「「「「御意!」」」」」
後で、祖父上様が御屋形様に、この出来事を話すと、大いに喜び、俺を足軽大将に任命し、所領を三十五貫から十倍の三百五十貫を与えたのである。
何故、この様な褒美を下さったか?
祖父上様が、聞いた話では、
「人は城、人は石垣、人は掘、情けは味方、仇は敵なり」
と、御屋形様は懐かしく語り、近頃の武田家は、すぐに武功を立てる為に、敵を殺したがる。
だが、敵に情けをかけ、敵は恩義を感じて味方になった。
御屋形様、軍略の孫子を気に入り、俺は、それを自然と実行した。
流石、武田の軍師、山本勘助の息子よ!と、嬉しく思ったらしい。
こうして、十三歳の初陣で武功を挙げる事はできなかったが、有能な家臣と所領を得て、山本家は復興したのである。
0
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説


if 大坂夏の陣 〜勝ってはならぬ闘い〜
かまぼこのもと
歴史・時代
1615年5月。
徳川家康の天下統一は最終局面に入っていた。
堅固な大坂城を無力化させ、内部崩壊を煽り、ほぼ勝利を手中に入れる……
豊臣家に味方する者はいない。
西国無双と呼ばれた立花宗茂も徳川家康の配下となった。
しかし、ほんの少しの違いにより戦局は全く違うものとなっていくのであった。
全5話……と思ってましたが、終わりそうにないので10話ほどになりそうなので、マルチバース豊臣家と別に連載することにしました。

滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
故郷、甲賀で騒動を起こし、国を追われるようにして出奔した
若き日の滝川一益と滝川義太夫、
尾張に流れ着いた二人は織田信長に会い、織田家の一員として
天下布武の一役を担う。二人をとりまく織田家の人々のそれぞれの思惑が
からみ、紆余曲折しながらも一益がたどり着く先はどこなのか。

本能のままに
揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった
もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください!
※更新は不定期になると思います。
楽将伝
九情承太郎
歴史・時代
三人の天下人と、最も遊んだ楽将・金森長近(ながちか)のスチャラカ戦国物語
織田信長の親衛隊は
気楽な稼業と
きたもんだ(嘘)
戦国史上、最もブラックな職場
「織田信長の親衛隊」
そこで働きながらも、マイペースを貫く、趣味の人がいた
金森可近(ありちか)、後の長近(ながちか)
天下人さえ遊びに来る、趣味の達人の物語を、ご賞味ください!!

【架空戦記】蒲生の忠
糸冬
歴史・時代
天正十年六月二日、本能寺にて織田信長、死す――。
明智光秀は、腹心の明智秀満の進言を受けて決起当初の腹案を変更し、ごく少勢による奇襲により信長の命を狙う策を敢行する。
その結果、本能寺の信長、そして妙覚寺の織田信忠は、抵抗の暇もなく首級を挙げられる。
両名の首級を四条河原にさらした光秀は、織田政権の崩壊を満天下に明らかとし、畿内にて急速に地歩を固めていく。
一方、近江国日野の所領にいた蒲生賦秀(のちの氏郷)は、信長の悲報を知るや、亡き信長の家族を伊勢国松ヶ島城の織田信雄の元に送り届けるべく安土城に迎えに走る。
だが、瀬田の唐橋を無傷で確保した明智秀満の軍勢が安土城に急速に迫ったため、女子供を連れての逃避行は不可能となる。
かくなる上は、戦うより他に道はなし。
信長の遺した安土城を舞台に、若き闘将・蒲生賦秀の活躍が始まる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる