君に何度も恋をする

美珠

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1巻

1-2

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 離婚したからといって、この色気のあるイイ男を周りの女性が放っておくはずがない。きっとまたすぐに、素敵な人を見つけるだろうし、もしかしたらすでに彼女がいるのかもしれない。
 健全な友達関係を築けそうもない人には、あまり近づかない方がいいだろう。

「でも、珠莉は頑張りすぎるところがあるから、無理しないように」

 そうやってにこりと笑う顔は、出会った頃と変わらず、優しい。

「ありがとうございます、野上さん」

 珠莉は玲の笑った時の顔が好きで、付き合っていた当時はもっとその顔が見たいと思っていた。
 しかし今は、その顔を見ると、女としての恋心が刺激されてヤバい。

「ねぇ、珠莉、明日休みでしょ? 一日くらいいいじゃない。仕事、今は前みたいに大変じゃないって言ってなかった?」

 美優紀がさらに荷解きに珠莉を誘ってくる。
 仕事が押しているというのは、断るための嘘だった。しかし、そういう嘘をつくのがもともと苦手な珠莉は、ただ曖昧あいまいな笑みを浮かべることしかできない。

「あー……まぁ、そうなんだけど……どうしようかな」

 そう答える珠莉に、だったら決まりね、と美優紀が言った。強引に、明日は三人で玲の家へ荷解きに行くと、話をまとめようとしている。
 元カレとはいえ、嫌いで別れたわけではなく、今も会うだけでドキドキするような人と、珠莉は必要以上に接点を持ちたくない。
 けれど美優紀は最初、玲のことが好きだったからか、正広と結婚した今でも玲のことが特別なのかもしれなかった。だから手伝いも率先して手を挙げるのだと思うのだけれど。

「美優紀ちゃん、さっきも言ったように、珠莉には頑張りすぎるところがあるから、無理はしてほしくない。珠莉も仕事が押してるんだったら、そっちを優先した方がいい」

 いつも優しい人。親身に話を聞いてくれて、大人らしいアドバイスをしてくれるし、時には社会人の先輩として注意もしてくれた。
 珠莉は玲を好きだったのと同じくらい、尊敬もしていた。
 ふと、隣にいる彼の左手を見る。
 彼の薬指から銀色のリングはなくなったけれど、銀色の腕時計はこの六年変わらない。それは、付き合っている時、珠莉が贈ったものだった。
 日本製の自動巻きの腕時計だ。価格は消費税込みで、当時五、六万円くらいしたものだ。
 玲は、割と新しくていいものが好きなようで、身に着けるものはそれなりに高価なものが多かった。その代わり、長く大事に使うというスタンスだった。珠莉はそんな彼が気に入ってくれるか少し心配しながら、その自動巻きの腕時計を誕生日に贈ったのだ。
 社会人一年目の珠莉にとっては、かなり奮発ふんぱつしたプレゼントだった。それでも玲には安すぎるかもしれないと言って渡したら、その場で身に着けてくれた。
 とても嬉しそうに、ありがとう大事にする、と言って。
 以来六年間、玲はそれを身に着けてくれていた。もちろん珠莉の前でだけかもしれないが。
 どういうつもりで元カノが贈ったものをずっと身に着けているのか、その理由を聞いたことはない。
 その時、美優紀に珠莉、と名を呼ばれて、現実に引き戻された。

「珠莉、たまにはさ、肩の力抜かない? 前みたいに、ワイワイしながらさ」

 みんなで玲の部屋を片付けることを、美優紀は諦めていないようだ。

「うん、……でも……」

 歯切れの悪い返事をする珠莉に、正広が美優紀の後押しをする。

「たまには四人でランチでもどうかな? 珠莉ちゃんも一緒にさ」

 珠莉は正広の言葉に、とりあえず笑みを浮かべた。
 美優紀は期待するように珠莉を見ている。

「……ねえ、行こうよ珠莉」

 彼の身に着けている時計を見ると、忘れた恋心がうずく。
 だが、もうそれは封印したはずだ。

「……わかった。明日、一緒に手伝いに行きます」

 玲を見上げて言うと、彼はまばたきをして微かに笑った。

「仕事は大丈夫なの?」
「大丈夫です。私も前とは違うし、なんとか挽回できると思うから」

 珠莉が笑ってみせると、玲も安心したような表情を浮かべた。

「じゃあ、明日、三人で野上の家に行こう! 珠莉ちゃん、車で迎えに行くよ!」
「ありがとう、新川さん」

 正広に礼を言って、目の前のカクテルを飲む。
 カクテルは甘くて美味しかったが、内心ではどうしようと思っていた。
 彼の腕時計を見て、思わず手伝いに行くと言ってしまったけれど、心の中では焦っていた。
 でも行くと言ってしまった以上、約束は守らなければならない。
 隣にいる玲をやけに意識してしまう。彼の体温が伝わってくるような気がして、ただドキドキするのだった。


     ☆


 久しぶりに四人で飲み会をした翌朝。
 珠莉は平日と変わらず目覚めて、ベッドから下りると、冷蔵庫から鍋を取り出してキッチンのIHのボタンを押す。昨日から食べている具だくさんの味噌汁だ。
 本当なら今日の朝でなくなるはずだった味噌汁は、昨日の夜食べなかったので、まだちょっと余ってしまい、珠莉は頭を掻いた。
 味噌汁が温まる間に洗面を済ませ、歯磨きをしたあとにキッチンへ行くと、いい感じで味噌汁が温まっていた。
 冷蔵庫から野菜ジュースを取り出し、小さなテーブルに具だくさんの味噌汁とジュースを置いて座り手を合わせる。

「いただきます」

 口を付けて一口飲むと、温かい味噌汁が身体にみる。珠莉はほうっと大きく息を吐き出した。

『珠莉の味噌汁、具だくさんで美味しい。これだけで、朝食が済ませられるのっていいね』

 珠莉のアパートで、初めて玲と一緒に朝を迎えた時、朝食に味噌汁を出したら絶賛され、お代わりしていた。
 具だくさんの味噌汁は、母がいつも朝ごはんに出してくれていたものだ。父を病気で亡くしてから、母は家計をやりくりし、珠莉を大学まで行かせてくれた。
 温かい味噌汁を食べ、時折お椀を手のひらで包みながら、珠莉はため息をつく。
 ため息の理由は玲だ。
 彼に会うと、とっくに気持ちは断ち切ったと思っているのに、ほのかに残っている恋情が彼に引き戻されそうになる。

「玲と会った次の日は、いつもこう……付き合ってた頃を思い出すし、腕時計のこととか、指輪をしているのを初めて見た日のこととか……その指輪が昨日なかったこととか」

 玲は珠莉よりも七つ年上で、出会った時はもうすでに立場のある社会人だった。今の珠莉と同じ二十九歳だったが、すごく大人で、プライベートで初めて会った時なんか、カッコイイ高そうなスーツ姿だった。
 そんな玲と付き合っていたのが珠莉なんて、今でも嘘みたいだ。

「出会った頃と変わらない、カッコイイ玲……これから日本にいるのか……無理やり野上さん呼びにしてたけど、これから会うことが増えたらボロが出そう」

 味噌汁の具をしっかり食べて最後の一口を飲み干した珠莉は、またもため息をつき、首を振る。
 今は玲のことで心を乱してはいられないのだ。
 自分のことを優先して考えなければならない。

「早く結婚してお母さんを安心させてあげたいけど……いつまで元気でいてくれるかわからないし」

 父も母も一人っ子で、珠莉には親しい親戚はほぼいない。父は中学生の頃にがんで他界したが、母もまたがんになってしまった。
 実家で闘病生活をしていたけれど、末期となり今はホスピスに入っている。入院費は、母の貯金と生命保険の一部でまかなっていた。
 パジャマなどはレンタルをしているため、二日に一回細々こまごました洗濯物を取りに行くだけ。

「結婚なんて……まぁ、お母さんは気にしてないと思うけど」

 今日は病院に行く日でなくて助かった。
 仕事が押しているというのは嘘だが、休みの日はたいてい母の入院先に行くので、最近は友達の誘いもほぼ断っている。
 母が病気になった時点で、交流のあった友達との関係は疎遠になっていた。
 一番仲のいい美優紀にも母の病気のことは言っていないが、既婚者の彼女を珠莉から誘うことはほぼない。たまに美優紀から誘われた時だけは、都合が合えばランチをしたり、ちょっとしたドライブに行ったりすることもある。
 一人でいると気が滅入る時があるから、美優紀と会って出かける時間はいい気分転換になっていた。
 結婚してからも、いろいろ誘ってくれるのがありがたい。
 これから先、母の病状によっては本当に一人になってしまう。その不安がないわけではないし、今まさに人生の岐路きろに立たされていることを強く感じた。

「こんな時に……なんで帰ってきたの……? おまけに離婚って……」

 二十二歳の珠莉は、仕事を頑張りたい、失敗を挽回したいという気持ちが強かった。それに若さもあったし、優柔不断で結婚なんて大それたことを決めきれなかった。
 玲と別れ、気持ちの整理がつかず辛いこともあったが、それでも今は一人できちんと生活をしている。
 そんな珠莉が玲と会うたびに過去へ引き戻され、彼を好きだった気持ちを毎回再燃させているなんて、単なるみでしかないのではないか。
 玲ともう一度なんて選択肢は、絶対ないはずなのに……

「……なんで、いつも私がプレゼントした時計を着けてくるの?」

 毎回聞きたくても聞けず、飲み会は毎回一次会でさっさと帰っていた。
 なんで別れたというのに未だに玲と飲み会をするのかと言ったら、それはもう単純に、正広が玲のいる飲み会に珠莉を誘ってくるからだ。
 三年目までは怒っていたが、さすがに四年目もとなるとどうでもよくなってきた。その頃には、玲と当たり障りのない話をしていたと思う。

「考え始めるとドツボにはまる。支度しないと」

 昨日の夜は、玲の家に朝十時頃に行くということで早めに解散した。
 正広が迎えに来る時間が迫ってきていたので、珠莉は手早く食器を洗い、動きやすい服装に着替えて、化粧道具の入っているバッグをテーブルの上に置く。
 手早くメイクをする間に鍋の味噌汁がある程度冷えたので、再び冷蔵庫に入れた。
 洗濯物を洗濯機に放り込み、乾燥までセットして、ふと洗面台の鏡を見る。

「目元に、アイシャドウ塗ろうかな」

 相変わらず普通の顔で、かろうじてチャームポイントがあるとすればやや黒目がちな目だけ。
 アイシャドウも、そんなに種類は持っていないので、指先でぼかしながら目元を作った。
 いつもと違うメイクだからあまり自信はないが上手くできたと思う。
 よし、と思ったところでインターホンが鳴り、画面に正広と美優紀が映っていた。二人も動きやすそうな服装をしている。
 返事をして、バッグの中身を確認し玄関へ急ぐ。

「そういえば、玲はあのマンションに戻ってきたのかな……」

 かつて彼が住んでいた1LDKのマンションは、自身で購入した物件だった。外国にいる間は維持を頼んでいると聞いていたから、もしもそのままマンションを売っていなければ、そこに戻るのだろう。
 また昔を思い出していることに気付く。気持ちを切り替えた珠莉は、玄関のドアを開けて正広と美優紀に「おはよう」と挨拶あいさつするのだった。


     ☆


 玲の新居は、以前のマンションではなく、1LDKの賃貸だった。駅から少し離れているが、最寄りのバス停までは歩いて三分ほどという立地のよさだ。
 中に入ると少し狭いものの、秘密基地みたいな造りでワクワクした。
 南向きで使い勝手のよさそうなカウンター付きのL字型キッチン。広めのロフトがあって、梯子はしごではなく、小さな階段で上がるようになっていた。
 しかも階段部分が全部収納になっていて、ロフトの下は引き戸のついた小さな部屋になっている。
 限られた空間を上手く使った素敵な部屋だった。

「えー、ここイイ! 私も住みたい、引っ越したい! これだったら自分の空間ができる!」

 美優紀が大絶賛し、正広も美優紀の言葉に頷いた。

「いい物件見つけたなぁ! しかも新しいし!」

 珠莉もロフトのある部屋に憧れを持っていた。しかし、部屋を探していた時はなかなか思うような物件を見つけられず、結局は大学卒業後に入居したマンションにずっと住んでいる。

「ここは、会社の借り上げだけど、古いアパートを壊して建て替えたらしいから、まだ新しいんだよね……。でもそのうち、またマンションを買うか借りるか考えないといけないな……今日は来てくれてありがとう」

 外観も綺麗だが、中身もまだ新しい。こういう物件があるんだな、と珠莉は部屋を見回した。

「本当にいいね。……こういう秘密基地みたいな部屋、私も住んでみたい」

 そう言うと、玲が少し声に出して笑った。

「そういえば珠莉は、ロフトのある部屋に憧れていたよね?」

 よく覚えているな、と思った。珠莉はタイニーハウスとか、メゾネットタイプでロフトのある部屋に住んでみたいと、昔、玲に話したことがあった。
 なんでそんな他愛もないことを覚えているんだろう、と考えながらもそれを嬉しく思う珠莉がいた。
 彼は荷解きのため、段ボールのガムテープを幾つかがした。荷物の数は思ったよりもかなり少なく、荷解きに三人の手がいるとは思えなかった。

「野上、荷物少なくない?」

 同じことを思っていたらしい正広が、段ボールからガムテープを一緒にがし始める。

「ほぼ捨ててきたからね。ベッドはリサイクル、スーツも古いのはリサイクルに出してきた。足りないものはこっちで買うつもりだったから」

 引っ越す際に、ある程度の断捨離だんしゃりをしてきたらしい。
 珠莉はそうなんだな、と軽く思っただけだったが、そこに正広が突っ込んだ。

「野上、もしかして奈緒なおさんにもらったやつ、全部捨ててきたとか言うクチか?」

 奈緒というのは玲の妻の名前だ。玲より三つ年上だと聞いている。
 面白おかしく言う正広に、笑顔のまま玲は答えた。

「ああ、捨ててきた。と言っても、もらったものはそんなに多くなかったからね。特別いいものってわけでもないし」

 笑顔で結構な毒舌なのも変わっていない。
 今まで彼は結婚相手のそういう面を全く口にしなかったので、離婚したらもういいのかな、と感じた。
 彼と付き合っていた時は珠莉も若かったし、こんな風に外で言われていたのかもしれないと考えて、ちょっとヒヤッとしてしまった。

「まぁ……そうだと思ったけど……相変わらず、スパッとしてるなぁ、野上」

 玲は正広の言葉に苦笑いしながら、段ボールのテープを次々とがしていく。段ボールは大小合わせて十箱に満たないくらいの量だった。

「だから断捨離だんしゃりだよ。引っ越しは大変だし、それでなくてもアメリカから帰ってくるって、本当に大変だった。今後はもう海外勤務はそうそうないだろうから、こっちの製品を買った方がいいだろうしね」

 話を聞きながら、珠莉は段ボールの前に座り一つ開けてみる。中は圧縮袋に入った服で、どこに片付けるのか聞こうと玲を見ると、彼は心得たように指示をくれた。

「圧縮袋に入ってる服は、そのまま部屋に入れておいてくれる? クローゼットがあるから、その中でもいい。本は階段の棚に適当に入れて。あとで整理するから」

 玲に指示された通り、服の入った段ボールを部屋へ持っていく。本や食器類は正広と美優紀が片付けると言って段ボールから出し始めた。
 部屋の引き戸を開けると、そこにはシングルにしては少し大きなベッドが置いてあった。シンプルで値段もそんなに高くなさそうな印象だが、マットレスの厚みを見ると高そうな気もした。
 クローゼットの中に入れていいと言っていたので、クローゼットを開けた。中にはすでに私服とスーツが数着、ハンガーにかけてあった。
 服に移っているのだろう、クローゼットからは彼の香水の香りがした。そんなに濃くはつけない人だけれど、近づいたらほんのり香る、どこか上品で甘いオリエンタルな香りだ。

「相変わらずいい匂い……」

 目を閉じて鼻で息を吸って、目を開ける。抱きしめられた時、いつも感じた、あの心臓が高鳴る彼の香りだ。
 ものすごくドキドキしてきて、何をやっているんだ、と珠莉は目を見開いて段ボールから服を取り出す。

「珠莉」
「はいい!」

 裏返った声で返事をすると、ちょっと驚いた顔をした玲が、可笑おかしそうに笑った。その手には圧縮袋があり、珠莉の隣に置いた。

「急に声かけてごめん。圧縮袋を開けといてくれる? すぐ片付けたいから」

 そう言って、自身も圧縮袋を開け始めた。クローゼットの中には収納ボックスが置いてあり、そこに袋から出した服を入れていく。

「そういえば、香水、変えてないんですね」

 袋から取り出した服を玲に手渡しながら言うと、受け取りながらにこりと笑われた。

「覚えてるんだ? 普通は、好きな匂いをそんなに変える人はいないよ」

 もっともな答えに、そうだよね、と頷いた。

「確かに、私も柔軟剤の匂いは変えないですね」
「そうでしょ? 君はあの、おひさまの匂いってやつを変えない。いつも清潔ないい匂いがする」

 珠莉は服を手渡しながら玲を見上げた。彼は服を受け取りながら、珠莉を見つめる。

「珠莉の匂い、好きだな」

 七年前と同じ台詞せりふを、七年越しに言われ、珠莉はほんの少し息を止めた。彼の端整な顔を直視できず、すぐに下を向く。
 まるで七年前に戻ったみたいだ。別れた時間などなかったみたいな空気がただよい鼓動がうるさくなる。
 まるで付き合っていた時のような、なんとも言えない雰囲気になっている。
 玲とは、嫌いで別れたわけではない。でも、あの時の珠莉はまだ若く、自分で自分をコントロールするすべを知らなかった。だから彼のプロポーズを断ったのだ。
 彼を知る人なら、玲ほどのできた彼氏を振るなんてありえないと言うだろう。
 だけどその結果、珠莉と別れてフランスに行った玲は、すぐに珠莉以外の人と結婚して、結婚生活を始めたのだ。彼は昨日、気持ちが盛り上がって結婚したわけじゃないと言っていたけど、相手のことが好きじゃなかったら、そもそも結婚などしないはずだ。

「結婚生活は、楽しかったですか?」

 いきなり何を聞いてるんだ、と我ながら焦る。今更こんなことを聞いたところでどうにもならないというのに。
 嫉妬していると思われるかもしれない。何より彼は離婚したばかりだ。さすがにデリカシーがなさすぎた。珠莉は慌てて彼を見上げ、今の言葉を弁明しようとした。しかし、その前に彼が話し出してしまい、タイミングを逸する。

「楽しい時もあれば、そうでない時もあったよ。喧嘩もしたけど、その分、相互理解もできたしね。ただ、食の好みは合っても、趣味が全く合わなくて……いろいろなことに目をつぶってきた期間が長かったかな」
「……趣味って、たとえば?」

 珠莉が聞くと、玲は考える仕草をして、うん、と言って肩を落とした。

「一番は買いものだね。彼女、ハイブランドが好きで、服とかもこう、ロゴが大きくバーンって入った派手なやつ? そういうのが好きみたいでね。俺もハイブランドは嫌いじゃないけど、落ち着いたものの方が好みだし、特別欲しいってほどじゃない」

 そう言って服をサッサと片付けていくので、珠莉も急いで圧縮袋を開いて彼に服を渡す。

「俺はいいものは一つあればいい方だけど、彼女は……使わないのに欲しいからって買うんだよね。離婚するちょっと前にも、誕生日にダウンコートが欲しいって言われて、買ってあげたんだけど……」

 玲は少しうつむき、若干言いにくそうに続きを口にする。

「ブランドのロゴが大きく入ったトレーナーとか、全身をハイブランドで固めた上に、プレゼントのダウンコートを着てみせられて……正直、めちゃくちゃ冷めたんだよね……」

 はぁ、と息をついて、珠莉を見て普通に笑った。

「もちろん自分のために週三回アルバイトに行って、お金を貯めていたけど、自分の貯金で足りない時は生活費から補填ほてんして購入してて……ずっと目をつぶっていたことが、急に我慢できなくなって。一度気になりだすと、価値観も違うし、服のセンスも好きじゃないし……いろいろ挙げ始めたらきりがなくて、そのうち、なんか一緒にいる意味がわからなくなった……結局最後は、頭を下げて別れてもらったんだ」

 玲の話を聞いて、昨日聞いた、妻との「性格の不一致」という言葉の意味がわかった。しかし、最後の別れてもらった、というのにちょっと驚く。

「えっ……? 頭を下げて、まで?」
「だってしょうがないよ。なんでこの人と一緒にいるのか、なんでたいして着もしない服のためにお金を出すのか、他にもいろいろ考えて、結局なんで彼女と婚姻という契約をしたのかわからなくなったんだ」

 珠莉の疑問に対し、間髪かんはつれずに「なんで」と思ったことを羅列した玲は、大きく息を吐き出した。

「だって考えてみてよ、珠莉の好きなセレクト系のバッグ、そのコート一つでどれだけ買えると思う? 三十個は買えるよ? 別に気にしない時だったら、こんなこと考えなかったと思うけど……一度気になり始めたら、何もかもが気になってしまって。頭の中が『なんで』って言葉ばかりになってた」

 結婚というのは、お互いを好きになって、付き合って、一緒に生きていくためのゴールみたいなものだと思っていた。
 でも本当はそうじゃなくて、そこからスタートしてお互いをさらに知り合っていくものなのだ。きちんと関係を築いていかなければ、簡単にその関係は壊れてしまうものなのだと、彼の話を聞いてなんとなく理解できた。

「でも、奥さんがブランドもの好きなことは、れ……の、野上さんも知っていたんでしょ?」

 うっかり玲、と言いそうになり、慌てて言い直した。
 ブランド好きなことも含めた人となりを知っていないと、そもそも結婚するには至らないのでは、と思いながら問う。

「知ってたけど、そこは……たぶん、人間だから感情だよね? 実際、離婚について口にしたら速攻喧嘩で、罵詈雑言ばりぞうごんの嵐だし。そりゃそうだ、と思っても、今までと違う彼女の姿を見て、それもまた……」

 今日何度目かのため息をついた玲は、止めていた手を動かし始める。なので、珠莉もまた、せっせと圧縮袋から服を取り出した。

「俺は離婚する際一方的だったと思う……だから、妻側の弁護士と協議して共同で貯金してた預金の半分と、前に俺が住んでいた日本のマンションをあげたんだ」
「ああ……だから、賃貸に」
「そう。でも初見でここを気に入ったから、今はマンションあげてよかったって思ってる」

 にこりと笑った玲の顔は、相変わらず色気があって、珠莉の好きな表情だった。
 もちろん、ドキドキと心臓が高鳴るのは、当たり前のこと。

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