Love's

美珠

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2巻

2-3

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 藤野利衣子――利佐の姉で、楓の初めての相手で、かつて不倫していた人。
 大学時代、初めて藤野屋で利佐に紹介してもらった時は、特になんとも思わなかった。けれど、二度三度と会い、会話をするうちに意気投合し、気持ちが盛り上がっていった。
 利佐の姉ということもあり、利佐に隠れて逢瀬おうせを重ねる状況が、まだ若かった楓の気持ちをより盛り上げたのかもしれない。
 藤野屋の土間で、場所も考えずに利衣子を抱き寄せてキスをして、その日のうちに一線を越えた。
 けれど、ラブホテルで利衣子と済ませた後、彼女は楓の目の前で左手の薬指にマリッジリングをめて見せた。

『ごめんなさい楓君、結婚してるの、私』

 それまで、楓と会う時はずっと外していたマリッジリング。
 寝た後に指輪を身に着けた彼女に対して、その時はだまされたという怒りよりも、相手を許す気持ちの方がまさった。好きだったから。
 それから三ヶ月、利衣子とは不倫関係を続けた。だが、今は後悔しかない。
 藤野屋に行くのは一年に一回だけと決め、これまで泊まることはなかったのは、利衣子との不毛な恋を思い出すから。
 しかし、今の楓の隣には愛がいる。そして、利衣子への気持ちが愛に対する気持ちと違うことがよくわかった。
 昔の恋を反芻はんすうしても、ただただ愛への気持ちがつのるだけ。
 愛との恋が本当に幸福だと、より深いものだと再確認する。
 心のどこかに、ずっと引っかかっていた利衣子との強すぎる思い出を、愛との幸せな思い出で塗り替えるために、藤野屋に泊まったのかも、と思う。
 おかげで、今の恋がかけがえのないたった一つのものだと、本気で向き合うことができた。

「どうされました?」

 なんで彼女がこの番号に電話をしてくるのかと、迷惑な気持ちを隠さない声を出す。

『随分、他人行儀ね。それが普通だけど……昨日は、綺麗な彼女とウチに泊まったんでしょう?』
「……用件はなんでしょう? これはビジネス用の携帯なので、私用の電話は困ります」
『わかっているけれど、頼みたいことがあったの』
「利衣子さんからの頼み事は、一切、聞きません」

 利衣子と別れる時、酷く辛かった。
 ――夫の転勤について行くの。お腹に彼の子がいて、ちゃんと向き合うことができたわ。やっぱり、夫を愛している。本当にごめんなさい。
 最後の日、彼女は楓にそう言った。でも、今はそれでよかったと思う。
 年を重ねるにつれ、かつての自分をかえりみることができるようになった。結局のところ、利衣子という人は、自分勝手な人なのだ。
 それが薄々わかっていながら、夫のいる彼女と何度も会って、セックスをしていた。
 今となっては、過去の自分は、いったい何をしていたのだろうと思う。当時の楓は若く、大人の女性の女らしい言葉や仕草に勝てなかった。
 そんな自分の弱さを思い出すたび、今でも頭にくることがある。
 自分のことしか考えないような人の事情は、もう自分には関係ない。
 二度と、彼女の頼み事など聞きたくはなかった。

『待って。頼みたいことは、藤野屋のことなの……』
「藤野屋?」

 藤野屋の名前に、つい聞き返してしまうと、昔と変わらない、どこかはかなげな声が言葉を続けた。

『融資をしてほしいの。楓君、大きな会社の社長だって聞いたわ。……利佐は、わか女将おかみとして弱みを見せまいと肩肘を張ってるけど、実際は藤野屋の内情は火の車で……お願い』

 とうの昔に別れて縁を切っている相手に、こうやって電話をかけてくるしたたかさは変わらない。言い方を変えれば、ズルい人だ。

「本当に融資が必要なら、利佐が自分で申し込んでくるべきです。利佐が何も言わない以上、僕からは何もしません」
『……冷たくなっちゃったわね』
「お言葉ですが、僕は変わっていません。失礼します」

 相手の返事を待たずに電話を切った。
 リビングのテーブルにスマホを放り投げると、テーブルの上でスマホがひっくり返る。

「どうやって僕の番号を……ああ、宿泊台帳か……」

 個人情報の管理はどうなってるんだ、と思いながら、乱暴に髪の毛を掻き上げる。
 愛が柔らかくて気持ちいい、と言って触れていたことを思い出し、足早に寝室へ行く。
 まだ寝ている愛に、今の話を聞かれなくてよかったと、ホッとする。
 シャワーを浴びさせて、約束の前に愛をマンションまで送って……
 それらを考えると、そろそろ起こした方がいいかもしれない。眠る彼女の傍へ行き、可愛い寝顔に触れてから、その首筋に顔をうずめる。

「愛、起きて」

 楓が耳元で言うと、微かに身じろぎした。
 さらりと髪が頬を滑り落ちるのが魅力的だった。

「起きて、愛」

 頬と首筋に触れて、唇にキスをする。うっすらと目を開けた愛がまばたきをして、楓、と呼んだ。
 可愛くて愛しい人。

「シャワー浴びようか? 一緒に行く?」

 寝ぼけているのか、何もまとわず起き上がった愛の、綺麗な胸に触りたくなる。
 ようやく裸だと気付いた彼女が、赤い顔で布団を引き寄せた。そんな初々ういういしい彼女に、無性に惹かれている。
 こうしてずっと、二人で幸せな時間を過ごしていきたい。
 そう思った。



   3


「しばらく見ないうちに、なんだか色っぽくなった気がするよ? 愛」
「え? なんのこと?」

 友達の美晴みはるが訪ねてきて、急遽きゅうきょ泊まっていくことになった。
 二人ともシャワーを浴びて、のんびりとしていたところでそう言われたので、ちょっとだけうろたえる。
 今日は一月二日。初めて実家以外で正月を過ごしている。
 昨日と今日の夕方までは、初めてできた彼といた。和風料亭の旅館になっている離れに泊まり、その後、彼の家で過ごした。
 年末からあまり会っていなかった美晴は、愛の微妙な変化を感じ取ったのだろうか。

「なんのこと、じゃないよ。愛、あのイケメン彼氏としたんじゃないの? なんか前に会った時と雰囲気が違うし……」

 意味深に笑いながらそう言われて、すぐに否定はできなかった。

「雰囲気って何よ、もう……」

 曖昧あいまいに返事をしただけで肯定はしなかったが、愛の表情や声のトーンでわかったらしい。美晴は、そうか、という顔をして口を開く。

「脱バージンか。痛かったんじゃない? あの人の大きそうだしね」

 卑猥ひわいなことを口にしながら、ふふっ、と笑う。そうやって、エッチな話に持っていかれると困る。だが美晴は、性関係に対してわりとオープンなのだ。

「……美晴、私その手の話題苦手なのに」
「でも、したんでしょ?」

 迫るように愛に身体を近づけ、真剣な顔をする。

「……ま、はい、しましたけれども」

 なんで雰囲気くらいでわかるのかな、と思いながら、愛は赤い顔をしてほんの少し横を向いた。

「痛かった?」

 間髪かんはつれずに聞いてくる彼女に、多少ムッとしながら愛は答えた。

「軽く痛かったって言えないほど、痛かったけど!」

 あまり突っ込んで聞かれると嫌なのはわかっているくせに、と愛は唇を尖らせる。

「ごめん、ごめん……愛がこの手の話嫌いなの知ってるよ? でも、私は聞きたいし、こういう話をするのが好きなの。そっか、そうよね……お初は痛いよね」

 ニヤニヤ笑いながら美晴はそう言った。
 こういうガールズトークは本当に苦手だ。しかし、美晴としては、友達だから聞きたいし話せるという気持ちもあるのだろう。

「いいなぁ、ああいうイケメンが初めてで……で、アレ大きかったかな?」

 結局はそこに行きつくらしい。

「見たんでしょう、彼のアレ」
「見、たけど、楓のしか見たことないし」

 比べようにも比べられない。愛は楓としか経験がないし、ソレのサイズについて聞かれてもわからない。
 大きかったか、と聞かれても……と、楓のモノを思い出す。
 そこでハッと我に返り、頭の中からそれを追い出した。

「へー、彼、カエデって言うんだ? しかもいつの間にか呼び捨て? この間まで奥宮さんだったのに」

 確かに彼女の言う通り、呼び方が変わった。
 改めて指摘されると、なんとなく照れてしまう。
 奥宮という苗字呼びから楓、と名前呼びになった。彼がそうしてほしいと望んだのもあるが、もうすでに愛の中でも彼を名前で呼ぶことが普通となりつつある。

「美晴、からかわないでよ!」

 頬を膨らませると美晴は、だって、と笑う。

「愛、本当に女になってるんだもん。雰囲気が全然違うよ? この前まで、色気なんかなかったのに、今はあるんだからね」

 色気と言われて、顔が熱くなる。
 顔が赤くなった愛を見て、また美晴がニヤニヤ笑いを浮かべるのを無視した。

「……そう?」

 顔をうつむけながらそう言うと、美晴は愛の顔を指先で上げさせる。

「うん。だから、彼としたんだな、って思ったんだけど。ま、初めてだから、きつかったでしょうけどね。サイズも大きそうだし」

 またそっちの方向へ持っていく、と心の中でげんなりした。
 比べようがないけれど、確かに楓のモノは大きかったと思う。あんな大きなモノ入んない、って思ったくらいには。
 それに、きつかったというよりも痛かった。
 けれど、二回目からは少しピリッとしたくらいで、そこまで痛みはなかった。愛の身体が彼を覚えてしまったからか、裸で抱き合うことへの抵抗が薄れたのかもしれない。
 昨日の夜も抱き合って、今日も抱き合った。彼の約束の時間ギリギリまで。
 さすがに疲れて、愛はマンションへ送ってもらう車の中で眠ってしまった。でもそれは心地よいだるさで、車内だというのに充実した睡眠だった。
 マンションの部屋に入ると、すぐにベッドに横になり、さっきまで眠っていた。今も身体中に倦怠感けんたいかんと、まだ楓が愛の中にいるような感覚が残っている。
 楓から求められ、それにこたえる。愛は、短期間でここまで自分が変わってしまったことに、驚いていた。
 この前まではキスもセックスも、何も知らなかったのに。
 今では自分からキスを求め、楓の身体を抱きしめる。行為の間、何度も彼の名を呼んだのを覚えていた。

「痛かったし、確かにきつかったけど……それよりも、彼といると私、なんだか今までの自分じゃなくなるみたいで」

 ポツリとそう呟く愛に、美晴はフッと笑った。

「変わってもいいじゃん、彼とのエッチ、嫌いじゃなさそうだし。何回もするといいよ。そのうち、彼の弱いとこ見つけてそこを攻めてやったりして」

 彼女はそう言って、ふふっ、と楽しそうに笑った。
 美晴は前からエッチなことに関しては楽観的。それに、今の彼と上手うまくいってるから、気持ちに余裕があるのかもしれない。
 たぶん、もうすぐ結婚するだろう美晴を見ていると、愛も、これくらい素直に気持ちを表現できたらな、と思う。

「明日はね、彼の親しい人たちを集めて、ロックメイプルの本店でニューイヤーパーティーをするんだって」

 話題を変えようと思い、愛は明日のことを話す。
 楓は会社の創立メンバーと親しい友人だけを集めて、パーティーを開くらしい。愛もおいで、と言われたので、思い切って行くことにした。

「ロックメイプル本店かぁ、私も行ってみたいなぁ……カジュアルな感じなのかな?」

 うらやましいといった顔をしている美晴は、自分も来たそうだった。

「一緒に行っていいか、楓に聞いてみようか?」
「ほんと⁉ いいの?」

 身を乗り出して嬉しそうにする彼女に頷く。

「メールしてみる。美晴、会社いつまで休み?」
「明日まで。でも遅くならないように帰ればいいし。愛は五日まで休みなんでしょ?」

 けれど、先輩の中には正月も休まずに、添乗員として働いている社員もいる。
 愛が勤めているのは、エールトラベラーズという旅行代理店だ。そのうち愛も、添乗員として正月は休まず働く日がくるかもしれない。
 だが、しばらくは事務仕事や先輩の補佐が中心だろう。

「うん。私はまだ仕事を一人で任せてもらえないから。でも、先輩は……添乗員としてお正月は外国で、って人も多いよ。その人たちは、後でちゃんと休んでるけど」

 そう言いながら楓にメールをする。
 楓は常時、仕事用とプライベート用のスマホを持っている。愛は楓の、プライベート用の連絡先だけ教えてもらっていた。
 頻繁ひんぱんにかかってくるのはやはり仕事用らしいが、どちらに電話がかかってきているのか、わからない時があるという。
 楓らしくて、愛はそのエピソードを聞いた時、微笑ましく思った。
 SNSで友達を一緒に連れて行っていいか聞いてみると、しばらくして楓から返事が届く。

「来ていいよ、だって」
「やった! お酒飲めるー! 楽しみ!」
「会費は二千円だって。いい?」
「全然! 二千円なんて安いし!」

 本当に楽しみ、という笑顔を浮かべる彼女を見て、愛もニューイヤーパーティーが楽しみになった。
 もう明日のことだが、今日だったらいいのに、と思うのは愛が変わった証拠だ。
 今日別れたばかりの楓に、もう、会いたいと思う。
 明日がとても楽しみだった。
 楓に会える時間が、愛にとってはかけがえのないものへと、変化していくのを感じた。


     ☆ ☆ ☆


 ――ニューイヤーパーティー当日。
 ロックメイプル本店のドアを開けると、すでにパーティーは始まっていた。
 軽く流れている音楽と、雑談の声。
 少し遅くなったのは、昼間、彼氏と会っていた美晴が、待ち合わせに遅れたからだった。

「なんかみんなオシャレね」

 美晴は周りを見てそう言った。パーティーに来ている人たちの中には、ハーフっぽい外見の人も多くいる。
 愛と美晴は、カジュアルな服装でいいと言われたので、ほんの少しオシャレをしてきた。
 しかし、自分たちの恰好が浮いて感じるほど、みんなオシャレで素敵だったのだ。

「ちょっと場違いな感じがする」

 そう言って緩く笑った美晴に、そうだね、と愛も同意する。

「みんな、綺麗な恰好してるね。芸能人みたい」
「そうだねー……」

 今更、服を替えようがないので、愛は小さくため息をついて肩を落とす。
 ところで楓は、と探すと立ったまま談笑していた。その姿は赤いネクタイに黒のベスト、黒のロングエプロン。
 カウンターの中にいるロックメイプルのスタッフ二人も同じ恰好だった。
 愛に気付いた楓は手を振って、こちらに近づいてくる。そうして、手でカウンターを示した。

「いらっしゃい」

 カウンターに移動しながら、彼に美晴を紹介するために口を開きかける。しかし楓が先に美晴に声をかけた。

「あなたが愛の友達? お名前を教えてください」

 いつもの王子様スマイルは、美晴の心も溶かしたらしく、いい笑顔。
 それを見て、王子様スマイルを安売りしないでほしい、とモヤモヤした。楓の魅力的な笑顔は、愛だけに向けてほしいと思ってしまう。

「愛の友達の青木あおき美晴です。今日はよろしくお願いします。……ここ、すごく雰囲気がいいですね……それに、なんかカッコイイです、みんなオシャレだし」

 美晴は会釈えしゃくをしつつ、店の感想を素直に口にする。
 相変わらずコミュニケーション能力が高いなぁ、と感心した。

「ありがとうございます。僕は今日スタッフだから、あまりお相手はできないけど、どうぞ楽しんでいってください」

 そう言って一度カウンターに入って、愛と美晴におしぼりを手渡す。

「楓が、スタッフなの?」

 確かにスタッフの恰好をしているが、それはまったく聞いていなかった。

「そう、僕が毎年もてなす係。たまには社員をもてなさないと」

 飲み物は、と聞いてきたのは岸本きしもとだった。以前、愛にグラタンを作ってくれた人だ。

「お久しぶりです……岸本さん、でしたよね?」
「はい、覚えていてくださって光栄です……お二人とも、お飲み物はアルコール入りでよろしいですか?」

 岸本の問いに、美晴がすぐに、もちろん、と答えた。

「私は軽めのアルコール入りで……愛も同じ感じでいいよね?」
「うん」

 かしこまりました、と言った岸本がグラスを手に取り用意し始めた。

「愛ちゃんの飲み物は俺が作ろうか? 楓」

 そう言ったのは、確か芦屋あしやという名前の、壮年のカッコイイ男の人。

「すみません、頼みます。あっちのうるさい子たちの相手をしないと、今後の仕事に支障をきたすので」

 一緒にいるのに楓と話せないのかと、内心がっかりしてしまった。
 でも、ずっとそうではないだろうから、と気を取り直す。
 よろしくお願いします、と芦屋に言った後、彼が愛に視線を移し、綺麗な目がにこりと笑う。

「ごめんね、愛。少し相手したら、戻ってくるから」

 カウンターから手を伸ばして、愛の頭を撫でる。そうしてカウンターを出て行った彼を、つい目で追ってしまった。
 綺麗な女性たちがこちらを見て、それから楓を見ている。愛は慌てて視線を逸らして、何がいい? と聞いた低い声に顔を上げた。

「愛ちゃんとその友達、何がいい? 軽めのアルコール入りだったら、なんでもいいかな?」
「あれ? 私、名前言いました?」

 芦屋に名乗った記憶がなかったので尋ねると、彼は笑顔で答えた。

「楓から聞いた。君は愛ちゃんだろ? こっちは?」

 視線を移して美晴の方を見たので、あ、と思ったけれど美晴は自分で声を出した。

「美晴です」
「美晴ちゃんか……何がいい?」
「私はジンフィズ、愛はチョコレートのモーツァルト……好きだったよね? チョコミルク」
「あれ、モーツァルトって言うの?」

 うん、と言った美晴を見て、愛はそれでお願いしますと言った。

「モーツァルトは度数が高いから、少しずつ飲むようにな。あれは味にだまされるから」

 そう言いながら、芦屋が手早くカクテルを作ってくれる。あまりにも手際が良くて、驚いた。
 楓もお酒を作る手際や、おつまみを出すタイミングが絶妙だったけど、この人はなんだか本当に手慣れている感じがする。

「すごい、プロって感じ」

 愛が言うと、芦屋は笑って愛の前にカクテルを置いた。

「こんな簡単なカクテルでめられるのは、どうも照れくさいけど。これでも楓の師匠だから、あいつより手際よくできるぞ」

 芦屋がシェイカーを振り、氷と金属が触れる音が聞こえる。楓のシェイカーの振り方はスマートだったけど、芦屋のはもっと力強い感じがした。
 出来上がったジンフィズが美晴の前に置かれた。それと同時に、岸本がパスタやグラタン、ガーリックトーストをカウンターに並べていく。

「なんか、二人だけの世界になるね」

 乾杯をした後、美晴がそう言った。そもそも、向こうは向こうで出来上がっている。向こうというのは楓が相手をしている女の子たち、そして男の人たち。
 それぞれのテーブルで盛り上がっている。その中には、楓の秘書であり友人でもある柘植と、その婚約者のコラリーもいた。
 柘植とコラリーのテーブルには、どう見てもハーフっぽい綺麗な顔立ちの人たちがいた。
 楓がフランスと日本のハーフだから、外国人の知り合いや友達がいてもおかしくはない。

「あいつらのところには、適当に酒と料理を置いてあるから。君らの相手は、俺と岸本ってことで、いいかな?」

 芦屋の笑った顔は魅力的だ。いい年の重ね方をしている彼を見て、愛は微笑む。

「もちろんです。芦屋さんも、岸本さんもカッコイイし」

 愛の言葉に、嬉しいね、と芦屋は言った。

「どうもありがとう。岸本、カッコイイってよ?」
「や……照れますね……」

 そう言って頭を掻く岸本は、同年代の男の人という感じだった。
 二人と楽しく話しながらも、やはり気になるのは、後ろの席にいる楓と、彼と親しく話している人たちで。
 時々後ろを振り向いて目にする楓は、女の子たちと楽しそうに話している。
 顔を近づけて笑ったり、髪の毛を触らせたり。
 そんなものを見せられたら、愛だってあまりいい気はしない。楓は愛の彼氏なのだから、他の女の人に触らせないでほしいと思った。
 ここにいる人たちは、楓にとって大切な仕事仲間で、友人たちなのだろう。彼らに比べたら、愛と楓の付き合いなどまだ始まったばかりにすぎない。
 それでも、小さな嫉妬が胸の中に芽生えるのはしょうがない。なんで楓は、他の女の人にあんなに身体を触らせるんだろうかと思ってしまう。
 愛の表情で嫉妬しているのを察したのか、芦屋がフォローするように声をかけてきた。

「楓は誰にでも優しいからな。あいつの母親からも、女には優しくしろって言われてきてるし」

 ハッとしてカウンターに目を向けると、芦屋は優しく笑っていた。
 自分はいったいどんな顔で、楓のことを見つめていたのか。きっと、あまりいい表情ではなかったに違いない。

「芦屋さんは、楓のお母さんを知ってるんですか?」

 気を取り直して愛が芦屋に質問すると、彼はすぐに答えてくれた。

「知ってるさ。ブリジットさんのおかげもあって、楓は成功しているからな。……俺は、あいつの伯父がオーナーをしていたこのバーに、雇われで勤めてた。オーナーが夜逃げするまで、借金のことなんかまったく知らなかった。……楓が債務処理の手続きをしてくれたおかげで、この店はどうにかなくならずに済んだんだ。楓には感謝しているよ」

 そうなんですね、と愛が相槌あいづちを打つ。すると、美晴がカウンターから身を乗り出して、その先の話を尋ねた。
 借金の話は、以前楓から聞いていた愛も、興味がある。

「奥宮さんのお母さんって、そんなに経営能力とかあったんですか?」

 美晴の言葉に、まぁね、と言った芦屋は煙草に火をつけた。
 煙が愛たちにかからないよう、横を向いて吐くと、笑顔で頷く。


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