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君が好きだから

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「うしろを向いて」

 両足を洗い終えて、うしろを向くと、タオルで背中を洗ってくれた。力加減が気持ちよくて、思わず前かがみになってしまう。

「背中、青くなってる。痛くない?」

 押されると少し痛みがあった。背中の中心辺りがきっと打ち身のように青くなっているのだろう。

「押すと痛い」
「ごめん。もう床でしないから」

 本当にすまなさそうな声が、美佳の耳にダイレクトに届いた。

「美佳、きちんと座って」

 苦笑して、うしろから身体を起こされる。大きな手が胸の上を滑って、思わず息をとめた。丁度良い熱さのシャワーをかけられて、泡が流れていく。そのまま頭にもシャワーをかけられ、すぐにシャンプーをされる。人に頭を洗ってもらうことなんて、美容室でしかないので、それも心地よかった。

「はい、終わり」

 軽く髪の毛を絞り、湯船に入るよう促される。言われるままに湯船につかると、紫峰は自分で身体を洗いだす。その様子をながめていたら、目が合いそうになって咄嗟とっさに目をらした。
 さっさと洗い終えた紫峰も、同じように湯船に入ってきた。美佳は足を縮めて、場所を空けた。手を引き寄せられ、うしろから抱きしめられる。美佳の身体は紫峰の腕の中に納まった。腰に腕がまわって、本当にラブラブなカップルみたいな格好になる。なにがどうしてこんなに愛されるのか、とますますわからなくなる。

「紫峰さん、私のどこが好きなの?」

 私は普通だよ、どこにでもいるような人だよ、と美佳は心の中でつぶやいた。ここまで大事に扱って、おまけに玄関で動物みたいに盛るような愛し方をしたくなるほどの魅力が、自分にあるとは思えない。

「美佳といると、しっくりくるんだ。ずっと側にいたい感じがする。どこがと聞かれても、すべてだから答えられない」

 髪の毛を耳にかけて、首筋に口づけられる。

「いつも、同じことを聞かれるけど、君はどうなんだ、美佳。僕のどこが好き?」

 たしかに美佳は聞いてばかり。そして言葉は違うが、紫峰はいつも同じように答える。

「私を、大事にしてくれるところ。出会ってから結婚までかなり短い期間だったのに、どうしてこんなに大事にしてくれるのか、っていつも不思議に思う」

 美佳がそう言うと、紫峰は少しだけ笑って、美佳の身体を両腕で抱きしめた。

「好きな人は大事にしたい、それだけ。美佳は僕のこと、信じてくれないわけ?」
「信じてるけど、ここまでされたことがないっていうか」

 そう言うとあごをとられて、うしろを向かされる。唇に柔らかい紫峰の唇が寄せられる。ついばむようにキスをされて、舌がゆっくりと入ってくる。けれど、深くなっていくかと思ったキスは、すぐに終わってしまった。

「美佳は、僕に大事にされるために生まれてきたんだと思う。きっとね」

 優しく笑うその顔に、どうしようもなくドキドキした。抱きしめられているから、きっとこの鼓動は伝わってしまっているだろう。ここまで言ってくれる人は、きっとこれから先にも現れないだろうと思う。

「美佳、今日は安全日?」
「え?」

 言葉の意味がわからず、首を傾げた。すると紫峰が耳に唇を寄せて、とんでもないことをささやいた。美佳にとってはとんでもないことだが、紫峰にとっては大したことではないのかもしれない。

「今日は大丈夫だと思うけど、でも、あの……」

 ためらうようにうしろを振り向くと、そのままキスをされる。唇をついばむようにゆっくりと動いた紫峰の舌が、先のほうだけ美佳の口の中に入ってきて口内を愛撫する。美佳は唇と唇の隙間から息を吸うが、最後に深く唇を重ねられて苦しくなった。

「しちゃダメ? 美佳……」

 そう言ってまた深く唇を重ねる。うしろから紫峰に抱きしめられた体勢で、このままキスを続けるのは少しきつい。彼の腕に触れて、美佳から唇を離す。このままの体勢だと、うしろから抱かれることになりそうだと、と思った。美佳はうしろから抱かれるのがあまり好きではない。けれど、今日はこのまま紫峰にうしろから抱かれるのもいいかもしれない、とぐるぐる考えていた。
 そうして息も絶え絶えになりながら、美佳は紫峰に尋ねる。

「うしろからするの? それとも前から?」

 チャプンと湯が鳴って、下から上に胸を揉まれる。紫峰はすっかりその気になっているようで、唇が美佳の首筋を這いだした。

「どっちがいい?」

 声とともに、紫峰の唇が耳を撫でるように動く。首をすくめて息を吐きながら、紫峰の腕に触れていた手を移動させて手のひらを重ねた。

「どっちでも、いいですよ……」

 優しく胸に触れていた手がとまって、耳元で紫峰が微かに笑う。

「どっちでもいいなら、前からにしよう。美佳の顔が見えるから」

 浮力を利用して身体を反転させられる。紫峰のひざの上にのる格好になった。

「それに美佳は、前からの方が好きだよね?」
「そんなこと、言ったことない」
「そう? 言っているように思えるけど……」

 そのまますぐに美佳とつながろうとしたので、とっさに手で制したが、それは空しい抵抗だった。腕ごと抱き寄せられて、ゆっくりと紫峰と繋がる。

「あ、あっ」
「正面から抱くと、感じ方が違う」

 美佳の隙間に埋め込まれる紫峰はやはり、かなりの質量だった。今まで付き合った人と比べるのも失礼だが、かなり大きさが違う。入ってすぐは苦しいが、すぐに慣れて快感に変わる。自分が感じているのを見られるのは、恥ずかしくてたまらない。

「そんなの、違、う……っ」
「そうかな……? 美佳、少し緩めて。きつい」

 紫峰が美佳の身体を揺すり始める。水の音がやけに大きく響いて、それだけで美佳の身体は感じてしまう。美佳の中を行き来する紫峰の感覚に、こらえきれない声が少しずつ漏れる。

「できない、よ」

 緩めるとか、どうやってするかわからない。紫峰はいつもこんな要求をする。けれど、美佳は男性経験が豊富なわけではないから、そう言われても困ってしまう。

「毎回、慣れないな、美佳」

 紫峰が身体を持ち上げるように動かした。それだけでまた快感の波が押し寄せ、濡れた声を上げてしまう。紫峰の首に手をまわし、紫峰の体幹たいかんを両足でめつける。

「痛くない?」

 一度揺するのをやめて、紫峰が美佳の背中を撫でる。

「だい、じょうぶ。……紫峰……さ……っ、んんっ」

 美佳がそう言うと、ゆっくりと腰を動かしながら首筋に舌を這わせる。首筋を撫でていた柔らかい舌が、鎖骨へと移っていく。それから大きな手が美佳の胸を揉み上げて、先端を口に含みながら、もう片方の手で腰を強く引き寄せる。

「……っん……っぁ」

 紫峰の口が美佳の胸から離れて、あごを軽くんだあと、唇に行きつく。ついばむようなキスを交わし、紫峰がため息のような息をつく。

「気持ちいい」

 唇を少し舐めながらそう言う姿は、視覚的に色っぽい。

「美佳は?」

 そんなこと聞かなくてもわかっているじゃない、と思いながら、美佳は紫峰の首筋に顔を埋める。みずから腰を少しだけ動かすと、かすかに紫峰が笑った。
 美佳の動きに応えるように紫峰が動く。湯の浮力で簡単に身体が持ち上がるからか、下から何度も強く揺らされた。美佳は風呂でなんて抱き合ったことはなかったし、こんなに気持ちよくなって濡れた声を出したこともなかった。
 けれど紫峰はきっと風呂で抱き合ったことがあるのだろう。ここまでの経緯にどうにも慣れた感じが否めない。そしてふと我に返って思うこと。紫峰には結婚直前まで、付き合っている人がいたことだ。嘘はつきたくないから、と正直に結婚前に告白された。きちんと別れて美佳と結婚するのだと、そう言った。実際、美佳と付き合い始めてから、他の女性の影を感じたことはまったくない。

『ナカムラトウコっていうんだよ、美佳ちゃん。美人でスタイルが良くて、階級も俺らより上なんだ』

 紫峰の友人を問い詰めて教えてもらった紫峰の元彼女。

「美佳?」

 耳に届く、低く甘い声。いつもと声色が違うのは、紫峰が美佳で感じているからだ。
 乱れた髪を耳にかけられて、首を引き寄せられる。

「余裕あるな。考えごと? こんなにゆっくりじゃなくてもいいのかな?」

 勘がいい紫峰には、美佳が集中していないことなどお見通しだったようだ。首を捕まえられたまま、緩く腰を揺らされる。片方の腕は美佳の腰を固定していたが、首にまわされていた手が這うように上がってきて美佳のあごをとらえた。

「口、開けて」

 言われるままに口を開くと、そのままみつかれるようにキスをされた。唇を痛いくらい吸われて、腰を突き上げるように動かされる。
 キスをしながら強く動かされるので、息がつらくなる。息継ぎをしても酸素が足りなくて、目の前がチカチカする。紫峰の抱き方はいつも情熱的で、そして丁寧だ。
 まるで美佳の中には紫峰が初めからいるような、そんな緩く甘い快感をずっと与えられている。
 さっきまで頭の片隅にあった、ナカムラトウコの名前もなにも考えられなくなった。

「も、無理……む、り……ダメ……っ!」

 身体の中をかきまわされるような感覚。言葉という言葉は、まったく意味をなさなくなり、紫峰が美佳を呼ぶのも、どこか遠いものに感じた。

「なにがダメ……?」

 紫峰は意地悪だ。せわしなく息をする美佳を見て、同じように忙しなく息を吐きながらも紫峰は、微かに笑う。

「いじ、わる……っん」
「それは美佳だろ? いつも狭くて、耐久力を試されているみたいだ」

 紫峰は美佳の頬に唇を寄せて、後頭部に手をまわす。もう片方の手は腰を抱き寄せて、強く腰を動かしている。

「……っぁ、あ!」
「……美佳」

 小さくうめいて、一度動きをとめてから、わずかに腰を揺らす。紫峰の腰の動きがとまると、美佳は自分の身体の中に熱いものが広がるのを感じた。

「しほ、さん……」

 美佳が紫峰の名を呼ぶと、優しく背を撫でられた。
 紫峰が美佳の中で果てるのは初めてだった。今までよりも紫峰を身近に感じる。

「中で出したけど、嫌だった?」

 呼吸を整えながらそう言う紫峰の声を耳元で聞いて、美佳は首を横に振る。
 本来なら子供をつくる行為。中で受け入れたら、妊娠する確率は高い。紫峰は美佳とそうなっても構わないと思っているのだと、それだけ美佳との未来を考えているのだと思えた。

「今度は、ベッドで抱いて……紫峰さん。ゴムはしなくていいから」
「もちろんそうするつもり」

 紫峰はキスをして身体のつながりをく。美佳の中にいた紫峰がいなくなると、言いようのない喪失感を感じた。


「なにも着けない方が、美佳の中を感じられてよかった。本当によかったよ」

 紫峰の言葉に顔が熱くなるのを感じて、美佳は湯船から上がる。シャワーを軽く浴びて、紫峰の視線を感じながら、そのまま浴室を出た。
 紫峰も風呂から上がり、タオルを巻いたままベッドへ行く。
 ベッドの上でゆっくりと抱き合って、避妊なんかしないで紫峰を受け入れた。
 やっと本当の夫婦の営みをしたような気がする。
 この日、美佳は初めて紫峰のすべてを受け入れたような気がした。



   4


 美佳の中に自身を解放して、その背中を撫でていた紫峰は、久しぶりにした美佳との行為を反芻はんすうしていた。
 どうしてこんなに好きになったのか、と思いながら、美佳と出会ったときのことを思い出す。
 美佳と会う前日、紫峰は当時付き合っていた彼女と会い、ホテルで食事をした。そして、その彼女のために、ホテルの部屋をとっていた。もちろん、目的は抱き合うこと。久しぶりに会ったその人と、抱き合うのは自然なことだった。男と女が付き合う過程で、その行為は当たり前だと思っていた。
 紫峰はその人と結婚を考えていた。愛しているとか、そういう感情は抜きにして、二年間付き合ってきた同い年の彼女とは、そうするのが自然なことに思えた。
 なのに、美佳と会ったその日に、彼女よりも美佳とずっといたい気分になった。なぜか、自分はこの人と結婚すると、直感的に思ったのだ。付き合っている彼女との結婚生活は想像できなかったのに、美佳との結婚生活はなぜだか簡単に想像できた。
 美佳と初めて会った見合いの日のことを思い出しながら、美佳の身体を抱きしめる。
 紫峰は見合いの日、大きな失態をした。それは決して許されることではなく、本来ならば美佳が怒って当然という類のものだった。けれど美佳は今こうして自分の腕の中にいる。自分の隣に美佳がいるこの幸福は、紫峰が見合いをすると決めた瞬間から始まっていたのだ――


「『今日一日で、最高何回できるか試してみない?』って言ったこともあったわよね、ミカ」

 久しぶりに会った彼女は、自分が覚えていないフレーズを言い出した。彼女の名は中村瞳子。警察官のキャリア組。

「そうだっけ?」
「そうよ。ミカってば、すぐ忘れる。結局どれくらいしたっけ?」
「覚えてないけど」

 紫峰の返答に、瞳子は不満そうな顔をしてため息をついたが、目の前の料理が美味しいためか、さほど怒っていないようだ。彼女がホテルで夕食を食べたいと言っていたから、紫峰は今日のために一週間前から予約を入れていた。

「明日は何時から?」

 首を傾げて聞く瞳子には、仕事のときには見せない愛嬌あいきょうがある。紫峰はそういうところが好きだった。

「非番だよ」
「私も。今日はゆっくりできるね」
「僕はゆっくりできない。明日は見合いだ」
「え? お見合い?」

 ワインを口に運んで、目の前の彼女を見る。紫峰はそうだけど、と素っ気なく答えてナイフとフォークを再度手にとった。気のない話し方になったのは、その見合いを苦々しく思っているからだ。
 見合いをすすめられたとき、父には、付き合っている彼女がいる、と言った。が、父は兄と弟が結婚していて、次男の紫峰が結婚していないことに対して思うところがあったらしい。彼女がいても結婚しないのなら、一度その人と会え、と強く言われたのだ。

「断れなくて。しょうがないから一度会ってくる」

 紫峰は悪いとは思いながらも、恋人に真実を話した。
 本当に気は進まないけれど、それでも会わなかったら父もそして母も黙ってはいないだろう、と感じていた。

「……そう。……ねぇ、私とのこと、考えている?」

 互いに三十六歳。結婚をしていて子どもがいたっておかしくない。だが、彼女は上昇志向も強く、女ながらに異例のスピードで警視まで昇進していて、仕事を優先していた。

「考えているよ、瞳子。ただ、会うだけだ」
「本当に?」
「でなきゃ前日に瞳子と会ったりしない。上に部屋もとってるんだ」

 瞳子はやっとホッとしたような表情を見せて、にこりと紫峰に笑いかけた。普段気が強いが、紫峰の前では女の顔になる。そのときの瞳子は可愛げがあった。スタイルもいいし、美人なところが紫峰は気に入っている。紫峰のことを名前で呼ばず、苗字の三ヶ嶋から取って「ミカ」と呼ぶところも可愛い。

「今日一日で、最高何回できるか試してみる?」

 瞳子の言葉を借りて紫峰が言うと、瞳子ははにかんだ。

「明日、大丈夫なの?」
「大丈夫。本当に会うだけだから」

 紫峰は余裕の笑みを見せた。
 気持ちが揺らぐことなんてない。紫峰は二年付き合ってきた、このキレイで可愛いところのある瞳子と、本当に結婚を意識しているから。

「嬉しい、ミカ」

 料理は途中だったけれど、そんなものは互いにどうでもよくなって、中断して予約してある部屋へ行った。
 シャワーも浴びずに、すぐに抱き合ってキスをする。瞳子の細くて長い足が紫峰の足に絡まるのは、かなり扇情的せんじょうてきだった。そこまではよかったのに、耐えるように瞳子の足が紫峰の腰を強く挟んだ瞬間、腰に固いひざが当たった。痛くて、気持ちがやや冷めてしまった。えることはなかったが、紫峰はなかなかイけなかった。
 結局たった一回の行為で、瞳子はぐったりしてしまった。きっと仕事の疲れもあったのだろう。そのままシャワーも浴びずに寝てしまった。紫峰にとって今日の行為は達することはできても疲れただけで、軽くシャワーを浴びてそのまま眠りについた。
 翌朝、鈍い頭を振りながら、チェックを済ませてひと足先にホテルを出た。出がけに、部屋の中にいた瞳子に、また連絡するから、と言って軽く手を振り、ドアを閉めた。

「なにをしているんだか」

 家に帰ってもう一度シャワーを浴びて、そしてスーツを着替えて、と段取りを考えるだけで頭が痛かった。
 このときの紫峰は、もう少しで運命の人が現れるとは、まったく思いもしていなかった。



   5


 見合いの場所であるホテルに着くとすぐに、紫峰の姿を認めた父親から声をかけられた。

「早いな紫峰。いつもお前は遅刻しない」

 笑みを浮かべてうなずく父に、当たり前だ、と返した。

「したらいけないでしょ。ゴリ押しして見合いをすすめたのは誰?」

 紫峰の父、三ヶ嶋峰生ほうせいが勧めた見合いの相手は、峰生が昔世話になって以降、ずっと交流があった警察官の娘だった。会うだけでも会ってみろ、と再三言われて承諾しょうだくしたのを、父は忘れているらしい。
 本当は、昨日瞳子と会うつもりはなかった。だが、二週間以上会っていなかったので、瞳子がどうしても会いたいと言い出した。瞳子と会うのなら、寝たい。瞳子を不安にさせたくはなかったけれど、次の日の見合いのことを話すことになるだろうというのは予想がついていた。自分と抱き合った翌日に見合いに出かけるなんて、ひどいと思われることも承知の上だった。溜まっていた性欲を発散させたい気持ちが強かったのだ。
 それに、今回の見合いは、ただ一度会うだけだと高をくくっていた。昨日の行為で多少疲れているが、別にどうでもよかった。どうせ、先方から断りが入って終わりだと、そう思った。
 今日の見合いはそういうものだ、と。

「いい娘さんだよ。断るとしたらかなり惜しいが、単なるきっかけだと思って会え」

 紫峰は三人兄弟きょうだいの二番目だ。三歳上の兄の峰隆ほうりゅうはすでに結婚していて、子どもが二人いる。そして三歳下の弟の峰迅ほうじんにも、一人子どもがいる。二人とも二十代半ばで結婚した。父と母からいつも言われるのは、良い人はいないか、ということ。兄と弟は警察のキャリア組。紫峰だけノンキャリアだからなのか心配しているようだ。

「……どんな人? 写真も見てないけど?」

 写真がある、と電話で言われていたが、忙しくて見る暇がなかった。父から可愛い人だ、と言われているので、容姿は悪いわけではないのだろう、と想像している。

「堤美佳さんという人だ」
「名前は聞いたよ」

 うんざりしながら紫峰は言った。都知事の旅行に付き添い、やっと昨日帰ってきたばかりだ。そしてその夜、瞳子と会って食事とセックス。疲れはかなり限界にきていた。

「SPは忙しいか?」
「やりがいはあるけどね。ただVIPと旅行に行くと、疲れるかな」

 峰生はにこりと笑い、先方はもう来ているから、と紫峰を促した。
 峰生の隣に並んで歩く。峰生は紫峰の仕事になにも口を出さない。兄や弟に対してもそうだが、とくに紫峰にはなにも言わなかった。兄と弟とは別のノンキャリアの道を紫峰が選んだことを、父は喜んだ。やりたいだけ頑張れ、と応援してくれた。

「堤美佳さんはな、結構な才女だぞ。フランスとアメリカに留学して、翻訳家になっているし、それだけではなく小説家としても活躍しているそうだ。おまけに華道と茶道の名取なとり。自立した女性だ。たぶんお前より収入が多いと思うぞ」
「へぇ、それはすごい」


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