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2巻
2-3
しおりを挟む「あれ、イライラしたんだよね」
千歳から、イライラとした、という言葉を聞くのは初めてだった。
万里緒は目を瞬かせて、改めて千歳を見る。
「キスだけで満足するなんて、女って便利だ」
「……あ」
「ん?」
千歳が万里緒を見たまま、笑みを浮かべずに首を傾げた。
「だって、あの……飛行機、キャンセル待ちで、空席が……取れたんだもん。だから、早く帰らなきゃって」
「そう……で?」
「帰っちゃダメでした……か?」
「さぁ? 帰りたかったんだよね?」
千歳はじっと万里緒を見る。
「怒って、ますか?」
「多少ね」
タオルケットを引き寄せて、眉を寄せる。淡々とした口調は、いつもの笑顔がないとメチャクチャ冷たい。
「え、エッチしたら、大丈夫ですか?」
「……僕は、もう一度寝たらいいよ、その間に帰るかもしれないけど、って言おうとしてたんだけど」
万里緒は目を見開いて、口を開けてしまった。
「きついって言ってる万里緒を、何度も抱いたりはしないよ」
「あ……あの」
万里緒がどうしたらいいのかわからなくなっていると、千歳がフッと笑って万里緒の唇に軽くキスをした。
そうしてベッドを降りて、パンツのジッパーを閉め、ベルトを直す。
見覚えのあるショルダーバッグを肩にかけて、万里緒を見た。
「帰る。風邪ひかないようにね」
それから、万里緒の頭を撫でて、背を向けた。
「……っ、待って! 千歳!」
タオルケットを身体に巻いたまま千歳を追いかけた。後ろから抱きつくと、千歳がため息をついたようだった。
「あの、ごめんなさい」
謝って、抱きついた腕を離す。千歳は今日中に帰らなければならない。
「キスしたかったんです……ごめんなさい。だって、ずっと会ってなかったから……」
千歳の背中に触れて、弁解したが千歳からの返答はない。万里緒は、またやってしまった、と思って手を完全に離した。
「……気をつけて、帰ってください」
もう一度、って言われたから、てっきりもう一度したいのかと思った。でも、全く違っていた。千歳は万里緒を気づかう言葉を口にしようとしていたのに。勘違いの上に、昨日はキスしただけでさっさと帰ってしまったことを考えると、確かに千歳が怒るのも無理はない。
「わかりました、万里緒さん」
千歳は万里緒を見て、仕方なくといったふうに微笑む。
タオルケットの胸のあたりを引き寄せて、万里緒は千歳に頬をすり寄せた。
「忙しそうだったから邪魔したら悪いと思ったの。だから、ごめんなさい、千歳」
千歳とセックスをした名残だと思う。いつもと違って抵抗なく千歳と呼べた。名を呼ぶくらい簡単だな、と思った。
「本当にもう、帰りますか?」
「そろそろね。フライト予約しているから」
「……じゃあ、気をつけて」
最後に笑顔を見せて、千歳は万里緒の部屋を出て行った。
「……私、何で寝ちゃったんだろう。ちっともイチャイチャできなかった……それに、どうしてこう星奈先生怒らせるかな。何で失敗するんだろう。あのキス、ダメだった?」
言い方が悪かったかもしれないけど、千歳の怒りどころがわからない。
万里緒はタオルケットを巻いたまま床に崩れ落ちた。
久しぶりに会ったというのにこの調子で、夫婦として何十年もともに白髪が生えるまでなんて、できるのだろうか。
「というか、星奈先生の白髪なんて想像できないけど、でも……でも……」
無理なんじゃないかと不安に思ってしまう千歳との結婚生活。
お互い医者で、万里緒も忙しく、千歳も忙しい。
「もう、医者ってやだ、どうしてなったんだろう。医者ってやだぁー……」
わーん、と玄関で泣いてしまった。
すべては医師免許と遠距離のせいだと思いながら、それでも明日も仕事なのだった。
* * *
医師免許を恨んでも、距離を恨んでも自分で決めたことなのだ。
結局は仕事をしに病院へ行かなければならない。腫れた目のまま仕事をした。
すべての仕事を終えたとき、時間は午後八時を回っていた。今日は比較的早く終わった、と思っていたら、携帯電話が鳴る。千歳か、と思ったが相手は違う人だった。
「来生さん?」
電話に出ると来生が明るく話しかけてくる。
『よう。今日暇ならウチに飲みに来ない? 俺の彼女もいるけど、一緒でいいって言うから』
「え? 飲みに行くのはいいんですけど……彼女がいるのに?」
昨日の今日で疲れているが、なんだか飲みたい気分だった。だが、来生の彼女がいるところに自分が行っていいのかと思う。失礼じゃないだろうか、と。
『大丈夫。じゃあ迎えに行くから、まだ病院だろ?』
そう言われて、急いで帰り支度をした。
来生から言われた外来のタクシー乗り場へ行くと、千歳の車とよく似た黒い四駆の前で来生が手を振っていた。
「……ジープですね」
万里緒が言うと、来生は笑って、そうなんだよと言った。
「星奈先生と型は違うけど、なんか影響されちゃってさ。乗って、万里緒」
万里緒は車に乗りながら、そういえば、千歳の車には数えるほどしか乗っていないなと思った。
「病院から近いんですか?」
「十五分くらいかな? 俺の彼女に会ったら、びっくりするから」
「え? どうして?」
聞くと、会えばわかると言われて、万里緒は楽しみになった。
案内されたのは普通のマンションで、ドアを開けてくれた来生の彼女には見覚えがあった。
「あれ? あー、えーっと、千幸ちゃん!」
「当たり! 久しぶり万里緒ちゃん」
増田千幸は、万里緒の大学時代の友人だった。彼女はE大の医学生で歳は万里緒より一つ下だったが、学年は同じだった。
千幸とは大学の合コンで知り合い、来生と同様に、唯一連絡先を交換した女の子だった。医大を卒業後、親の都合で引っ越したと聞いている。
家に上がると、すでに宴会のような準備が整っていた。
「えー? 来生さんと結婚するって、千幸ちゃんだったんだ?」
「そうなんだ。二年くらい前、内科の地域連携の症例発表会で再会したの。知也と知り合うきっかけは万里緒ちゃんだったでしょ。その話で盛り上がって、いつの間にかって感じかな」
そうか、と相槌を打つ。万里緒と千幸はほかの大学とはいえ同学年の友人で、同じく友人となった来生とも、よく一緒に遊んだ。
「万里緒ちゃん、結婚したんでしょう? すごいなぁ、お相手があの星奈先生だなんて」
「……知ってるんだ」
千幸は千歳とも会ったことがあるらしい。
「知ってるよ。知也とよく一緒に遊びに行ったし。それに星奈先生の症例発表は凄かったもん。勉強になるし。おまけにカッコイイし?」
にこ、と小さな口に笑みを浮かべる。千幸は女の子らしい可愛い顔をしていた。つぶらな瞳が清楚な印象で、万里緒よりよっぽどお嬢様という雰囲気を醸し出していた。北海道のE大附属病院近くの病院に、万里緒と同じ消化器内科医として勤務しているらしい。
さあ、飲んで、食べよう。来生がそう言って、万里緒の前に缶ビールを置いた。そうして久しぶりに顔を合わせた三人は、千幸の手料理を食べながらビールを飲む。
「星奈先生がお見合いってびっくりよね、知也」
「だよなぁ。この前自分で縁がないって言ってたくせに、いつの間にか結婚しててさ」
そうして万里緒を見て、二人ともなんだか意味深に笑った。
「なんでしょう?」
そう言って万里緒がビールを飲み干すと、二本目を来生が置いた。
「いやぁ……あの星奈先生をその気にさせた万里緒って、と思って。どんなテク使ったんだよ?」
「なんか本当に、星奈先生って、結婚とか縁がなさそうな感じするよね。カッコイイし、スーパー医師だし、穏やかで人当たりのいい人だってわかるけど、なんか遠巻きに見ちゃう感じ」
二人は万里緒の言葉を待っていた。万里緒は緩く笑う。こういう話は苦手だ。
千歳は万里緒を気に入って、好きだと言ってくれたが、いまだに万里緒は、どうして結婚してくれたのかよくわからなかったりする。どちらかと言えば、失礼な言動ばかりしていたと思う。初めてのエッチのときも逃げてしまったし。
本当に、こんな万里緒のどこを気に入ったのだろうか。
「テクなんてないし。今だって私のどこが良かったのかわかんない。昨日だって、怒らせちゃったし……」
「怒るのか? 星奈先生が?」
来生が驚いたような顔をする。千歳だって人間なのだから怒ることだってあるだろうに、来生はまるで信じられない、とでもいいたそうな顔を向けてくる。
「怒りますよ。いつも不機嫌にさせちゃうんです。昨日だって忙しい中、わざわざ来てくれたのに……」
「俺、星奈先生が怒ったとこ見たことないな。忙しいときに会いに来てくれた? 本当かよ」
「ウソついてどうするんですか。本当にちょっと怒って帰りましたよ。私、泣きましたから……怒らせたんで」
たぶん千歳は万里緒がキスをして、さっさと帰ったときから怒っていたのだろう。初エッチのときに逃げたときのように、ただ熱いキスだけをして、じゃあ帰ります、というのは確かに悪かったと今は思う。おまけに捨て台詞が、ごちそうさま。
なのに次の日に来てくれた。きっと無理をしたのだと思う。疲れ切っていた万里緒を抱くなんて、酷いと思ったが、最中はそんなことを感じさせないくらい丁寧に優しく抱いてくれた。
それなのに、勘違いして怒らせた。これくらいで怒らないでよ、と思うけれど、万里緒が同じようなことをされたらきっと怒ると思うのだ。
「泣きそうな顔するなよ……」
「だって来生さん、このままじゃ絶対星奈先生と十年も持ちませんよ。結婚はしたけど、お互いを知り合う時間なんてなくて。おまけに二人とも医者だし、その上に東京と北海道の遠距離結婚ですよ。ほとんど休みもないのに、どうやって夫婦生活を持続すればいいんですか?」
万里緒の言葉に来生と千幸は顔を見合わせ、困ったような、どこか同情するような顔をする。
「ごめんなさい。……もう、星奈先生のこと話さないでもいいですか?」
「……うーん、万里緒はどうして星奈先生と結婚したんだよ?」
ビールを飲みながら来生が言う。万里緒もビールをお代わりして答えた。
「好きだからですよ、当たり前でしょう? 最初、お見合いの前に定食屋で会ったんですけど、そのときからなんかちょっといいなあっ、素敵な人だなぁ、って思ってたんです。そしたらその人がお見合い相手だったんです」
そっか、と言って来生が千幸の手料理を口に運ぶ。
「星奈先生だって、万里緒のこと好きだから結婚したんだと思うよ?」
ただ好きだから結婚した、というのは確かにそうかもしれない。
だけど、万里緒のどこに惹かれて結婚する気になったのかはわからない。
だって万里緒は千歳の前ではいつも失敗するし、本当に失礼なことばかりしているから。
「万里緒ちゃん、あの、すごくびっくりするものを見つけたんだけど!」
明るい声で千幸が話を変えるように、万里緒の前に小さなアルバムを置いた。
「万里緒ちゃんと会うってわかってから、最初に会ったあの合コンのことを思い出しちゃって。めっちゃ人多かったじゃない? パーティー会場みたいなところ借りてだったよね?」
そういえば、と万里緒が相槌を打つと、千幸がパラパラとアルバムをめくる。
「ちょっとピントがずれてるけど、私と万里緒ちゃん……それと、ほら」
にこりと笑って写真の右端を指差す。
きっと、写真を撮った人も酔っていたのだろう。かなり左側にずれて撮影された写真の右端。
千幸と万里緒が写った写真。万里緒の右側に二人を隔てた、そこに。
「あれ?」
「そう、星奈先生が写ってます! ねぇ、びっくりしない? 確かに医者が多い合コンだったけど、まさか星奈先生がいるとは思わなかったよね?」
万里緒は写真をじっと見る。そして目を丸くした。
「ホントだ……でも、星奈先生の同期で友達の三枝さん、この人、私が持ってる写真にも写ってたから、星奈先生がいてもおかしくないかも……」
万里緒が持っているこの時の写真には、確かに三枝が写っていた。三枝はフットワークが軽いので、この場に千歳を引っ張ってきたとしておかしくない。
写真の中の千歳は今と変わらずイケメンで、あの頃の私だって絶対に目が行ってただろうと思う。
そう思いながらも、それはないな、と心の中で否定する。いくらイケメン千歳がそばにいても、この当時の万里緒は超が付くほど純情だった。母が箱入り娘に育てたので、彼氏なんてできたことはなかったし、恋愛経験も皆無で、同世代の女の子の会話についていけないことが多かった。
大学に入っても、夜遅くに出かけたことなんて一回もない。もちろん、高校生の頃にも、である。友達の家にお泊まりすることも禁止だったし、家の門限で、夜の八時までに帰らなければならなかった。だから夜に遊んだこともないし、合コンなんてもってのほか。このときはちょうど大学の実習中で、わからないことがあるから友達の家で勉強させて、と母を説得して渋々OKをもらったのだった。
万里緒は、その日初めて親に内緒の外泊をした。
初めての合コンに、緊張しながらも少し期待感もあった。しかし、このときも、彼氏という存在はできなかった。でも来生や千幸と友達になれた。
「万里緒ちゃんの持っている写真には、星奈先生、写ってないの?」
「写ってないよ。いっぱい人がいたし、連絡先交換したの来生さんと千幸ちゃんだけだったから。あとはずっと清乃と一緒にいたし、男の人とはほとんど話さなかったもん。嫌なセクハラ医師と、もう一人くらいかなぁ」
ああ、と千幸が苦笑いする。
「そういえば万里緒ちゃん迫られてたよね。そんで、そのセクハラ男が消えたあと、誰かと話していなかったっけ? それで万里緒ちゃんいつの間にかいなくなってたよね?」
「……気分悪くて帰ったの。たくさん飲まされたし。私誰かと話してた?」
万里緒は、ちょっとトボけてみせた。
実は彼氏ができる前に、この合コンで会った人と一晩過ごして、バージンを喪失した。本当に、若気の至りともいうべきこと。酔っていたせいもあり記憶にはもうほとんどないが、なんとなく良い人だったのを覚えている。
初めての人は、酔った万里緒を介抱してくれて、痛がる万里緒を気づかいながらゆっくり抱いてくれた。だけど次の日、その人は簡単なメモを残していなくなってしまった。添えられた名前を誰に聞いても覚えていなくて、結局もう一度会うことはなかった。
初めての経験が誰かわからないなんて、と思う気持ちがある。ただ、相手はきっと医師だろうな、と想像はついた。メモには確か手術が、と書いてあった気がする。見つけることを諦めたときに、そのメモも破って捨ててしまった。
仲良くなったばかりの来生と千幸には、その彼のことは聞けなかった。万里緒がやってしまったことを話せなかったのだ。行きずりで男と寝るなんて、初めてとはいえバカだと思って。清乃にだけは話したが、もちろん口止めした。
清乃には、医者って遊ぶ人多いから、とこってり説教された。
「星奈先生いたんだぁ。なんだか驚きだけど、今はこの人、私の旦那さんだもんね」
今よりちょっと若い万里緒、そして千歳も今より若い。このときの千歳の年齢は、今の万里緒とそう変わらないはずだ。写真を撫でて、じっと見ていると、千幸が笑った。
「縁があるんだね。その写真あげる。星奈先生って、すごい人だけど良い人だから……遠距離なんかに負けて欲しくないな。電話したら? たぶん、星奈先生そんなに怒ってないよ」
千幸がそう言って写真をアルバムから引き抜いた。千幸の言葉に同意見なのか、来生もうなずいている。
「そう、かもね」
手渡された写真を撫でていると、来生が言う。
「そうだよ、星奈先生って怒ったところ見たことないし。本人は怒ることもあるけど、すぐに怒りが治まるって言ってた。怒るくらいなら一晩寝ていたほうがよっぽど有意義だとか、のんびりしたこと言ってたけど。あの人性格と仕事ぶりにギャップがあるんだよね」
本当にそうだろうか。もう怒ってないだろうか。
万里緒は、千歳の前では結構自分勝手なことをしていると思う。そんな万里緒を見ていて、千歳は本当に何も思わないだろうか。
二人に背中を押されて、電話をしてみようと思った。
本当は電話をしたくても、怖くてできなかったのだ。
「俺、昨日の夜久しぶりに星奈先生に電話したんだよね。万里緒と結婚したんですってって聞いたら笑って話してたし、大丈夫だと思うけど」
そうしてまた北海道に来たら一緒にスノボをやろう、と約束したらしい。
「そうですね。電話してみます」
万里緒がやや躊躇いがちに言うと、来生が笑った。
「結婚してるくせに、付き合いたてみたいだな。でも、スピード婚だって星奈先生も言ってたし」
いろいろ話したんだな、と思いながら万里緒はため息をつく。
千歳の男友達になりたいと思った。そうしたら何でも話し合える仲になって、楽しくすごせるのに、と。でも、そうしたら千歳とセックスができなくなってしまう。千歳の抱き方は優しくゆっくりとしているわりに、情熱的な感じがする。そういうのを経験できない男友達はやっぱりダメだ。
「そうそう、今の移植患者が落ち着いたら、こっちに出張するみたいだぜ?」
「……へっ? なんですか、それ?」
「うん、なんか外科で移植が必要な男性患者がいて、娘が生体肝移植に同意したらしいけど、その患者の状態が思わしくなくて、動かせないらしいんだよね。だから、こっちでオペするんだって。聞いてない?」
「……聞いてません」
昨日の夜、来生が電話で聞いたということは、昨日の昼に万里緒が会った時点で、その話は決まっていたということだ。
千歳といた時間は短くて、おまけに千歳を怒らせてしまったので、話すタイミングを逃したのかもしれないが。
ドーン、と音がしそうに心が落ち込んだ。
だったらしばらく北海道にいるんじゃないか。どうしてそんな大切なことを言わないんだろう。
万里緒は千歳の妻ではないのか?
「言い忘れたんだよ、きっと。星奈先生、仕事以外ではのんびりしてるから。前に夢は朝寝坊って言ってたことあるし! クールなのにそういうことを言うから、親しみやすいんだけどさ!」
来生が言うことはなんだか意味不明だ。
だからなんだよ、のんびりしているから言わないのかよ。それとも怒ってるから言い忘れたのか? 星奈千歳。
どちらにしても、もう少ししたら千歳は北海道に出張に来るのである。
なんだか、本当に千歳は万里緒のことを好きなのかどうかわからなくなってきた。
とにかく電話をしなければと思う。
そうしなければ、何も始まらないし何も聞けないから。
4
ほろ酔いで自宅マンションに帰った万里緒は、酔ったテンションのまま大きな声で独り言を言った。
「来生さんの婚約者が千幸ちゃんとは! すごい! 私よりずっと有意義な出会いだわ!」
ソファーの上に勢いよく寝転がって、はぁ、と声を出しながらため息をつく。
あのときの合コンがきっかけで知り合った来生と千幸が結婚する。万里緒はというと、あのときのことを思い出して、なんとなくため息ものだ。
「私なんかあの合コンで処女喪失しちゃったし。探したけど相手の人見つからなかったし。もう名前も覚えてないし、痛かったし! いまさらこんなこと言うのもなんだけど、どうして連絡先、教えてくれなかったのよー」
メモにはフルネームで書かれた名前と、必ず連絡をしてください、と書いてあった。なのに電話番号もメールアドレスさえ書いてなかった。万里緒を優しく介抱してくれた初めての相手は、翌朝万里緒を置いていなくなってしまった。
しかし、それはもう過去のことだ。万里緒は素敵な夫と結婚した。万里緒より七つ年上の優秀な外科医。どれだけ素敵かは、語りつくせない。
「でも、いま、しあわせだからいいもんねー」
そう思っていると、バッグの中から携帯電話の着信音。万里緒は相手も確認しないまま、もしもーし、と電話に出る。
「万里緒でーす」
『……千歳だけど、もしかして酔ってる?』
千歳と聞いて、瞬きをする。
「どうしたんですかぁ」
ほろ酔いのテンションで言うと、電話の向こうから小さくため息が聞こえた。
『また電話するよ』
そう言った千歳の言葉に、万里緒はムッとした。
「じゃあ、何で電話したんすか? 何か用事があるなら、言うのが普通です」
酔った勢いで万里緒がそう言うと、千歳はため息をついて、じゃあ言うよ、と言った。
『北海道に出張することになったから。そっちで、移植手術をすることに……』
「知ってます。先ほど来生さんから聞きましたぁ。なんで来生さんが知ってて、私が知らないんですか? まだ怒ってるから言わなかったんすか? それとも言い忘れたんすか? どうなんですか? 星奈千歳さん」
万里緒が知らなくて、来生が知っているなんて酷いと思った。ドーンと音がしそうなほど落ち込んだのだ。酔いのテンションも手伝って、万里緒は本音を言った。
『言い忘れたんだ。ごめん、万里緒』
「言い忘れるなんて酷いです。こっちはすね、あなたを怒らせたと思って、マジに落ち込んだんすよ? おまけに他人から星奈先生がこっちに来て仕事をするなんて聞かされて。マジ、なんなんすか? 私、あなたの妻ですか? 肝移植するんなら少なくとも半月はこっちにいるじゃないですか。そんな長い期間こっちにいるんなら、忘れず言うべきですよ」
『だからこうして一日置いてだけど、電話してるでしょ?』
「だから、何で先に来生さんに話すの?」
『たまたま用事があって電話したんだ。そのついでに話しただけ』
「エッチする時間があったら、話せたし!」
思わず強い口調になってしまい、ハッと我に返る。酔いに任せて、ちょっと言い過ぎたかもしれない。
『そうだね。セックスは蛇足だったね。悪かったよ』
少し低い声で、そう言われた。蛇足って、と思いながらやや鈍くなっている頭で意味を考える。
蛇足とは、つけ加える必要のない物、無駄なもの、余計な物という意味だ。
「夫婦にとって、エッチってつけ加える必要のないモノですか? 無駄なものですか? 余計なものですか? 蛇足ってそういう意味ですよね!?」
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