上 下
8 / 62
第1章:第三音楽室のピアノは君に会いたがっている

#6:気持

しおりを挟む
 あの事件以降、登下校はいつも一ノ瀬が付き添ってくれた。後藤先生も一ノ瀬の目を警戒して、優に近付く事は無くなった。


「一ノ瀬君、いつもありがとね。家が逆方向なのに、わざわざ送り迎えしてくれて。……あの、大変だし、無理しなくていいよ」
「無理はしていません。朝比奈君が大切だから。もうあんな顔見たくありません」
「一ノ瀬君……」


 申し訳無さそうにする優に対して、一ノ瀬は真剣な顔で返答した。何か話題を出さなきゃと焦る優だが、一ノ瀬は微笑むと、大丈夫だよと言ってくれた。


「あ、あのさ、僕達もう少しで三年になるね」
「そうですね」
「今更なんだけど、そろそろタメ口に……しない? 別に大した意味は無いんだけどさ。なんか友達なんだけど、友達じゃないような……そんな気がして」
「朝比奈君がそういうのなら。でも、僕は朝比奈の苗字好きだから、朝比奈と呼び捨てでもいいですか?」
「なんかあんまり変わらないけど、全然大丈夫! 僕は……、ふ、楓雅……君。なんか馴れ馴れしいかな? あははっ」


 優は自分で言っておきながら、頬を少し赤く、顔を掻いた。そんな照れる優を愛くるしいと思った楓雅はニヤけるのを必死に堪え、優の頭をポンポンと優しく撫でた。


「え? え? なになに?」
「……いや、可愛いなと思って」
「どこが? 今、可愛いポイント全然無かったよ!」
「ふふっ……。そうですね、朝比奈」
「楓雅君は時々よく分かんないとこで笑うんだから」


 二人はお互いの顔を見て、声を出して、笑った。いつものように談笑しながら、楓雅は優を自宅まで送った。そして、楓雅が押していた自転車に乗って帰ろうとした時、優は楓雅の事を引き留めた。


「あ、楓雅君!」
「ん? 何ですか?」
「良かったらで良いんだけど、うちに上がってかない? あ、でも、帰り遅くなっちゃうから、無理とは言わないけどさ」
「……ううん、大丈夫ですよ。お言葉に甘えて、お邪魔させて頂きます」
「本当! やった! 嬉しいなぁ」


 優は嬉しそうに笑った。楓雅は玄関横に自転車を止めると、優の自宅へ入った。優が飲み物を準備している間に、楓雅は教えてもらった二階にある優の部屋へ上がった。
 優の部屋にはアップライトピアノと学習机とベッドがあり、本棚には表彰楯が並べてあった。楓雅が並べられた表彰楯を眺めていると、階段を上がってくる足音がした。


(ここが朝比奈の部屋か……。それにしても、ピアノの表彰楯が多いな)
「お待たせ! えへへ、何にも無いでしょ」
「いえ、コンクールの表彰楯が沢山あるなと思って。ピアノやっていたんですか?」
「うん。でも、高校入る前に辞めちゃったから」
「そうなんですね」
「でもね、辞めたくなかったんだよね……本当は」


 優はテーブルに菓子と飲み物を置くと、布が掛けられたピアノを触りながら、少し切なそうな顔をした。楓雅が声を掛けようとしたが、優はいつもの顔を戻り、持って来た菓子の袋を開けた。


「実は、僕もピアノやってるんです」
「えっ、本当に! 楓雅君の演奏している姿は様になるんだろうなぁ」
「朝比奈みたいにコンクールで賞を獲るような程ではないですけど。……そのピアノ弾いても良いですか?」
「あぁ、うん。調律してないから、音おかしかったりするかもしれないけど。でも、楓雅君の弾いてる姿見てみたい!」


 優は嬉しそうにピアノに掛かっている布を外した。楓雅がピアノの前に座ると、子供のように嬉しそうに見てくる優がいた。楓雅は一度深呼吸をし、肩の力を抜き、ピアノを弾き始めた。ゆったりとしたテンポの曲をカッコ良く弾いている楓雅の姿に優は心揺り動かされた。一曲弾き終り、後ろを振り返ると、優が立ち上がって、拍手をしていた。


「凄いよ! 楓雅君、とっても良かった!」
「ありがとうございます」
「やっぱり、ピアノ良いよね。……うん、良いよね」
「こんな事言っていいのか分かりませんが、僕も朝比奈が弾いているところを見たいです」
「えっ……、でも……」


 喜んでいたはずの優の顔が再び切なそうな顔になった。楓雅は椅子から立ち上がると、ゆっくりと優の方へ近付き、優の両手を取った。優は楓雅の行動にぽかんとした表情で楓雅を見た。


「僕は朝比奈の弾くピアノが聴きたい」
「あははぁ……、そんな真剣な顔で言われちゃうと、困っちゃうな。…………でも、楓雅君がそこまで言うなら、少しだけ弾こうかな」
「でも、無理にとは言いません」
「ううん、大丈夫。そうだなぁ、何弾こうかな? ……あ、そうだ!」


 優は思い出したかのように、本棚の一番下にあった楽譜ノートを取り出し、懐かしそうにページをめくった。そして、曲を決めると、譜面台に楽譜を置き、椅子に座った。そして、鍵盤の触感や音色を確認し終えると、大きく深呼吸をした。


「昔、見よう見まねで書いた楽譜なんだけど、周りにピアノを本格的にやっている人がいなくて、誰からも感想が聞けず、そのままになっちゃって。……何年ぶりだろう? こうやって誰かに弾いてる姿見られるの。なんか恥ずかしい」
「大丈夫ですよ。楽しみです」


 優は楽譜を見ながら、弾き始めた。そして、間もなくして、優が歌い始めたのに、楓雅は驚いた。今まで控え目で内向的だと思っていた優のイメージとは遠い、春の陽だまりのように明るく、優しくて、心が落ち着くような歌声だった。そんな優に楓雅は心奪われた。
 優が弾き語りを終え、楓雅の方を振り返ると、楓雅はいつものように優しく微笑み返してくれた。


「とても良かったです。朝比奈の歌声をもっと聴いていたいと思いました」
「えへへ……、なんか恥ずかしいな。これはね、いつか大事な人が出来たら、その人の前で弾いてみたいなって思ってたんだ」
「朝比奈……、それって……」
「楓雅君、いつもありがとう」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

この胸の高鳴りは・・・

暁エネル
BL
電車に乗りいつも通り大学へと向かう途中 気になる人と出会う男性なのか女性なのかわからないまま 電車を降りその人をなぜか追いかけてしまった 初めての出来事に驚き その人に声をかけ自分のした事に 優しく笑うその人に今まで経験した事のない感情が・・・

無自覚両片想いの鈍感アイドルが、ラブラブになるまでの話

タタミ
BL
アイドルグループ・ORCAに属する一原優成はある日、リーダーの藤守高嶺から衝撃的な指摘を受ける。 「優成、お前明樹のこと好きだろ」 高嶺曰く、優成は同じグループの中城明樹に恋をしているらしい。 メンバー全員に指摘されても到底受け入れられない優成だったが、ひょんなことから明樹とキスしたことでドキドキが止まらなくなり──!?

嫌がらせされているバスケ部青年がお漏らししちゃう話

こじらせた処女
BL
バスケ部に入部した嶋朝陽は、入部早々嫌がらせを受けていた。無視を決め込むも、どんどんそれは過激なものになり、彼の心は疲弊していった。 ある日、トイレで主犯格と思しき人と鉢合わせてしまう。精神的に参っていた朝陽はやめてくれと言うが、証拠がないのに一方的に犯人扱いされた、とさらに目をつけられてしまい、トイレを済ませることができないまま外周が始まってしまい…?

好きなあいつの嫉妬がすごい

カムカム
BL
新しいクラスで新しい友達ができることを楽しみにしていたが、特に気になる存在がいた。それは幼馴染のランだった。 ランはいつもクールで落ち着いていて、どこか遠くを見ているような眼差しが印象的だった。レンとは対照的に、内向的で多くの人と打ち解けることが少なかった。しかし、レンだけは違った。ランはレンに対してだけ心を開き、笑顔を見せることが多かった。 教室に入ると、運命的にレンとランは隣同士の席になった。レンは心の中でガッツポーズをしながら、ランに話しかけた。 「ラン、おはよう!今年も一緒のクラスだね。」 ランは少し驚いた表情を見せたが、すぐに微笑み返した。「おはよう、レン。そうだね、今年もよろしく。」

しのぶ想いは夏夜にさざめく

叶けい
BL
看護師の片倉瑠維は、心臓外科医の世良貴之に片想い中。 玉砕覚悟で告白し、見事に振られてから一ヶ月。約束したつもりだった花火大会をすっぽかされ内心へこんでいた瑠維の元に、驚きの噂が聞こえてきた。 世良先生が、アメリカ研修に行ってしまう? その後、ショックを受ける瑠維にまで異動の辞令が。 『……一回しか言わないから、よく聞けよ』 世良先生の哀しい過去と、瑠維への本当の想い。

あなたを追いかけて【完結】

華周夏
BL
小さい頃カルガモの群れを見て、ずっと、一緒に居ようと誓ったアキと祥介。アキと祥ちゃんはずっと一緒。 いつしか秋彦、祥介と呼ぶようになっても。 けれど、秋彦はいつも教室の羊だった。祥介には言えない。 言いたくない。秋彦のプライド。 そんなある日、同じ図書委員の下級生、谷崎と秋彦が出会う……。

陰キャ系腐男子はキラキラ王子様とイケメン幼馴染に溺愛されています!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 まったり書いていきます。 2024.05.14 閲覧ありがとうございます。 午後4時に更新します。 よろしくお願いします。 栞、お気に入り嬉しいです。 いつもありがとうございます。 2024.05.29 閲覧ありがとうございます。 m(_ _)m 明日のおまけで完結します。 反応ありがとうございます。 とても嬉しいです。 明後日より新作が始まります。 良かったら覗いてみてください。 (^O^)

祝福という名の厄介なモノがあるんですけど

野犬 猫兄
BL
魔導研究員のディルカには悩みがあった。 愛し愛される二人の証しとして、同じ場所に同じアザが発現するという『花祝紋』が独り身のディルカの身体にいつの間にか現れていたのだ。 それは女神の祝福とまでいわれるアザで、そんな大層なもの誰にも見せられるわけがない。  ディルカは、そんなアザがあるものだから、誰とも恋愛できずにいた。 イチャイチャ……イチャイチャしたいんですけど?! □■ 少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです! 完結しました。 応援していただきありがとうございます! □■ 第11回BL大賞では、ポイントを入れてくださった皆様、またお読みくださった皆様、どうもありがとうございましたm(__)m

処理中です...