神殺しの贋作

遥 奏多

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「それでは、ジーン・マクレイン首席と、我が妹アイーダの次席卒業を祝って」

 そこで言葉を止めた青年は、濃い赤色の液体が注がれたグラスを軽く持ち上げた。それに倣い、俺と隣にいる少女もグラスを持ち上げる。

 そして三人が互いに視線を交わし、その唇にグラスをつける。

 ひんやりとしたグラスから流れてくる濃厚な葡萄の香り。その香りを十分に堪能した俺は、のどをコクリと動かした。

 音を立てないようテーブルにグラスを置き、再び二人、青年と少女と視線が重なる。誰からともなく、俺たちは口元に緩やかな笑みを浮かべた。

「本当の卒業は明日、だけどね」

「いいじゃない。お兄ちゃんの休みが取れたの、今日だけだったんだから」

「明日は王の護衛、近衛騎士として式に参加しないといけないからね。休みをもらえたのは幸いだった。おかげで二人を直接、祝福できる。……あとアイーダ、その呼び方はやめるように」

 青年、ジョシュアは主に俺のほうに向けて再び微笑む。それもそうだろう。俺の隣にいる少女、アイーダは彼の実の妹なのだから。いくら近衛騎士の仕事が忙しくても直接祝うことくらいできるだろう。

 ジョシュアは俺にとっても兄のような存在だ。だからこそ、こうして貴重な休日を使ってまで祝福してくれていることが、たまらなくうれしかった。でも、だからこそ俺は考えてしまう。

「どうしたの?」

 アイーダがすぐに声をかけてくる。表情に出したつもりはなかったが、自分でもわからない変化のようなものが、アイーダにはわかるのだろう。そう、それだけの長い時間を共に過ごしてきたんだ。

「いや、このままでいのかなって思ってさ。俺の家は男爵家だ。こんな風に二人と話すのは……」

「もうまたその話?」

 俺の言葉を遮るように、アイーダが口を出す。

「公の場以外では今まで通りの接し方でいいって、話がついたばかりでしょう。真面目なのはジーンのいいところだけど、少しはメイアを見習ったら?」

 その名前を出され、俺は「うっ」と言葉に詰まる。

「そうだな。あれくらいざっくばらんに接してくれたほうが、逆に気にならないだろう」

「ジョシュアまで……。俺にあの天真爛漫さを真似しろと?」

 冗談だろ、と首を振る。

「あそこまでじゃなくてもいいけど、心意気の話よ」

 アイーダは笑いながら言うが、他の、特に貴族階級の大人たちからすれば笑いごとではないだろう。

「気持ちの面でもあいつみたいになったら問題だと思うけどな。なんたって、公爵家の子である二人を足蹴にするような妹だぞ」

 そう、話題に上っているメイアとは、俺の実の妹。そして俺たち兄妹の家は男爵家で、ジョシュアとアイーダは公爵家の人間なのだ。貴族の中でも階級の低い男爵家が、王の血筋である公爵家とこうも親しげに話しをしている。……妹に至っては喧嘩までする。

 許されるはずがない。本来であれば爵位のはく奪どころか、一族郎党根絶やしにされてもおかしくないほどだ。

 両家の母親同士が妙に気が合った、という偶然がなければ、マクレイン家は存在していないだろう。いや、そもそも母親同士が仲良くなければこうしてジョシュアとアイーダの二人と気さくに言葉を交わすことも無かったのだろうが。

「それくらいの距離感でいい、という話だよ。考えてみれば、貴族として表面上の付き合いばかりをしていた母が、平民出身のリリアナ・マクレインに魅かれていくのは当然だったのだろうな」

 ジョシュアが、どこか懐かしむような表情を見せながら言う。俺も、自分の母と公爵夫人が友人同士だということは知っている。だが、二人が今の俺たちのように談笑しているところは数回しか見たことがない。でもきっと、ジョシュアはもっと多くを知っているのだろう。身分の差を超えた、友人同士である母の姿を。

「だから、私たちも母のように。身分にとらわれない、友人としての付き合いを続けていきたい。ただそれだけのわがままさ」

「まあ、そういうことなら」

 そんな言い方をされれば、拒否することなんてできない。俺ばかりが身分の差にこだわっていても馬鹿らしい。

「素直でよろしい」

 さも自分の手柄のように、アイーダは腕を組み「うんうん」と頷く。俺を言いくるめたのはジョシュアだというのに。

「……」

 少しだけ力を入れて、脇腹を小突く。するとアイーダは「あう」なんてわざとらしく呻いた後、こっちを見て片目をつぶった。

 そんな俺たちのやり取りを、ジョシュアが目を細めて眺めていた。しかし、その柔らかな表情にふと、影が差す。

「それに、私はもう公爵家の嫡子ではなく、一人の近衛騎士だ。アイーダならともかく、私と話していることをとがめる者もいないだろう」

「いや、流石にそんなことは」

 ジョシュアは三年前に学院を卒業し、今は近衛騎士として王の護衛を務めている。公爵家の血筋であることに違いはないが、家の継承権を失ったことに強い劣等感を抱いていた。いや、この場合の劣等感は家がどうというよりも……。

「あるとも。ジーンだって知っているだろう。近衛騎士は所詮お飾りだ。魔法適性の低い貴族がその身分を失いたくないがために就く職でしかない」

「ジョシュア……」

 魔法適性の低さ。それがジョシュアの抱える劣等感の本質だ。

 俺とアイーダが明日に卒業を控えている王立貴族学院では、卒業の時に国王から魔力を賜る。そしてどれだけ魔法の才能があるか、貴族の多くが集まる中で明らかになるのだ。どんな結果が出たとしてもそれが覆ることはなく、それが卒業後の人生を決めると言っても過言ではない。

「そんな顔をするな、ジーン」

 知らず、奥歯をかみしめていた。ジョシュアの声にハッとして、顔を上げる。

「この国は、レトナークでは魔法がすべてだ。国の成り立ちから運営に至るまで、あらゆることに魔法が使われている。上級魔法一発撃った程度で魔力が尽きる私では、話にならないんだ」

「それは、事実なのかもしれない。けど……」

「下手な同情はごめんだぞ」

 反論しようとした俺の言葉は、ジョシュアの落ち着いた声に押しとどめられた。

「魔法が使えない貴族に価値は無い。魔法の力で民を導き、この国を守ることこそが、私たちが貴族として生まれた理由であり、使命なのだから」

 その毅然とした言葉と態度に、ただの子供である俺が反論する余地などどこにもなかった。たとえここで何かを言い返したとしても、それはジョシュアの抱く貴族としての誇りに傷をつけるだけだ。

 自然と、視線がうつむいてゆく。ジョシュアの決意も、貴族の誇りも理解できる。けれどどうしても、納得したくないと、自分の子供っぽい部分が表に出ようとしてくる。どうしようもない締め付けをむしり取りたくて、俺は自分の胸に手を当て、握り締めた。すると、


 ――すっ、と。


 固く閉じた自分のこぶしに、誰かの手のひらが重ねられた。

 手のひらは優しくこぶしを包み込み、固まっていた俺の指は、その熱に溶けるようにほどけていく。

 優しさにひかれるまま目を向ける。けれど、ちゃんとその顔を見るのがどこか気恥ずかしくて。微笑みを浮かべた唇が目に入ってすぐ、俺は顔をそむけた。

「堅苦しい話はそこまで。私たちを祝ってくださるのでしょう? それともお兄様は、せっかくの休日を潰してまで私たちにプレッシャーをかけにきたんですか?」

 唇を尖らせたアイーダが、わざとらしくそっぽを向いてジョシュアを責める。けれどその声音は悪戯をする子供のように、楽しげなものに聞こえた。

「すまない、そうだったな。どうも魔法のこととなると頭に血が上っていけない」

 すぐさま反省の色を見せるジョシュア。額に手を当て、本当に申し訳なさそうに謝罪する。けれど俺は、そんな誠実なジョシュアの態度よりも、尖らせたままのアイーダの唇に視線を奪われてしまっていた。

 ごほん、と、ジョシュアの咳払いが耳に届く。

 慌てて正面を向き直し、居住まいを直す。

「さて、そろそろ行こうか。実は、今日はある場所を特別に借りているんだ」

そう言って席を立つジョシュア。続いて俺とアイーダも席を立ち、ジョシュアの背中を追った。歩いている途中、アイーダは「借りてるって、どこだろう? たのしみだね」と話しかけてきたが、俺は生返事しか返せなかった。


 ……さっきの咳払い。単純に話を変えるためのきっかけだったのか、それとも俺の視線に対する注意だったのか。それがどうにも気になってしまって、それどころではなくなっていた。



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