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 ささやかな菓子とお茶を手に何時ものように学習室へと向かうまで三日を必要とした。

 時間は就寝時間間際。

 全寮制の王立学園ではあるものの、この時間まで学習室を使う者と言えば限られている。 大抵の人は与えられた地位と権力と財力に驕り学ぼうとしない。 だからこそ……殿下は私にとって特別で、尊敬するべき方だったのです。

「やぁ、久しぶりだね」

 ルドルフ殿下は何時もと変わらない笑顔で私を迎えてくれた。

 その笑顔に対して、私は何時ものように笑みを返すこと等出来なかった。 それどころか、何時もはどんな思いで、どんな表情を浮かべていたかすら思い出せない。

 私の戸惑いと沈黙に殿下は何かを察したのかもしれません。 彼は神妙な顔で席を立ち、私に椅子を勧めて下さいました。 だけど私は席に着くことなく、彼のためにお茶を淹れる。

 お茶を淹れ、視線をそらし、そして私は独り言のように呟くように語った。 だって……王子の顔を見て語る事等出来る訳なかったのですもの。 私は……彼と愛を語り合った記憶が無かったのですから。

 それでも……私が婚約者なのから……私は心の中で自分を𠮟咤し初めて声を出す事ができたのです。

「先日……グレーテル男爵令嬢とお話をする機会がございましたの」

 殿下の動きが不自然にまるで凍り付いたかのように止まっており、私は次の言葉を紡ぐまでに僅かでしたが時間を必要としました。

 怖かったのです。

「グレーテル男爵令嬢は王子と愛し合っていると……そして、貴方を慰め安らぎを与えるために……夜を共にしたと……殿下……人目がある所で虚言を紡ぐ女性を側に置く事は殿下のためになりませんわ」

 結局、私は殿下を責め、問いただすなんて出来なかったのです。

 万が一にもグレーテル男爵令嬢の言葉が真実なら……それが怖くて……恐ろしくて、大人達の期待に応えられなかった自分の未来が不安で……誤魔化す事しか出来なかったのです。

 ですが、殿下の表情は違いました。
 僅かの間に顔は青ざめ目が不自然に泳いでいたのです。

 あぁ……これは……。

 私は結局、真実を突き付けられてしまったようです。

 聞きたくない!!

 耳を塞ぎたい思いを必死に堪えました。
 だって……余りにも惨めではありませんか。

 殿下は大きく息を吸い、そしてはきだし、次の瞬間には再び笑みを浮かべられたのです。

「知ってしまったのですね。 もっとお互いを理解し、信頼関係を作り上げてから伝えるつもりだったと言うのに」

「それは、どういう意味なのでしょうか?」

 この時の私は余りにも理解力が無かったのだと思います。

 震える手はお茶を殿下に差し出す事も出来ず、零してしまいました。

「っ!!」

「あぁ、大丈夫かい?」

 私の手を取り、手についた紅茶を拭うように殿下は私の手に口付け、舌を這わせたのです。 もし……グレーテル男爵令嬢の話が無ければ、ソレを肯定するような態度や発言が無ければ、私は……この殿下の行為にドキドキと胸を高鳴らせた事でしょう。

 ですが、今となっては……。

「お止め下さい!!」

 私は慌てて手を引こうとしましたが、殿下は私の手を掴んだまま離してはくれませんでした。

「僕達は婚約者だ。 この程度の行為……いえ、もっと早く僕は貴方に対し婚約者として愛情を示すべきでした」

「何を言っていらっしゃるの? 私は……私は……」

 真実から逃げようとしたのは私。 なのに、殿下は容赦なく現実を突きつけて来るかのように思えたのです。

 殿下は私の手に口付けを繰り返し薄く微笑みを浮かべながら私を見つめるのです。

 怖い……。

「どうしたの? まるで狼を前にしたウサギのようです」

 私は必死に手を引こうとしますが、掴んだままの手は離される事はありません。 最初は真実を聞くのが怖かったのに、今は殿下自身が怖い……。

「殿下……私は……ただ、真実を知りたかった。 それだけなのです」

 えぇ、最初から、それ以上は考えていませんでした。
 ただ違うと言って欲しかっただけなのです。

 真実だった時、どうするかなんて考えても居ませんでした。

「グレーテルが言っていたのは真実です」

「なぜ、そんな事を!! 私達は、婚約したばかりなのですよ!!」

「仕方が無かったんだ……。 次期国王として君を愛するべきなのは分かっている。 だけれど……彼女の持つ財力は馬鹿に出来るものじゃない。 彼女に愛を示すのはこの国のためなんだ。 国を支える者、僕の共犯者として……納得してくれないだろうか? 本当に愛さなければいけないのは君だと言うのに……僕は間違ってしまったようだ。 すまない。 許してはくれないだろうか?」

 グレーテル男爵令嬢の言葉は嘘であってほしかった。 例え嘘であっても誤魔化し秘密にしてほしかった。

 挙句に愛しているではなく……愛さなければいけない? まるで義務のように愛を語る殿下の言葉に落雷のような衝撃を受け……私は椅子に座り込む。

 するりと掴まれた手が落とされた。

 そっと見上げた彼の視線は冷ややかで、かけられる言葉は刃だった。

「君を傷つける気など無かった……。 君なら次期王妃として割り切ってくれると思っていたのに……失望したよ」

 涙が……溢れた。
 現実を理解した。

 私なりに愛していたのに……。
 彼を支えたいと思っていたのに。
 幸せになって欲しかったのに。

「わかりました……婚約破棄しましょう。 グレーテル男爵令嬢の言葉は多くの人が耳にしています。 それに……きっと、私が婚約者に相応しくないと言う証拠は簡単に見つける事が出来るでしょうから……」

「僕を……陥れようと言うのか? 僕を愛していたのではなかったのか?」

「えぇ、愛しておりました。 民を思い、国を思う貴方を愛し支えようと考えておりました」

「なら、なぜ別れると言う言葉が出て来る。 何が不満なんだ。 未来の王太子妃と言う役割が君にあるようにグレーテル男爵令嬢にも役割があるだけだ。 それも君が言う民のため、国のためなんだ。 なぜ、理解できない!! なぜ、民の信頼を失わせようとする!! 国の損失を招こうとするんだ!!」

「私が殿下の愛情を欲する女だからですわ!! 大儀だけでいられない……。 えぇ……私はきっと殿下の婚約者としての覚悟が足りなかったのでしょう。 今だって殿下の幸せを願う気持ちは変わらないのですから。 殿下……どうか、殿下に相応しい方を婚約者として改めて下さいませ」

「君は、国も民も僕も見捨てると言うのか……」

「共に過ごした時間……幸せでした……。 より良い未来を歩まれる事を祈っております」

 私は逃げるように学習室を後にした。



 殿下の護衛が、哀れみの籠った視線で私を見ており……私は情けなくて、惨めで……辛くて……自分に言い聞かせたのです。

「この涙と共に殿下への愛は私の中から流れ出るの……だから、明日はきっと平気よラーレ」
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