3 / 6
03
しおりを挟む
ささやかな菓子とお茶を手に何時ものように学習室へと向かうまで三日を必要とした。
時間は就寝時間間際。
全寮制の王立学園ではあるものの、この時間まで学習室を使う者と言えば限られている。 大抵の人は与えられた地位と権力と財力に驕り学ぼうとしない。 だからこそ……殿下は私にとって特別で、尊敬するべき方だったのです。
「やぁ、久しぶりだね」
ルドルフ殿下は何時もと変わらない笑顔で私を迎えてくれた。
その笑顔に対して、私は何時ものように笑みを返すこと等出来なかった。 それどころか、何時もはどんな思いで、どんな表情を浮かべていたかすら思い出せない。
私の戸惑いと沈黙に殿下は何かを察したのかもしれません。 彼は神妙な顔で席を立ち、私に椅子を勧めて下さいました。 だけど私は席に着くことなく、彼のためにお茶を淹れる。
お茶を淹れ、視線をそらし、そして私は独り言のように呟くように語った。 だって……王子の顔を見て語る事等出来る訳なかったのですもの。 私は……彼と愛を語り合った記憶が無かったのですから。
それでも……私が婚約者なのから……私は心の中で自分を𠮟咤し初めて声を出す事ができたのです。
「先日……グレーテル男爵令嬢とお話をする機会がございましたの」
殿下の動きが不自然にまるで凍り付いたかのように止まっており、私は次の言葉を紡ぐまでに僅かでしたが時間を必要としました。
怖かったのです。
「グレーテル男爵令嬢は王子と愛し合っていると……そして、貴方を慰め安らぎを与えるために……夜を共にしたと……殿下……人目がある所で虚言を紡ぐ女性を側に置く事は殿下のためになりませんわ」
結局、私は殿下を責め、問いただすなんて出来なかったのです。
万が一にもグレーテル男爵令嬢の言葉が真実なら……それが怖くて……恐ろしくて、大人達の期待に応えられなかった自分の未来が不安で……誤魔化す事しか出来なかったのです。
ですが、殿下の表情は違いました。
僅かの間に顔は青ざめ目が不自然に泳いでいたのです。
あぁ……これは……。
私は結局、真実を突き付けられてしまったようです。
聞きたくない!!
耳を塞ぎたい思いを必死に堪えました。
だって……余りにも惨めではありませんか。
殿下は大きく息を吸い、そしてはきだし、次の瞬間には再び笑みを浮かべられたのです。
「知ってしまったのですね。 もっとお互いを理解し、信頼関係を作り上げてから伝えるつもりだったと言うのに」
「それは、どういう意味なのでしょうか?」
この時の私は余りにも理解力が無かったのだと思います。
震える手はお茶を殿下に差し出す事も出来ず、零してしまいました。
「っ!!」
「あぁ、大丈夫かい?」
私の手を取り、手についた紅茶を拭うように殿下は私の手に口付け、舌を這わせたのです。 もし……グレーテル男爵令嬢の話が無ければ、ソレを肯定するような態度や発言が無ければ、私は……この殿下の行為にドキドキと胸を高鳴らせた事でしょう。
ですが、今となっては……。
「お止め下さい!!」
私は慌てて手を引こうとしましたが、殿下は私の手を掴んだまま離してはくれませんでした。
「僕達は婚約者だ。 この程度の行為……いえ、もっと早く僕は貴方に対し婚約者として愛情を示すべきでした」
「何を言っていらっしゃるの? 私は……私は……」
真実から逃げようとしたのは私。 なのに、殿下は容赦なく現実を突きつけて来るかのように思えたのです。
殿下は私の手に口付けを繰り返し薄く微笑みを浮かべながら私を見つめるのです。
怖い……。
「どうしたの? まるで狼を前にしたウサギのようです」
私は必死に手を引こうとしますが、掴んだままの手は離される事はありません。 最初は真実を聞くのが怖かったのに、今は殿下自身が怖い……。
「殿下……私は……ただ、真実を知りたかった。 それだけなのです」
えぇ、最初から、それ以上は考えていませんでした。
ただ違うと言って欲しかっただけなのです。
真実だった時、どうするかなんて考えても居ませんでした。
「グレーテルが言っていたのは真実です」
「なぜ、そんな事を!! 私達は、婚約したばかりなのですよ!!」
「仕方が無かったんだ……。 次期国王として君を愛するべきなのは分かっている。 だけれど……彼女の持つ財力は馬鹿に出来るものじゃない。 彼女に愛を示すのはこの国のためなんだ。 国を支える者、僕の共犯者として……納得してくれないだろうか? 本当に愛さなければいけないのは君だと言うのに……僕は間違ってしまったようだ。 すまない。 許してはくれないだろうか?」
グレーテル男爵令嬢の言葉は嘘であってほしかった。 例え嘘であっても誤魔化し秘密にしてほしかった。
挙句に愛しているではなく……愛さなければいけない? まるで義務のように愛を語る殿下の言葉に落雷のような衝撃を受け……私は椅子に座り込む。
するりと掴まれた手が落とされた。
そっと見上げた彼の視線は冷ややかで、かけられる言葉は刃だった。
「君を傷つける気など無かった……。 君なら次期王妃として割り切ってくれると思っていたのに……失望したよ」
涙が……溢れた。
現実を理解した。
私なりに愛していたのに……。
彼を支えたいと思っていたのに。
幸せになって欲しかったのに。
「わかりました……婚約破棄しましょう。 グレーテル男爵令嬢の言葉は多くの人が耳にしています。 それに……きっと、私が婚約者に相応しくないと言う証拠は簡単に見つける事が出来るでしょうから……」
「僕を……陥れようと言うのか? 僕を愛していたのではなかったのか?」
「えぇ、愛しておりました。 民を思い、国を思う貴方を愛し支えようと考えておりました」
「なら、なぜ別れると言う言葉が出て来る。 何が不満なんだ。 未来の王太子妃と言う役割が君にあるようにグレーテル男爵令嬢にも役割があるだけだ。 それも君が言う民のため、国のためなんだ。 なぜ、理解できない!! なぜ、民の信頼を失わせようとする!! 国の損失を招こうとするんだ!!」
「私が殿下の愛情を欲する女だからですわ!! 大儀だけでいられない……。 えぇ……私はきっと殿下の婚約者としての覚悟が足りなかったのでしょう。 今だって殿下の幸せを願う気持ちは変わらないのですから。 殿下……どうか、殿下に相応しい方を婚約者として改めて下さいませ」
「君は、国も民も僕も見捨てると言うのか……」
「共に過ごした時間……幸せでした……。 より良い未来を歩まれる事を祈っております」
私は逃げるように学習室を後にした。
殿下の護衛が、哀れみの籠った視線で私を見ており……私は情けなくて、惨めで……辛くて……自分に言い聞かせたのです。
「この涙と共に殿下への愛は私の中から流れ出るの……だから、明日はきっと平気よラーレ」
時間は就寝時間間際。
全寮制の王立学園ではあるものの、この時間まで学習室を使う者と言えば限られている。 大抵の人は与えられた地位と権力と財力に驕り学ぼうとしない。 だからこそ……殿下は私にとって特別で、尊敬するべき方だったのです。
「やぁ、久しぶりだね」
ルドルフ殿下は何時もと変わらない笑顔で私を迎えてくれた。
その笑顔に対して、私は何時ものように笑みを返すこと等出来なかった。 それどころか、何時もはどんな思いで、どんな表情を浮かべていたかすら思い出せない。
私の戸惑いと沈黙に殿下は何かを察したのかもしれません。 彼は神妙な顔で席を立ち、私に椅子を勧めて下さいました。 だけど私は席に着くことなく、彼のためにお茶を淹れる。
お茶を淹れ、視線をそらし、そして私は独り言のように呟くように語った。 だって……王子の顔を見て語る事等出来る訳なかったのですもの。 私は……彼と愛を語り合った記憶が無かったのですから。
それでも……私が婚約者なのから……私は心の中で自分を𠮟咤し初めて声を出す事ができたのです。
「先日……グレーテル男爵令嬢とお話をする機会がございましたの」
殿下の動きが不自然にまるで凍り付いたかのように止まっており、私は次の言葉を紡ぐまでに僅かでしたが時間を必要としました。
怖かったのです。
「グレーテル男爵令嬢は王子と愛し合っていると……そして、貴方を慰め安らぎを与えるために……夜を共にしたと……殿下……人目がある所で虚言を紡ぐ女性を側に置く事は殿下のためになりませんわ」
結局、私は殿下を責め、問いただすなんて出来なかったのです。
万が一にもグレーテル男爵令嬢の言葉が真実なら……それが怖くて……恐ろしくて、大人達の期待に応えられなかった自分の未来が不安で……誤魔化す事しか出来なかったのです。
ですが、殿下の表情は違いました。
僅かの間に顔は青ざめ目が不自然に泳いでいたのです。
あぁ……これは……。
私は結局、真実を突き付けられてしまったようです。
聞きたくない!!
耳を塞ぎたい思いを必死に堪えました。
だって……余りにも惨めではありませんか。
殿下は大きく息を吸い、そしてはきだし、次の瞬間には再び笑みを浮かべられたのです。
「知ってしまったのですね。 もっとお互いを理解し、信頼関係を作り上げてから伝えるつもりだったと言うのに」
「それは、どういう意味なのでしょうか?」
この時の私は余りにも理解力が無かったのだと思います。
震える手はお茶を殿下に差し出す事も出来ず、零してしまいました。
「っ!!」
「あぁ、大丈夫かい?」
私の手を取り、手についた紅茶を拭うように殿下は私の手に口付け、舌を這わせたのです。 もし……グレーテル男爵令嬢の話が無ければ、ソレを肯定するような態度や発言が無ければ、私は……この殿下の行為にドキドキと胸を高鳴らせた事でしょう。
ですが、今となっては……。
「お止め下さい!!」
私は慌てて手を引こうとしましたが、殿下は私の手を掴んだまま離してはくれませんでした。
「僕達は婚約者だ。 この程度の行為……いえ、もっと早く僕は貴方に対し婚約者として愛情を示すべきでした」
「何を言っていらっしゃるの? 私は……私は……」
真実から逃げようとしたのは私。 なのに、殿下は容赦なく現実を突きつけて来るかのように思えたのです。
殿下は私の手に口付けを繰り返し薄く微笑みを浮かべながら私を見つめるのです。
怖い……。
「どうしたの? まるで狼を前にしたウサギのようです」
私は必死に手を引こうとしますが、掴んだままの手は離される事はありません。 最初は真実を聞くのが怖かったのに、今は殿下自身が怖い……。
「殿下……私は……ただ、真実を知りたかった。 それだけなのです」
えぇ、最初から、それ以上は考えていませんでした。
ただ違うと言って欲しかっただけなのです。
真実だった時、どうするかなんて考えても居ませんでした。
「グレーテルが言っていたのは真実です」
「なぜ、そんな事を!! 私達は、婚約したばかりなのですよ!!」
「仕方が無かったんだ……。 次期国王として君を愛するべきなのは分かっている。 だけれど……彼女の持つ財力は馬鹿に出来るものじゃない。 彼女に愛を示すのはこの国のためなんだ。 国を支える者、僕の共犯者として……納得してくれないだろうか? 本当に愛さなければいけないのは君だと言うのに……僕は間違ってしまったようだ。 すまない。 許してはくれないだろうか?」
グレーテル男爵令嬢の言葉は嘘であってほしかった。 例え嘘であっても誤魔化し秘密にしてほしかった。
挙句に愛しているではなく……愛さなければいけない? まるで義務のように愛を語る殿下の言葉に落雷のような衝撃を受け……私は椅子に座り込む。
するりと掴まれた手が落とされた。
そっと見上げた彼の視線は冷ややかで、かけられる言葉は刃だった。
「君を傷つける気など無かった……。 君なら次期王妃として割り切ってくれると思っていたのに……失望したよ」
涙が……溢れた。
現実を理解した。
私なりに愛していたのに……。
彼を支えたいと思っていたのに。
幸せになって欲しかったのに。
「わかりました……婚約破棄しましょう。 グレーテル男爵令嬢の言葉は多くの人が耳にしています。 それに……きっと、私が婚約者に相応しくないと言う証拠は簡単に見つける事が出来るでしょうから……」
「僕を……陥れようと言うのか? 僕を愛していたのではなかったのか?」
「えぇ、愛しておりました。 民を思い、国を思う貴方を愛し支えようと考えておりました」
「なら、なぜ別れると言う言葉が出て来る。 何が不満なんだ。 未来の王太子妃と言う役割が君にあるようにグレーテル男爵令嬢にも役割があるだけだ。 それも君が言う民のため、国のためなんだ。 なぜ、理解できない!! なぜ、民の信頼を失わせようとする!! 国の損失を招こうとするんだ!!」
「私が殿下の愛情を欲する女だからですわ!! 大儀だけでいられない……。 えぇ……私はきっと殿下の婚約者としての覚悟が足りなかったのでしょう。 今だって殿下の幸せを願う気持ちは変わらないのですから。 殿下……どうか、殿下に相応しい方を婚約者として改めて下さいませ」
「君は、国も民も僕も見捨てると言うのか……」
「共に過ごした時間……幸せでした……。 より良い未来を歩まれる事を祈っております」
私は逃げるように学習室を後にした。
殿下の護衛が、哀れみの籠った視線で私を見ており……私は情けなくて、惨めで……辛くて……自分に言い聞かせたのです。
「この涙と共に殿下への愛は私の中から流れ出るの……だから、明日はきっと平気よラーレ」
38
お気に入りに追加
338
あなたにおすすめの小説
ええ。私もあなたの事が嫌いです。 それではさようなら。
月華
ファンタジー
皆さんはじめまして。月華です。はじめてなので至らない点もありますが良い点も悪い点も教えてくだされば光栄です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「エレンベール・オーラリー!貴様との婚約を破棄する!」…皆さんこんにちは。オーラリー公爵令嬢のエレンベールです。今日は王立学園の卒業パーティーなのですが、ここロンド王国の第二王子のラスク王子殿下が見たこともない女の人をエスコートしてパーティー会場に来られたらこんな事になりました。
学園にいる間に一人も彼氏ができなかったことを散々バカにされましたが、今ではこの国の王子と溺愛結婚しました。
朱之ユク
恋愛
ネイビー王立学園に入学して三年間の青春を勉強に捧げたスカーレットは学園にいる間に一人も彼氏ができなかった。
そして、そのことを異様にバカにしている相手と同窓会で再開してしまったスカーレットはまたもやさんざん彼氏ができなかったことをいじられてしまう。
だけど、他の生徒は知らないのだ。
スカーレットが次期国王のネイビー皇太子からの寵愛を受けており、とんでもなく溺愛されているという事実に。
真実に気づいて今更謝ってきてももう遅い。スカーレットは美しい王子様と一緒に幸せな人生を送ります。
悪役令嬢の私が転校生をイジメたといわれて断罪されそうです
白雨あめ
恋愛
「君との婚約を破棄する! この学園から去れ!」
国の第一王子であるシルヴァの婚約者である伯爵令嬢アリン。彼女は転校生をイジメたという理由から、突然王子に婚約破棄を告げられてしまう。
目の前が真っ暗になり、立ち尽くす彼女の傍に歩み寄ってきたのは王子の側近、公爵令息クリスだった。
※2話完結。
婚約破棄宣言は別の場所で改めてお願いします
結城芙由奈
恋愛
【どうやら私は婚約者に相当嫌われているらしい】
「おい!もうお前のような女はうんざりだ!今日こそ婚約破棄させて貰うぞ!」
私は今日も婚約者の王子様から婚約破棄宣言をされる。受け入れてもいいですが…どうせなら、然るべき場所で宣言して頂けますか?
※ 他サイトでも掲載しています
家族から見放されましたが、王家が救ってくれました!
マルローネ
恋愛
「お前は私に相応しくない。婚約を破棄する」
花嫁修業中の伯爵令嬢のユリアは突然、相応しくないとして婚約者の侯爵令息であるレイモンドに捨てられた。それを聞いた彼女の父親も家族もユリアを必要なしとして捨て去る。
途方に暮れたユリアだったが彼女にはとても大きな味方がおり……。
やって良かったの声「婚約破棄してきた王太子殿下にざまぁしてやりましたわ!」
家紋武範
恋愛
ポチャ娘のミゼット公爵令嬢は突然、王太子殿下より婚約破棄を受けてしまう。殿下の後ろにはピンクブロンドの男爵令嬢。
ミゼットは余りのショックで寝込んでしまうのだった。
婚約破棄? 私の本当の親は国王陛下なのですが?
マルローネ
恋愛
伯爵令嬢として育ってきたウィンベル・マリストル、17歳。
サンセット・メジラマ侯爵と婚約をしていたが、別の令嬢と婚約するという身勝手な理由で婚約破棄されてしまった。
だが、ウィンベルは実は国王陛下であるゼノン・ダグラスの実の娘だったのだ。
それを知らないサンセットは大変なことをしてしまったわけで。
また、彼の新たな婚約も順風満帆とはいかないようだった……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる