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三章音速の騎士

記憶喪失の青年

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「大分遅れちゃったな・・・」

 暗い冬の夜。1人の若い女性が帰路を急ぐ。

 月は2月。冷たい風が手と頬の感覚を麻痺させていく。

 女性は手袋をつけれくれば良かったと心の中で後悔する。

 しかし、家まではあと100mもない。それぐらいなら耐える事が出来るだろう。

「何、あれ・・・?」

 女性の視線に何かが入る。しかし暗くて良く見えない。もう少し近づいてみよう。

「男の人だ・・・!」

 それは男だった。男が気を失って倒れていた。

「早く救急車・・・!」

 こんな所で寝ていたらいずれ死んでしまうと判断した女性は携帯で救急車を呼んだ。



「体温が低下していますが、命に別条はありません」

 医者が女性にそう伝える。女性は安堵の表情を浮かべた。

「一夜明ければ目を覚ますでしょう。暗いので家までお気を付けて───」

「先生、大変です!例の患者さんが!!」

 医療室から看護師が飛び出してくる。看護師は何か恐ろしい物を見たのか目を見開いて驚いていた。

「どうしたんだ、一体?」

「例の患者が目を覚ましました・・・」

「何だって!?」

 急いで医者は医療室へと入っていく。女性も後をついていった。

 部屋に居たのはベッドから上半身を起こした青年。女性が見つけた男だった。

「ここは、何処だ・・・」

 青年は虚ろな目をして医者に質問する。

「病院?何なのだそれは・・・?」

「何って・・・」

 青年は嘘をついているように見えなかった。第一嘘をつく理由などない筈。

 何かを察したのか次は医者が青年に質問する。

「君、名前は・・・?」

「・・・トーマ」

「君の年齢は?」

「分からない・・・」

「では、君の出身地は?」

「分からない・・・」

 やはりかと医者はため息を吐く。女性も今の会話でトーマと名乗る青年の状況が理解わかったようだ。

「記憶喪失だなこれは・・・」

 この青年は自分の名前以外を忘却してしまっているのだ。

 だから病院という単語にも反応出来なかったのだ。

「君はもう帰りなさい。後は私達に任せたまえ」

「は、はい!」

 女性はトーマ青年に心残りがあるものの、自分は邪魔だと理解しているので、素直にその場を立ち去った。



「えっ!?冬馬さん道端で倒れてたの!?」

「ああ、記憶全部無くしてな。唯一の救いが言葉が理解出来た事と、美和子に会えた事かな・・・」

 ため息を漏らすと、冬馬は再び口を開いた。

「美和子はあの後も赤の他人の俺に会いに来てくれたんだぜ。しかも毎日」

 冬馬は少し嬉しそうに昔話を再開した。



「やっほー、また来たよー!」

 元気な挨拶で彼女は入ってきた。俺は少し呆れている。

「また来たんですか?美和子さん。赤の他人に会いにくるなんて酔狂な方だこと」

 病院と呼ばれる医療施設にお世話になって2週間が過ぎた。

 俺の記憶は一向に戻らないが、その代わりに新しい智恵や情報が頭の中に蓄えられている。

 担当の看護師さんが優しい人で良かったと心底思う。

 そして美和子さんに助けられた事も心の底から感謝している。

「道端で倒れていた所を助けてくれたのは感謝しています。ですが、毎日お見舞いに来なくても・・・」

「そうなんだけど、何故か来ちゃうの。貴方に会いたいからかしら?」

「知りませんよそんな事。それよりも今日は大学という所で智恵を蓄える日なのでは?」

「今日はお休みした。別に単位は簡単に取れるから」

「あまりよろしくないですよ」

 身寄りがいない・・・というより思い出せない俺の所に毎日来てくれるのはうれしい。

 しかし、そんな事で自分の人生を狂わせてほしくはない。

 それがトウマの願いだった。

「そういえばトウマさんの名前ってどう書くの?」

「それなんですが、どうも思い出せなくて・・・」

 トウマの名は覚えていたが、肝心の書き方を忘れてしまっていた。

 それでは困るという事で絶賛文字の勉強中だ。今漢字を勉強している。

「そこで考えたのですが、冬の馬と書いて冬馬という名前はどうでしょう?我ながら良い名だと思うのです!」

 漢字を勉強している際に俺は冬という漢字と馬という漢字を見つけたのだ。その2つの漢字を合体させると冬馬トウマになるのだ。

「良いわね、その名前!センス良いわ!」

 彼女はまるで自分の事のように喜んでくれた。何だか小っ恥ずかしい。

「て言うか冬馬さん文字覚えるの早くない!?2週間で漢字覚えられるなんて凄いよ!」

 それに関しては自分も驚いた。もしかしたら自分はこの国、日本に住んでいたのかもしれない。いや、絶対そうに違いない。

「もしかしたら冬馬さん滅茶苦茶頭良かったのかもね!」

「そうかもしれませんね」

 記憶は失ってしまったが、決して絶望や失望はしなかった。

 もしかしたら彼女が毎日見舞いに来てくれているからなのかもしれない。

 彼女には本当に感謝してもしきれない。

「ねえ、冬馬さん。もし良かったらさ、退院したらうちの店で働かない?」

「え、何で?」

「だって記憶もないって事は仕事もないんでしょ?仕事がなかったら生きていけないよ?」

 それは困る。記憶が一切ないからと言って死にたいわけではない。

「でも、良いのか?俺は記憶を失ってるのだぞ?君のお店でヘマをするかもしれない」

「構わないわ。従業員が欲しいってお父さんも言ってたし、それに貴方を放っておけないから」

 嗚呼、何て良い人に出会えたのだろうか。

 俺は美和子さんという救世主の差し伸べた手を握り返すことにした。



「───というわけだ。シトラちゃんアンダースタンド?」

「は、はい・・・」

 話し終えた父はいつものテンションへと戻る。あまりの切り替えっぷりにシトラも少々引いている。

 それよりも───。

「何最後だけカッコつけちゃってんの。『美和子さんという救世主の差し伸べた手を握り返すことにした』って」

「別に良いじゃねえかよ俺だってたまにはカッコつけても」

 別に悪いとは言っていない。でも、格好のつけ所が少しおかしい気がするのは自分だけだろうか?

「で、病院を退院後俺はこの『憩いの場』バイトとして雇ってもらい、夏祭りの花火の下で俺は逆プロポーズをされたのさ」

「素敵ですねっ!!」

「だろ!!」

 シトラの瞳がキラキラとサファイアのように輝く。彼女も年相応の女の子だからそういうロマンチックな恋に憧れているのか?

「でも色々大変だったんだぜ。美和子にプロポーズされたのは良いが、前店主である美和子の親父さんが中々許してくれなくてさ」

 そりゃ当たり前だ。記憶喪失で自分の名前しか覚えていない奴と愛娘をくっつける親が何処にいよう。

「親父さん。もとい歩の祖父は優しい人だったが、優しいからと言ってホイホイと娘をあげるわけがなく、許しをもらうのに1年間程かかった」

「1年も美和子さんと結婚する為にお願いを!?」

「・・・嘘、ホントは1カ月」

 見栄をはる所ではなかっただろう今は!

 父の破天荒な性格には時々頭を悩ませる。

 幼い頃、母から父さんは昔は口数が少ない人だと聞いていたが、果てして本当なのだろうか・・・?

「そんな美和子もとっくに死んじまって親父さんも3年前に亡くなっちまった。今の俺に残っているのは歩1人ってわけよ」

 そう言うと冬馬は歩の頭を撫でる。

 歩は恥ずかしそうに頬を赤く染めると、冬馬の手を払った。

「やめてよ恥ずかしい!」

「ハハハハっ!反抗期って奴か!美和子から聞いてはいたが、悲しいもんだ!」

 と言う冬馬の口からは笑みがこぼれていた。
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