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5章 過去からの声
55. 地下水路
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湿ったような、かびの臭い。
ざあざあと水が流れる音があちらこちらから聞こえ、時折ぴちゃんと水滴の垂れる音が聞こえる。
シャーロットは重いまぶたを上げた。
そこは薄暗い牢の中だった。
牢の外には空間が広がっているようだが、牢の中に設置してある申し訳程度の明かりでは到底見通すことは出来ない。
(そうだ、ランドルフさんが、魔獣を喚び出して……)
強い瘴気に当てられ、ノアが苦しみだしたところまでは覚えている。
それが、どうしてこんなところにいるのだろう。
ノアは、一体どうなったのか。
シャーロットは動こうとして、腕を何かで拘束されていることに気がついた。
上手く魔力を巡らせることも出来ない。
どうやらこの拘束具は、魔力を吸い取るような仕掛けのしてある魔導具なのだろう。
とりあえず状況を把握しようと辺りを見回すと、少し離れたところにもう一人誰か倒れている。
顔は見えないが、小柄なその体躯と、側に落ちている仮面には見覚えがあった。
「メロディさん!」
「……」
シャーロットは呼びかけるが、メロディは目を覚ます気配を見せない。
もう少しメロディの側へ寄ろうとしたその時、がしゃん、と牢の扉が開いた。
入って来たのはランドルフで、目があったシャーロットを見てわざとらしく驚いた表情を作る。
「おや、お目覚めですか」
「ランドルフさん……一体、どうして……。そうだ、ノアは? ノアはどうなったんですか?」
「彼があの後どうなったのかは私も知りませんが……。何の理由を聞きたいんでしょう? 街を魔獣で溢れさせたこと? それとも、貴方をここに連れてきたこと?」
そう言いながら、シャーロットを立ち上がらせた。
「貴女をここに連れてきたのは、ルミナリアの聖女と契約したからです。貴女を向こうに引き渡すようにと。待ち合わせ場所までは少し距離があります。道中でよければ、聞きたいことをお話しましょう」
「メロディさんは……」
「ああ、彼女は間違えて連れてきたしまっただけなので、後ほど処分を考えます。……シャーロットさんの態度次第では、今殺します」
「……ランドルフさんがそんな人だなんて、思っていませんでした」
「どうとでも。さあ、行きますよ」
歩き出したランドルフの後ろを、シャーロットは大人しく着いていった。
どちらにせよ、ここがどこかはまるでわからない。
ランドルフに従う以外の選択肢は無かった。
◆◆◆
広い空間だとは思っていたが、想像以上に広大な空間が広がっていた。
巨大な柱が等間隔に並び、この空間がどこまで続いているのかを確認することは出来ない。
ざあざあと流れる音の正体も分かった。
小さな川程の幅がある水路が、あちこちに流れているのだ。
「あまり私から離れないでくださいね。水路に落ちたら、どこに流されるかわかりませんから」
シャーロットは返事をせず、ただ無言でランドルフの後を追う。
その後しばらくどちらも口を開くことなく、ただ水音だけが辺りに響いていたが、やがてランドルフが話しだした。
「シャーロットさんは、ルミナリアからウィンザーホワイトに来たんですよね。こちらに来て、どう思いました?」
「どう、って……」
そう言われても、特に何も浮かばない。
ルミナリアではほぼ大神殿の中で暮らしていたから外のことはわからないし、ウィンザーホワイトでも殆ど魔導塔で過ごしていた。
ラヴィニアに拾われる前は孤児だったが――。
(あれ、私、どういう風に暮らしていたんだっけ?)
「言葉を選んで頂かなくとも結構ですよ。そう、この国の文化は、大きく遅れているのです」
口ごもったシャーロットを見て、何か勘違いしたらしいランドルフはそのまま話を続けた。
「ルミナリアとの国交が長い間絶たれていた影響で、この国に大陸側の文化が入ってくることはなく、世界の発展に大きく取り残される形になりました。……向こうでは、魔力が無い者でも、魔獣と戦えるような道具があるそうですね。確か銃、と言いましたか」
ランドルフ自身も誰かに吐き出したかったのか、シャーロットが返事をせずとも語るのをやめない。
「今の聖女の働きかけによって、国の交流は再開しました。しかし、潜在的な差別意識が消えた訳ではない。きっかけがあれば、再び交流が絶たれるどころか、下手したら攻めいられてもおかしくない。魔道士を偏重した今の国の形では、いずれ苦労するのは民です。魔力を持たないものは、守ってもらわないと何もできないのですから」
「……言いたいことは、わかりましたが……」
「アルストルは、この国の玄関口です。今この街に滞在しているルミナリアの民も多い。騒動が落ち着いた後、ルミナリアからも復興を支援したいと申し出があるでしょう。ルミナリア風に街を造り替え、それを足がかりに、急速に向こうの文化はこの街に広がります。いずれ、アルストルは魔力持ちとそれ以外の差のない、この国で最も理想的な街となるのです。急速な発展のためには、多少の犠牲は仕方ない」
いつもと同じ、穏やかな口調で語られる未来に、シャーロットは言葉を失った。
この人は、狂ってる。
「そのための対価が、貴女です。貴女を渡して街を少し壊せば、武力で侵略することはないと聖女は約束しました。断る理由もない。……ここに無数にある水路のうち、一つは海に通じています。この迷宮のようなアルストルの地下の構造を、何故ルミナリアの聖女が知っていたのかはわかりませんが……。もうすぐ約束の場所です。暴れないでくださいね? 貴女のことは殺さないよう、向こうから言われているので」
もうすぐ約束の場所、ということは、前方に見える明かりがそうなのだろう。
水路に小さな舟が浮かべられていて、その周りにいくつか人影が見える。
目を凝らして見ると、彼らは見慣れた制服を着ていた。
ルミナリアの神聖騎士だ。
また、あの、地獄の生活が始まるのか。
シャーロットが絶望したその時だった。
「シャル!」
救いの声が、上から響いた。
ざあざあと水が流れる音があちらこちらから聞こえ、時折ぴちゃんと水滴の垂れる音が聞こえる。
シャーロットは重いまぶたを上げた。
そこは薄暗い牢の中だった。
牢の外には空間が広がっているようだが、牢の中に設置してある申し訳程度の明かりでは到底見通すことは出来ない。
(そうだ、ランドルフさんが、魔獣を喚び出して……)
強い瘴気に当てられ、ノアが苦しみだしたところまでは覚えている。
それが、どうしてこんなところにいるのだろう。
ノアは、一体どうなったのか。
シャーロットは動こうとして、腕を何かで拘束されていることに気がついた。
上手く魔力を巡らせることも出来ない。
どうやらこの拘束具は、魔力を吸い取るような仕掛けのしてある魔導具なのだろう。
とりあえず状況を把握しようと辺りを見回すと、少し離れたところにもう一人誰か倒れている。
顔は見えないが、小柄なその体躯と、側に落ちている仮面には見覚えがあった。
「メロディさん!」
「……」
シャーロットは呼びかけるが、メロディは目を覚ます気配を見せない。
もう少しメロディの側へ寄ろうとしたその時、がしゃん、と牢の扉が開いた。
入って来たのはランドルフで、目があったシャーロットを見てわざとらしく驚いた表情を作る。
「おや、お目覚めですか」
「ランドルフさん……一体、どうして……。そうだ、ノアは? ノアはどうなったんですか?」
「彼があの後どうなったのかは私も知りませんが……。何の理由を聞きたいんでしょう? 街を魔獣で溢れさせたこと? それとも、貴方をここに連れてきたこと?」
そう言いながら、シャーロットを立ち上がらせた。
「貴女をここに連れてきたのは、ルミナリアの聖女と契約したからです。貴女を向こうに引き渡すようにと。待ち合わせ場所までは少し距離があります。道中でよければ、聞きたいことをお話しましょう」
「メロディさんは……」
「ああ、彼女は間違えて連れてきたしまっただけなので、後ほど処分を考えます。……シャーロットさんの態度次第では、今殺します」
「……ランドルフさんがそんな人だなんて、思っていませんでした」
「どうとでも。さあ、行きますよ」
歩き出したランドルフの後ろを、シャーロットは大人しく着いていった。
どちらにせよ、ここがどこかはまるでわからない。
ランドルフに従う以外の選択肢は無かった。
◆◆◆
広い空間だとは思っていたが、想像以上に広大な空間が広がっていた。
巨大な柱が等間隔に並び、この空間がどこまで続いているのかを確認することは出来ない。
ざあざあと流れる音の正体も分かった。
小さな川程の幅がある水路が、あちこちに流れているのだ。
「あまり私から離れないでくださいね。水路に落ちたら、どこに流されるかわかりませんから」
シャーロットは返事をせず、ただ無言でランドルフの後を追う。
その後しばらくどちらも口を開くことなく、ただ水音だけが辺りに響いていたが、やがてランドルフが話しだした。
「シャーロットさんは、ルミナリアからウィンザーホワイトに来たんですよね。こちらに来て、どう思いました?」
「どう、って……」
そう言われても、特に何も浮かばない。
ルミナリアではほぼ大神殿の中で暮らしていたから外のことはわからないし、ウィンザーホワイトでも殆ど魔導塔で過ごしていた。
ラヴィニアに拾われる前は孤児だったが――。
(あれ、私、どういう風に暮らしていたんだっけ?)
「言葉を選んで頂かなくとも結構ですよ。そう、この国の文化は、大きく遅れているのです」
口ごもったシャーロットを見て、何か勘違いしたらしいランドルフはそのまま話を続けた。
「ルミナリアとの国交が長い間絶たれていた影響で、この国に大陸側の文化が入ってくることはなく、世界の発展に大きく取り残される形になりました。……向こうでは、魔力が無い者でも、魔獣と戦えるような道具があるそうですね。確か銃、と言いましたか」
ランドルフ自身も誰かに吐き出したかったのか、シャーロットが返事をせずとも語るのをやめない。
「今の聖女の働きかけによって、国の交流は再開しました。しかし、潜在的な差別意識が消えた訳ではない。きっかけがあれば、再び交流が絶たれるどころか、下手したら攻めいられてもおかしくない。魔道士を偏重した今の国の形では、いずれ苦労するのは民です。魔力を持たないものは、守ってもらわないと何もできないのですから」
「……言いたいことは、わかりましたが……」
「アルストルは、この国の玄関口です。今この街に滞在しているルミナリアの民も多い。騒動が落ち着いた後、ルミナリアからも復興を支援したいと申し出があるでしょう。ルミナリア風に街を造り替え、それを足がかりに、急速に向こうの文化はこの街に広がります。いずれ、アルストルは魔力持ちとそれ以外の差のない、この国で最も理想的な街となるのです。急速な発展のためには、多少の犠牲は仕方ない」
いつもと同じ、穏やかな口調で語られる未来に、シャーロットは言葉を失った。
この人は、狂ってる。
「そのための対価が、貴女です。貴女を渡して街を少し壊せば、武力で侵略することはないと聖女は約束しました。断る理由もない。……ここに無数にある水路のうち、一つは海に通じています。この迷宮のようなアルストルの地下の構造を、何故ルミナリアの聖女が知っていたのかはわかりませんが……。もうすぐ約束の場所です。暴れないでくださいね? 貴女のことは殺さないよう、向こうから言われているので」
もうすぐ約束の場所、ということは、前方に見える明かりがそうなのだろう。
水路に小さな舟が浮かべられていて、その周りにいくつか人影が見える。
目を凝らして見ると、彼らは見慣れた制服を着ていた。
ルミナリアの神聖騎士だ。
また、あの、地獄の生活が始まるのか。
シャーロットが絶望したその時だった。
「シャル!」
救いの声が、上から響いた。
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