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仲違い3

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 来週の放課後、そう約束をして私は王子と別れた。
「おぉ……、既に凄い……」
 ノートを広げて飛び込んできた、あまりにも規則正しい文字に息を呑んだ。
 文頭が見事に揃っており、時々描かれている図なんかも、人の手で描かれたものだとは思えぬ美しさがあった。
 夕食を食べてお風呂に入り、部屋に戻った私のルーティンは勉強タイムである。いつもなら、レオンが訪ねてきて教えてもらうことになるのだが、今日は予め断っておいたのだ。
 居住まいを正して、早速ノートに目を通していく。
「『魔法とは空気中のマナ分子に魔力分子を結合させることで発現する。結合させる際、魔力分子に命令を与えることで術となり、魔術となる』」
 読んだ文言の下には、互いに凹凸を持った球体がピッタリとはまり合う絵が記されていた。その球体には一つに『魔力・水属性』、もう一つに『マナ分子』と書かれている。
「『魔術の操作性とは、単純な構造を持つマナ分子だけでなく、複雑なマナ分子をも支配下に置くことをいい――』」
 先に目を走らせた図には、三つや五つもの凹みがあるマナ分子が描かれていた。
「『一般的に、三十パーセント程度の操作性を低位能力、五十パーセントを――』」
「『中位能力、八十パーセントを高位能力という』」
 突然の声に慌てて後ろを振り向いた。しかし思ったよりもずっと近かったレオンの顔にすぐ身を引いた。
「な、なに?」
「お前のことだからサボってんじゃないかと思ってさ」
「……見にきたの?」
「あぁ。けど、本当に勉強してんだな」
 レオンはノートを覗き込むように身体を寄せてきた。そしてヒョイとノートを奪い去る。
「あっ! ちょっと、返してよ!」
 手を伸ばすも避けるように頭上に上げられた。立ち上がって背伸びをすると、更に上へ上げられた。
「もう! 本当に返してよ、大切なものなんだから!」
 けれど聞く耳も持たずレオンはパラパラとノートを捲っていく。
「へぇ、中々細かく書いてある。しかも随分先のところまで……。レアに上級生の知り合いなんかいたっけ?」
「そんなのどうでもいいでしょ! 早く返してよ!」
 王子の大切なノートだ。ちょっと見ただけでもどれだけ丁寧に作られたかがよく分かる。汚したり破れでもしたら、どうお詫びをしたら良いのか分からなかった。
「ちょっと見てるだけだろ。すぐ返すって」
 そう言いながらも、頭上に掲げたノートを一枚捲る。全然すぐ返す気なんかない。
「もう!」諦めて腰を落とす。「絶対に汚したりしないでよ!」
「はいはい」
 私が諦めたのを良いことにレオンはノートを下げてじっくり読み始める。暫くパラパラと読んでいると、やがて怪訝に眉を寄せて顔を上げた。
「お前、窃盗はれっきとした犯罪だぞ……」
「はぁ⁉︎」
 叫んだ私にレオンはノートでも最後の方のページを開いてみせた。そこに流麗な文字でサインが記されている。案の定そこには――ユーリ・ディルバ――王子の名が残されていた。
「ち、違うから! 今日、たまたま頼まれてちょっとお借りしてるだけだから!」
「頼まれる? 借りる?」
 慌てて弁明するも、レオンの眉間の皺はより深まった。私はコクコクと頷いた。
「ユーリ様が研究の一環で、参考書をつくるらしいの。それで、試作品の感想が欲しいって」
「それをなんでレアが?」
「それは本当たまたまで……」
 私はレオンに事の顛末を話した。
 勿論、レオンを避けて彷徨っていたところは、散歩と誤魔化して。食事をご馳走になったところまでを伝えた。
「へぇ、だから昼、見当たらなかったのか」
「えっ、なんか用事でもあったの?」
 問えばレオンに目を逸らされた。
「……まぁな。でも大したことじゃないから別に良い」
「ふ――ん?」
 本人がそういうのならと聞き流した。
「あっ、そうだ。それで来週、感想を伝えるって約束になっててね、だからその日は先に帰ってていいから」
「放課後?」言いながらレオンは私の隣に腰掛けた。「昼じゃなくて?」
 私は近くに来たレオンに少しドキドキしつつ、ふいと顔を逸らして答えた。
「細かく話を聞きたいからって。ほら、昼休みは一時間しかないでしょ。一次発表までの時間もあまりないんだって」
「発表ね。それにしては随分と無計画だな、天才ともあろう人間が」
 レオンの嘲笑する声にムッとした。困っている人のために一生懸命な王子が馬鹿にされているようで、なんだか腹が立ったのだ。
「ユーリ様だって忙しいんだから全てを完璧にこなせるわけじゃないでしょ」
「万事を完璧にこなすから国宝なんて言われてるんだけどな」
「そしたら尚更、ただの一つくらい上手く進まないことがあっても普通でしょ」
 話していればなんだか苛々としてくる。いつもは適当に折り合いをつけるのに、今日のレオンはいちいち嫌味っぽい気がした。
「随分ユーリ殿下の肩を持つな」
「別にそういうわけじゃないけど。レオンこそ意地悪っぽいよ」
 今日ばっかりは早く帰って欲しいと思った。
 けれどレオンは私の髪を一束掬う。それをクルクルと指に巻き付けて遊んだ。
「……なに?」
 軽く睨めば、レオンは存外柔らかく笑んでいた。
「普通さ」
 勿体振るようにゆったりと言葉を紡いだ。
「なによ」
「婚約者が他の男と親しげにしていたら良い気はしないと思わない?」
「は……はぁ?」間抜けな声が出て、遅れて顔が熱くなった。「なに言ってんの、あんな口約束……」
「口約束でも約束だろ。少なくとも俺は父さんが考えているような展開でグダグダ待つつもりはない」
「……そんなこといったって」
 自分の顔が醜く歪んでいくのを感じて俯いた。
 今の私に甘い言葉は辛かった。期待して結ばれなかった時を考えるのが苦しいのだ。
 いくらレオンが優秀だって、家長たるミルベス伯爵の采配に委ねられることは揺るぎない。何をどうしたって長年動かなかった状況が劇的に好転することなどはありえないのだ。
 それに、どういう結果を待つのかだってレオンは言わないし、私だって聞く勇気は持ち合わせてはいない。改めて幼馴染としてしかみれないなんて言われた時には立ち直れる気がしなかった。
「と、とりあえずこの話はもう良いから。勉強も、暫くはユーリ様のノートを読み込みたいし、大丈夫!」
 言いながらレオンの腕を引いて立ち上がらせた。
「は? ちょっと待て、俺は――」
「じゃあ、おやすみ。また明日」
 背中を押して外へと追いやった。
「おい、レア」
 声を無視して扉を閉じる。深く息を吐くと一気に気が抜けて、そのまま床にへたり込んだ。
 うるさい心音と共に頭もガンガンと脈打っている。私は両手で耳を押さえ込んだ。
 聞きたくない。今は、なにも聞きたくはない。
 もう何年も期待し続けた私の心は、婚約という話に忌避感を覚え始めていた。
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