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誘拐

庭園にてその前に2

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 分かっていた。
 どうして――なんて聞かずとも。
 イルヴィス様は、ミラあの女に情けをかけたのだ。愛などでは、決してない。ただの憐憫の情に過ぎないものを。
 決して口にはできぬ想いを、その胸に吐き出していく。
 だから、イルヴィス様は、婚約者が行方不明だというのにその行方すら把握されていない。
『イルヴィス殿下は婚約者のミラ・オーフェルを溺愛している』なんてくだらない噂は、全て嘘なのだ。
 大体、あのイルヴィス様に『溺愛』という言葉がおかしい。イルヴィス様といえば、いつだってなのだから。
 嬉しくも悲しくも、イルヴィス様の愛に差などない。誰にだって同じ量と質を分け与えてくださるのだ。
 ミラ・オーフェルは分かっていない。
 なにが『遊ばれている』『揶揄われている』だ。
 まるで自分が特別かのように……。
 募る苛立ちに拳をギュッと握り締める。ゆっくりとイルヴィスを捉えてから。
「あの、そういえばミラ様のお姿をお見掛けしないしないのですが、こちらではあまり過ごされないのでしょうか?」
 賭けだった。この答えで、イルヴィスの本心が分かるような気がしていた。
 ゴクリと固唾を飲む。
 けれど、その答えは割とすぐに、
「彼女でしたら、調」と。
 思ってもみない素敵な言葉で返ってきた。
 しかし、なにより嬉しかったのはイルヴィスの表情だった。
 そこには、微かながらも笑みが浮かんでいたのだ。
 これは紛れもない嘘だ。
 離宮なんてそんなところにミラあれがいるはずがないのだから。
 シャーレアは、緩みそうになる頬をキッと引き締めて、眉を下げてはイルヴィスに向き合った。
「まぁ! それは……、大事ではないのですか?」
 尋ねれば、イルヴィスはゆったりとカップに手を付けた。
「いえ、大したことはないようです」
 口を付けて静かにカップを置いた。
「そうですか、良かった……」
 胸がザワザワと騒ぎ出す。
 自分の考えは間違っていなかったと、強い高揚感を得て。心はふわふわと軽くなる。
 シャーレアはふっと笑みを溢していた。
「ありがとうございます。ご心配いただいて」
 そう言ったイルヴィスの笑みには、少しだけ口元に隙間があった。その形の良い唇に、シャーレアは身体がカァッと熱くなるのを感じた。
 目を逸らす。
「いえ、そんな……。でも、早く良くなると良いですね。回復されましたら、是非ミラ様とお出掛けをさせていただきたいですわ。ハーデウスには、素敵な場所が沢山あると聞きましたので」
「伝えておきます。……ところでシャーレア嬢は、どこか気になる場所が?」
「あっ……、はい。実は、こちらへ来るのが楽しみで仕方がなくて、日夜見聞きしておりまして……」
 モゴモゴと事実を口にすれば、イルヴィスは楽しそうな笑みを向けて。
「そうでしたか。それは嬉しいお話ですね。私で良ければいつでもご案内させていただきますので、お声掛けくださいね」と。
 それは、シャーレアにとって光明だった。
 思わず、ポカンと口が開き。しかし急いで、顔を引き締めた。
「え……、ええっと。あの、本当に?」
 おずおずと尋ねてみる。
 今まで、イルヴィス自身からの誘いは皆無だった。
 聞けば、イルヴィスはにこやかに頷いて「勿論」と。
 それから続けて、「どちらへ行ってみたいですか?」なんて言葉を。
 シャーレアは、あわあわと無駄な回転ばかりする脳に鞭を打ち、やっとのことでひとつの場所を口にした。
「…………わた、くしは、マーガレット園が……」
 言えば、イルヴィスはすぐに察知して、
「ルーメル修道院ですね」と。
 シャーレアはこくこくと頷いた。
 特別その場所に思い入れがあったわけではなかった。けれど、シャーレアはマーガレットという花が好きだった。
 マーガレットの花言葉は、『真実の愛』『秘めた愛』。
 それは、長年抱き続けた自身の想いに相応しい花だったから。
「ありがとうございます! イルヴィス様、お約束ですよ!」
 この時、シャーレアは途轍もなく久々に、思い切り笑ったような気がしていた。

「イルヴィス様、ご歓談中申し訳ありません。少し、急ぎの件が……」
 あれから暫く会話を楽しむ二人の前に、シャーレアにはあまり馴染みのない、リドーがイルヴィスへと寄っていった。
 シャーレアには聞こえないよう、よく訓練された忍び声で耳打ちをする。
 イルヴィスの表情は、途端に少し険しくなった。シャーレアは、ミラのことを聞いたのではないかと、ソワソワする。
 しかし、ややあって。イルヴィスはシャーレアに顔を向けた。
「申し訳ありません、シャーレア嬢。少し長くなりそうなので、お身体を冷やされぬよう一度お部屋へお送り致します」
 イルヴィスが立ち上がる。
 シャーレアにとっては、そんな気遣いもまた嬉しかった。
 けれど、『私はミラ・オーフェルのようにイルヴィス様に甘えて集るような下衆ではない』と。そう自分に言い聞かせて、口を開いた。
「いえ、わたくしは少し庭園を見て戻りますので。イルヴィス様はどうかそのままで。その代わり……」
 口が渇いていた。
 やっぱりやめとけば良かったと後悔をする。けれど、羞恥を押し切って、なんとかシャーレアは欲望を言葉に吐き出した。
「…………また後ほど、お話しさせていただけますか?」
 俯いた顔を少し上げ、様子を窺ってみればイルヴィスは。
「……っ勿論です」
 なんて、あろうことか頬をほんのり染めていた。
 シャーレアには、その光景が夢でも見ているかのようで。嬉しくて、涙すら溢れ落ちそうな気持ちで。
 温かい気持ちを持って、歩き出した。
 戻る道も身体がふわふわと浮いているようだった。
 後でどんなお話をしようかしら。
 他にはどんな場所へ行こうかしら。
 無限に湧く夢を、大事に大切に。ぱんぱんに膨らませていった。
 けれど――
「シャーレア様!」
 ミラ・オーフェルがシャーレアの前に現れた。
 何故かここにいるはずのないミラだった。
 シャーレアの世界は、途端に地獄へと堕ちていく。
 けれど、顔には胡散臭い驚きを張り付けて、調節して出した高い声で駆け寄った。
「まぁ、ミラ様! ご体調は、もう宜しいのですか?」
 
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