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雨の中
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嘘でしょ。完全に、喋り過ぎた……。
しかも、扉の鍵すら閉まってる……。
内側から、扉の鍵をクルリと回すだけの簡単なやつだから、誰かが間違えて施錠しちゃったのかなぁ……、とかはもうこの際どうでも良くて。
「さ、寒い……」
「だな……」
貴族特有のやたらと重々しい服装が雨水を存分に吸って、突然のゲリラ豪雨に打たれた私たちは、たったの数分で冷水漬けになっていた。
激しい勢いで奪われていく体温に、普通に歯がカチカチするレベル。
「取り敢えず、あそこまで走れるか?」
指をさされたそこは、ベンチに木陰を作るためだけに植えられた数本の木がある方向。私たちは出入り口で雨に降られたので、木までは少し距離があった。
でも、それくらいはどうということはない、私は力強く頷いた。
つもりだったのに……。
「――っな⁉︎ ぶっ……ぶわっ!」
ふわりと身体が浮く。顔が空へと向いて、顔面モロに雨水シャワーが降りかかる。
急いで顔を背けて、訴えるも――
「わ、私、大丈夫って頷いたんだけど!」
「いや、なんかアンタ、走るの遅そうだなぁと思ってさ」
軽く笑っていなされた。
「そ、そりゃあ、このドレスなんか色々付いてるから遅いかもだけど……。でも、大丈夫! 普通に走れるから! ていうか、重いから!」
そして、横抱きなんて初めてで恥ずかしいから早く降ろして!
しかし、アスラはそんな私を一瞥すると、
「まぁ、重いな」
なんて笑いながら言ってのける。
「だ……だからいったのに! ちなみにその重さの殆どはこのドレスだからね! 私じゃないからね! ていうか、降ろして!」
張り付いたドレスなんてお構いなし、羞恥で足をバタバタさせて叫ぶものの、アスラの方が随分上手うわてだったりして。
「そんな元気があるなら大丈夫だな」
と笑うのだった。
こんな状況でそんなことを言われては、私だって抵抗しようがなくなって。
どれだけ良いやつなんだ、こいつは……。なんて思っていれば、着いた木陰に優しく降ろされた。
「あ、ありがとう……ございます」
礼を告げれば、アスラは相変わらずの気さくな笑みを返してくる。
「別に。これで、教科書見せられなかったのはチャラだ」
「いや、それは全然……」
気にしなくて良いんだけどな……。
まるで均衡が取れていない相殺宣言に、良い人すぎて騙されたりしないか心配になってくるレベル。
けれど、アスラは『良いことしましたぞ!』みたいなオーラを僅かにも出すことはなく空を見上げ、
「しっかし、これは全く止みそうにないな」
なんて髪を掻き上げる。
弱ったな……みたいな、悩ましげな表情も相まって、それは異様なまでに艶っぽい雰囲気を漂わせていたりして。特に意識してなかった私の胸は大きく跳ねた。
これは……。
思わず生唾を飲む。
え、えろ…………。って! 違う違う! こんな時になにドキドキしてるんだ!
アスラの不意の魅力に一瞬取り憑かれ、私は頭をぶんぶん振って振り切った。
取り敢えず、ここから。この先をどうするかだ。いつ止むかも、いつ開くかも分からないのに、ずっとこのままはまずいだろう。
私はそれをアスラに伝える。すると、意外と呑気に、
「まぁ、放課後になれば流石に見回りがくるだろ。そうじゃなくたって、お互い、迎えの者がいるんだ。暫く姿がなければ探すだろ」 「……まぁ確かに」
持った焦りはすっかり鎮められ、私は静かにアスラと横並びで座ってぼーっと空を眺めることになった。
「止まないですねぇ」
暇で呟けば、
「まぁ、天気は気まぐれだからな。仕方ないな」
そんなことを返された。
――天気は気まぐれなんだ。仕方ないよ。
父の言葉がふと頭をよぎる。
おんなじような事を言ってたなぁ、と。
目を閉じれば、後悔がひしひと蘇る。
私――ミラ・オーフェルは、じゃがいもを特産とするオーフェル伯爵領の領主、コナー・オーフェルの一人娘だ。
今から三年前程、その頃はまだ、いち貴族として倹約的ながらもそこそこ良い生活をしていた……はずだった。
けれども、一昨年前からの記録的な天候不順により酷い干ばつに見舞われて、その結果恐ろしいほどの凶作に陥った。となれば、領地経営及び家計に影響が出るのは自明の理で、あっという間に両者、火の車と相成った。
代々安定経営の我が領地も、いよいよ備えを食い尽くして借金へと足を踏み入れて。その殆どが、領民の生活の保護――農業再興、暮らしの保障へと消えていく。
家計に回るお金なんて微々たるもので、それで買えたのは小麦粉とちょっとしたお肉のキレ。基本的には、貯蔵庫の出荷できない傷物野菜なんかを消費して生活をする日々だった。
だから献立も、小麦粉を練って茹でるか焼くしたものと野菜スープっていうのがお決まりだったんだけど。そこからいつしか小麦粉が消え去って、野菜スープからは肉くずが、玉ねぎが、人参が消え去った。
そして、いよいよ一昨日の朝食で、スープになるはずの水分をビタビタに吸い上げた、茹でじゃがいもオンリーの献立となってしまったのである。
それは、貯蔵庫にあったじゃがいも以外の野菜が全て底を尽きたことを意味しており、同時に貯蔵庫内の在庫切れがもう間近であることの知らせでもあった。
つまりは、私たち一家の没落が、もうすんでのところまで来ているというわけだったのだ。
けれど、そんなことは結構前から想像がついていた。半年前、私がこの王侯貴族御用達の学園に入学を決める頃にはとっくにほぼ垂直程度に傾いていたのだから。
だから、私は学園への入学を断固拒否したのだ。貴族とあらば学園の卒業は基本みたいなところがあるけれど、それでも別に義務ではないから行かないと。
それなのに、父も母もこの時ばかりは駄目だと言って聞いてくれなくて。どこにとってあったのか、高い入学費に教材費、入学準備資金等々捻出の上、私を学園へと送り出したのだった。
『また神様の気が向いてね、雨が沢山降れば大丈夫。美味しいじゃがいもがいっぱい穫れて、いつも通りの暮らしに戻れるから。王都に行って、ミラが雨を呼んできてくれるかも知れないから』
そんな根拠のない夢を言いながら。
結局、雨なんて、全然降らないじゃない……。
事実、我がオーフェル伯爵領には未だに雨は降っていない。火の車どころか、もはや領土自体が燃え尽くすような勢いだ。
このままでは、一家露頭に迷うかも知れない。そう思っての一昨日の行動。
正直、空腹からの発心っていうのもあるけれど、『学園を好成績で卒業して良い婚姻を決める! そして相手側から多大な援助を!』なんて長い夢を実行している時間すらないのだと思い知らされたというのが一番の理由だ。
だから、取り敢えず妾候補だろうがフリだろうが、とにかくお金持ちと懇意になって助けて貰おう! なんてそんな策に乗り出したってわけなんだけど。
それでまさか、王子が引っ掛かるとは思わなかったよね……。しかも、王子まで訳ありとか。
そういえば、昨日、父と母とは何を話したんだろう? 早速支援かな? 週末聞いてみようっと……。
物思いに耽っていれば、ふと上からの雨水が殆ど落ちてきていないことに気がついた。
さっきまでは木陰といえど、ポツポツとは落ちて来てたのに。
止んできた……?
そんなことを考えながら上を向く。
しかし、上を向いて、私はすぐに固まった。
「……な、んだこれ」
そう呟いた先、そこにはジャケットを脱いで水で張り付いた透け透けシャツで覆いかぶさるアスラがいた。
「お――、どうだ? こうすれば結構良い屋根になるかと思ってな」
「や、屋根……」
呟いて、私は異様に熱帯びる顔をもう少し上へと向けてみる。
すると、木の枝にジャケットの首元を引っ掛かけて、その裾をアスラが持つことで私の上に屋根を作っているようだった。
「な、なるほど……」
「で、どうだ? 良い感じか?」
明るく問われて、思わずアスラに目が行って。その異様なフェロモンにすぐさま目を逸らす。
これは、見てはいけないやつ……!
私にはまだ早いやつだ‼︎
そう思って赤い顔を冷やそうと、頬に手をやりながらもコクコクと頷けば、上からベチャリとジャケットが落ちてきた。
「――ぅぶ」
一瞬の真っ暗闇。じんわり香る、異性の匂い。そして、前からアスラが顔を出せば――
「お前、大丈夫か? なんか顔が赤いけど」
頬にゴツゴツした手がぴとりとくっついて。
糸がプツリと切れる音がした。
頭に被さるジャケットなんか気にもせず、咄嗟に勢いつけて立ち上がり。
「わわわわ私! ちょっと助け、呼んできます!」
叫べば、私は取り敢えず雨降り仕切る空の下に飛び出して。アスラの制止の声なんか聞きもせずに走り出した。
そういえば、三階にテラスってあったよね!
そんなことを思いつけば、二階分の高さを飛び降りる恐怖なんて全く考えず、ただひたすらにフェンスに足を掛けた。
「ちょっと待て! お前まさか――」
叫び追いかけるアスラに私は、私は目をぐるぐる回しながらもなけなしの笑みを振りまいて。
「すぐに助けを呼んできますね!」
そう言って飛び降りようとした。
けれど、まさか足まで速かったアスラに手を取られ、
「ちょ……お前、一旦落ち着けって」
「大丈夫大丈夫、落ちついますから!」
あれやこれやと揉み合いになっている内に――
「わ……? ああぁぁぁぁ――」
「……こうなるか」
私たちは二人で仲良く三階へと落ちていった。
落下打ち付け、大怪我決定。
授業をサボった挙句、級友にまで怪我をさせた私って退学決定では――?
自分の運命と、運のなさ、要領の悪さを呪いつつ。せめて優しき友人に謝罪を、そんなことを思った時だった。
「起動――ロダンヘイムの指輪・発動――風の中位魔法ガストブロウ・抱き上げるように」
爽やかで透き通るような声が響き渡る。
落ちる私たちの身体は温かい風で包まれて、ふわりとこの身を抱き上げられる。
声の先には、何故だか王子がいて。しかも、喜色に彩られた笑みなんか浮かべていた。
「良かった、無事で……!」
「な、何故ここに……?」
疑問に問うた言葉は掻き消され、王子は長い脚で空いた距離を詰めてくる。
不思議と雨も上がり、晴れ間すらのぞいていた。
「怪我は? 痛いところは?」
「えっ……と、それは……大丈夫ですが」
「それは良かった」
尋ねながらもあっという間に私の目の前にまでやって来て、今度はスッと手が差し出された。
「さぁ、こちらに」
「あ、えっと……」
王子の突然の登場とか、初めて見る魔法とか、その他諸々混乱した頭で少し躊躇する。
けれど、私が手を出すより早く、揉み合いついでに掴んでしまっていたアスラの腕から引っ剥がされ、割と強めの力で王子の元へと抱き寄せられた。
「わっ……わわ!」
びっくりして思わず声が出る。
なんせ、さも大切そうにギュッと抱きしめられているのだから。
な、なんだこれ! アスラ一人のために、やり過ぎじゃない……⁉︎
そう思って慌てて身じろぎする。
「あ、あの! 私、すっごい濡れてるので!」
言いながら胸を押し返し、やっとの思いで距離を取る。あれ……、結構王子も濡れてるな? とか思いながら。
けれど、王子はすかさず私の首元にまで手を伸ばし、
「本当だ……、すっかり冷えきってる。早く温めないと」
するりと首から肩、肩から鎖骨の辺りに触れたりして。
ちょ……ちょっと! 今は人前、人前ですよ!
って、人前だからか!
なんて心で叫んでいれば、王子はパチンと指から良い音を鳴らして側近さんを呼びつける。
よく出来た側近さんは、王子がなにも口にせずともその目線だけで頭を下げ、
「準備は整っております、イルヴィス様」と。
「良かった。じゃあ、行こうか」
そう言うと王子は、私の腰に手を当てて誘導し、
「や、あ、あの……?」
私が混乱を見せれば、全てを封殺するような完璧な笑みと共にこう言った。
「嫌な予感がしたからね。念の為に、教室の一つを休憩室として準備しておいたんだ。そこに着替えと、簡単な湯を張ってある。存分に温まってくれ」
え……、は? 湯……⁉︎
「ちょちょちょちょっと! 私、流石に学園内で素っ裸になんてなれませんよ⁉︎」
叫べば、
「大丈夫、僕が見守るよ」
「いや、それ、一番ダメなやつ!」
まずい! つい声に出しちゃった!
けれど、王子は「ははは」なんて楽しげに笑っていて。
なんだ……? なんなんだこのノリは……?
尚も更なる混乱に巻かれつつ、グイグイ押してくる腕の力に押し負けて足が進んでしまったところでハッとして。
「あっ、ちょっと待ってください! アスラが……、アスラもびしょ濡れなんです! 風邪をひいてしまいます!」
咄嗟に訴えたものの、王子の目元からスンと笑みが消えていく。口元だけは不自然に弧を描いているのが妙に不自然だった。
無理するなら、ここまでやらなければいいのに!
そんなことを胸中突っ込んでいれば、王子がゆったりと口を開いていった。
「大丈夫だよ、彼なら。彼ほどの家の者なら、同等の準備くらいしてあるさ」
ねぇ? と王子はアスラを振り返る。
そんな王子にアスラも、
「……はい、心配はご無用です」
なんて返事を返したりして。王子は「ね?」と笑みを向けてきた。
「でも……」
気になる私は、腰を押されながらもアスラを振り返り。
「あ、あの……、また明日! 風邪、ひかないようにね!」
叫んでそのまま校内へと連れて行かれたのであった。
しかも、扉の鍵すら閉まってる……。
内側から、扉の鍵をクルリと回すだけの簡単なやつだから、誰かが間違えて施錠しちゃったのかなぁ……、とかはもうこの際どうでも良くて。
「さ、寒い……」
「だな……」
貴族特有のやたらと重々しい服装が雨水を存分に吸って、突然のゲリラ豪雨に打たれた私たちは、たったの数分で冷水漬けになっていた。
激しい勢いで奪われていく体温に、普通に歯がカチカチするレベル。
「取り敢えず、あそこまで走れるか?」
指をさされたそこは、ベンチに木陰を作るためだけに植えられた数本の木がある方向。私たちは出入り口で雨に降られたので、木までは少し距離があった。
でも、それくらいはどうということはない、私は力強く頷いた。
つもりだったのに……。
「――っな⁉︎ ぶっ……ぶわっ!」
ふわりと身体が浮く。顔が空へと向いて、顔面モロに雨水シャワーが降りかかる。
急いで顔を背けて、訴えるも――
「わ、私、大丈夫って頷いたんだけど!」
「いや、なんかアンタ、走るの遅そうだなぁと思ってさ」
軽く笑っていなされた。
「そ、そりゃあ、このドレスなんか色々付いてるから遅いかもだけど……。でも、大丈夫! 普通に走れるから! ていうか、重いから!」
そして、横抱きなんて初めてで恥ずかしいから早く降ろして!
しかし、アスラはそんな私を一瞥すると、
「まぁ、重いな」
なんて笑いながら言ってのける。
「だ……だからいったのに! ちなみにその重さの殆どはこのドレスだからね! 私じゃないからね! ていうか、降ろして!」
張り付いたドレスなんてお構いなし、羞恥で足をバタバタさせて叫ぶものの、アスラの方が随分上手うわてだったりして。
「そんな元気があるなら大丈夫だな」
と笑うのだった。
こんな状況でそんなことを言われては、私だって抵抗しようがなくなって。
どれだけ良いやつなんだ、こいつは……。なんて思っていれば、着いた木陰に優しく降ろされた。
「あ、ありがとう……ございます」
礼を告げれば、アスラは相変わらずの気さくな笑みを返してくる。
「別に。これで、教科書見せられなかったのはチャラだ」
「いや、それは全然……」
気にしなくて良いんだけどな……。
まるで均衡が取れていない相殺宣言に、良い人すぎて騙されたりしないか心配になってくるレベル。
けれど、アスラは『良いことしましたぞ!』みたいなオーラを僅かにも出すことはなく空を見上げ、
「しっかし、これは全く止みそうにないな」
なんて髪を掻き上げる。
弱ったな……みたいな、悩ましげな表情も相まって、それは異様なまでに艶っぽい雰囲気を漂わせていたりして。特に意識してなかった私の胸は大きく跳ねた。
これは……。
思わず生唾を飲む。
え、えろ…………。って! 違う違う! こんな時になにドキドキしてるんだ!
アスラの不意の魅力に一瞬取り憑かれ、私は頭をぶんぶん振って振り切った。
取り敢えず、ここから。この先をどうするかだ。いつ止むかも、いつ開くかも分からないのに、ずっとこのままはまずいだろう。
私はそれをアスラに伝える。すると、意外と呑気に、
「まぁ、放課後になれば流石に見回りがくるだろ。そうじゃなくたって、お互い、迎えの者がいるんだ。暫く姿がなければ探すだろ」 「……まぁ確かに」
持った焦りはすっかり鎮められ、私は静かにアスラと横並びで座ってぼーっと空を眺めることになった。
「止まないですねぇ」
暇で呟けば、
「まぁ、天気は気まぐれだからな。仕方ないな」
そんなことを返された。
――天気は気まぐれなんだ。仕方ないよ。
父の言葉がふと頭をよぎる。
おんなじような事を言ってたなぁ、と。
目を閉じれば、後悔がひしひと蘇る。
私――ミラ・オーフェルは、じゃがいもを特産とするオーフェル伯爵領の領主、コナー・オーフェルの一人娘だ。
今から三年前程、その頃はまだ、いち貴族として倹約的ながらもそこそこ良い生活をしていた……はずだった。
けれども、一昨年前からの記録的な天候不順により酷い干ばつに見舞われて、その結果恐ろしいほどの凶作に陥った。となれば、領地経営及び家計に影響が出るのは自明の理で、あっという間に両者、火の車と相成った。
代々安定経営の我が領地も、いよいよ備えを食い尽くして借金へと足を踏み入れて。その殆どが、領民の生活の保護――農業再興、暮らしの保障へと消えていく。
家計に回るお金なんて微々たるもので、それで買えたのは小麦粉とちょっとしたお肉のキレ。基本的には、貯蔵庫の出荷できない傷物野菜なんかを消費して生活をする日々だった。
だから献立も、小麦粉を練って茹でるか焼くしたものと野菜スープっていうのがお決まりだったんだけど。そこからいつしか小麦粉が消え去って、野菜スープからは肉くずが、玉ねぎが、人参が消え去った。
そして、いよいよ一昨日の朝食で、スープになるはずの水分をビタビタに吸い上げた、茹でじゃがいもオンリーの献立となってしまったのである。
それは、貯蔵庫にあったじゃがいも以外の野菜が全て底を尽きたことを意味しており、同時に貯蔵庫内の在庫切れがもう間近であることの知らせでもあった。
つまりは、私たち一家の没落が、もうすんでのところまで来ているというわけだったのだ。
けれど、そんなことは結構前から想像がついていた。半年前、私がこの王侯貴族御用達の学園に入学を決める頃にはとっくにほぼ垂直程度に傾いていたのだから。
だから、私は学園への入学を断固拒否したのだ。貴族とあらば学園の卒業は基本みたいなところがあるけれど、それでも別に義務ではないから行かないと。
それなのに、父も母もこの時ばかりは駄目だと言って聞いてくれなくて。どこにとってあったのか、高い入学費に教材費、入学準備資金等々捻出の上、私を学園へと送り出したのだった。
『また神様の気が向いてね、雨が沢山降れば大丈夫。美味しいじゃがいもがいっぱい穫れて、いつも通りの暮らしに戻れるから。王都に行って、ミラが雨を呼んできてくれるかも知れないから』
そんな根拠のない夢を言いながら。
結局、雨なんて、全然降らないじゃない……。
事実、我がオーフェル伯爵領には未だに雨は降っていない。火の車どころか、もはや領土自体が燃え尽くすような勢いだ。
このままでは、一家露頭に迷うかも知れない。そう思っての一昨日の行動。
正直、空腹からの発心っていうのもあるけれど、『学園を好成績で卒業して良い婚姻を決める! そして相手側から多大な援助を!』なんて長い夢を実行している時間すらないのだと思い知らされたというのが一番の理由だ。
だから、取り敢えず妾候補だろうがフリだろうが、とにかくお金持ちと懇意になって助けて貰おう! なんてそんな策に乗り出したってわけなんだけど。
それでまさか、王子が引っ掛かるとは思わなかったよね……。しかも、王子まで訳ありとか。
そういえば、昨日、父と母とは何を話したんだろう? 早速支援かな? 週末聞いてみようっと……。
物思いに耽っていれば、ふと上からの雨水が殆ど落ちてきていないことに気がついた。
さっきまでは木陰といえど、ポツポツとは落ちて来てたのに。
止んできた……?
そんなことを考えながら上を向く。
しかし、上を向いて、私はすぐに固まった。
「……な、んだこれ」
そう呟いた先、そこにはジャケットを脱いで水で張り付いた透け透けシャツで覆いかぶさるアスラがいた。
「お――、どうだ? こうすれば結構良い屋根になるかと思ってな」
「や、屋根……」
呟いて、私は異様に熱帯びる顔をもう少し上へと向けてみる。
すると、木の枝にジャケットの首元を引っ掛かけて、その裾をアスラが持つことで私の上に屋根を作っているようだった。
「な、なるほど……」
「で、どうだ? 良い感じか?」
明るく問われて、思わずアスラに目が行って。その異様なフェロモンにすぐさま目を逸らす。
これは、見てはいけないやつ……!
私にはまだ早いやつだ‼︎
そう思って赤い顔を冷やそうと、頬に手をやりながらもコクコクと頷けば、上からベチャリとジャケットが落ちてきた。
「――ぅぶ」
一瞬の真っ暗闇。じんわり香る、異性の匂い。そして、前からアスラが顔を出せば――
「お前、大丈夫か? なんか顔が赤いけど」
頬にゴツゴツした手がぴとりとくっついて。
糸がプツリと切れる音がした。
頭に被さるジャケットなんか気にもせず、咄嗟に勢いつけて立ち上がり。
「わわわわ私! ちょっと助け、呼んできます!」
叫べば、私は取り敢えず雨降り仕切る空の下に飛び出して。アスラの制止の声なんか聞きもせずに走り出した。
そういえば、三階にテラスってあったよね!
そんなことを思いつけば、二階分の高さを飛び降りる恐怖なんて全く考えず、ただひたすらにフェンスに足を掛けた。
「ちょっと待て! お前まさか――」
叫び追いかけるアスラに私は、私は目をぐるぐる回しながらもなけなしの笑みを振りまいて。
「すぐに助けを呼んできますね!」
そう言って飛び降りようとした。
けれど、まさか足まで速かったアスラに手を取られ、
「ちょ……お前、一旦落ち着けって」
「大丈夫大丈夫、落ちついますから!」
あれやこれやと揉み合いになっている内に――
「わ……? ああぁぁぁぁ――」
「……こうなるか」
私たちは二人で仲良く三階へと落ちていった。
落下打ち付け、大怪我決定。
授業をサボった挙句、級友にまで怪我をさせた私って退学決定では――?
自分の運命と、運のなさ、要領の悪さを呪いつつ。せめて優しき友人に謝罪を、そんなことを思った時だった。
「起動――ロダンヘイムの指輪・発動――風の中位魔法ガストブロウ・抱き上げるように」
爽やかで透き通るような声が響き渡る。
落ちる私たちの身体は温かい風で包まれて、ふわりとこの身を抱き上げられる。
声の先には、何故だか王子がいて。しかも、喜色に彩られた笑みなんか浮かべていた。
「良かった、無事で……!」
「な、何故ここに……?」
疑問に問うた言葉は掻き消され、王子は長い脚で空いた距離を詰めてくる。
不思議と雨も上がり、晴れ間すらのぞいていた。
「怪我は? 痛いところは?」
「えっ……と、それは……大丈夫ですが」
「それは良かった」
尋ねながらもあっという間に私の目の前にまでやって来て、今度はスッと手が差し出された。
「さぁ、こちらに」
「あ、えっと……」
王子の突然の登場とか、初めて見る魔法とか、その他諸々混乱した頭で少し躊躇する。
けれど、私が手を出すより早く、揉み合いついでに掴んでしまっていたアスラの腕から引っ剥がされ、割と強めの力で王子の元へと抱き寄せられた。
「わっ……わわ!」
びっくりして思わず声が出る。
なんせ、さも大切そうにギュッと抱きしめられているのだから。
な、なんだこれ! アスラ一人のために、やり過ぎじゃない……⁉︎
そう思って慌てて身じろぎする。
「あ、あの! 私、すっごい濡れてるので!」
言いながら胸を押し返し、やっとの思いで距離を取る。あれ……、結構王子も濡れてるな? とか思いながら。
けれど、王子はすかさず私の首元にまで手を伸ばし、
「本当だ……、すっかり冷えきってる。早く温めないと」
するりと首から肩、肩から鎖骨の辺りに触れたりして。
ちょ……ちょっと! 今は人前、人前ですよ!
って、人前だからか!
なんて心で叫んでいれば、王子はパチンと指から良い音を鳴らして側近さんを呼びつける。
よく出来た側近さんは、王子がなにも口にせずともその目線だけで頭を下げ、
「準備は整っております、イルヴィス様」と。
「良かった。じゃあ、行こうか」
そう言うと王子は、私の腰に手を当てて誘導し、
「や、あ、あの……?」
私が混乱を見せれば、全てを封殺するような完璧な笑みと共にこう言った。
「嫌な予感がしたからね。念の為に、教室の一つを休憩室として準備しておいたんだ。そこに着替えと、簡単な湯を張ってある。存分に温まってくれ」
え……、は? 湯……⁉︎
「ちょちょちょちょっと! 私、流石に学園内で素っ裸になんてなれませんよ⁉︎」
叫べば、
「大丈夫、僕が見守るよ」
「いや、それ、一番ダメなやつ!」
まずい! つい声に出しちゃった!
けれど、王子は「ははは」なんて楽しげに笑っていて。
なんだ……? なんなんだこのノリは……?
尚も更なる混乱に巻かれつつ、グイグイ押してくる腕の力に押し負けて足が進んでしまったところでハッとして。
「あっ、ちょっと待ってください! アスラが……、アスラもびしょ濡れなんです! 風邪をひいてしまいます!」
咄嗟に訴えたものの、王子の目元からスンと笑みが消えていく。口元だけは不自然に弧を描いているのが妙に不自然だった。
無理するなら、ここまでやらなければいいのに!
そんなことを胸中突っ込んでいれば、王子がゆったりと口を開いていった。
「大丈夫だよ、彼なら。彼ほどの家の者なら、同等の準備くらいしてあるさ」
ねぇ? と王子はアスラを振り返る。
そんな王子にアスラも、
「……はい、心配はご無用です」
なんて返事を返したりして。王子は「ね?」と笑みを向けてきた。
「でも……」
気になる私は、腰を押されながらもアスラを振り返り。
「あ、あの……、また明日! 風邪、ひかないようにね!」
叫んでそのまま校内へと連れて行かれたのであった。
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