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初夜オムニバス2・救済の初夜(全然違うお話です!)

厳しい世の中2

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 はずだったのだが……。
 そんな私は、雑貨屋二階、優しき青年の下宿部屋で。
 あんぐり口を開けたマヌケ面を晒して絶句していた。
「……ない」
「……」
「……なくなってる」
「……ふっ」
「ドレスと荷物がなくなってる!」
「……ふはっ」
 この緊急事態に、何故この男は吹き出しているのか分からないけれど、多分人の心がないんだろう。私は、虫が飛ぶ音くらいの認識として無視を決め込むことにした。
 そんなことよりも、これは本当に一大事だ。
 なんせ、私の貴重な財産(今気が付いたけど)と青年の大切な荷物がごっそりさっぱり綺麗に消え去ってしまったのだから。
 これでは、私の生活どころか、青年だって生活が危うかなるかも知れない。
 できれば金品貴重品は持って出たと願いたいけれど、もし荷物の中に形見とか大切な物が入っていたとしたらどうしよう……。取り返しのつかないことになったかも知れない。
 折角上がりかけた気分をまた底に落とし、引いていく血の気を感じながら、目の前が真っ暗になりかけたところでハッとして頬を叩く。
 違う、それどころじゃない!
 今は落ちてる場合じゃないと階段を駆け降りて、カウンターでうたた寝をする店主に叫びを上げた。
「泥棒です! 泥棒に入られました!」
「…………はぁ」
 ぼんやりと目を開けた老婆は、正に寝起き。ただならぬ言葉を投げつけられたというのに、気の抜けた声を漏らすだけだった。
「だから! ど ろ ぼ う! 泥棒です! 盗難事件が起きたんです!」
「……泥棒?」
「はい! 私の荷物と、上に下宿している男の子の荷物がごっそり奪われたんです!」
 くそぅ……、やっぱり名前を聞いておくんだった。こんな時にまで、名前を知らないばっかりに苦労する。
「はぁ……、下宿ねぇ? それにしても、あんた泥棒って、私はずっとここにいたけれど、怪しい奴が店に入った様子なんかなかったよ」
 ……うたた寝してたくせに! と一瞬思ったけど、口にはしない。そんなことより、伝えるべきがあったからだ。
「当たり前です。泥棒は、扉から部屋に侵入したわけじゃないんですから。だって、扉は壊されていなかったし、なんせ鍵は――」
 チリーンと音を立てて、青年から信頼と共に借り受けた鍵を見せつける。
「私の手元にあるんですから!」
 寝起きのぼんやり頭には、言葉よりも視覚情報が良く効いたようで。今まではどこか気怠そうに受け答えしていた老婆も、思い出したかのように手を叩くと、やっと重い腰を上げた。
 ごそごそと後ろの棚を漁り始める。
 老婆が憲兵へ連絡した瞬間、私は急いで逃げないといけないわけだ。だから正直、ドレスは諦めている。けれど、せめて優しき青年の荷物だけは……。
 そう思って老婆の行動を見守っていると、振り返った老婆の手には数枚の紙が握り締められていた。
「あの子は随分長かったからねぇ」
 慣れた手つきでその紙を指で弾く。数を数えているようだった。ペラペラペラペラと、先程までの緩慢な動きからは考えられないような手捌きだ。そして、最後にピンっと紙を弾くと――
「二十日分の宿泊費、朝食代、込み込みで十五ジェルだね」と。
 宿泊費という言葉にやや引っ掛かりを覚えたものの、老婆が手を差し出してきたので、なんとなく鍵を手渡す。
「はい、確かにね」
 老婆は鍵をカウンターへと置いた。しかし、すかさずまた手を差し出してきた。
「じゃあ、十五ジェルね」
「……?」
 状況が飲み込めず、首を捻る。すると、泥棒だと叫んだ時に是非見せて欲しかった、キレの良い反応がすかさず返ってきた。
「うちは、鍵の返却と同時の精算が原則なんだ。きっかり二十日分の宿泊費、支払ってもらうよ」
「……え?」
「あんた、さっき鍵を私に返しただろう。てことは、あんたが代金を支払うってことだ。ほら、さっさと十五ジェル払いな」
 穏やかな老婆が一転、これでは金取りの勢いである。
 とはいえ、小心で恩を売るほどの余裕が私にあるわけはないので、恐れながら訂正する。
「い、いや……。多分、それ、勘違いで……。私はただ、借りてた鍵を返しに来ただけなんです。男の子も日暮れ前には戻るって言ってましたし、きっと数時間もすれば戻ってくると思いますよ」
 しかし、老婆は怪訝に眉を顰めた。
「あんた何言ってんだい。あの子なら、あんたが出て行ってすぐに、大荷物を抱えて出て行ったよ。そんで、その時に『代金は鍵を返しに来た子が全額支払う』って言い残していったんだ。勘違いなんかするもんか」
 老婆の言葉に一瞬、時が止まる。
 顔が身体が、全筋肉が硬直する。
『代金は鍵を返しに来た子が全額支払う』
 今しがた耳を通り抜けたそんな言葉をよく噛み砕いて――
 なるほど、つまり……?
 私の頭が結論を出すよりも早く、意地悪く顔を歪めた老婆が口を開いた。
「あんた、騙されたね?」
「いや、まさか!」
 思わず笑う。正直、何にも面白くないのにケラケラと笑いが込み上げてくる。
 いや、だって。あの優しい少年が?
 私を騙したって?
 いやいやいやいやいや……。
 いやいやいやいや……。
 笑いが引くのと同時に、すんと冷めた感情が身体を満たしていった。
「……どこから⁉︎ あの男、どこから私を騙してたんだ⁉︎」
 叫べば、鏡の男が楽しそうな笑い声と共に答えを寄越す。
『始めからだろ』
「は、始め……」
 出会った時を思い出す。
 あぁそうか、あの時色んな人と目が合ったのは、私をじゃなくて、を見てたのか……。
 そんなことを思えば、私の頬は何故かふわりと緩んでいった。
「……逃すものか」
 ポツリと呟いた。
「……絶対に捕まえてやる」
 拳を握り締めた。
「この私を陥れたことを、絶対に後悔させてやる‼︎」
 エイベル王子と青年と。直近で二回も馬鹿にされた私は極度の空腹も相まって、怒りのあまり怒号を放つ。
 そんな姿に、老婆は青ざめ、店外の通行人は何人か振り向いたらしい。
 しかし、そんなことは気にしない。私は、社交ダンスさながら華麗なターンを決めて、外に向かって指をさす。
 それから、巷で流行って読み耽った小説の言ってみたい台詞No.1を吐き捨てた。
「く、首を洗って待ってなさいよ……!」
 そんなわけで、私は青年からのドレス奪還の為、及び報復の為。曲がりなりにも伯爵令嬢とは思えぬ理由で、復讐の道へと足を進めていくことになったのである。
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