虹の軍勢

神無月 紅

文字の大きさ
上 下
64 / 76

64話

しおりを挟む
 青の街の街長が門の側までやってくると、そこに広がっている光景はちょっと予想外のものだった。
 当然だろう。本来なら、道には幾つも切り株が……トレントの残骸とも言うべき物があったにも関わらず、今はそのいくつかが消え、更にもういくつかは黒い何かによって強引に掘り起こされていたのだから。

「これは……一体……?」

 七十代から八十代ほどの、老人と表現するのが相応しい男……青の街の街長たる菊池(きくいけ)昴(すばる)は、目の前に広がっている光景が信じられずに呟く。
 トレントそのものは、青の街にとってはそこまで問題ではなかった。
 人間に対して攻撃をせず、それどころか斧で伐採されても抵抗するような真似をしなかったのだから、青の街の住人に被害が出るようなことはなかった。
 だが、それはあくまでも人的被害がなかったというだけだ。
 もちろん、人的被害がないという点で青の街としては助かっている。それこそ、もしトレントが人間に対しても攻撃を加えてくるような凶悪な――それが普通なのだが――モンスターであれば、青の街の住人は大きな被害を受けていたのは間違いないのだから。
 そういう意味では助かったのだが、これから道を通す予定の場所に切り株がいくつも残っている状況というのは、青の街の街長としてはとても歓迎出来る状況ではない。
 一つや二つであれば、街の若い者たちにどうにかさせることも出来ただろう。だが切り株の数が十、二十、三十といった数になれば、話は違ってくる。
 ……これでトレントの発生したのが道ではなく、それこそ道から外れた場所であれば、人間に危害を加えないトレントということで寧ろ歓迎すらされたのかもしれないが。
 だが、生憎とトレントが一夜にして生えたのは、道のど真ん中。
 そうである以上、これからのこと……緑の街との間に道を通すということを考えれば、やはり切り株をどうにかする必要があった。あったのだが……それが黒い何かがやっているのだから、言葉を失うのも当然だろう。

「あ、街長。来たんですか。この闇のモンスターはトワイライトの方々がやってくれたことです。凄いですよ!」

 門番の男が興奮した様子で告げる。
 切り株を掘り起こす苦労を思えば、それを闇のゴブリンたちが自分からやってくれるのだから、それをありがたいとしか思えない。
 切り株を掘り起こす労力が、そのまま他のことに使う出来るのであれば、青の街の住人としては非常に助かるのは間違いなかった。
 今回の一件だけで、十分に楽なことになるのは間違いない。

「うむ。ありがたいとは思うのじゃが……これだけのことをして貰ってもよいのか?」
「心配はいりませんよ」

 菊池の言葉に即座にそう答えたのは、早乙女だった。
 菊池の方も、自分にそう言ってきた早乙女の様子を見て、この人物がトワイライトの者たちを率いているのだろうと判断し、早乙女に向かって話しかける。

「それは、どういう意味かな? 今回の一件はサービスだとでも?」
「サービスですか。言われてみれば、そうかもしれませんね。実際、白夜……あの黒いゴブリンを能力で生み出した者の訓練的な意味が含まれていることは、否定しませんし」

 あっさりとそう告げる早乙女に、菊池は早乙女の指示した方に視線を向ける。
 するとそこでは、一人の男……いや、早乙女たちに比べると少年と言ってもいい人物が、次々に自分の影から闇のゴブリンを生み出しては、切り株を抜くように指示しているところだった。
 その光景を見れば、菊池にも早乙女の言いたいことは分かったらしい。
 少しだけ……本当に少しだけ疑いの混ざっていた視線から、その疑いが消える。
 本来なら、そう簡単に疑いの視線が消えるといったことはない。
 だが、それを可能にしたのが、トワイライトという名前だった。
 不意に繋がった世界からやってきたモンスターや危険な未知の動植物を相手に、それ以外にも能力や魔法を使って犯罪を行う者を相手に戦う集団だ。
 もちろトワイライトに所属する者が一切の犯罪を犯さないかと言えば、その答えは否なのだが。
 それでもトワイライトという名前には、多大な信頼が寄せられている。
 それは、これまでのトワイライトの実績があるからこその信頼だった。

「そうですか。では、あの白夜という少年に感謝せねばなりませんな」
「先程も言いましたが、これは訓練の一環でもありますから。それに緑の街と青の街の間に道を通すとなると、最終的には当然この切り株をどうにかする必要もありましたし」
「それでも、ありがたいものはありがたいのですよ。……それにしても、訓練ですか? 見たところあの少年は随分と若いようじゃが……トワイライトに所属したのに、訓練はするのかね?」

 菊池の言葉に、一瞬しまったと内心で動揺した早乙女だったが、それを表情に出さないのはさすがだろう。
 白夜は、今回のみ特別にトワイライトに所属することになっているが、実際にはまだネクストの生徒だ。
 それは秘密ということになっている以上、菊池にそのことを話す訳にはいかなかった。

「ええ。ネクストを卒業してトワイライトに入隊したことがゴールなのではなく、それがスタートと言っても間違いではないですからね。そういう意味では、トワイライトに所属した者も毎日のように厳しい訓練をしてますよ。……白夜のように、新たな能力に目覚めれば、余計に」
「ほう。するとあの少年の能力は、まだ目覚めたばかりだと?」
「ええ。少し前に。だからこそ、今はああやって訓練をしている訳です」
 
 早乙女の口から出た言葉は、真実ではないが完全な嘘という訳でもない。
 実際に白夜が今の能力に目覚めたのは少し前なのは事実なのだから。
 ……もっとも、その能力の目覚め、より正確にはレベルアップとも、強化とも言われているようになったのは、ゲートの一件があったからなのだが。

「そうですか。それはそれは……ありがたいことじゃな」

 菊池がそう告げ、それで取りあえず白夜についての話は終わる。
 次に話題になったのは、当然のように道を通すという今回の仕事についてだ。
 まず真っ先に話すのは、当然の如く……

「軍隊蟻が……」

 苦々しげな、それでいて若干の恐怖の混ざった様子で、菊池が呟く。
 菊池のような戦う力を持たない者にとって、軍隊蟻というのは脅威の一言だった。
 軍隊蟻一匹だけでも厄介だというのに、それが群れとなって襲いかかってくるのだ。
 もしそのような軍隊蟻の群れが青の街にやってくれば、最悪の場合は青の街そのものが壊滅してしまうだろう。
 もちちろん、菊池は軍隊蟻がこの近く――といってもある程度の距離はあるのだが――にいるのを知っていた。
 だからこそ緑の街の面々と相談して、トワイライトに今回の依頼を出したのだから。
 それでも……いや、だからこそと言うべきか、軍隊蟻の恐怖を間近に感じてしまうのだろう。

「心配はいりませんよ。軍隊蟻は間違いなく厄介な相手ですが、トワイライトとしてやって来ている以上、最善をつくさせて貰いますから。……それで話は変わるんですが、もう日が落ちかけていますし、今日は青の街に泊まらせて貰いたいのですが、どうでしょう?」

 闇のゴブリンに指示を出し終えた白夜は、あの早乙女がここまで丁寧な言葉遣いが出来るとは……と、少しだけ驚いた様子を見せる。
 もっとも、早乙女もこの部隊のリーダーを任されるのだから、親しい相手ならまだしも、自分たちに依頼をしてきた依頼主に対して丁寧な言葉遣いで話をするのは当然だった。
 そんな白夜の様子に、トワイライトのメンバーの一人が呆れたように口を開く。

「あのな、早乙女さんはトワイライトの中でも、それなりに腕利きな人物なんだぞ? 今回みたいに何人もを束ねるようなことをするのは、そう珍しい話じゃない。それこそ、こういうやり取りには慣れてるんだよ」
「……そういうものなんですか? 正直なところ、あまり実感がないんですけど」

 白夜が知っている早乙女という人物は、豪快な人物で人望もあるのだが、それでも今のようなやり取りが出来るような人物には思えなかった。
 だが、それはあくまでも白夜が見ている早乙女という人物の一方だけにすぎず、まだ早乙女と出会って数日といった白夜にそれを分かれという方が無理だったのだろう。

「おーい、話は決まったぞ! 空き家を貸して貰えることになったから、今日はそこに泊まって、明日緑の街に戻ることになる! それと、白夜の闇のゴブリンが切り株の処理をすませたら、車を青の街の中に入れてくれ!」

 街の外に車を置いた場合、モンスター……もしくは、盗賊の類がいた場合、壊されるなり盗まれるなりとしたことが起きるかもしれない。
 それを考えれば、早乙女のその指示は当然のものだった。
 そうなると、当然のように白夜に期待の視線が集まる。
 闇のゴブリンを使って、早くトレントの切り株を抜いてくれという、期待の視線が込められて。
 その視線に押されるように、白夜は闇のゴブリンを新たに生み出そうとするが……これ以上は闇のゴブリンを生み出しても、無意味に場所を取るだけだ。
 そうなると、今の白夜に出来るのは闇のゴブリンに対して適切な指示を出すだけ。
 もっとも、切り株を掘り出すという行為にそこまで細かな指示が必要な訳もない。
 少なくても、白夜が生み出した闇のゴブリンはその辺りは普通に判断して行動出来るので、白夜は本当に何をする必要もない。
 もちろん、何かあった場合にはすぐに対処出来るように、その場を離れるという真似は出来ないが。

「あー……すいませんけど、今の状況で出来るようなことはないですね。もう切り株を取るように命令はしたので。後は、もうちょっと待ってて下さいとしか言えません」

 そんな白夜の言葉に、他の面々は視線を切り株を引き抜いている闇のゴブリン達に向ける。
 白夜の言う通り、闇のゴブリンはその全てが白夜が何も言わずとも、最初に指示された通りに動いている。
 それを見る限りでは、ここで他に何をしても意味はないだろうというのは、容易に想像出来た。

「そうだな。なら、切り株は闇のゴブリンに任せた方がいいか。だとすれば、俺たちは……菊池さん、道を通す工事の件で色々と前もって相談しておきたいことがあるんですが、構いませんか?」
「ふむ? 儂は構わんよ。それで工事がスムーズに進むのであれば、こちらから望むところじゃ」

 早乙女の言葉に、菊池は満面の笑みを浮かべてそう告げる。
 トワイライトの面々が工事を真面目にしてくれるというのは、それこそ青の街の街長たる菊池にとっては望むところであった。

「白夜、じゃあ俺は菊池さんと話してくるから、お前はここでゴブリンたちの指揮を頼む」
「分かりました」

 野営をしたときの経験から考えれば、白夜が生み出したゴブリンは白夜がいなくなっても他人に危害を加えたりといった真似はしない。
 だが、まだ白夜自身が完全に自分の新しい能力を把握している訳ではないし、何より門番を含めて青の街の住人は、白夜の能力を見たばかりなのだ。
 闇のゴブリンを操っている白夜が全く問題はないと告げても、出会ったばかりの白夜をそこまで信じられるはずはない。
 もっとも、もし白夜が早乙女のように見て安心出来るような巨体を持っていたりすれば、話もまた別だったかもしれないが。
 立ち去った早乙女や菊池の後ろ姿を見送ると、白夜は何人か残ったトワイライトのメンバーと共に、闇のゴブリンが妙な真似をしないか、様子を見るのだった。





(あれは……一体、何がどうなっている?)

 青の街から、数キロ離れた場所に生えている木の枝の上で、一人の男が闇のゴブリンに指示を出している白夜の様子を眺めていた。
 当然のように、普通であれば数キロも離れた位置をしっかりと見るようなことは出来ない。
 だが、それはあくまでも普通であればの話であって、それが能力者や魔法使いといった者であれば、話は別だった。
 この男の能力は、五感の強化。
 非常に地味な能力で、戦闘にはあまり向いていない能力なのだが……偵察や潜入といった行動であれば、非常に頼りになる能力だった。
 今もまた、男は視覚を強化して、白夜の姿を観察していたのだから。

「おい、どうした? 何かあったのか?」

 木の下で様子を見ていた仲間の一人の声に、木の上で白夜の様子を見ていた男は問題はないと首を横に振る。
 今はまだ何とも言えないが、まずはしっかりと目標を観察することが重要だった。
 少し前に起きた、ゲートの一件。
 それが、この日本という国では、ゲートが姿を現してからすぐに消えたという。
 その秘密を知るために派遣されてきた者たちにとって、白夜という人物は故国にいくつかあるゲートをどうにかするために、絶対に手に入れるべき相手だった。
しおりを挟む

処理中です...