虹の軍勢

神無月 紅

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60話

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「ん……んん……ん……?」

 無意識に小さく呻き声を漏らしながらも、白夜は目を開ける。
 まず目に入ってきたのは、木で出来た天井。
 だが、その天井は全く見覚えのない天井で、最初白夜は自分がどこにいるのか全く分からなかった。

「えーっと……あれ?」

 上半身を起こし、周囲を見回す。
 それで初めて自分が見知らぬ場所にいたことに気がつく。
 次の瞬間には、若干寝惚けた頭ではあったが、ここが緑の街であるということを思い出す。
 この緑の街と青の街の間に道を通すという仕事をするために自分はここにいるのだということも。

「昨日は……ああ、そう言えば宴会をやったんだったな」

 ようやく頭がまともに動き始めたのか、白夜は昨夜のことを思い出す。
 大東を始めとして、緑の街の主要人物たちと共に行われた宴会。
 白夜は闇の能力によって生み出されるゴブリンが期待されているということもあり、主賓のごとき扱いを受けたのだ。
 もっとも、主賓扱いではあっても今日から仕事をするということや、酒はあまり美味くないということもあり、白夜はお茶やジュースといったものを飲んでいたのだが。

「つまり、今日から仕事な訳だ」

 そう呟き、白夜は起き上がる。
 その際、白夜の近くで眠っていたノーラが白夜の動きで目を覚ましたのか、布団の上で転がる。
 それがノーラの寝惚けたときの様子であることは、毎日のように寝食を共にしている白夜には理解出来た。
 寝惚けたノーラを頭の上に乗せ、白夜は立ち上がる。
 ノーラを頭の上に乗せたまま部屋の中を見回すと、そこにあるのは布団と自分の荷物たる金属の棍、そして着替えといったものだけだ。
 何もない部屋……そう表現するのが相応しいだろう。
 もっとも、この部屋で長期間生活する訳ではない。一週間、二週間といったところだ。
 そうである以上、特に荷物がなくても困りはしない。

(五十鈴……いや、鈴風ラナの写真集も持ってきたしな)

 本名の五十鈴を知っていても、白夜にとって鈴風ラナは鈴風ラナなのだ。
 それは、白夜にとって譲れない一線だった。

「今日はゆっくりと写真集を見よう」

 昨日は宴会のおかげで、結局写真集を見るような余裕はなかった。
 一昨日は車の中で寝たので、当然ながら写真集を見る余裕はなかった。
 二日の鈴風ラナ断ちは、白夜にとってもかなり厳しい体験であるとといえる。
 そうである以上、今日は絶対に写真集を見て癒やされると決意しながら、白夜は部屋を出て……その瞬間、漂ってきた食欲を刺激する香りに、自分でも気がつかないうちに腹の音を鳴らす。
 そんな白夜の腹の音が聞こえたのか、居間に集まっていた早乙女たちの視線が白夜とノーラに向けられる。

「おう、起きてきたか。朝飯が出来たところだから、ちょうどいい時間に起きてきたな」
「おはようございます。……朝から元気ですね」

 白夜に向かって元気よく――もしくはうるさく――声をかけてきた早乙女に、白夜は若干呆れの混ざった声をかける。
 昨日の宴会で、早乙女は緑の街の街長の大東とかなりの量の酒を飲んでいた。
 にもかかわらず、酔いが残っている様子は全くない。
 実際にどれくらい酒を飲めば二日酔いになるのかは、白夜にも分からない。分からないが……昨日白夜が見ている限りでは、間違いなく二日酔いになってもおかしくないくらいの量は飲んでいた筈だった。
 にもかかわらず、ここまで元気なのだから白夜に呆れるなという方が無理だろう。

「はっはっは。当然だろう。今日からいよいよ仕事だからな。白夜の能力にも、十分に頼らせて貰うぞ。それより、朝飯を食え。今日は一日忙しくなるだろうから、しっかり食わないと保たないぞ!」

 早乙女はそう言い、炊きたての白米を漬け物と一緒に口に運ぶ。
 すでに早乙女の前のある皿の上には、おかずの類は何も残っていない。
 それでも漬け物で白米を口に運んでいる辺り、その言葉通りしっかりと食べてから仕事に向かうつもりなのだろう。

(朝飯が出来たばかり、とか言ってなかったか?)

 早乙女の早食いに驚きつつも、白夜は軽く身支度をすませ、それでもなお眠っているノーラを頭の上に乗せたまま、空いている席に座る。
 すると、すぐにそんな白夜にの前に炊きたてのご飯が盛られた茶碗が置かれた。
 ご飯をよそってくれた相手に感謝の言葉を述べ、白夜はまずは何もつけつずにご飯を一口食べる。
 その味は、炊きたてだけあって白夜の口の中に幸せな味を広める。

「美味い……」
「だろ? この緑の街では稲作をやってるらしい。去年収穫した米だが、十分に美味いよな」

 思わずといった様子で呟いた白夜の言葉に、早乙女は我が意を得たりといった様子でそう告げる。
 早乙女にしてみれば、ここで食べる料理は東京で食べる料理と比べても明らかに上だった。……米だけは、であるが。
 とはいえ、東京に住んでいる者のほぼ全てを飢えさせずに食べさせているという点では、東京も十分に凄い。
 ただ、どうせ食べるのであれば美味い食事を……と、そう思ってしまうのは、人間である以上は当然なのだろう。
 大変革以前であれば、日本中から東京に様々な物資が集まっていたし、同時にその荷物を日本中に運ぶことも出来ていた。
 だが、今の日本ではそのような大規模な物資の輸送は出来ない。
 いや、やろうと思えば出来るのだろうが、莫大なコストが必要となってしまう。
 結局、その状況では東京は自分たちで食料を含めた物資を用意する必要があった。
 ……今でも、東京は日本の首都と呼ぶべき場所であり、人口も日本で一番多い。
 それだけの人数を食わせているという時点で、日本の政治家は決して無能揃いという訳でもないのだろう。
 もっとも、弱腰外交や優柔不断といった印象を受けている者は、それでも多いのだが。

「ほら、とにかく食え。食い終わったら早速仕事だぞ!」
「早乙女さん、食休みはー?」

 食い終わったらすぐに仕事だという早乙女に、卵焼きを味わっていた男が若干不満そうに言う。
 食い終わってすぐに仕事をするというのは、効率の面からも良くないと、そう理屈をつけて何とか食休みの時間を確保しようと頑張ってはいたのだが……

「初日から、そんなにゆっくりと出来るか。食休みなら、車で移動中にしろ。……幸い、今日の仕事は下見で、道をどうやって通すかの確認で遠出をすることになるしな」

 そう告げる早乙女の言葉に、食休みを希望した男は不満そうな様子を見せる。
 男にしてみれば、車に乗って移動するのは食休みとは言えないのだろう。
 その意見に賛成する者が他にも何人かいるが、早乙女の意見が変わるようなことはない。

「なぁ、白夜。お前はどうなんだよ? 今回の仕事で一番忙しくなるのは白夜なんだから、その意見は採用されるべきだろ」

 自分たちだけでは早乙女の意見を変えられないと判断したのか、男の一人が白夜に向かってそう尋ねてくる。
 とはいえ、白夜は食休みに対してそこまで強い思いがある訳でもないので、特に答える言葉を持たない。
 せいぜい、そういうものなんんですかといった程度だろう。

「うーん、俺としては能力の方をしっかりと確認したいという思いの方が強いですね。何をするにしても、俺の場合は能力が重要になってきますし」

 闇の能力という時点で非常に珍しい能力であるのだが、白夜の場合はその闇の能力が進化して、モンスターの死体を取り込んで、その取り込んだモンスターを闇で作るというような真似が出来るようにすらなっている。
 そうである以上、自分の能力がどのようなものなのか、しっかりと確認したいと思うのは当然だった。

「あちゃー……まぁ、俺も能力が進化したときはそんな風に思ったからな。白夜の気持ちが分からなくもないけど……」

 そう言葉を濁す男は、やがて渋々と……本当に渋々とだが、早乙女に食休みを要求するのを諦める。

「分かったよ、分かりましたよ。食休みは車の中で取ればいいんでしょ。全く……今回は俺もフォローに回る役目なんだし、しょうがないか」
「よく言った!」

 男の言葉に早乙女は嬉しそうに叫ぶ。
 何故そこでわざわざ叫ぶ? と白夜は疑問に思うものの、今日はこれから間違いなく自分が一番働くことになるのだからと、目の前にある食事を味わう。
 ノーラは食事をする必要がないので、相変わらず白夜の頭の上だ。
 特に何をするでもなく、ただその場でじっとしている。
 食事をしていた何人かが、そんなノーラの様子に羨ましそうな視線を白夜に向けていた。
 もっとも、本人はそんな様子は全く気にした様子もなく、食事を続けていたのだが。
 そうしてやがて美味い料理を味わいつつ朝食を完食し……

「さて、全員食べ終わったみたいだし。じゃあ、早速仕事に向かうぞ!」

 早乙女のその言葉に、全員が車に乗る。
 一応ということで、緑の街からも案内役として鎌谷が一緒に来る。
 トワイライトの隊員だったり、ネクストの生徒だったりする早乙女たちや白夜と違い、鎌谷は能力者でも魔法使いでもない、本当にただの一般人にすぎない。
 もっとも、一般人であってもこのご時世だ。街を襲撃にくるモンスターや凶暴な野生動物、場合によっては盗賊と化した人間すら相手に戦う必要があるのだが。
 そういう意味では、一般人であっても戦闘にかんしては素人という訳ではない。
 ……だからといって、白夜や、ましてや早乙女たちと同じように戦えるのかと言われれば、鎌谷は即座に首を横に振って否定するのだろうが。
 そんな鎌谷も、車に乗るとやはり物珍しいのか、興味津々な様子で周囲を見回す。

「これが、車ですか。話には聞いてましたけど、こうして直接見るのは……しかも中を見るのは初めてですね」
「車は東京なら結構走ってるんだけどな。それ以外の場所となると、いきなり数が減るんだよ」

 車を運転していた男が、しみじみと呟く。
 こうして早乙女に車の運転を任されているだけに、やはり車という乗り物が好きなのだろう。
 そんな男にしてみれば、車がここまで高価なのは非常に残念といったところか。

(大変革前には、それこそ一家に一台どころか、一人に一台って感じだったらしいけど。ああ、でも東京は今とは違って、車を持ってる人が少なかったんだっけ? いや、今もそこまで多いって訳じゃないけど)

 そんな風に思っている間にも車は進み、やがて車の中では鎌谷から今回の仕事についての情報が色々と説明される。
 大東からも昨日色々と聞いてはいるのだが、念のためということだろう。

「まず出てくるモンスターですが、やっぱりゴブリンが多いですね。それに、やっぱりなんと言っても今回一番問題になるのは……軍隊蟻です」

 軍隊蟻と口にした鎌谷の表情は、明らかに暗くなる。
 当然だろう。もし今回の件で軍隊蟻の巣が発見されていなければ、それこそわざわざ高い金を払ってトワイライトに依頼を出すようなことはなかったのだから。
 もちろん、ゴブリンを始めとしたモンスターがいる以上、自分たちだけで道を通すといった真似をすれば緑の街、青の街、両方に被害が出る可能性ががあった。
 だが、それでも依頼の報酬として支払う金額を思えば、自分たちだけでどうにかしたいと思ってしまうのは当然だろう。
 青の街との間に道が繋がれば、それは大きな利益となる。それは分かっているのだが、それでも出来れば無駄な金額を使いたくないと思っても仕方がない。

「軍隊蟻か。数は多いし、厄介な相手なんだよな。……白夜、頼むぞ。お前のゴブリンで一気に倒すんだ」

 同情している男がそう白夜に告げるが、言われた白夜としては何と答えるべきか迷う。
 当然、闇で出来たゴブリンを使って軍隊蟻に対抗するということは考えているが、普通に考えて軍隊蟻とゴブリンでは、明らかに軍隊蟻の方が強い。
 とはいえ、闇のゴブリンが一方的に不利なのかと言えば、そうでもなかった。
 闇のゴブリンは、その名の通り身体が闇で出来ている。
 それだけに、闇のゴブリンが死んでもすぐに白夜の闇に取り込まれ、再び闇のゴブリンとして生み出される。
 ましてや、闇のゴブリンの多くは普通のゴブリンではなく、四本腕の、ゴブリンの亜種とでも呼ぶべき存在だ。
 その上、ゴブリンが軍隊蟻の一匹でも倒せば、その死体は闇のに呑み込まれてゴブリンと同じく闇の軍隊蟻が生み出せるようになる。
 ゴブリンでは一対一で荷が重い相手でも、同じ軍隊蟻であれば……それも、死んでもすぐに闇によって復活させられるような存在になれば、どちらが有利なのかは考えるまでもない。
 時間をかければかけるだけ、白夜の方が有利になる。
 そんな風に考え……任せると言われた白夜は、頷きを返す。

「分かりました。時間がかかるかもしれませんけど、上手くいけばこっちの戦力を増やせるかもしれませんしね。頑張ってみます」

 そう、告げるのだった。
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