虹の軍勢

神無月 紅

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39話

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 一掃。まさしくその言葉が相応しいのが、麗華が放った光の一撃だった。
 白夜の闇の能力もかなりの威力で、それを見た者たちは驚いたのだが……その驚きすら、ゴブリンの入っている内臓と同じように一掃されてしまった。

「うわ……麗華様、凄い」

 女の一人が思わずといった様子で呟くと、ほとんど無意識に他の者たちがその言葉に同意するように頷く。
 実際、凄いとしか言えない光景だったのだ。
 そんな中、白夜は麗華の放った光の一撃に驚きながらも、助かったという思いを強く抱く。
 自分が口にした、厨二病的な言葉。
 それを麗華の放った光の一撃が、完全に消し去ってしまったからだ。
 もちろん、あとになればそれを思い出す者もいるだろう。
 だが……とりあえず今の状況でそれを聞かされないのは、白夜の精神的なダメージという意味で大いに助かっていたのは間違いない。
 内臓の類が綺麗さっぱりと消え、広間にはゴブリンの死体のみが無数に転がっている。
 そのゴブリンの死体は、ほとんどが両肩からそれぞれ手が生えている四本腕のゴブリンだったが、中にはまだ腕が二本しかないゴブリンや、中途半端に両肩から腕が生えているゴブリンの姿もあった。
 そんな光景を見て、白夜は疑問を抱く。
 麗華の光であれば、内臓と共にゴブリンの死体そのものも消滅させることが出来たのでは? と。
 何故、わざわざゴブリンの死体を残したのか、それが白夜には分からなかった。
 そんな白夜に、あれほどの一撃を放ったにもかかわらず、全く疲れた様子を見せずに黄金の髪を掻き上げていた麗華が話しかける。

「何をしていますの? せっかく私(わたくし)が死体を残したのですから、さっさと吸収したらどうですの?」

 その言葉が何を意味しているのかは、明白だ。
 今朝、白夜の闇がゴブリンの死体を呑み込んだのをその目で見ていたからこその、言葉。
 つまり、ゴブリンの死体を呑み込むための手助けをしてくれたのだ。
 白夜がそれに納得すると、そんな白夜の態度に反応したかのように白夜の影に扮した闇が広がっていく。
 闇が広まっていく速度は、これまでとは比べものにならないほどに早い。
 そうして広間全体に広まった影は、ゴブリンの死体を全て呑み込んでいく。

(影、ね。影も闇の一種と言えば一種ですが……それでも似て非なるものだと思うのは、私の気のせいかしら?)

 調査隊の面々が白夜の影がゴブリンの死体を呑み込んでいくのを声もなく見ている中、白夜にその行為を促した麗華は、じっと白夜の行動を観察する。
 白夜そのものは、闇がゴブリンの死体を呑み込んでいる間も特に動いてはいない。
 それこそ、闇が勝手に……自分の意思でもあるかのように動いているだけだ。
 何より、先程のような妙な言葉も口に出してはいなかった

(あのときの言葉は何だったのかしら?)

 生粋のお嬢様と呼ぶに相応しい麗華だけに、厨二病という言葉についても当然知らない。
 白夜が読むような漫画や小説といった物も、当然ながら読む機会はない。
 それだけに、何故先程はあのような言葉を口にしたのか、本気で理解出来なかった。
 そうして考えても答えの出ない内容に頭を悩ませている間にも、闇は次々にゴブリンの死体を呑み込んでいき……気が付けば、広間にあったゴブリンの死体は、その全てが完全に消え去っている。
 そのことに気が付いた麗華は、少し驚きの視線で白夜を見た。
 白夜の能力が半ば勝手に行ったことだしとしても、こうも簡単に広間の中にあった死体を全て呑み込むのは麗華の目から見ても異常だったからだ。
 もし呑み込むのがゴブリンの死体ではなく、生きている相手だとすれば……この広間の床全体に広がった闇から逃れるのは、かなり難しいだろう。
 一定以上の実力の持ち主であれば、その程度はどうとでもなるかもしれない。
 だが、それは逆に考えれば一定以下の実力の持ち主の場合、対処のしようがないということもである。

(これが、闇の力の一端……といったところなのかしら)

 純粋に能力を使った戦闘力という意味では、自分の方が勝っていると麗華は確信している。
 だが、それでもまだ成長の余地を残している状況でこれだけの能力を発揮出来るのであれば、それは麗華にとっても驚くべきことであり……同時に、対になる光の能力を持つ身としては喜ぶべきことだった。
 そんな麗華が感心の視線を白夜に向けるも、その白夜はただ呆然と全てのゴブリンの死体がなくなった広間を眺めているだけだ。
 白夜にとっても、目の前で起こった光景は完全に予想外だったのだろう。
 今まで白夜が使ってきた闇の能力を考えれば、ここまで大規模な力は発揮されていなかったのだから、それも当然なのだろうが。
 ゴブリンの死体を始めとして、様々な死体を呑み込んではいたのだが、それでもここまで闇が大きく広がることはなかった。
 もっとも、それはあくまでも死体の数が少なかったからであり、今回はその死体が千匹近くも存在したのだから、ある意味当然の結果ではあった。

(となると、闇はまだ完全の彼の制御下にある訳ではない、と。……もっとも、能力が持ち主に牙を剥くということは基本的にありませんから、心配する必要はないですわね)

 少し……本当に少しだけがっかりとした気分を味わいつつ、麗華は口を開く。

「さぁ、皆さん。行きますわよ。邪魔な障害物も綺麗さっぱり消えましたし、この奥に何があるのかわかりませんが、くれぐれも油断はしないように」

 その言葉に全員が我に返り、歩き出す。
 だが、他の者たちが白夜に向ける視線は、驚きや畏怖……場合によっては恐怖すら込められている。
 白夜にしてみれば、自分がそこまで怖がられるのは納得いかなかったが、それでも今の光景をみれば仕方がないか、という思いがない訳でもない。
 ここにいる者たちはネクストの生徒の中でも腕の立つ者が集められている。
 しかし、そのような者たちであっても、今のような光景を作り出せるかと言われれば、まず頷くことは出来ない。
 自分の実力を理解しているからこその、白夜に向けた視線だった。
 そんな中で唯一白夜にとって良かったのは、黒沢が絡んでこなくなったことだろう。
 それどころか、白夜と視線が合うと即座にその場から早足で立ち去っていったのだから、黒沢がどれだけ今回の一件で驚いたのかは明白だった。
 元々自分よりも下に見ていた白夜が、自分にとって女神のごとき存在だった麗華に目をかけられているのが面白くなかった。
 だが、その白夜がもし自分よりも強いのであれば、これまでのように文句を言うことは難しくなる。
 ……実際には、黒沢よりも強くても明らかに麗華よりは弱いので、麗華に目を掛けられるのはどうかと文句を言おうと思えば言えるのだが……そうなると、そもそも黒沢よりも強い相手に文句を言うことになる訳で、僻みにしか見えないだろう。

(悔しいが、今の俺の状況でそのような真似をすれば、白夜に復讐される可能性がある。……まさか、白夜の能力があれほどのものだったとは……完全に予想外だった。いや、さすが麗華様と言うべきか?)

 半ば無理矢理自分を納得させているのは、黒沢も理解していた。
 だが、そうでもしなければ自分を納得させることが出来ないというのも間違いはないのだ。
 どうしても人は一度自分より下と見た相手を、自分よりも上の相手であると見るのは難しい。
 もちろん中にはすんなりとそれを認めることが出来る者もいるだろうが、黒沢はそちらには入っていなかった。

「白夜、お前凄いな」

 そう言ってきたのは、昨夜一緒に行動していた者の一人だ。
 その男も最初は白夜を怖がっていたのだが、少し時間が経って多少は落ち着いたのだろう。

「そうか? ……いや、凄いってのは俺も自分のことだし分かるんだけど……どうしてもな」

 少しだけ言いにくそうにしているのは、やはり自分の意思で行ったことではなく、能力の方で勝手に動いたからだろう。
 それだけに、どうしても自分が能力を使ってそのようにしたという認識が持てなかったのだ。
 だが、他の者に白夜のそんな気持ちが分かるはずもない。
 ……これが、愛し合う恋人同士であるとか、もしくは長年行動を共にしてきた仲間であれば、何も言わずとも白夜の言いたいことは分かったかもしれない。
 しかし、この場にいるのは麗華が臨時で集めた面々で、多少の顔見知り同士はいれども、そこまで深い関係の者は多くない。
 特に白夜は、今回麗華が特別に選んだ調査隊にやってきた以上、顔見知りの相手は……それこそ、五十鈴くらいしかいなかった。

「そこ、そろそろ静かになさい。行きますわよ。ここから先は敵がいるかもしれないのですから、いつ何があってもいいように準備なさい」

 白夜たちが話しているのが気になったのか、麗華がそう告げる。
 その言葉に白夜ともう一人が慌てて周囲を見回すと、すでに周囲の者たちはつい先程の光景を忘れたかのように進む準備を整えている。
 ……白夜も慌てて準備を整えつつ、ふと上を見てみると……そこではちょうどノーラが白夜に向かって毛針を飛ばそうとしているところだった。
 恐らく、もう数秒白夜が準備するのが遅ければ、その毛針は発射されていただろう。
 そして白夜に小さくない悲鳴と激痛を与えていたはずだ。

「みゃ」

 白夜が自分を見て意識を切り替えたのに気が付いたのか、ノーラは発射寸前だった毛針の動きを止める。
 そのことに安堵しつつ、白夜は広間の中を進んでいく。
 千匹近いゴブリンが内臓のようなものに包まれていただけに、広間の中はかなりの広さを持つ。
 それでも白夜の闇によっていらないものは全て吸収されてしまったということもあり、歩きにくいということはなかった。
 もし闇がゴブリンの死体を吸収していなければ、それこそ足下に注意しながら進む必要があっただろう。
 死体を踏むというのは、気持ち悪い感触だけではなく、バランスを崩して足を挫くといった危険すらあるのだ。
 そうならずにすんだのは、白夜のおかげなのは間違いなかった。
 だが、それでも先程の闇を見た者の多くは、気軽に白夜に声をかけることは出来ない。
 白夜が権力志向の性格や、皆から恐れられたいという思いを抱いているのであれば、それでも構わなかっただろう。
 しかし白夜は、到底そんな性格をしてはいない。
 どちらかといえば、恐れられるよりも女と仲良く話し……そして出来れば、もっと深い関係になりたいと、そのような性格なのだ。
 特に白夜の好み的に、可愛い系ではなく美人系の女であれば、何も文句はない。
 それだけに、今の自分の状況がいいものだとは、到底思えなかった。
 ……もっとも、その代わりという訳ではないだろうが、麗華や五十鈴といった他の追随を寄せ付けないほどの美女たちに興味を持たれているのだが。
 美人系、綺麗系、そう言われるに相応しい二人だったが、麗華とは立場が違いすぎてこのような人目のある場所で口説くなどという真似が出来ない。
 五十鈴は鈴風ラナである以上、当然この場でそのような真似をすれば、他のファンの手により色々と面白くない目に遭うのは確定だった。
 これ以上ないだけの好みの二人がいるのに、口説くような真似が出来ない。
 それは、本人にも気が付かせることなく、白夜にストレスを与えていた。

「みゃー」

 少しだけ落ち込んだ様子の白夜を慰めるように、ノーラは白夜の頭の上に乗る。
 七色に輝く髪の上にのる、空飛ぶマリモ。
 色々な意味で訳が分からなくなってもおかしくない状況だったが、白夜本人はそれを気にした様子はない。
 ノーラが自分の頭の上に乗るなのは、今までに何度もあったことなのだから。
 だが、それはあくまでも白夜であればであって、今回初めて行動を共にするようになった者たちにしてみれば、今の光景は非常に目立つものだ。
 何人もが、周囲を警戒しながらも白夜とノーラに視線を向ける。

「うわぁ……」
「改めてみると、凄い髪よね」
「そういうお前の髪も、かなり青いと思うけど?」
「……虹色の髪に比べれば、目立たないわよ」

 そんな言葉が聞こえてくるが、白夜は特に気にしない。
 自分の髪の毛が非常に目立つというのは、それこそ小さい頃から分かっていることで今更の話なのだから。
 この目立つ髪の毛のせいで、隠密行動の類が苦手なのは白夜にとって大きなデメリットではあったが。

(闇の能力って、イメージ的には隠密行動が得意そうなんだけどな。それこそ、暗殺者とかそういう闇に紛れる感じで)

 そんな風に考えている間にも、白夜たちは進み続け……やがて、広間の奥。先程内臓から生まれた四本腕のゴブリンたちが消えていった方の出入り口に到着するのだった。
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