虹の軍勢

神無月 紅

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37話

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 麗華率いる一行は、ゴブリンの集落の中を進んでいく。
 集落の中に入るとき、五十鈴の能力を完全に信用出来ない者は恐る恐るといった様子だったが、実際に集落の中に入っても一切ゴブリンの襲撃がないのを理解すると、それでようやく集落の中に入っても安全だと思った者も多い。
 一行の中にはゴブリンの集落は初めて見るという者も多いのか、物珍しそうに周囲を見ている者の姿もある。

「これがゴブリンの集落か。……集落ってほどしっかりはしてないけどな」
「そりゃそうだろ。だってゴブリンだぜ? なら、文化的な集落なんて無理だろ」
「文化的って……お前、自分の顔を見てものを言えよ。それが文化的って顔か?」

 そんなやり取りがされるのも、緊張が解けてきた証だろう。
 もちろん、これがただのゴブリンの集落であれば、ここまで緊張するようなこともなかったはずだ。
 だが、このゴブリンの集落はただの集落ではない。
 ゲートのすぐ近く……真下にある集落なのだ。
 何が起こっても不思議ではないのだから、緊張するのは当然だった。
 先頭を進む麗華は、鞘から抜いたレイピアを手に一瞬だけ後ろを見る。

(少しだらけてはいるようですが、それでも緊張で身体が動かないよりはいいすわね)

 何かあればすぐにでもレイピアで対処出来るようにと注意しながらも、背後の様子に満足そうな様子を見せる。

「ねぇ、麗華。この先、どうなってると思う?」
「どうなってるも何も、五十鈴の探査では洞窟があるのでしょう? なら、そこに行くだけですわ」
「そうじゃなくて……洞窟は洞窟でいいんだけど、その洞窟の中がどうなってるのか、そして洞窟の中にはゲートから来たモンスターがいるのか……そういう意味よ」

 麗華の隣……正確には半歩後ろを歩いていた五十鈴の言葉に、問われた本人はなるほどと頷く。

「普通に考えるのであれば、洞窟の中にはゲートの向こう側からやってきたモンスターがいてもおかしくないですわね。そのモンスターとゴブリンが、こうもあっさりと協力態勢を整えたというのは、多少疑問ですが」

 実際、ゴブリンというのはそこまで頭がよくはない。
 もちろん相手が強いと判断すれば従うこともあるのだが、頭がよくないからこそ、実際に相手が自分たちよりも上の存在だと気が付くまでには血が流されることも多かった。
 そのようなゴブリンだけに、協力態勢という状態になるのか……そう言われれば、誰しもが首を傾げるだろう。
 むしろ、ゴブリンを従属させたという方が分かりやすいはずだ。

「結局のところ、その洞窟に行ってみる必要があるということですわ。それは五十鈴も分かっているのではなくて?」
「そうね。それは否定しないわよ? でも何らかの心構えはしておいてもいいじゃない」

 そう告げる五十鈴の言葉に、麗華は自信に満ちた笑みを浮かべて口を開く。

「もし何があっても、私(わたくし)が皆を守りますわ。……もちろん、私に守られているだけではどうかと思いますけど」

 麗華の言葉は、五十鈴だけではなく他の者達の耳にも当然のように届いていた。
 そして麗華のその言葉を聞けば、誰もが麗華に守って貰うだけにはなりたくはない。
 麗華は、この場にいる誰にとっても憧れの存在なのだ。
 そうである以上、憧れの存在を守るのではなく、その存在に守られるというのは許容出来るものではなかった。
 もちろん実際に麗華はその話を聞いていた者たちよりも能力的にはかなり上だ。
 それでも、やはり麗華という存在に守られるだけの男――女もいるが――になりたくないと思うのは、当然なのだろう。
 そんな思いから、後ろで二人の話を聞いていた調査隊の面々は麗華の言葉に意識を切り替える。
 何があっても、すぐに対応出来るようにしながら、敵よ……ゴブリンよ出てこいと、そのように思いながら集落の中を進んでいく。
 だが、既に集落には誰もいないと五十鈴によって調査が終わっている。
 そうである以上、今から力んでいても意味はないのではないか……そのように思いつつ、周囲の者達に引きずられるように白夜もまた金属の棍を握っていた。

「みゃ!」

 そんな白夜の頭の上に、ノーラが鳴き声を上げながら着地する。
 あまり気負うなと、そう言ってるように思えるようなノーラの態度に、白夜は我知らず笑みを浮かべていた。
 そうして周囲を見回すと、先程までの自分と同じように緊張をしている者の姿が多く見える。
 このままだと、もしゴブリンに襲われてもいつものような動きは出来ない。
 そう判断し、白夜は口を開く。

「俺たちでゲートをどうにか出来れば、歴史に名前が残ってもおかしくないよな?」
「……いきなり何を言い出すんだ、お前は。もっと周囲のことに集中しろ」

 真っ先に白夜に文句を言ったのは、当然のように黒沢だった。
 ふざけた真似をするな、と。
 そんな視線が白夜に向けられる。
 元々黒沢は白夜に対して思うところがあったからか、白夜が何か妙なことを言うのを待っていた節があった。
 だが……黒沢が続けて口栗を開くよりも前に、口を開いた人物がいる。

「そうですわね。歴史に名前が残るかどうかは分かりませんが……東京で、そして日本で有名になるのは間違いないですわ」

 そう告げたのは、当然のように麗華。
 麗華に心酔している黒沢にしてみれば、自分の崇拝の対象と呼ぶべき麗華がそう言った以上、何かを言うことは出来ない。
 ここでもし白夜を責めるようなことを言えば、それは翻って白夜だけではなく麗華をも責めていることと同じだと、そう思ってしまったのだろう。

「そういうものですか? もちろんゲートをどうにかしたのは凄いと思いますが、そこまで持ち上げられるとは、正直意外でした」

 結局そう告げ、話を誤魔化す。
 麗華も黒沢の考えは分かっているのだが、ここでそれを口にしても意味はないだろうと、ゴブリンの集落を見回しながら歩き続ける。
 元々ゴブリンの集落はそこまで広いものではない以上、やがて集落の奥……岩肌に洞窟がある場所が見えてきた。
 建物の陰に隠れながら、麗華が口を開く。

「いますわね」

 そう呟いた麗華の言葉が、何を意味しているのかは明らかだ。
 何故なら、洞窟の前には肩から腕の生えている四本腕のゴブリンの姿があったのだから。
 その四本腕のゴブリンは、当然のように白夜たちにも見覚えはある。
 昨夜、夜襲を仕掛けてきたゴブリンなのだから、当然だろう。
 特に白夜を含めた何人かは、直接戦闘した経験もある。
 四本腕だけに、普通のゴブリンと比べれば容易ならざる相手だという認識があった。
 それでも結局のところゴブリンである以上、白夜たちでも何とか対処は出来たのだが。

「それで、どうしますか? やはりここは麗華様の光で?」

 黒沢の言葉に、麗華は首を横に振る。

「残念ですが、私の能力はこういう場合派手すぎますわ。……闇の能力であれば、こういうときも有効に戦えそうなのですが」

 そう言い、麗華は白夜を一瞥する。
 言外に、お前の能力が低いから楽を出来ないと言われたように思え、白夜はそっと視線を逸らす。
 自分の力不足を痛感させられた白夜は、もっと強くならなければ……とそう思う。

「なら、私がやるけど?」

 そんな白夜を庇った訳ではないのだろうが、五十鈴がそう告げる。
 音の能力を持っている五十鈴にとって、隠密行動をするというのは難しい話ではない。
 いや、得意分野ですらある。

「分かりましたわ。では、五十鈴さんにお任せします」

 調査隊を率いる麗華がそう言えば、他の者たちにそれを否定することは出来ない。
 あるいは、五十鈴以上に隠密性に特化した能力を持っているのであれば話は別だったのかもしれないが、残念ながらそのような者はいない。

「ラー……」

 そこまで高い音ではなく、洞窟の前にいる二匹の四本腕のゴブリンには聞こえるが、その奥にいるだろうゴブリンたちには聞こえないだろう歌声。
 ゴブリンたちも聞こえてきた歌声に気が付き、周囲を見回すも……建物の陰に潜んでいる麗華たちに気が付く様子はない。
 歌声がどこから聞こえてくるのかと不思議そうに周囲を見回す二匹のゴブリンだったが、洞窟の前から離れる様子はなかった。
 それでもどこからか聞こえてくる歌声に、暫しの間ゴブリンたちは聞き惚れる。
 もう少しゴブリンの頭が良ければ、何故このような場所でそのような歌声が聞こえてくるのかといった疑問を持っただろう。
 だが、ゴブリンにそのような頭は存在せず、ただ黙って歌に聴き惚れ続け……

「ガ、ガア……?」
「グガ……」

 二匹のゴブリンは、自分でも気が付かないままに歌声により眠気を誘発され、次の瞬間には地面に崩れ落ちた。
 周囲では、そんな五十鈴の手並みに多くの者が感嘆の声を上げる。
 麗華から保証されていたし、集落に誰もいないと把握することが可能だった五十鈴の能力だったが、直接ゴブリンが崩れ落ちるのを見たというのは、やはり高い説得力があった。

「はい、終わり。洞窟の奥に声が聞こえないように調整したから、少し効果が出るまで時間がかかったけど」
「構いませんわ。十分な実力を見せて貰いましたもの。それに美しい歌声も」

 五十鈴の言葉に、麗華は笑みを浮かべてそう告げる。
 そんな麗華に対し、五十鈴は少しだけ照れた笑みを浮かべた。
 五十鈴にしてみれば、光の薔薇の異名を持つ麗華からそのように褒められるというのは、やはりどこか照れくさいものがあったのだろう。

















































































 もしくは、能力を褒められたのはともかく、美しい歌声と評されたのが照れくさかったのか。
 そんな照れを隠すかのように、五十鈴は口を開く。

「さて、いよいよ洞窟ね。何らかのバリア……フィールドとか力場とかでもいいけど、そういうのがあるから、私の声でも中を探査することは出来ないわ」
「心配いりませんわよ。私がいる以上、そう簡単にこちらをどうにかさせるような真似はさせません」

 何も知らない者が聞けば、自信過剰ともとれる言葉だろう。
 だが、麗華であれば話は別だった。
 ネクストの生徒として……そして乙女座のゾディアックとして、それだけの実績を積み重ねてきているのだから。
 そんな麗華の言葉に、士気も上がる。
 ……もっとも、洞窟の中にいる存在に自分たちのことが気が付かれないように、大声を上げたりといった真似はしなかったが。
 周囲の様子を見てから、再び麗華は口を開く。

「では、行きますわよ」

 そうして、麗華たちは洞窟の中に入っていく。
 だが、洞窟の中に入った瞬間、すぐに違和感があった。
 誰か一人ではなく、洞窟の中に入った者全員が抱いた違和感。それは……

「何だこれ……俺たちが入ったのって、間違いなく洞窟だったよな? もしかして、何かでかいモンスターの口の中とか、そんなオチはないよな?」

 呆然とした白夜の声が、周囲に響く。
 だが、声を発することが出来ただけでも、白夜は気をしっかりもっていた方だろう。
 他の者たちの中には、洞窟の中を見た瞬間、反射的に胃の中の物を吐き出しそうになり、それを何とか堪えた者すらいたのだから。

(無理もないか)

 白夜はそう思いながら、動揺しないように自分に言い聞かせながら、改めて周囲の様子を見る。
 本来であれば、そこには岩肌が広がっている筈だった。もしくは土か。
 だが……現在白夜たちの視線の先にあるのは、洞窟であって洞窟ではない。
 正確に言えば、とてもではないが洞窟とは思えないような代物だった。
 ドクン、ドクン、ドクンと、脈打っており、血管が幾つも走っているのが見て分かる。
 赤黒く、洞窟というよりは内臓とでも表現すべき、洞窟ではない洞窟。
 それが、現在白夜たちの前に広がっている光景だった。
 白夜が口にしたように、何か巨大なモンスターの体内に入ったのではいかと、そう思っても不思議ではない。
 だが、当然ながら白夜たちが入った洞窟は、外見上ではただの洞窟でしかなかった。
 とてもではないが、内部がこのような異常な……とてもではないが信じられないような光景になっているとは、思えない洞窟だった。
 ましてや、内部がこのようになっているとは誰が想像出来るだろう。

「……行きますわよ。私たちはここで足踏みは出来ないのですから」

 数秒の沈黙の後、麗華はそう告げる。
 麗華にとっても、目の前に広がっている光景は非常に強烈な嫌悪感を及ぼすものだった。
 だが、今の状況でそれを表に出すようなことはせず、調査隊を率いるに相応しい態度を示す。
 今、この場で自分が動揺を表に出せば、他の者達にも影響すると理解していたためだ。
 プシュリ、という音と共に、洞窟の肉壁とでも呼ぶべき場所にあった瘤から赤い液体が流れ、瘤が小さくなっていく。
 その様子に眉を顰めながら……それでも、麗華は皆を率いて洞窟の中を進むのだった。
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