虹の軍勢

神無月 紅

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27話

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「お嬢様、トワイライトから出撃の要請が来ています」

 そう告げたのは、まさに執事という言葉が相応しい初老の男だった。
 初老の男であっても、その身体はしっかりと鍛えられ、それこそその辺の能力者では敵わないだろうと思わせる雰囲気を持っていた。

「そう、セバス。それはやっぱり先程のゲートの件かしら」

 優雅な仕草で紅茶を飲んでいた光皇院麗華は、意志の強さを現している視線で自分の執事に尋ねる。

「恐らくそうかと。こちらの手の者によれば、東京の近くにゲートが現れたとのことです」
「……東京の近く、ね。そしてトワイライトの戦力は現在その多くが東京にはいない。……随分と都合がいいわね」
「そうですね。実に嫌なタイミングでゲートが開いたものです。……それで、どうなされますか?」
「決まっているでしょう。光皇院家の者として、ゲートが開き、出撃要請が来ているのであれば、それを無視するようなことは出来ませんわ」

 黄金の髪を掻き上げ、凜々しい笑みを浮かべつつ、麗華は紅茶を飲み干すと立ち上がる。

「セバス、可能な限り情報を集めておきなさい。私(わたくし)は出撃の準備をしてきますわ」
「お嬢様お一人で出撃なされますか? それとも、供回りの者を?」
「私一人で十分よ」

 麗華はセバスに短く言葉を返す。
 そんな麗華に対してセバスは優雅に一礼するのみで、それ以上の反論は口にしない。
 もし麗華がその辺の能力者と同じ程度の強さしかなければ、セバスもこうまであっさりと退いたりはしなかっただろう。
 だが、麗華の持つ力はその辺の能力者どころではない。
 世にも希な光を操る力を持つ能力者で、その強さはゾディアックに選ばれるほどのものだ。
 トワイライトの最精鋭と同レベルの実力を持つ麗華は、そもそもネクストにいることが不思議なほどなのだ。
 いや、この場合は不思議ではなく理不尽と表現すべきか。
 スポーツで例えるのであれば、世界的に有名なサッカー選手や野球選手が中学校や高校の部活に交ざっているようなものなのだから。
 ともあれ、麗華はセバスをその場において自分の部屋に向かう。
 ……なお、麗華が住んでいるこの屋敷は、一応名目上では学生寮となっている。
 もっともこの屋敷を建てる費用も光皇院家が出しており、名目はともかく、実際にはこの屋敷は麗華の私邸と呼ぶのが相応しいのだが。
 自分の部屋に向かう途中で何人かのメイドと遭遇し、メイドたちの一礼を受けながら麗華は部屋に到着する。
 部屋の広さは三十畳ほどもある広い部屋だが、置かれている家具はそれほど多くない。
 この部屋は麗華の着替えが置かれてる部屋で、その着替えの中には戦闘に参加する際に身につける物も含まれていた。
 ハーフプレートアーマーと、レイピア。
 どちらもいつも麗華が使っている愛用の品だ。
 それだけに強い信頼を抱く装備。
 今まで着ていたドレスのような服を脱ぎ、男だけではなく女が見ても見惚れてしまうだろう見事な曲線を包む白い下着。
 精緻な飾りの下着の上からモンスターの革から作った伸縮性の強い肌着を身につけ、そこから鎧を身につけていく。
 数分と掛からず全ての装備を身につけ、最後に軽く口紅を塗り……そこには光の薔薇の異名を持つゾディアックの一人が存在していた。

「さて、行きましょうか。淑女として、あまり向こうを待たせるわけにもいきませんものね」

 異名に相応しい自信に満ちた輝くような笑みを浮かべつつ、麗華は部屋を出る。
 そうして屋敷を出たところでは、すでに車が止まっていた。
 一目見れば高級車だと、誰でも分かるだろう車。
 もっとも、今の時代車は大変革前のように一般的な乗り物ではなくなっている。
 大変革によって外国から石油を手に入れることが出来なくなった日本は、様々な燃料を模索したが、最終的には魔石に辿り着いた。
 一応日本にも石油を採掘出来る場所はあったのだが、その量は決して多くはなく、日本全国に行き渡るほどでもない。
 ましてや、大変革後のこの世界ではモンスターや野生動物がおり、そう簡単に他の場所に行くことも出来ない。
 今でこそある程度自由に行き来出来るようになっているが、それも大変革前と比べられば圧倒的に難易度が高くなっている。
 そうした中、手近に入手出来る魔石を燃料とした車が発展してくるのは当然だろう。
 大変革で地球にやってきたモンスターによって大きな被害を受けた人類だったが、今ではモンスターの持つ魔石が人間の生活を支えている。
 もしいきなりモンスターが地球上から消えてしまえば、文明は再び後退するのは間違いない。

「それで、何か詳しい情報はありますの?」

 車の中、紅茶を飲みながら麗華は運転しているセバスに尋ねる。
 ゲートが開いたときにも紅茶を飲んでいた麗華だったが、基本的に紅茶を好む麗華としては何も問題はなかった。
 ……もっとも、この紅茶は日本で作られた代物だ。
 大変革前のように、海外から上質の紅茶を輸入するというのは、不可能ではないが、かなり難しくなっている。

「はい。ゲートが開いたとき、南風家の者が近くにいたらしく、そちらについての情報をトワイライトに知らせています」
「……南風家が? 何故、南風家の者がそのような場所に?」

 南風家という言葉に、麗華は口に運ぼうとした紅茶の動きを一旦止める。
 知る人ぞ知るといった南風家だが、光皇院家の令嬢の麗華は、当然その名前を知っていた。
 だからこそ、何故南風家の者がゲートの開いた場所にいたのか、疑問に思ったのだ。
 一瞬南風家がゲートを開いたのでは? という疑問を抱くが、南風家は東京の守護を任されている四家の一つだ。
 その南風家がわざわざ自分から東京のゲートを開くような真似をするとは思えないし、何より人工的にゲートを開くという技術はまだ開発されていない。
 ……もっとも、その南風家の者が参加しているゴブリンの集落で、上位種と思われるゴブリンを白夜たちが倒した直後にゲートが開いたのだから、麗華の予想は決して的外れではない……どころか、半ば正解に近かったのだが。

「何でも、ゴブリンの集落を調査するネクストの生徒たちと一緒にいたとか」
「そうですの、うちの生徒が……」

 東京にあるネクストの生徒であれば、それはすなわち麗華の後輩となる。
 その後輩が何故南風家の者と一緒にいるのかは、麗華にも分からない。
 だが、それでも南風家の者と一緒にいるのであれば、取りあえず死ぬようなことはないだろうと安心出来た。

「それで、誰が南風家の者と一緒にいましたの? ギルドから依頼を受けて行動していたのであれば、相応の技量は持っているのでしょうが」
「それが……その……」

 いつもは麗華には素直に従っているセバスが、どこか言葉を濁す。

「セバス? どうしましたの?」

 そのようなセバスを見ることは珍しかったために、麗華は当然疑問に思う。

「いえ、その……実は南風家と一緒にいるネクストの生徒というのが……白鷺殿がいらっしゃるようで……」

 白鷺という名字を聞いて、麗華は一瞬前まで優雅に笑っていたにもかかわらず、その笑みが消える。
 麗華は光の能力を持つだけに、当然自分と似たような能力……もしくは、正反対の能力を持つ者についての情報は常に集めている。
 そんな中、当然のように闇の能力を持つ白夜についての情報も集めていた。
 その能力は現状そこまで強力な訳ではないが、それでも闇という希少な能力は、光を操る麗華にとって色々な意味で興味深い能力だ。
 ……それだけであれば、麗華も白夜に対して興味を持ってもおかしくはないのだが……

「あの女癖の悪い白鷺白夜が、ですか」

 不機嫌そうに、麗華が呟く。
 そう、白夜の能力の情報を集めるということは、当然その性格や普段の生活態度についても調べることにもなる。
 そうなれば、当然のように白夜が女に対してすぐ口説いているという情報を知ることになるのは当然だった。
 豪奢な美貌を持つ麗華だったが、その外見とは裏腹に――もしくは外見通りに――貞操観念は強い。
 そんな麗華にとって、すぐに女を口説くような軽い性格をしている白夜に好印象を抱けという方が無理だろう。
 ……麗華のような美人に一方的に嫌われているということを知れば、白夜はかなり落ち込むだろうが。
 そもそも、白夜は女は口説くがその成功率は決して高くはない。いや、この場合ははっきり低いと言うべきか。
 偶然成功しても一、二度デートするだけで、最終的に白夜が女と付き合ったことはない。
 がっついているその姿を見透かされてしまうのだ。

「はい。ただ、白鷺殿の活躍もかなり大きかったと聞きますが」
「当然ですわ。闇などという希少な能力の持ち主です。あの性格で強さまでないのであれば、彼に存在意義はありませんもの」

 そんな主人の声に、セバスは車を運転しながら一瞬何かを言いたそうにするが、結局口にはしない
 自分の主人が白夜を嫌っているのは分かるのだが、普段であれば麗華はここまで明確に態度に出すような真似はしない。
 麗華にも性格の合わない相手というのは当然いるが、そのような相手にも如才ない態度をとるのは、光皇院家の者として当然だった。
 その麗華が、白夜に対してはこうまで反発心を抱くというのは、セバスにとっても普段の麗華を知っているだけに納得出来ないものがある。

(光と闇、相反する能力の持ち主だからですかな?)

 通りすぎていく景色を見ながら、セバスはふとそんなことを考える。
 相反する属性の能力であるがゆえに、性格が合わないのでは、と。
 ただ、火と水の能力を持つ能力者同士が結婚したりすることもあるので、能力の属性だけでは決してお互いの相性は計れないというのが定説なのだが。
 だが、麗華と白夜の場合は光と闇という、非常に希少な能力の持ち主だ。
 であれば、当然のように普通の能力者と違うところがあってもおかしくはないだろう。

「セバス? どうかしまして?」
「いえ、何でもありません。それより、そろそろネクストの校舎に到着します」

 セバスが運転する車は、その言葉と共に速度を落としていく。
 窓からネクストの校舎を眺めつつ、麗華は動揺している心を落ち着けるように、改めて紅茶を口に運ぶ。
 麗華も、自分が白夜を嫌っている態度を明確に出すのが良くないと、分かってはいる。
 だが、それでもどうしても白夜に対しては思うところがあるのだ。

(全く、女を口説くような暇があるのでしたら、もっと能力者としての訓練に身を入れるべきですわ。せっかく闇という希少な能力を持っているのに、これではもったいないではないですか)

 それが、麗華の正直な気持ちだった。
 せっかく優れた能力の持ち主であるのに、何故それをもっと鍛えないのかと。
 自分の光と同格の闇の能力を持つ者だからこそ、会ったことがないにもかかわらず、白夜に不満を抱くのだ。

「お嬢様、到着しました」
「ええ。ありがとう、セバス。少し話を聞いてくるので、しばらく待ってなさい」

 麗華はセバスにそう告げてから車を降り、目の前にある建物……ネクストの校舎の一画、通称ギルドと呼ばれているその建物に入っていく。
 そんな麗華を、セバスは自分の開けたドアを閉めると、深々と一礼して麗華を見送る。
 そして麗華ギルドの中に入ると、ざわり、と依頼を受けたり、報酬を貰ったりするために待っていた者たちがざわめく。

「ちょっ、おい。あれって光皇院先輩じゃないか? 何でギルドに?」
「そりゃ……やっぱりゲートの件じゃないか?」
「いや、だってトワイライトは? こういうときのために、トワイライトがいるんだろ?」
「ネクストの俺がそんなの知るかよ。多分、高度に政治的な判断とか、そういうのだろ」

 何人かのネクストの生徒が、麗華の姿を見て仲間と話す。

(思ったよりギルドにいるネクストの生徒が多いですわね。……それだけ依頼をこなして実戦を経験するというのは素晴らしいですわね)

 周囲の様子を見てそう思う麗華だったが、実際はゲートの一件の情報を求めてここにやって来ている者も多い。
 また、麗華が嫌っている白夜も、かなりの頻度でギルドの依頼を受けているのだが……麗華にとっては、その辺りは都合良く忘れているのだろう。
 もっとも、白夜が頑張って依頼を受けて金を稼ぐのも、好みのグラビアモデルの写真集や、デートのための資金稼ぎという一面がある以上、過程はともかく結果は麗華の予想通りなのだが。

「こ、これは光皇院様。お待ちしていました。例の者たちはこちらで用意した部屋で待っております。すぐに案内しますので」

 ギルドの職員……正確にはトワイライトの事務員は、笑みを浮かべて麗華の下にやってくるのだった。
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