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16話
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ゴブリンに突き刺さった毛針は、その効果を万全に発揮した。
戦闘の興奮で多少の痛みには鈍くなっているゴブリンだったが、それでも毛針が何本も身体に突き刺さったというのは、その限度を超えていたのだろう。
「ギャアア!」
痛みに悲鳴を上げ、今にも弓奈に向かって振り下ろそうとしていた棍棒を放り投げ、地面を転げ回る。
ゴブリンにとっては半ば本能による行動だったのかもしれないが、戦闘の途中でとる行動としては致命的なまでに不味かった。
「はあぁぁあっ!」
地面に転げ回っているゴブリンの頭部目掛け、弓奈がナイフを振り下ろす。
その口から出ている気合いの声は、とてもではないが女らしいとは言えないような、そんな声だ。
奇しくも、その行動は先程ゴブリンが弓奈に向かって棍棒を振り下ろそうとした行動と同じだった。
違うのは、振り下ろす方と振り下ろされる方が……そして何より、振り下ろされる武器が棍棒からナイフに変わっていたこどだろう。
皮膚を破り、肉を斬り裂き、頭蓋骨にナイフの刃先がぶつかり……だが、次の瞬間にはナイフの刃先が半ばで折れる。
元々白夜が使っていたナイフは、決して業物という訳ではない。
それこそ解体を始めとして様々なことに使うのだから、いつ折れても構わないという安物……消耗品でしかない。
弓奈もそれは知っていたのだろうが、ゴブリンに対する憎悪、そしてゴブリンに殺されそうになった恐怖心から、上手くナイフを使うという真似は出来なかった。
「はぁっ、はぁっ、はぁ……」
荒い息を吐きながら、弓奈は自分が殺したゴブリンに視線を向ける。
ゴブリンは完全に死んでおり、実はまだ生きているといったことはない。
そのことに安堵しながら、ようやく呼吸が落ち着いてきたのを感じつつ、周囲を見回す。
「みゃー!」
そんな弓奈の視線が止まったのは、当然のように空中に浮かんでいるマリモ……白夜の従魔のノーラだ。
魔法を使ってゴブリンを攻撃していた杏も、そんなノーラの姿を見て安堵の息を吐く。
ノーラがやって来たということは、白夜と合流するのも近いということなのだから。
「ノーラ、白夜はどこにいるの?」
「みゃー」
杏の言葉に、ノーラは自分の左側……杏から見て右側に移動する。
「そっちね。……弓奈、行くわよ」
「え? あ、ええ。……杏、この兎どうする?」
歩き出そうとした弓奈だったが、ゴブリンが運んでいた巨大な兎に気が付き、そう尋ねる。
このまま山の中で動く必要があるのなら、食料となる肉はあった方がいい。
また、毛皮も持ち帰れば、魔力を宿した素材としてギルドに買いとって貰える。
そんな視線を向けられた杏だったが、少し考えたあとですぐに首を横に振る。
「止めておきましょう。これからどれだけ山の中を動き回るのか分からないもの。こんな兎を持ち歩けば、体力が保たないわよ」
「……そう? 食料を確保しておくのも重要だと思うけど」
巨大な兎を見ながら、少しだけ残念そうに弓奈が呟くも、杏に視線を向けられるとそれ以上は何も言わず、兎をその場に残して歩き出す。
この兎がモンスターであれば魔石を取り出すといった真似もしたのだろうが、残念ながらこの兎はモンスターではない、普通の兎だ。
……大変革前にはこれ程巨大な兎というのは日本に生息していなかったのを考えれば、これもまた大変革による変化の一つなのだろう。
もっとも、杏も弓奈も、大変革前のことは知識でしか知らず、このような巨大な兎の存在がいるのが普通となっているのだが。
「じゃあ、白夜に合流しましょうか」
「ちょっと、ゴブリンの魔石は?」
「残念だけど今はそんなことをしている時間的な余裕はないわ。それに、血の臭いに惹かれて獣やモンスターがやってくる可能性も否定出来ないし。ノーラ、お願いね」
「みゃー!」
杏の言葉に、ノーラは任せておけと、鳴き声を上げながら空中を移動する。
そんなノーラを、杏と弓奈は追いかける。
弓奈は少しだけゴブリンに……自分が殺したゴブリンから魔石を取り出せなかったことを残念だと思うが、杏の言う通りここで血を流せばそれを嗅ぎつけて野生の獣やモンスター、もしくは他のゴブリンがやって来る可能性も十分にある。
本来の武器の槍があれば、それこそゴブリンの数匹は倒せる自信がある弓奈だったが、残念ながら現在手元にある武器はナイフのみだ。
戦闘用に使う短剣ですらなく……しかもそのナイフも、現在は刃先が半ばで折れている。
無理をすれば戦闘に使えなくもないだろうが、このようなナイフを戦闘に使うのであれば、それこそゴブリンが使っているような木の枝を適当に折って作った棍棒を使った方がまだ効果的に戦えるだろう。
(ナイフ、折れちゃったわね)
いまさらながらに、そのことを残念に思う。
作業用のナイフであり、しかもネクストの生徒の白夜が使っている代物だ。
決して高価なナイフという訳ではないのだが、それでも借り物なのは間違いない。
白夜に再会したら謝らないといけないと、意識を切り替えながら山道を歩いていく。
ノーラは空を飛んでいるので、山道の険しさを味わわなくてもいい。
だが、杏と弓奈の二人は違う。
地面を歩いて移動している以上、どうしても険しい山道を歩かなければならなかった。
ましてや、弓奈は槍を使って戦うという戦闘スタイルの為に体力もそれなりにあるのだが、魔法使いの杏は基本的に体力はそれほど多くはない。
その上、白夜に合流するために移動しているときも、杏が戦闘になって山道を歩いてきたのだ。
どうしても体力の消耗という意味では、弓奈よりも杏の方が上だった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「みゃー?」
大丈夫? と、ノーラは地上に降りてきて杏に声をかける。
「少し休む?」
弓奈も、杏の息が切れているのを見て尋ねるが、体力がかなり限界に近いはずの杏は、一人と一匹の気遣いに対し、首を横に振る。
「いえ、今は少しでも急ぎましょう。出来るだけ早く白夜と合流した方がいいわ」
呼吸を整えつつ喋る杏の視線が向けられているのは、弓奈の持っているナイフ。
現在使える最大の武器のナイフだったが、刃先が半ばで折れている以上、戦いになったとき苦戦するのは確実だ。
そうである以上、ゴブリンに……いや、それ以外にも他のモンスターたちに遭遇するよりも前に白夜と合流したいというのが、杏の正直な気持ちだった。
そんな杏の気持ちは、弓奈も理解しているのだろう。
ゴブリンとの戦いでナイフを折ってしまったことを悪く思いながら、山道を進んでいく。
「みゃー!」
そんな中、不意に空を飛んでいたノーラが、地上近くまで降りてきて鳴き声を発する。
警戒心を抱かせるような、そんな鳴き声。
その鳴き声が何を意味しているのか、瞬時に悟った杏と弓奈の二人は、見つからないように木の後ろに隠れる。
幸いここは山の中で、隠れるのに使える木はいくらでもあった。
そうして二人と一匹が木の後ろに隠れ……やがて一分もしないうちに、何かの足音が聞こえてくる。
敵だ。
そう判断するのは、当然だった。
だが、問題なのはどのような敵なのかということだろう。
これがゴブリンであれば、まだいい。
だが、五感の鋭いモンスターや動物であれば、木の後ろに隠れている杏たちを見つけるのは難しくはない。
杏が握っている杖に力を込め、弓奈も刀身が半ばで折れてるとはいえ、唯一の武器のナイフの柄を握る手に力が入る。
「ギャギャ」
「ギョギャ?」
「ギョギョギョ」
聞こえてきた鳴き声は、幸いと言うべきか、ゴブリンのもの。
杏と弓奈の二人は、そのことに安堵する。
……もっとも、弓奈はゴブリンを見て安堵した自分にすぐに気が付き、奥歯を噛み締めるのだが。
ゴブリンを見て憎悪を抱くのであればまだしも、安堵するとは……と。
だが、今の状況で何が出来る訳でもない弓奈は、木の後ろに隠れているしか出来ない。
そうして憎々しいゴブリンが自分の側を移動しているというのに何も出来ない自分に苛立ちを覚えつつ、隠れること数分……杏が軽く弓奈の身体を叩いたことで、ゴブリンがいなくなったことを理解する。
「行きましょう。何の目的であのゴブリンがここと通ったのは分からないけど……もし見回りか何かなら、一度通りすぎたここをもう一度見回りにくるにはある程度時間が必要なはずよ。……まぁ、ゴブリンがそこまで時間の概念を持っているのかどうかは、分からないけど」
そう言いながら、杏は溜息を吐く。
ゴブリンに時間の概念があれば、それはより高い知性を持っているということであり、そのようなゴブリンは出来れば相手にしたくないというのが正直なところだった。
「そうね。出来るだけ早く白夜と合流したいし。……ねぇ、ノーラ。白夜と合流出来るまでは、あとどれくらい?」
弓奈は気分転換の意味も兼ね、ノーラに尋ねる。
「みゃー!」
だが、当然ながらノーラは人間の言葉を理解することは出来ても、それを発する発声器官はもたない。
……鳴き声を上げる発声器官も、具体的にどこにあるのかというのは分からないのだが。
そもそも、ノーラの外見は空を飛ぶマリモ、もしくは毛玉で、そこには当然口の類は存在しない。
そうであれば、人間の言葉を喋るくらいは出来てもいいのでは? と、思ってしまう者がいてもおかしくはないだろう。
ともあれ、ノーラの鳴き声を聞いても今のところは白夜と合流出来る場所までどのくらいの距離があるのか分からず、杏は首を横に振る。
「ごめんなさい、無理を言ったわね。……とにかく、白夜と合流するのを急ぎましょう。ノーラ、もう少しお願い出来る?」
「みゃ!」
杏の言葉に、ノーラは短く鳴き声をあげる。
ノーラという高い探査能力を持っている存在がいるからこそ、ゴブリンのようなモンスターたちに見つからずにここまで来ることが出来たのだ。
なら、今ここで無理にノーラにどのくらいの時間がかかるかを聞き出すよりも、とにかく移動した方が手っ取り早いというのは杏と弓奈にとって同様の考えだった。
そうして再びノーラが空中を進むと、杏と弓奈はそのあとを追う。
山の中でも、ゴブリンや動物、モンスターによって踏み固められた道ではなく、道らしい道のない山の中を進んでいく。
山の中を進み始めて一時間ほどが経ち……杏の息が容易には回復出来ないほどに切れ、弓奈も少し息が荒くなってきたころ……そろそろ休憩した方がいいのではないかと、弓奈がノーラに声をかけようとした瞬間、ノーラは鳴き声を上がる。
「みゃー!」
嬉しそうなノーラの鳴き声に、杏と弓奈は一瞬警戒の視線を周囲に向けるが……すぐにノーラの感情を理解して、安堵の息を吐く。
敵に見つかった、もしくは見つけたのなら、ノーラの鳴き声はもっと鋭いはずだった。
だが、今のノーラの鳴き声はそのような感じではなく、ただ嬉しさと喜びに満ちている鳴き声だ。
それが意味するところは……
「ノーラ、杏と弓奈も無事だったか。……良かった」
木の枝や茂み、蔦といったもので隠されていた入り口から、白夜が顔を出し、その白夜に続くように音也も顔を出す。
そうして顔を出した白夜は、杏と弓奈が特に怪我らしい怪我もしていないのを見て、安堵の息を吐く。
もっとも、ローブを身に纏っている杏はともかく、弓奈の方を見た瞬間には胸や腰といった場所に視線が向けられたのは、白夜が白夜たる由縁なのだろうが。
「ちょっと、はぁ、はぁ……目が……はぁ、はぁ、嫌らしいわよ」
弓奈を見る視線に気が付いた杏が、息を切らしながらも白夜を責める。
そんな杏を見て、白夜は少しだけ呆れたように口を開く。
「ちょっと体力がなさすぎじゃないか?」
「あのねぇ……ふぅ。……忘れてるかもしれないけど、私は魔法使いなの。白夜みたいな能力者じゃないんだから、体力お化けなんかにはならないわよ」
「……私も一応その能力者なんだけど」
少しだけ言いにくそうに呟く弓奈。
その言葉で、そう言えば……と思い出す。
弓奈を拾って……いや、助けてから色々と忙がしかったため、能力の話を聞いていなかったことを思いだしたのだ。
これは、能力者として……そしてネクストの生徒としては、大きな失点と言ってもいい。
「もっとも、私の能力はそこまで強力じゃないんだけどね。……五感の強化だし」
「白夜の能力に比べれば地味だけど、十分使い物になると思うけど」
「ありがと。地味ってのは自覚してるわよ」
自分の能力にコンプレックスがあったのか、弓奈は少しだけ拗ねた表情を浮かべる。
「ま、能力はそれぞれだしな。とにかく、杏と弓奈も一旦休んで体力を回復させる必要があるだろ。中に入ってくれ」
周囲を漂う微妙な雰囲気を誤魔化すように、白夜はそう告げるのだった。
戦闘の興奮で多少の痛みには鈍くなっているゴブリンだったが、それでも毛針が何本も身体に突き刺さったというのは、その限度を超えていたのだろう。
「ギャアア!」
痛みに悲鳴を上げ、今にも弓奈に向かって振り下ろそうとしていた棍棒を放り投げ、地面を転げ回る。
ゴブリンにとっては半ば本能による行動だったのかもしれないが、戦闘の途中でとる行動としては致命的なまでに不味かった。
「はあぁぁあっ!」
地面に転げ回っているゴブリンの頭部目掛け、弓奈がナイフを振り下ろす。
その口から出ている気合いの声は、とてもではないが女らしいとは言えないような、そんな声だ。
奇しくも、その行動は先程ゴブリンが弓奈に向かって棍棒を振り下ろそうとした行動と同じだった。
違うのは、振り下ろす方と振り下ろされる方が……そして何より、振り下ろされる武器が棍棒からナイフに変わっていたこどだろう。
皮膚を破り、肉を斬り裂き、頭蓋骨にナイフの刃先がぶつかり……だが、次の瞬間にはナイフの刃先が半ばで折れる。
元々白夜が使っていたナイフは、決して業物という訳ではない。
それこそ解体を始めとして様々なことに使うのだから、いつ折れても構わないという安物……消耗品でしかない。
弓奈もそれは知っていたのだろうが、ゴブリンに対する憎悪、そしてゴブリンに殺されそうになった恐怖心から、上手くナイフを使うという真似は出来なかった。
「はぁっ、はぁっ、はぁ……」
荒い息を吐きながら、弓奈は自分が殺したゴブリンに視線を向ける。
ゴブリンは完全に死んでおり、実はまだ生きているといったことはない。
そのことに安堵しながら、ようやく呼吸が落ち着いてきたのを感じつつ、周囲を見回す。
「みゃー!」
そんな弓奈の視線が止まったのは、当然のように空中に浮かんでいるマリモ……白夜の従魔のノーラだ。
魔法を使ってゴブリンを攻撃していた杏も、そんなノーラの姿を見て安堵の息を吐く。
ノーラがやって来たということは、白夜と合流するのも近いということなのだから。
「ノーラ、白夜はどこにいるの?」
「みゃー」
杏の言葉に、ノーラは自分の左側……杏から見て右側に移動する。
「そっちね。……弓奈、行くわよ」
「え? あ、ええ。……杏、この兎どうする?」
歩き出そうとした弓奈だったが、ゴブリンが運んでいた巨大な兎に気が付き、そう尋ねる。
このまま山の中で動く必要があるのなら、食料となる肉はあった方がいい。
また、毛皮も持ち帰れば、魔力を宿した素材としてギルドに買いとって貰える。
そんな視線を向けられた杏だったが、少し考えたあとですぐに首を横に振る。
「止めておきましょう。これからどれだけ山の中を動き回るのか分からないもの。こんな兎を持ち歩けば、体力が保たないわよ」
「……そう? 食料を確保しておくのも重要だと思うけど」
巨大な兎を見ながら、少しだけ残念そうに弓奈が呟くも、杏に視線を向けられるとそれ以上は何も言わず、兎をその場に残して歩き出す。
この兎がモンスターであれば魔石を取り出すといった真似もしたのだろうが、残念ながらこの兎はモンスターではない、普通の兎だ。
……大変革前にはこれ程巨大な兎というのは日本に生息していなかったのを考えれば、これもまた大変革による変化の一つなのだろう。
もっとも、杏も弓奈も、大変革前のことは知識でしか知らず、このような巨大な兎の存在がいるのが普通となっているのだが。
「じゃあ、白夜に合流しましょうか」
「ちょっと、ゴブリンの魔石は?」
「残念だけど今はそんなことをしている時間的な余裕はないわ。それに、血の臭いに惹かれて獣やモンスターがやってくる可能性も否定出来ないし。ノーラ、お願いね」
「みゃー!」
杏の言葉に、ノーラは任せておけと、鳴き声を上げながら空中を移動する。
そんなノーラを、杏と弓奈は追いかける。
弓奈は少しだけゴブリンに……自分が殺したゴブリンから魔石を取り出せなかったことを残念だと思うが、杏の言う通りここで血を流せばそれを嗅ぎつけて野生の獣やモンスター、もしくは他のゴブリンがやって来る可能性も十分にある。
本来の武器の槍があれば、それこそゴブリンの数匹は倒せる自信がある弓奈だったが、残念ながら現在手元にある武器はナイフのみだ。
戦闘用に使う短剣ですらなく……しかもそのナイフも、現在は刃先が半ばで折れている。
無理をすれば戦闘に使えなくもないだろうが、このようなナイフを戦闘に使うのであれば、それこそゴブリンが使っているような木の枝を適当に折って作った棍棒を使った方がまだ効果的に戦えるだろう。
(ナイフ、折れちゃったわね)
いまさらながらに、そのことを残念に思う。
作業用のナイフであり、しかもネクストの生徒の白夜が使っている代物だ。
決して高価なナイフという訳ではないのだが、それでも借り物なのは間違いない。
白夜に再会したら謝らないといけないと、意識を切り替えながら山道を歩いていく。
ノーラは空を飛んでいるので、山道の険しさを味わわなくてもいい。
だが、杏と弓奈の二人は違う。
地面を歩いて移動している以上、どうしても険しい山道を歩かなければならなかった。
ましてや、弓奈は槍を使って戦うという戦闘スタイルの為に体力もそれなりにあるのだが、魔法使いの杏は基本的に体力はそれほど多くはない。
その上、白夜に合流するために移動しているときも、杏が戦闘になって山道を歩いてきたのだ。
どうしても体力の消耗という意味では、弓奈よりも杏の方が上だった。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
「みゃー?」
大丈夫? と、ノーラは地上に降りてきて杏に声をかける。
「少し休む?」
弓奈も、杏の息が切れているのを見て尋ねるが、体力がかなり限界に近いはずの杏は、一人と一匹の気遣いに対し、首を横に振る。
「いえ、今は少しでも急ぎましょう。出来るだけ早く白夜と合流した方がいいわ」
呼吸を整えつつ喋る杏の視線が向けられているのは、弓奈の持っているナイフ。
現在使える最大の武器のナイフだったが、刃先が半ばで折れている以上、戦いになったとき苦戦するのは確実だ。
そうである以上、ゴブリンに……いや、それ以外にも他のモンスターたちに遭遇するよりも前に白夜と合流したいというのが、杏の正直な気持ちだった。
そんな杏の気持ちは、弓奈も理解しているのだろう。
ゴブリンとの戦いでナイフを折ってしまったことを悪く思いながら、山道を進んでいく。
「みゃー!」
そんな中、不意に空を飛んでいたノーラが、地上近くまで降りてきて鳴き声を発する。
警戒心を抱かせるような、そんな鳴き声。
その鳴き声が何を意味しているのか、瞬時に悟った杏と弓奈の二人は、見つからないように木の後ろに隠れる。
幸いここは山の中で、隠れるのに使える木はいくらでもあった。
そうして二人と一匹が木の後ろに隠れ……やがて一分もしないうちに、何かの足音が聞こえてくる。
敵だ。
そう判断するのは、当然だった。
だが、問題なのはどのような敵なのかということだろう。
これがゴブリンであれば、まだいい。
だが、五感の鋭いモンスターや動物であれば、木の後ろに隠れている杏たちを見つけるのは難しくはない。
杏が握っている杖に力を込め、弓奈も刀身が半ばで折れてるとはいえ、唯一の武器のナイフの柄を握る手に力が入る。
「ギャギャ」
「ギョギャ?」
「ギョギョギョ」
聞こえてきた鳴き声は、幸いと言うべきか、ゴブリンのもの。
杏と弓奈の二人は、そのことに安堵する。
……もっとも、弓奈はゴブリンを見て安堵した自分にすぐに気が付き、奥歯を噛み締めるのだが。
ゴブリンを見て憎悪を抱くのであればまだしも、安堵するとは……と。
だが、今の状況で何が出来る訳でもない弓奈は、木の後ろに隠れているしか出来ない。
そうして憎々しいゴブリンが自分の側を移動しているというのに何も出来ない自分に苛立ちを覚えつつ、隠れること数分……杏が軽く弓奈の身体を叩いたことで、ゴブリンがいなくなったことを理解する。
「行きましょう。何の目的であのゴブリンがここと通ったのは分からないけど……もし見回りか何かなら、一度通りすぎたここをもう一度見回りにくるにはある程度時間が必要なはずよ。……まぁ、ゴブリンがそこまで時間の概念を持っているのかどうかは、分からないけど」
そう言いながら、杏は溜息を吐く。
ゴブリンに時間の概念があれば、それはより高い知性を持っているということであり、そのようなゴブリンは出来れば相手にしたくないというのが正直なところだった。
「そうね。出来るだけ早く白夜と合流したいし。……ねぇ、ノーラ。白夜と合流出来るまでは、あとどれくらい?」
弓奈は気分転換の意味も兼ね、ノーラに尋ねる。
「みゃー!」
だが、当然ながらノーラは人間の言葉を理解することは出来ても、それを発する発声器官はもたない。
……鳴き声を上げる発声器官も、具体的にどこにあるのかというのは分からないのだが。
そもそも、ノーラの外見は空を飛ぶマリモ、もしくは毛玉で、そこには当然口の類は存在しない。
そうであれば、人間の言葉を喋るくらいは出来てもいいのでは? と、思ってしまう者がいてもおかしくはないだろう。
ともあれ、ノーラの鳴き声を聞いても今のところは白夜と合流出来る場所までどのくらいの距離があるのか分からず、杏は首を横に振る。
「ごめんなさい、無理を言ったわね。……とにかく、白夜と合流するのを急ぎましょう。ノーラ、もう少しお願い出来る?」
「みゃ!」
杏の言葉に、ノーラは短く鳴き声をあげる。
ノーラという高い探査能力を持っている存在がいるからこそ、ゴブリンのようなモンスターたちに見つからずにここまで来ることが出来たのだ。
なら、今ここで無理にノーラにどのくらいの時間がかかるかを聞き出すよりも、とにかく移動した方が手っ取り早いというのは杏と弓奈にとって同様の考えだった。
そうして再びノーラが空中を進むと、杏と弓奈はそのあとを追う。
山の中でも、ゴブリンや動物、モンスターによって踏み固められた道ではなく、道らしい道のない山の中を進んでいく。
山の中を進み始めて一時間ほどが経ち……杏の息が容易には回復出来ないほどに切れ、弓奈も少し息が荒くなってきたころ……そろそろ休憩した方がいいのではないかと、弓奈がノーラに声をかけようとした瞬間、ノーラは鳴き声を上がる。
「みゃー!」
嬉しそうなノーラの鳴き声に、杏と弓奈は一瞬警戒の視線を周囲に向けるが……すぐにノーラの感情を理解して、安堵の息を吐く。
敵に見つかった、もしくは見つけたのなら、ノーラの鳴き声はもっと鋭いはずだった。
だが、今のノーラの鳴き声はそのような感じではなく、ただ嬉しさと喜びに満ちている鳴き声だ。
それが意味するところは……
「ノーラ、杏と弓奈も無事だったか。……良かった」
木の枝や茂み、蔦といったもので隠されていた入り口から、白夜が顔を出し、その白夜に続くように音也も顔を出す。
そうして顔を出した白夜は、杏と弓奈が特に怪我らしい怪我もしていないのを見て、安堵の息を吐く。
もっとも、ローブを身に纏っている杏はともかく、弓奈の方を見た瞬間には胸や腰といった場所に視線が向けられたのは、白夜が白夜たる由縁なのだろうが。
「ちょっと、はぁ、はぁ……目が……はぁ、はぁ、嫌らしいわよ」
弓奈を見る視線に気が付いた杏が、息を切らしながらも白夜を責める。
そんな杏を見て、白夜は少しだけ呆れたように口を開く。
「ちょっと体力がなさすぎじゃないか?」
「あのねぇ……ふぅ。……忘れてるかもしれないけど、私は魔法使いなの。白夜みたいな能力者じゃないんだから、体力お化けなんかにはならないわよ」
「……私も一応その能力者なんだけど」
少しだけ言いにくそうに呟く弓奈。
その言葉で、そう言えば……と思い出す。
弓奈を拾って……いや、助けてから色々と忙がしかったため、能力の話を聞いていなかったことを思いだしたのだ。
これは、能力者として……そしてネクストの生徒としては、大きな失点と言ってもいい。
「もっとも、私の能力はそこまで強力じゃないんだけどね。……五感の強化だし」
「白夜の能力に比べれば地味だけど、十分使い物になると思うけど」
「ありがと。地味ってのは自覚してるわよ」
自分の能力にコンプレックスがあったのか、弓奈は少しだけ拗ねた表情を浮かべる。
「ま、能力はそれぞれだしな。とにかく、杏と弓奈も一旦休んで体力を回復させる必要があるだろ。中に入ってくれ」
周囲を漂う微妙な雰囲気を誤魔化すように、白夜はそう告げるのだった。
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書籍化に伴い一部ウェブ版と違う箇所がございます
追加場面もあります
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レベルが上がらない【無駄骨】スキルのせいで両親に殺されかけたむっつりスケベがスキルを奪って世界を救う話。
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