オメガだけど、やられてたまるか

七条楓華@Unsweet(アンスイート)

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オメガだけど、やられてたまるか

ワイルド・チェイス(3)

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 二人はホテルの近くの老舗の高級紳士服店へ向かった。

 ヒナタは紳士服店は初めてらしい。子供のように目を輝かせて、ディスプレイされたスーツを見て回っている。ヒナタは吊るし売りの服を買ってもらえると思っているようだ。だが桃真には別の思惑があった。

 桃真は店長らしい初老の男に、フルオーダーのスーツを二着頼んだ。

「コンビ結成記念だ。揃いで誂えようぜ」

と言ってやると、ヒナタは素直に喜んだ。

 メジャーを手にした店員たちが近寄ってきた。一瞬で全身の自動計測が可能になった現代でも、いまだに人の手で採寸するのが老舗のこだわりなのだろう。桃真とヒナタは別々の採寸室へ通された。

 ヒナタは、桃真と離れなければならないことに、不安の色を示した。

「ねえ。勝手にどこかへ行っちゃわないでくださいよ、桃真さん。置き去りは嫌ですよ」

 隣の採寸室から心配そうな大声が響く。

「大丈夫だ。俺はここにいる」

 桃真は「俺はここにいる」の部分だけをスマホで録音した。そして、不思議そうな表情をしている店員に、いつも持ち歩いている偽物の警察手帳を示した。

「道警です。少しご協力いただけませんか」

 隣の部屋のヒナタに聞こえないよう、囁くような小声で店員に話しかける。

「理由があって、あの男を二十分ほどここに釘づけにしておきたいのです。私は今からこの店を出ますが……あの男が私を呼んだら、このスマホのボイスレコーダーを再生して、私の声を聞かせてやってくれませんか」
「わっ……わかりました」

 警察の秘密捜査に協力するというドラマのような非日常に、店員は興奮した様子で頬を染めている。

 桃真は礼を言ってスマホを店員に渡し、採寸室を出た。念のためにトイレへ行き、狭い窓から苦労して抜け出して路地へ降り立った。紳士服店が面しているのとは別の通りへ出て、タクシーを拾った。

 車が三度ほど角を曲がったところで、桃真はようやく安心できた。これで、いくら何でもヒナタは追ってこられないだろう。早めに飛行機の切符を手配して日本を出よう。行先はベトナムあたりがいいだろうか……。

 四度目の角を曲がり、南北に延びる大通りに入ったところで、渋滞につかまった。タクシーは、歩いているのと変わらない速度でのろのろ前進し、やがて完全に止まった。

 桃真はいやな予感がした。ヒナタを完全に振り切ったとは思うが――こうやって一か所にじっとしているのは良い気分がしない。タクシーを降りて地下鉄にでも乗り換えた方が無難だろうか。

 そう思案しているうち。
 バックミラーに映る背後の風景に、異変が起きた。

 路上で完全に止まってしまっている車の列。はるか後方まで延びるその車の列の上を、屋根から屋根へと飛び移って駆けてくる人間がいる。そんなことをする人間はハリウッド映画でしか見たことがない。

 それは言うまでもなくヒナタだった。採寸の途中で飛び出してきたらしく、アンダーシャツとボクサーパンツだけという反社会的な格好だ。

 桃真のすぐ頭上で、ボゴッという轟音が響いた。ヒナタがタクシーの屋根に着地したのだ。

 次の瞬間、同じような轟音と共に、ヒナタがタクシーのボンネットに飛び降りてきた。運転手が悲鳴をあげ、ブレーキを踏んだ。もともと止まっているのと変わらない速度だったので、ヒナタは軽くよろめいただけで、減速の衝撃をやり過ごした。

 道路に飛び降りたヒナタはタクシーのドアを開け、桃真を引きずり出した。
 あまりの事態に桃真は茫然としてしまい、抵抗さえ忘れていた。

「あなたって人はまったく、嘘ばかりですね」

 あっという間にポケットのスタンガンを取り上げられた。ヒナタは桃真の腕をつかんで、手近な雑居ビルの中へ連れ込んだ。怒っているらしく、つかむ力が強い。指が食い込んでくる。

「そりゃあ、詐欺師だからな」
「僕をあまり怒らせないでください。優しくできなくなる。結局、体で説得するしかないってことなんですか? ばっこんばっこんにりまくって、僕から離れられない体にしてあげましょうか? 僕、そういうのも得意ですよ」
「そいつは勘弁してくれ。……レイプはしないって言ったじゃねーか」
「先に約束を破ったのはあなたです」

 雑居ビルの一階には誰もいなかった。通路の左右にあるのは固く閉ざされたスナックの扉だ。夜に花開くタイプのビルらしい。饐えたにおいの漂う通路を突き当たりまで進んで右に曲がると、薄暗いコンクリートの階段につながっていた。

 ヒナタがボクサーパンツの前を大きく膨らませているのを見て、桃真は気が滅入った。
 このままだと、階段に押し倒されて犯される流れだ。ちょうど良い感じに奥まった場所なので、ここで何をしていても通行人からは見えない。

 冗談じゃねえ。オメガだからって好き勝手にやられてたまるか。性欲のはけ口にされるなんてまっぴらだ。

「一次試験は合格だ、ヒナタ。百点満点を通り越して、百二十点やってもいい」

 桃真は持てる限りの演技力を発揮して、冷静な顔を取りつくろった。

 ヒナタは目をぱちくりさせた。

「試験? 合格? 何のことです」
「おまえが何分で俺の嘘に気づくか試してたんだ。人の嘘に簡単にだまされてるようじゃ詐欺師にはなれねーからな。おまえはすぐに気づいたし、しかも、逃げた俺を的確に追ってきた。見事だったよ。おまえとなら良いコンビになれそうだ」
「またそんなこと言って! だまされませんからね。試験だなんて。僕は……!」
「じゃあ、二次試験に進むぞ。次は実技試験だ。おまえに、実際に人をだましてもらう。やれる自信はあるか? おまえって見るからに腕力バカっぽいからな。頭脳の方はどうなのか、試したい。もしここで退くなら……おまえは見かけ通りの人間だったってことだ。腕力だけが取り柄の万年発情バカ。詐欺師という知的な職業には向いてない。
 試験なんかやめて、ここで俺をやりたいというならそれでもいい。だが、それだと俺はもう二度とおまえの前には現れないぞ。セックスしか頭にない猿野郎に用はないからな。どうする?」

 ヒナタの童顔を様々な表情がよぎるのを、桃真はじっとみつめていた。内心の緊張を態度に出さないよう必死で努力しながら。

「……受けます、二次試験。僕だってやれます、人をだますぐらい。……それであなたのそばに置いてもらえるのなら」

 ようやく、ぽつりとヒナタがつぶやいたとき、桃真は心の底からほっとした。

 舌先三寸でヒナタをごまかすことに成功した。これでどうにか当面の危機は回避できた。
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