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オメガだけど、やられてたまるか

ヒート・アンド・アフター(1)

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 桃真トーマが十六歳の頃、仕事の手ほどきをしてくれていた師匠から、「おまえは性根が甘すぎるからこの稼業に向いてない」とよく言われたものだった。それから六年が過ぎ、たゆまぬ努力と徹底したプロフェッショナリズムで一流の座に昇りつめた。今や嘉神かがみ桃真とうまといえばアジアの裏社会ではちょっとは知られた名だ。

 それでもときどき、師匠の言葉はやっぱり正しかったのではないかと思うことがある。
 例えば、今みたいに。

「僕、どこにも行く場所がないんです。お願いです。僕をボディガードとしてそばに置いてください。僕は腕利きだし……安いですよ。食事と寝る所さえ面倒を見てもらえれば、給料も要りません。こんなお買い得なボディガードはいませんよ」

 山王寺島で拾った、ヒナタと名乗る純朴な顔立ちの青年が、ぐいぐいと迫ってくる。

「あなたが僕を雇い主から引き離したんですからね。僕が失業したのは、あなたのせいですよ。責任とってください」

 金をやる、と言っても、この頑固な青年は耳を貸そうとしないのだ。

 ヒナタは桃真より背が高く、筋骨隆々たる見事な体格をしているので、寄ってこられると圧迫感がある。

 K市に着いて四日目だというのに、ヒナタがそばを離れようとしないので行き先が決まらない。
 国際空港に程近い高級ホテルのラウンジで、桃真は窓の外の夜景を眺めながらため息を押し殺した。

「悪いことは言わない。俺みたいなのに関わらない方がおまえのためだ」

 本当のことを教えてやれば、ヒナタの気も変わるかもしれない。

「ここだけの話だが、俺の職業は詐欺師だ。泥棒で、ぺてん師で、いかさまギャンブラーで……早い話が悪党なんだよ。目立ちたくないから、連れはいらない。一人で行動したいんだ」
「……そんな風には見えませんが」
「当たり前だろ? 詐欺師が詐欺師らしく見えたら商売にならねーだろーが」
「…………悪党ならなおさら、護衛が必要じゃないですか? きっと敵も多いでしょ?」

 声が大きい、と桃真はヒナタを制止しなければならなかった。
 また失敗しちまった。こいつに自分の正体を明かしたのは間違いだった。静かなラウンジ全体に響きわたるような声で「悪党」呼ばわりされたのではたまったものではない。



 ――桃真が山王寺島へ行ったのは、〈赤足〉というあだ名の盗賊に依頼されたからだ。〈赤足〉とは古いなじみで、ときどき大仕事のため手を組んだりしている。

 今回、〈赤足〉は山王寺金蔵の美術品コレクションを狙っていた。桃真の役割は、山王寺のカードゲームに潜り込んで、賭け金を途方もなくつり上げることだった。目論見はうまくいった。いきすぎたぐらいだった。桃真は山王寺を挑発して熱くさせ、もはや遊びとは言えないほどの金をつぎ込ませた。桃真も、まさか山王寺が島の権利証まで持ち出してくるとは予想していなかったのだが――あまりに多額の金が動くため、山王寺は屋敷内の警備員の大半を書斎へ呼び寄せたのだ。カードテーブルを守るために。

 警備が手薄になった隙に、〈赤足〉はまんまと宝物庫へ侵入することができた。

 警報ベルが派手に鳴っていたが、あれは〈赤足〉から桃真への「ミッション完了。撤退せよ」の合図だ。〈赤足〉は侵入に気づかれるようなヘマはしない。防犯装置に引っかかったのだとすれば、わざとだ。



 大事な美術品を失って失意に暮れている山王寺も、そのうち冷静さを取り戻し、桃真を疑い始めるだろう。

 山王寺は香港マフィア [K13] とつながりがある。K13の組織力を動員して追われたら、そのうち捕まる。いつまでも近場でぐずぐずしているのはまずい。ほとぼりが冷めるまで、できれば海外に身を潜めたいところだ。〈赤足〉からそれぐらいの報酬はもらっている。



 逃げ切るためには、できるだけ身軽でいなければならない。

 それなのに、どうしてあのとき「こいつをよこせ」などと言ってしまったのだろう。ヒナタを悪党の手から救い出してやりたいと、どうして感じたのだろう。
 関わり合いになる必要なんかなかったのに。
 島の権利証が要らないのと同じぐらい、ヒナタだって不要だった。



 思い通りにならない成り行きに焦りといらだちを感じていたせいもあって、少し飲みすぎたかもしれない。もともと桃真は酒に強い方ではない。

 ラウンジを出て、分厚い絨毯の敷きつめられた廊下を歩きながら、桃真は足元がおぼつかないのを感じていた。

 彼が泊まっているのは最高級のスイートルームだ。もちろんヒナタとは部屋を分けている。ヒナタは三階のいちばん安い部屋に泊まらせている。

 ふらふら歩く彼を、ヒナタが忠犬のように追ってきた。

「きっと後悔してるんでしょうね、桃真さん。……僕を連れてきてしまったことを」
「あー。その通りだ。よくわかってんじゃねーか」
「でも僕は、うれしかったんです。『おまえは俺のもの』と言ってもらえて、幸せだったんです。僕にもようやく居場所ができたような気がして……!」
「……!」

 桃真は心の耳栓をして足を速めた。

 もう半分ぐらいヒナタに同情し始めている。共に旅をして、すでにヒナタの不遇な生い立ちをたっぷり聞かされているのだ。幼くして親に捨てられ、信じた相手に裏切られ、落ちるところまで落ちた人生。

 これがいけないのだ。誰かに同情するなんて、悪党の風上にも置けない。師匠に鍛えられてだいぶ強くなったはずなのに、うっかりすると、持ち前の甘さが顔を出す。

 考えにふけっていたので、足元がおろそかになった。
 桃真は階段をずるっと踏み外した。体のバランスが崩れた。

「危ない!」

 すぐ後ろにいたヒナタに支えられた。そこまでする必要はないだろうに、太い腕でしっかり抱き込まれた。

 何だ、この感じは……ぬくもりに全身包み込まれる感じ……懐かしい……!

 ドクン、と大きな音が聞こえたような気がした。

 桃真の体内でスイッチが切り替わった。火がついたように全身がカッと熱くなる。同時に、湧き起こってくる激しい疼きに、立っていられなくなる。

(まさか、これは……!)

 発情期ヒートだ。五年ぶりだ。

 もう自分には二度とそういうことは起こらないと思っていたから、抑制剤も持っていなかった。
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