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キャント・ヘルプ・フォーリン・イン・ラブ【SIDE: ヴァレンチン】二年前
リュボフ博士の授業
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完璧に空調の効いた、濃淡のない光に満たされた真っ白な教室。
机にとりついた俺たちの頭上を、リュボフ博士の声が流れていく。
いつも俺たちへの授業は他の講師が担当していたから。
所長であるリュボフ博士が直接講義しに来るのは珍しい。
「バンパイアの軍事利用は、この百年間、どの国でも追究されてきたテーマだ。常人離れした運動能力を持ち、不死身に近い……バンパイアは兵士としては理想的だ。各国とも不死の軍隊を作り出すため、志願者にバンパイア・ウィルスを感染させる実験を秘密裏に行ってきた。
いわゆるバンパイア・ソルジャーの実用化にとってネックとなったのは、バンパイア・ウィルスの致死率の高さだった。ウィルス感染者の七十パーセント近くがバンパイア化に耐えきれず死亡する……志願者のうち三割しか生き残れないのでは、とても実用化は無理だ。
バンパイア化に耐えられるかどうかは、感染者の若さや体力によって決まるのではない。二十代の頑健な若者でもバンパイア化の過程で死ぬし、一歳未満の乳児でも九十歳を超えた老人でも、生き延びてバンパイア化した事例がある。つまるところ、純粋に、体質の問題なのだ。バンパイア化に耐えられる体質、耐えられない性質というものがある。
研究の結果、今では、どのような遺伝的特性を持つ者がバンパイア化に耐えやすいかが判明している。だから現在、あらかじめ志願者の遺伝的スクリーニングを行った上でバンパイア・ウィルスを感染させるので、バンパイア化の成功率は約八十パーセントだ。それほど悪い数字ではない。そういうわけで今では世界各国でバンパイア・ソルジャーを実用化している。
言うまでもないが、どの国もバンパイア・ソルジャーの存在を公にはしていない。致死率の高いウィルスを人為的に人に感染させるのは『非人道的な』行為だからな。人権団体などが大騒ぎして、無用の混乱が生じかねない」
――耳にタコができるほど聞かされてきた話だ。
そんな話、俺が代わりに教壇に立ってレクチャーできるぐらい、知り尽くしてる。
博士はなぜ今さらそんな話を始めたんだろう。
俺の席は窓ぎわだった。
なんとなく、いつもの習慣で、俺は窓の外に視線を投げた。整備されたグラウンドに、見慣れたあの姿を探す。
――今日はあいつ、いないんだな。珍しい。
「次の目標は、いかにして『より強い』バンパイア・ソルジャーを生み出すか、ということだ。我らがゼウスプロジェクトが追究しているのも、まさにそのテーマなのだ」
自分の最も興味のあるテーマについて語る科学者の常で、リュボフ博士の目は子供のように輝いている。
「各国で様々な実験が行われてきた。複数の人間の血を摂取するバンパイアより、ただ一人の人間の血だけを摂取するバンパイアの方が、身体能力の向上が著しいことが判明している……いわゆる[純血効果]だな。理由はわかっていないが。
そうなると次のテーマは『相性』だ。バンパイアがずっと同じ人間の血だけを摂取し続けるのであれば――その血がどういうものであるか、ということが重要となってくる。誰の血でもいいわけではないだろう。バンパイアの力をより効果的に発揮させる種類の血、というものがあるのではないか?
バンパイアと、バンパイアに血液を提供する人間――すなわち『ドナー』との関係について、現在では研究が進んでいる。両者の間にどのような関係があれば、バンパイアの力が最も高まるのか、ということも判明している。
つまり、バンパイアのゲノムを分析すれば、そのバンパイアの身体能力を高めるのに最も適した人間のゲノムの種類が予測できる。予測できるからには、作れる」
――あの男はいつも、グラウンドを支配しているように見えた。
アスリートクラスの生徒たちは、朝から夕方まで走り込みや水泳、筋トレ、各種スポーツ競技などに没頭していた。ひたすら体を鍛えることに特化していて、教室で勉強している様子はない。
彼らはいつもグラウンドを駆け回っていた。
その中でも、ひときわ目を引く金髪の男がいた。
すばらしい動きを見せるアスリートたちの中でも、その男は群を抜いていた。
跳・走・投。何をやらせても、他の者をはるかに凌駕していた。
「君らも知っての通り……今は人間の遺伝子を使って、人間には存在していない器官を作り出すことが可能だ。この技術は国際条約違反なのでおおっぴらには言えないが、わが国はすでに、紫外線や赤外線を見ることのできる眼球や、本来なら人体では作れないホルモンを生産する臓器などの開発に成功している。当研究所では[造血器官]を作り出した。その名の通り、血液を生産するだけの器官だ」
博士は、[造血器官]――透明な培養容器の中で “生きている” 赤黒い肉塊――の映像を示しながら説明を続けた。
「国防軍の方でバンパイア・ソルジャーを一人作るたびに、当研究所でそのバンパイアのゲノムを解析し、そのバンパイアの力を最も強く発揮しうる血液のゲノムを推測する。そして、そのゲノムを持つ[造血器官]をこしらえるわけだ。一人のバンパイア・ソルジャーに一つの[造血器官]。完全なオーダーメイド・システムだ。バンパイア・ソルジャーは、自分に最も合った血液を半永久的に摂取できる。これがいわゆる[エンハンスト]バンパイア。わが国の誇る世界最強のバンパイア・ソルジャーだよ」
金髪を風になびかせ、トラックを駆け抜けていくあいつ。二回ほど言葉を交わしたが、名前さえ知らない。
その姿を見るたび、思い出すたび、俺の胸に憧憬に似た感情が湧き起こる。
たぶん、人並み外れた身体能力を持つあの男が、すべてを超えて行けるように見えるからだ。あらゆる物を打ち倒し、飛び越えて、どこまでも走って行けるように感じられるからだ。その圧倒的な力をもって。
――「自由」。
それは太陽のようにまぶしく、決して手が届かない。
机にとりついた俺たちの頭上を、リュボフ博士の声が流れていく。
いつも俺たちへの授業は他の講師が担当していたから。
所長であるリュボフ博士が直接講義しに来るのは珍しい。
「バンパイアの軍事利用は、この百年間、どの国でも追究されてきたテーマだ。常人離れした運動能力を持ち、不死身に近い……バンパイアは兵士としては理想的だ。各国とも不死の軍隊を作り出すため、志願者にバンパイア・ウィルスを感染させる実験を秘密裏に行ってきた。
いわゆるバンパイア・ソルジャーの実用化にとってネックとなったのは、バンパイア・ウィルスの致死率の高さだった。ウィルス感染者の七十パーセント近くがバンパイア化に耐えきれず死亡する……志願者のうち三割しか生き残れないのでは、とても実用化は無理だ。
バンパイア化に耐えられるかどうかは、感染者の若さや体力によって決まるのではない。二十代の頑健な若者でもバンパイア化の過程で死ぬし、一歳未満の乳児でも九十歳を超えた老人でも、生き延びてバンパイア化した事例がある。つまるところ、純粋に、体質の問題なのだ。バンパイア化に耐えられる体質、耐えられない性質というものがある。
研究の結果、今では、どのような遺伝的特性を持つ者がバンパイア化に耐えやすいかが判明している。だから現在、あらかじめ志願者の遺伝的スクリーニングを行った上でバンパイア・ウィルスを感染させるので、バンパイア化の成功率は約八十パーセントだ。それほど悪い数字ではない。そういうわけで今では世界各国でバンパイア・ソルジャーを実用化している。
言うまでもないが、どの国もバンパイア・ソルジャーの存在を公にはしていない。致死率の高いウィルスを人為的に人に感染させるのは『非人道的な』行為だからな。人権団体などが大騒ぎして、無用の混乱が生じかねない」
――耳にタコができるほど聞かされてきた話だ。
そんな話、俺が代わりに教壇に立ってレクチャーできるぐらい、知り尽くしてる。
博士はなぜ今さらそんな話を始めたんだろう。
俺の席は窓ぎわだった。
なんとなく、いつもの習慣で、俺は窓の外に視線を投げた。整備されたグラウンドに、見慣れたあの姿を探す。
――今日はあいつ、いないんだな。珍しい。
「次の目標は、いかにして『より強い』バンパイア・ソルジャーを生み出すか、ということだ。我らがゼウスプロジェクトが追究しているのも、まさにそのテーマなのだ」
自分の最も興味のあるテーマについて語る科学者の常で、リュボフ博士の目は子供のように輝いている。
「各国で様々な実験が行われてきた。複数の人間の血を摂取するバンパイアより、ただ一人の人間の血だけを摂取するバンパイアの方が、身体能力の向上が著しいことが判明している……いわゆる[純血効果]だな。理由はわかっていないが。
そうなると次のテーマは『相性』だ。バンパイアがずっと同じ人間の血だけを摂取し続けるのであれば――その血がどういうものであるか、ということが重要となってくる。誰の血でもいいわけではないだろう。バンパイアの力をより効果的に発揮させる種類の血、というものがあるのではないか?
バンパイアと、バンパイアに血液を提供する人間――すなわち『ドナー』との関係について、現在では研究が進んでいる。両者の間にどのような関係があれば、バンパイアの力が最も高まるのか、ということも判明している。
つまり、バンパイアのゲノムを分析すれば、そのバンパイアの身体能力を高めるのに最も適した人間のゲノムの種類が予測できる。予測できるからには、作れる」
――あの男はいつも、グラウンドを支配しているように見えた。
アスリートクラスの生徒たちは、朝から夕方まで走り込みや水泳、筋トレ、各種スポーツ競技などに没頭していた。ひたすら体を鍛えることに特化していて、教室で勉強している様子はない。
彼らはいつもグラウンドを駆け回っていた。
その中でも、ひときわ目を引く金髪の男がいた。
すばらしい動きを見せるアスリートたちの中でも、その男は群を抜いていた。
跳・走・投。何をやらせても、他の者をはるかに凌駕していた。
「君らも知っての通り……今は人間の遺伝子を使って、人間には存在していない器官を作り出すことが可能だ。この技術は国際条約違反なのでおおっぴらには言えないが、わが国はすでに、紫外線や赤外線を見ることのできる眼球や、本来なら人体では作れないホルモンを生産する臓器などの開発に成功している。当研究所では[造血器官]を作り出した。その名の通り、血液を生産するだけの器官だ」
博士は、[造血器官]――透明な培養容器の中で “生きている” 赤黒い肉塊――の映像を示しながら説明を続けた。
「国防軍の方でバンパイア・ソルジャーを一人作るたびに、当研究所でそのバンパイアのゲノムを解析し、そのバンパイアの力を最も強く発揮しうる血液のゲノムを推測する。そして、そのゲノムを持つ[造血器官]をこしらえるわけだ。一人のバンパイア・ソルジャーに一つの[造血器官]。完全なオーダーメイド・システムだ。バンパイア・ソルジャーは、自分に最も合った血液を半永久的に摂取できる。これがいわゆる[エンハンスト]バンパイア。わが国の誇る世界最強のバンパイア・ソルジャーだよ」
金髪を風になびかせ、トラックを駆け抜けていくあいつ。二回ほど言葉を交わしたが、名前さえ知らない。
その姿を見るたび、思い出すたび、俺の胸に憧憬に似た感情が湧き起こる。
たぶん、人並み外れた身体能力を持つあの男が、すべてを超えて行けるように見えるからだ。あらゆる物を打ち倒し、飛び越えて、どこまでも走って行けるように感じられるからだ。その圧倒的な力をもって。
――「自由」。
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