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キャント・ヘルプ・フォーリン・イン・ラブ【SIDE: ヴァレンチン】二年前
バードケージ
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「ほぉ。またラムダ棟へ行きたくなったかね、ヴァレンチン? 体がうずくのか」
ノックもなしに所長室へ入り込んだ俺に向かって、リュボフ博士は意味ありげに微笑んでみせた。
反吐が出るほど下劣な笑みだ。枯れかかったジジイのくせに、好色さをたっぷりとにじませている。
この面のことを「厳格だが知的」などと感じていたんだから、俺も見る目がなかったな。
「そんなわけねーだろーがっ、このむっつり助平ジジイ」
俺は臆せず叫び返した。
ラムダ棟に監禁され、夜も昼もなくアスリートクラスの連中におもちゃにされた、悪夢のような二週間。あれ以来、俺は「絶対になめられまい」と、前にも増して荒々しく振る舞うようになっていた。常に眉間に皺を寄せ、肩をいからせて歩き、乱暴な言葉遣いをした。
――俺を犯した奴らの一人と、どこかで出くわしたらどうしよう、という恐怖を押し殺すためでもある。
「新しい楽器を買ってくれ。学校の音楽室にあるヤツじゃ足りねーんだ」
俺はデスクまで歩み寄り、楽器のリストを書いたデータシートをリュボフ博士のすぐ前に叩きつけた。
「俺に『おとなしくして』いてほしいんだろ? じゃあ、便宜を図ってくれ」
博士は俺を見上げ、ゆっくりとまばたきした。
「まだ余計な詮索を続けるつもりなのか。あんな目に遭った後でも」
「詮索はしない。研究所ブロックの立入禁止エリアにこっそり忍び込むのも、もうやめる。ただ……サカった猿どもに俺をレイプさせたって、噂が広がるのは止められないぜ。俺が消えたりしたら、噂の信頼性が高まるだけだ。みんな馬鹿じゃないんだ。ここが不自然な場所だと、気づき始めてる」
俺たちはしばらく睨み合った。
やがて、視線を落としたのはリュボフ博士の方だった。
「楽器を買えば、もう余計なことはしないんだな? きちんと規律を守ると?」
俺はご機嫌でうなずいた。
「音楽活動に熱中して、余計なことは忘れるさ。青春をエンジョイする」
俺と、特に親しい数人の仲間は、二、三年前から音楽にハマっていた。
過去の膨大な音源をあさり、演奏できそうな曲を探した。
それほど高度な技術がなくてもそこそこ「レトロかっこよく」聞こえるので、エルヴィス・プレスリーの曲が俺たちのバンドの十八番だった。ボーカル担当の俺の声質がプレスリーに似ていたせいもあるけれど。
リュボフ博士が高価な楽器を取り寄せてくれたおかげで、バンドのレベルは格段に上がった。
学園の春祭りの夜に、中庭に組んだステージで『好きにならずにいられない』を歌ったときは、見に来ていた他のクラスの女子からさえ黄色い声援が飛んだ。
自分たちが暮らしているのは一種の学園都市だ。――つい最近まで俺は漠然とそう信じ込んでいて、自分たちの生活に疑問を持ったことはなかった。
国立生体学研究所(NBI)。
最新の実験器具をいくつも備えた白亜の巨大な建物群。
俺たちは物心ついた頃から居住区の個室で暮らし、学校へ通い、助手として研究所ブロックで働き、空き時間には年頃に応じた遊びに興じた。研究所の助手を務める時間は、学年が上がるごとに長くなった。でもそれでさえ、気のおけない仲間と一緒だったので、遊びの延長でしかなかった。
俺たちはこの[研究所]の研究員となるため育てられ、大人になったらそのまま研究員になるのだと思っていた。
俺たちの通う学校は、[研究所]に併設された専門の養成機関なのだと。
年に数回の[遠足]の時を除き、俺たちは[研究所]の塀の外へ出ることは禁じられていた。
そのことに、それほど不満を抱いたことはなかった。
[研究所]の敷地は幽閉の不自由さを感じさせないほど広大だった。
外に出られないことを除けば、俺たちは甘やかされていると言ってもよかった。望むものはすべて与えられた。自由以外は。
この平和な学園生活には何かが隠されている。
その感覚は、学年が進むにつれて強くなった。
学園の秘密を探ろうとした俺は、捕らえられ、思い出したくもないひどい目に遭わされた。
たぶん俺たちは人造人間なのだ。
研究所の職員となるのに適した知能と特性を与えられたデザイナー・チャイルドだ。
そんなことを知らされたら、生徒の中には、深刻なアイデンティティの危機に陥る奴も出るかもしれない。
だからこそ、俺たちの出生については秘密にされているんだろう。
俺はとりあえず、前を向いて生きることに決めた。
生身の両親からではなく、試験管から生まれたからといって、俺という人間の値打ちが変わるわけじゃない。
そんな感じで、俺たちはそれなりに平穏な学園生活を送っていたんだ。
あの日までは。
ノックもなしに所長室へ入り込んだ俺に向かって、リュボフ博士は意味ありげに微笑んでみせた。
反吐が出るほど下劣な笑みだ。枯れかかったジジイのくせに、好色さをたっぷりとにじませている。
この面のことを「厳格だが知的」などと感じていたんだから、俺も見る目がなかったな。
「そんなわけねーだろーがっ、このむっつり助平ジジイ」
俺は臆せず叫び返した。
ラムダ棟に監禁され、夜も昼もなくアスリートクラスの連中におもちゃにされた、悪夢のような二週間。あれ以来、俺は「絶対になめられまい」と、前にも増して荒々しく振る舞うようになっていた。常に眉間に皺を寄せ、肩をいからせて歩き、乱暴な言葉遣いをした。
――俺を犯した奴らの一人と、どこかで出くわしたらどうしよう、という恐怖を押し殺すためでもある。
「新しい楽器を買ってくれ。学校の音楽室にあるヤツじゃ足りねーんだ」
俺はデスクまで歩み寄り、楽器のリストを書いたデータシートをリュボフ博士のすぐ前に叩きつけた。
「俺に『おとなしくして』いてほしいんだろ? じゃあ、便宜を図ってくれ」
博士は俺を見上げ、ゆっくりとまばたきした。
「まだ余計な詮索を続けるつもりなのか。あんな目に遭った後でも」
「詮索はしない。研究所ブロックの立入禁止エリアにこっそり忍び込むのも、もうやめる。ただ……サカった猿どもに俺をレイプさせたって、噂が広がるのは止められないぜ。俺が消えたりしたら、噂の信頼性が高まるだけだ。みんな馬鹿じゃないんだ。ここが不自然な場所だと、気づき始めてる」
俺たちはしばらく睨み合った。
やがて、視線を落としたのはリュボフ博士の方だった。
「楽器を買えば、もう余計なことはしないんだな? きちんと規律を守ると?」
俺はご機嫌でうなずいた。
「音楽活動に熱中して、余計なことは忘れるさ。青春をエンジョイする」
俺と、特に親しい数人の仲間は、二、三年前から音楽にハマっていた。
過去の膨大な音源をあさり、演奏できそうな曲を探した。
それほど高度な技術がなくてもそこそこ「レトロかっこよく」聞こえるので、エルヴィス・プレスリーの曲が俺たちのバンドの十八番だった。ボーカル担当の俺の声質がプレスリーに似ていたせいもあるけれど。
リュボフ博士が高価な楽器を取り寄せてくれたおかげで、バンドのレベルは格段に上がった。
学園の春祭りの夜に、中庭に組んだステージで『好きにならずにいられない』を歌ったときは、見に来ていた他のクラスの女子からさえ黄色い声援が飛んだ。
自分たちが暮らしているのは一種の学園都市だ。――つい最近まで俺は漠然とそう信じ込んでいて、自分たちの生活に疑問を持ったことはなかった。
国立生体学研究所(NBI)。
最新の実験器具をいくつも備えた白亜の巨大な建物群。
俺たちは物心ついた頃から居住区の個室で暮らし、学校へ通い、助手として研究所ブロックで働き、空き時間には年頃に応じた遊びに興じた。研究所の助手を務める時間は、学年が上がるごとに長くなった。でもそれでさえ、気のおけない仲間と一緒だったので、遊びの延長でしかなかった。
俺たちはこの[研究所]の研究員となるため育てられ、大人になったらそのまま研究員になるのだと思っていた。
俺たちの通う学校は、[研究所]に併設された専門の養成機関なのだと。
年に数回の[遠足]の時を除き、俺たちは[研究所]の塀の外へ出ることは禁じられていた。
そのことに、それほど不満を抱いたことはなかった。
[研究所]の敷地は幽閉の不自由さを感じさせないほど広大だった。
外に出られないことを除けば、俺たちは甘やかされていると言ってもよかった。望むものはすべて与えられた。自由以外は。
この平和な学園生活には何かが隠されている。
その感覚は、学年が進むにつれて強くなった。
学園の秘密を探ろうとした俺は、捕らえられ、思い出したくもないひどい目に遭わされた。
たぶん俺たちは人造人間なのだ。
研究所の職員となるのに適した知能と特性を与えられたデザイナー・チャイルドだ。
そんなことを知らされたら、生徒の中には、深刻なアイデンティティの危機に陥る奴も出るかもしれない。
だからこそ、俺たちの出生については秘密にされているんだろう。
俺はとりあえず、前を向いて生きることに決めた。
生身の両親からではなく、試験管から生まれたからといって、俺という人間の値打ちが変わるわけじゃない。
そんな感じで、俺たちはそれなりに平穏な学園生活を送っていたんだ。
あの日までは。
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