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ソウルレス【SIDE: マルク】
初仕事
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ヴァレンチンとおれがユロージヴイ金融を辞めてから十日後。ニジンスキーが約束通り、仕事を紹介してくれた。「依頼人が待っているから会いに行け」と、市内でいちばんの高級ホテルのルームナンバーと、詳しい日時を伝えられた。
きらびやかなホテルの部屋で待っていたのは、ぼやっとした雰囲気の二十代後半の男だった。顔立ちにも体形にも締まりがない。男はアキム・ドストエフスキーと名乗った。
「駆け落ちの手伝いをしてもらいたいんだ。相手の彼女の名はタマーラ・ゼンキン」
そこまで言って、あとはわかるだろう、と言いたげな顔で口をつぐんだ。
わからなかったので、おれは黙っていた。おれの隣のヴァレンチンも何も言わない。不愛想を絵に描いたような態度で睨み返している(そんな仏頂面も可愛くて、見とれてしまう)。
「ああ。ごめん。高慢ちきな態度をとってしまった。僕らの家名を誰でも知ってるだろう、なんて、つい思い込んでしまって……そりゃあもちろん知らない人だっているよね。当然だよね。本当に失礼した」
アキムは突然、顔を赤らめて、へこへこし始めた。
「君たちはきっと、市外から来た人なんだろう? そうなんだろう?」
「……俺たちのことはどうでもいいんで、依頼内容の説明をどうぞ」
鋏で切り取るようなパキッとした口調で、ヴァレンチンが言った。アキムはテーブルの上の菓子を口に押し込み、お茶で流し込んでから、話を始めた。
「ドストエフスキー家とゼンキン家は、このノヴァヤモスクワの街で一、二を争う企業グループなんだ。『一、二を争う』というのは文字通りの意味だ。製造業、サービス業、情報産業……ありとあらゆる業界で一位と二位を占めている。元をたどれば、ドストエフスキー家とゼンキン家は郊外の小さな村の出身で、その頃から村長の座をめぐって争う仲だった。簡単に言ってしまうと、両家は数十年にわたってライバル関係にあるので、とっても仲が悪い。ドストエフスキー家の息子がゼンキン家の娘とつき合うなんて、あってはならないことなんだ。どちらの家も、そんな交際を許さない」
アキムはカップのお茶をごくごく飲み干した。やわらかい肉に覆われた喉仏がうごめいた。
「でも、僕たちは愛し合ってるんだ。あきらめるなんて、できない」
「なるほど」
「いくら親を説得しても聞き入れてもらえないので、タマーラと駆け落ちすることにした。幸い、僕らにはお金がある。誰も知らない街へ行って、二人で一から始められる。遠くへ行くための飛行機のチケットも押さえてあるんだ。……でも、どうやら僕らの親が、僕たちの動きに感づいているみたいで。彼女も僕も、厳しく監視されるようになった」
アキムは真剣なまなざしでおれたちをじっと見据えた。
「君たちにお願いしたいのは。三日後の朝、出勤のために家を出る僕を、護衛たちの鼻先からかっさらうことだ。僕をさらって空港まで連れていってもらいたい。タマーラについても、別の〈何でも屋〉さんに依頼してある。空港で彼女と落ち合って、十一時のフライトでこの街を出るつもりなんだ」
ニジンスキーは良い奴だ。確かに、「いい仕事」を紹介してくれたな。
報酬が抜群に高いのももちろんだが。
他人の恋の手伝いをするという仕事には、罪がない。心を汚さずにできる仕事だ。
三日後の朝、アキムが何時に屋敷を出るのか、車はどういうルートを通るのか、護衛は何人でどういう装備をしているのか。
必要な情報はアキムが全部教えてくれた。楽勝だ。
――「家」へ帰ってから、ヴァレンチンが計画を立てた。おれは説明を受けたが、気に入らなかった。
「遠慮せず、おれを盾に使え、ヴァレンチン。そうすれば、仕事はもっと楽に進む」
「遠慮なんかしてねーよ。俺の方が、相手を油断させられるから……」
「おれが突入する。おれに任せろ。せっかく不死身の体があるのに、使わないともったいないだろう」
敵に撃たれたってかまわない。弾丸に皮膚を破られる痛みなど、たかが知れている。おれにとっては、ヴァレンチンがかすり傷でも負うことの方が痛くてつらい。
きらびやかなホテルの部屋で待っていたのは、ぼやっとした雰囲気の二十代後半の男だった。顔立ちにも体形にも締まりがない。男はアキム・ドストエフスキーと名乗った。
「駆け落ちの手伝いをしてもらいたいんだ。相手の彼女の名はタマーラ・ゼンキン」
そこまで言って、あとはわかるだろう、と言いたげな顔で口をつぐんだ。
わからなかったので、おれは黙っていた。おれの隣のヴァレンチンも何も言わない。不愛想を絵に描いたような態度で睨み返している(そんな仏頂面も可愛くて、見とれてしまう)。
「ああ。ごめん。高慢ちきな態度をとってしまった。僕らの家名を誰でも知ってるだろう、なんて、つい思い込んでしまって……そりゃあもちろん知らない人だっているよね。当然だよね。本当に失礼した」
アキムは突然、顔を赤らめて、へこへこし始めた。
「君たちはきっと、市外から来た人なんだろう? そうなんだろう?」
「……俺たちのことはどうでもいいんで、依頼内容の説明をどうぞ」
鋏で切り取るようなパキッとした口調で、ヴァレンチンが言った。アキムはテーブルの上の菓子を口に押し込み、お茶で流し込んでから、話を始めた。
「ドストエフスキー家とゼンキン家は、このノヴァヤモスクワの街で一、二を争う企業グループなんだ。『一、二を争う』というのは文字通りの意味だ。製造業、サービス業、情報産業……ありとあらゆる業界で一位と二位を占めている。元をたどれば、ドストエフスキー家とゼンキン家は郊外の小さな村の出身で、その頃から村長の座をめぐって争う仲だった。簡単に言ってしまうと、両家は数十年にわたってライバル関係にあるので、とっても仲が悪い。ドストエフスキー家の息子がゼンキン家の娘とつき合うなんて、あってはならないことなんだ。どちらの家も、そんな交際を許さない」
アキムはカップのお茶をごくごく飲み干した。やわらかい肉に覆われた喉仏がうごめいた。
「でも、僕たちは愛し合ってるんだ。あきらめるなんて、できない」
「なるほど」
「いくら親を説得しても聞き入れてもらえないので、タマーラと駆け落ちすることにした。幸い、僕らにはお金がある。誰も知らない街へ行って、二人で一から始められる。遠くへ行くための飛行機のチケットも押さえてあるんだ。……でも、どうやら僕らの親が、僕たちの動きに感づいているみたいで。彼女も僕も、厳しく監視されるようになった」
アキムは真剣なまなざしでおれたちをじっと見据えた。
「君たちにお願いしたいのは。三日後の朝、出勤のために家を出る僕を、護衛たちの鼻先からかっさらうことだ。僕をさらって空港まで連れていってもらいたい。タマーラについても、別の〈何でも屋〉さんに依頼してある。空港で彼女と落ち合って、十一時のフライトでこの街を出るつもりなんだ」
ニジンスキーは良い奴だ。確かに、「いい仕事」を紹介してくれたな。
報酬が抜群に高いのももちろんだが。
他人の恋の手伝いをするという仕事には、罪がない。心を汚さずにできる仕事だ。
三日後の朝、アキムが何時に屋敷を出るのか、車はどういうルートを通るのか、護衛は何人でどういう装備をしているのか。
必要な情報はアキムが全部教えてくれた。楽勝だ。
――「家」へ帰ってから、ヴァレンチンが計画を立てた。おれは説明を受けたが、気に入らなかった。
「遠慮せず、おれを盾に使え、ヴァレンチン。そうすれば、仕事はもっと楽に進む」
「遠慮なんかしてねーよ。俺の方が、相手を油断させられるから……」
「おれが突入する。おれに任せろ。せっかく不死身の体があるのに、使わないともったいないだろう」
敵に撃たれたってかまわない。弾丸に皮膚を破られる痛みなど、たかが知れている。おれにとっては、ヴァレンチンがかすり傷でも負うことの方が痛くてつらい。
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