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ソウルレス【SIDE: マルク】
同僚の警告
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「聞いたぞ。会社を辞めるんだって?」
真夜中に近い時刻。ユロージヴイ金融の同僚であるニジンスキーが、低い渋い声で尋ねた。
ニジンスキーとおれは、昼間のように明るく照らし出されたノヴァヤモスクワ一の目抜き通りを歩いていた。おれのシャツの胸は血まみれなので、すれ違う人たちが揃って振り返る。いつものことだ。なんとも思わない。
おれたちは、いわゆる「裏金融」の社員、つまり借金の取り立て屋だ。おれたちが担当する債務者は、たちが悪い連中ばかりだ。すぐに銃を振り回す。
ニジンスキーが二言目には「金が返せないのなら内臓を売れ」と言うのがいけないのかもしれない。
パッチワークみたいに縫い目だらけの顔をしたニジンスキーにそう言われたら、洒落には聞こえないだろう。債務者も必死になる。
おれは別にかまわない。撃たれようが何しようが、債務者を取り押さえ、手持ちの金をすべて取り上げる。それで貸金に足りなければ、生体部品屋まで連行して内臓を売らせる。それが仕事だ。
撃たれる瞬間は痛いが、傷はすぐにふさがる。シャツがだめになったら、会社が新しいシャツ代を出してくれる。
社長もニジンスキーも、おれがバンパイアだということはわかってくれている。
世間がこんなにもバンパイアに理解があるだなんて、おれはまったく知らなかった。
社長いわく、裏の社会には意外とバンパイアが多いんだそうだ。不死身の体が、ヤバい仕事には役立つという。
おれも本当は、こんなにも理解のある職場を辞めたくはなかった。
しかし、
「ヴァレンチンが勝手におれの分まで辞表を出したんだ。おれが毎日血だらけになって帰ってくるのが、我慢できないらしい。……おれはそんなこと全然気にしていないのに」
「おまえを心配しているのか。あいつ、意外とまともだな」
ニジンスキーは凶悪な顔をおれの方に向けた。
「まともな心が残っているうちに、こんな仕事は辞めた方がいい。これは、魂を汚す世界だ。俺ぐらいになると、もう真っ黒に染まっちまってるから問題ないが……おまえらは、まだ若い。魂を守れ」
おれは首をかしげた。
おれは、人の生き血をすすって生きる存在だ。弾丸を何発撃ち込まれても死ぬことはない。もうとっくに、人間じゃなくなっているのでは?
「おれにはたぶん、魂なんかないさ、ニジンスキー。おれはからっぽだ。ヴァレンチンを大事にしたい、ただそれだけなんだよ。だから本当は会社を辞めたくない。金が要るんだ。戸籍を買わなくちゃ」
「……俺には伝手が多い。良さげな仕事の情報が耳に入ったら、おまえらに紹介してやろう。魂を汚さずにできそうな仕事を、な。『儲かる仕事』という意味でも『安全な仕事』という意味でもないが。それでもよければ」
「ああ。それは助かる。頼むよ」
おれたちは表通りを外れ、さびれた雰囲気の地区に入った。会社のビルに近づけば近づくほど、周囲の町並みは荒れ果てていく。
薄暗い中で、ぱああっと明るい水色の光が、おれの目を刺した。
〈クラブ地中海〉という看板が掲げられた店だった。何の店なのか、まるっきり見当がつかないが。真っ白な建物が並ぶ丘と、エメラルドグリーンの海、澄みきった青空の立体映像が、街路まではみ出してきておれたちを包んだ。日光がまぶしい。
――もし本物の日光なら、バンパイアのおれは苦しみにのたうち回るところだが。立体映像なので何ともない。
その映像の強烈な明るさに、おれは心をわしづかみにされた。
「『地中海』って何だ?」
おれの質問に、ニジンスキーは眉をひそめた。
「確か、どっか南の方にある海じゃなかったか。よく知らねえ」
「南、か……」
おれは絶対に、そんな日の当たる場所へは行けない。バンパイアには、日光は敵だ。
だが、映像に写っている空と海は、いかにも美しく、輝かしかった。
いつかヴァレンチンを、そんな明るくてきれいな場所へ連れて行ってやりたい、と思った。
この街は曇り空ばかりで、いつも薄暗い。
今はまだ夏だからいいが、冬になると一日の大半が夜だ。バンパイアにはうってつけだが――ヴァレンチンを薄暗い世界で終わらせたくない。日の当たる場所へ出してやりたい。
「前から言おうと思ってたが。あいつには気をつけてやれよ。恋人なんだろう?」
おれがヴァレンチンのことを考えているのを読み取ったみたいに、ニジンスキーが突然言い出した。
「『気をつけてやる』って、どういう意味だ」
「ああいう奴は、すぐ狙われるぞ。小ぎれいな顔をしているし、目つきが男をそそる。見ばえの良い若い奴は、この世界じゃ、ただの餌食だ。おまえぐらいデカくて強ければ問題はないが、あいつは自分の身を守れるほど強くない。その割に強気だから、平気でヤバいところへも飛び込んでいく。……おまえがしっかり見張ってやれ、マルク」
「もちろんだ。ヴァレンチンに手を出す奴は殺す」
おれは即答した。ニジンスキーはうなずいた。
「そう、その意気だ」
真夜中に近い時刻。ユロージヴイ金融の同僚であるニジンスキーが、低い渋い声で尋ねた。
ニジンスキーとおれは、昼間のように明るく照らし出されたノヴァヤモスクワ一の目抜き通りを歩いていた。おれのシャツの胸は血まみれなので、すれ違う人たちが揃って振り返る。いつものことだ。なんとも思わない。
おれたちは、いわゆる「裏金融」の社員、つまり借金の取り立て屋だ。おれたちが担当する債務者は、たちが悪い連中ばかりだ。すぐに銃を振り回す。
ニジンスキーが二言目には「金が返せないのなら内臓を売れ」と言うのがいけないのかもしれない。
パッチワークみたいに縫い目だらけの顔をしたニジンスキーにそう言われたら、洒落には聞こえないだろう。債務者も必死になる。
おれは別にかまわない。撃たれようが何しようが、債務者を取り押さえ、手持ちの金をすべて取り上げる。それで貸金に足りなければ、生体部品屋まで連行して内臓を売らせる。それが仕事だ。
撃たれる瞬間は痛いが、傷はすぐにふさがる。シャツがだめになったら、会社が新しいシャツ代を出してくれる。
社長もニジンスキーも、おれがバンパイアだということはわかってくれている。
世間がこんなにもバンパイアに理解があるだなんて、おれはまったく知らなかった。
社長いわく、裏の社会には意外とバンパイアが多いんだそうだ。不死身の体が、ヤバい仕事には役立つという。
おれも本当は、こんなにも理解のある職場を辞めたくはなかった。
しかし、
「ヴァレンチンが勝手におれの分まで辞表を出したんだ。おれが毎日血だらけになって帰ってくるのが、我慢できないらしい。……おれはそんなこと全然気にしていないのに」
「おまえを心配しているのか。あいつ、意外とまともだな」
ニジンスキーは凶悪な顔をおれの方に向けた。
「まともな心が残っているうちに、こんな仕事は辞めた方がいい。これは、魂を汚す世界だ。俺ぐらいになると、もう真っ黒に染まっちまってるから問題ないが……おまえらは、まだ若い。魂を守れ」
おれは首をかしげた。
おれは、人の生き血をすすって生きる存在だ。弾丸を何発撃ち込まれても死ぬことはない。もうとっくに、人間じゃなくなっているのでは?
「おれにはたぶん、魂なんかないさ、ニジンスキー。おれはからっぽだ。ヴァレンチンを大事にしたい、ただそれだけなんだよ。だから本当は会社を辞めたくない。金が要るんだ。戸籍を買わなくちゃ」
「……俺には伝手が多い。良さげな仕事の情報が耳に入ったら、おまえらに紹介してやろう。魂を汚さずにできそうな仕事を、な。『儲かる仕事』という意味でも『安全な仕事』という意味でもないが。それでもよければ」
「ああ。それは助かる。頼むよ」
おれたちは表通りを外れ、さびれた雰囲気の地区に入った。会社のビルに近づけば近づくほど、周囲の町並みは荒れ果てていく。
薄暗い中で、ぱああっと明るい水色の光が、おれの目を刺した。
〈クラブ地中海〉という看板が掲げられた店だった。何の店なのか、まるっきり見当がつかないが。真っ白な建物が並ぶ丘と、エメラルドグリーンの海、澄みきった青空の立体映像が、街路まではみ出してきておれたちを包んだ。日光がまぶしい。
――もし本物の日光なら、バンパイアのおれは苦しみにのたうち回るところだが。立体映像なので何ともない。
その映像の強烈な明るさに、おれは心をわしづかみにされた。
「『地中海』って何だ?」
おれの質問に、ニジンスキーは眉をひそめた。
「確か、どっか南の方にある海じゃなかったか。よく知らねえ」
「南、か……」
おれは絶対に、そんな日の当たる場所へは行けない。バンパイアには、日光は敵だ。
だが、映像に写っている空と海は、いかにも美しく、輝かしかった。
いつかヴァレンチンを、そんな明るくてきれいな場所へ連れて行ってやりたい、と思った。
この街は曇り空ばかりで、いつも薄暗い。
今はまだ夏だからいいが、冬になると一日の大半が夜だ。バンパイアにはうってつけだが――ヴァレンチンを薄暗い世界で終わらせたくない。日の当たる場所へ出してやりたい。
「前から言おうと思ってたが。あいつには気をつけてやれよ。恋人なんだろう?」
おれがヴァレンチンのことを考えているのを読み取ったみたいに、ニジンスキーが突然言い出した。
「『気をつけてやる』って、どういう意味だ」
「ああいう奴は、すぐ狙われるぞ。小ぎれいな顔をしているし、目つきが男をそそる。見ばえの良い若い奴は、この世界じゃ、ただの餌食だ。おまえぐらいデカくて強ければ問題はないが、あいつは自分の身を守れるほど強くない。その割に強気だから、平気でヤバいところへも飛び込んでいく。……おまえがしっかり見張ってやれ、マルク」
「もちろんだ。ヴァレンチンに手を出す奴は殺す」
おれは即答した。ニジンスキーはうなずいた。
「そう、その意気だ」
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