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第一章

賭けの代償

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 ロアーの現実が見えていない言動に、ブラックは冷ややかな嘲笑を浴びせた。
 ついでに、どうするのが本当に正しいのかを、懇切丁寧に説明してやる。

「ご自身の借金の多さをそろそろ自覚されてはどうかな。この程度の提案を受け入れるだけで、あなたは何もかも取り戻すことができる。プライドどころか、自由すら手にすることができる」

 ……その自由は大公の犬となって働くという、制限された自由だが、命を失うよりはましだ。
 ロアーの脳裏で天秤が傾こうとしていた。
 
 片方には王国騎士としてのプライドや、任務への義務感や、騎士としての使命感だ。
 もう片方には、言われたわけではないが、背負った借金をどうやって返済するのか、という問題が乗っていた。

 もちろん、王国騎士を選んだ場合、ロアーの命どころか、王都に残してきた家族すら命の危険に遭うだろう。
 男は奴隷に、女は娼婦や見目麗しければ、どこかの貴族に愛玩用の奴隷として売買される。

 それは暗黙の約束のようなものだった。ロアーは慎重に言葉を選ぶ。
 できるだけ、自分に有利な条件を引き出したかった。

「エリーゼ」

 小さく娘の名を呼んだ。今年、十六歳。王女殿下の少女騎士団の少女騎士を務める娘は、親のひいきを無くしても美しい。妻はともかくとして、娘だけはなんとしても守りたい。ロアーはそう願った。

「……まだ負けと決まったわけじゃない」
「そうかもしれないが」

 と、五十代を越えるやり手の大公は、肩を竦めた。
 薄暗くて辛気臭いその空間は、土蔵のなかを利用していて、土が含む冷たさと湿気が寂しさを後押ししていた。

「もし負けたら、君は土地屋敷に財産、家人に至るまで売り払うことになる。国王陛下がその現実を知れば、君は爵位を剥奪されて平民に格下げされるだろう」
「そんなことは分かっている!」
「果たしてそうかな? 騎士ではなく単なる冒険者として生きなければいけないかもしれない。可愛い妻と愛する娘がいる。今ならまだ救えるぞ? そろそろ覚悟を決めたらどうだ」
「まだだ。勝負にはあとカードを一枚、選ぶ必要がある」
「選べばいい。人生の結末を決めるのは、いつも君自身だからな」

 部屋の中は熱気に満ちているというのに。
 ロアーの心には、闇の中に落ちていくような、そんな感覚が背中を押しているように感じられた。

 ほら、と闇の背中を喜んで押す。
 行き先に待っているのは破滅だ。

 それは分かっている――分かっているが‥‥‥もう、後には引けない。
 配られたカードを足して、テーブルの上に開いたその総数は‥‥‥。
 
「残念だったな。お前はこれで全てを失った」
「ばかな‥‥‥」
 
 大公の手札の総数よりも、ほんの少しだけ少なかった。
 騎士は椅子の上でがっくりと肩を落とす。

 首から下げた神の紋章を握りしめて、自分が信じる主に祈っているようにも見えた。
 ブラックは手を挙げて、後ろに立っている男達の一人から、革表紙の冊子を受け取る。

 飲食店でメニューを見る時のように丁寧にそれを開くと優しく騎士の前に示していた。

「ここにある契約の通り、騎士長ロアーは何もかもを手放す。家族も、家も、土地も、地位も、名誉も‥‥‥これだけ膨大な金額だ。命を差し出してもいいかもしれんな」
「なっ――待て、待ってくれ。それはまずい」
「俺には関係ない。地方の王国騎士の一人が、借金を苦に自殺した。ただそれだけのことだ」
「違う、そうじゃない。俺が死ねばあんたもこの賭博場も困ることになるぞ」
「ほう? それはどういう意味か聞いておこうか」
 
 大公は戸惑って顔をしかめる。
 真実がどうか決めかねている、そんな顔だった。
 ロアーは自嘲気味に笑う。

「俺と第一王子は親友でね」
「ただの騎士が何を言うか。戯言だ」
「嘘じゃない。学院時代、俺たちは寮の同室で十年ほど過ごした仲だ。俺が賭け事をするなんてあいつは知らない。もし、不可思議な自殺が起これば第一王子は必ず調べにくる。それでもいいのか」
「……それが本当か嘘かを調べる時間が足りない。ロアーよ、お前はまだ幸運に見放されていなかったようだな」

 忌々し気にそう言うと、大公は冊子を閉じた。
 送り出せ、と部下に命じると、騎士長は後ろに立った大公の部下に連れられて、どこかへと消えていく。

 多分、そのまま家に帰されることになるのだろう。
 運の良いやつだ、とブラックは呻いていた。
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