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プロローグ
サラダの秘密
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アイネは、なんだか奇妙な気分に襲われた。
自分の知らないところで、誰かがアイネのことを悪者扱いしているのを知ってしまった時のような気分だった。
「ふうん‥‥‥殿下の口から、一般貴族のメニューにそれを載せるなんてお話、伺ったことがないわ。なにかの間違いではなくて?」
「間違いではありません。あの時。殿下もいらしたのですよ、お姉様」
「え?」
思わず、口に含んだ料理を零しそうになった。いつのこと? と、エルメスに視線で質問した。
そんな経緯は彼から教えられていない。
二人だけの秘密を共有し合い、楽しむことは会ってもそれぞれ、特別な秘密を持つことはないようにしよう、と最近、誓い合ったばかりなのに。
「それはいつのことなの、言いなさい、エルメス」
妹が知る情報を自分が知らないというのが、どうにも腹立たしい。
妹はいきなり強気になった姉の剣幕に、眉根を寄せて驚きを示した。
エルメスは上に視線をやり思い出す。
「ほぼ同じころ、でしょうか。殿下が馬術大会に参加されて、優勝した翌日くらいですわ。ふらっと食堂にお越しになられて」
「ああ、あの日ね‥‥‥」
アイネの胸がずきっと痛んだ。
その日は、特別な日の翌日だった。
いま妹が食しているドレッシングによく似た物を殿下に作って差し上げたのは、その前夜だったのだ。
「あの日?」
「お前には関係ないわ。それで?」
「……変なお姉様」
嫌な偶然だとアイネはちょっとだけ顔をしかめる。
それを見てエルメスは嬉しそうに目を細めた。
「お昼休み、殿下がいらしたのですよ。こんな料理が食べたいとコックに申し付けられて、この辛口のサラダを食べておられました」
「それから定番料理になったのね」
「そうです。でもあれから二週間が経過するのに、まったく気づかなかったというのもお姉様‥‥‥ちょっと鈍感ではありません?」
エルメスの口調は、アイネが婚約者に対して無知なことを責めていた。
自分は知っていましたよと優越感が、言葉の裏には含まれていた。
まるで世界の常識から取り残されたような気分になり、アイネは心の動揺を隠すように言葉を取り繕う。
「で……殿下は、いろいろと実験的な試みを、なされているのね」
「いまさら何を言われているのですか、お姉様。婚約してからもう三年になるというのに」
姉は大丈夫かしら、とエルメスは後ろに立つ自分専属のメイド、ダイナに向かい語りかける。
黒髪のメイドはどこか困った顔をして、アイネの背後に立つ、彼女の専属メイド、セーラに首を傾げた。
ダイナはアイネの後ろに立つセーラを見る。そこで、メイド同士の視線による会話が始まった。
これも毎度のことだ。貴方の主人と殿下はちゃんとうまくいっているの? と、そんな感じだった。
「アイネお嬢様は、殿下のことをよく見ていらっしゃいますから」
と、セーラはフォローするように言い、そっとアイネの耳に口元を寄せた。
なにかを言いたいのかは、アイネには分かっていた。
セーラはその、と迷い言葉を続ける。
「あのサラダの味付け、もしかして――」
「そうかもね。でもいいわ」
と、主従は何やらひそひそと会話を済ませる。ついで、アイネは妹に視線を戻した。主な問題となっているドレッシングについて、話しを再開する。妹に対して、お前は何も知らないのね、と前置きを置いた。
「そのドレッシングのレシピは、私が殿下に作って差しげたものなの」
「あら、そうでしたの。それは、知りませんでした。やはり、人気のあるものは、身分の高い場所から降りて来るのですね。それを一般貴族にも広めようとされた殿下は、とても素晴らしい方です」
妹は悪びれた素振りも見せずにそう言い、サラダを食しにかかる。
アイネは一応の面目を保てたけれど、心の奥底は穏やかではなかった。
ぎりっと歯噛みする。
口もとにそれが出ないように。妹に悟られないようにしながら、ポテトに手にしたフォークを突き刺した。
自分の知らないところで、誰かがアイネのことを悪者扱いしているのを知ってしまった時のような気分だった。
「ふうん‥‥‥殿下の口から、一般貴族のメニューにそれを載せるなんてお話、伺ったことがないわ。なにかの間違いではなくて?」
「間違いではありません。あの時。殿下もいらしたのですよ、お姉様」
「え?」
思わず、口に含んだ料理を零しそうになった。いつのこと? と、エルメスに視線で質問した。
そんな経緯は彼から教えられていない。
二人だけの秘密を共有し合い、楽しむことは会ってもそれぞれ、特別な秘密を持つことはないようにしよう、と最近、誓い合ったばかりなのに。
「それはいつのことなの、言いなさい、エルメス」
妹が知る情報を自分が知らないというのが、どうにも腹立たしい。
妹はいきなり強気になった姉の剣幕に、眉根を寄せて驚きを示した。
エルメスは上に視線をやり思い出す。
「ほぼ同じころ、でしょうか。殿下が馬術大会に参加されて、優勝した翌日くらいですわ。ふらっと食堂にお越しになられて」
「ああ、あの日ね‥‥‥」
アイネの胸がずきっと痛んだ。
その日は、特別な日の翌日だった。
いま妹が食しているドレッシングによく似た物を殿下に作って差し上げたのは、その前夜だったのだ。
「あの日?」
「お前には関係ないわ。それで?」
「……変なお姉様」
嫌な偶然だとアイネはちょっとだけ顔をしかめる。
それを見てエルメスは嬉しそうに目を細めた。
「お昼休み、殿下がいらしたのですよ。こんな料理が食べたいとコックに申し付けられて、この辛口のサラダを食べておられました」
「それから定番料理になったのね」
「そうです。でもあれから二週間が経過するのに、まったく気づかなかったというのもお姉様‥‥‥ちょっと鈍感ではありません?」
エルメスの口調は、アイネが婚約者に対して無知なことを責めていた。
自分は知っていましたよと優越感が、言葉の裏には含まれていた。
まるで世界の常識から取り残されたような気分になり、アイネは心の動揺を隠すように言葉を取り繕う。
「で……殿下は、いろいろと実験的な試みを、なされているのね」
「いまさら何を言われているのですか、お姉様。婚約してからもう三年になるというのに」
姉は大丈夫かしら、とエルメスは後ろに立つ自分専属のメイド、ダイナに向かい語りかける。
黒髪のメイドはどこか困った顔をして、アイネの背後に立つ、彼女の専属メイド、セーラに首を傾げた。
ダイナはアイネの後ろに立つセーラを見る。そこで、メイド同士の視線による会話が始まった。
これも毎度のことだ。貴方の主人と殿下はちゃんとうまくいっているの? と、そんな感じだった。
「アイネお嬢様は、殿下のことをよく見ていらっしゃいますから」
と、セーラはフォローするように言い、そっとアイネの耳に口元を寄せた。
なにかを言いたいのかは、アイネには分かっていた。
セーラはその、と迷い言葉を続ける。
「あのサラダの味付け、もしかして――」
「そうかもね。でもいいわ」
と、主従は何やらひそひそと会話を済ませる。ついで、アイネは妹に視線を戻した。主な問題となっているドレッシングについて、話しを再開する。妹に対して、お前は何も知らないのね、と前置きを置いた。
「そのドレッシングのレシピは、私が殿下に作って差しげたものなの」
「あら、そうでしたの。それは、知りませんでした。やはり、人気のあるものは、身分の高い場所から降りて来るのですね。それを一般貴族にも広めようとされた殿下は、とても素晴らしい方です」
妹は悪びれた素振りも見せずにそう言い、サラダを食しにかかる。
アイネは一応の面目を保てたけれど、心の奥底は穏やかではなかった。
ぎりっと歯噛みする。
口もとにそれが出ないように。妹に悟られないようにしながら、ポテトに手にしたフォークを突き刺した。
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