鬼の贄姫は輸入代行業に精を出す~現世と鬼界を行き来するのは、私だけの特権です~

秋津冴

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プロローグ

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 生まれた時、初めて見たものは、大きな大きな金色に光り輝く、巨大ななにか。
 産まれたばかりの赤子の目が開いているはずもなく、それは単なる幻。
 
 ただの幻覚を見たのだろう、とずっと思ってきた。
 家の本家に代々継承されると噂の、金色の竜。「宝竜」が目の前に降臨するまでは。

「――――――っへ?」

 十二歳の冬。
 産まれた時に母体が持たず死んでしまった母親の命日にして、私たちの誕生日。
 
 世間ではクリスマス・イブと呼ばれる十二月二十四日の、夕方のだった。眼前に竜が舞い降りたのは。
 四国の入り口といわれる香川県のど真ん中、石船市いしふねし

 千年以上続く寺社仏閣がたくさんあるこの市内は、とにかく妖怪とか天狗とか、そういった古いものたちに遭遇することが多い。

 もっともそれを見るための「眼」が必要だから、一般人はとくに気づくこともなく、素通りしてしまう。
 双子の姉麗華れいかと妹の私、青海麗羽あおみれいはは、そんな特別な「眼」を持つ人種。

 裏世界とか、闇の世界とかに潜み、人に害悪を成す異能……邪妖と呼ばれる存在を退治することを日本政府から認められた退魔師が私たち。

 妖怪退治が本業の人間ばかりを集めた「陰陽庁」に統括管理されている。
 もっとも、私は力なしの無能だからそんなことに従事すらできないのだけれども。

 話が逸れた。
 とにかく、竜が舞い降りたのだ。金色の鱗を全身にびっしりとつけた、威厳どころか神様かと思うくらいの神格を持つ、異様な存在が八階建ての駅ビルの上から、私を睥睨する。

 こんな田舎町、さらに冬場で駅の裏側ともなれば、人影も少なく、辺りには私以外誰もいなかった。

「おまえ」
「……竜が喋った」

 絵巻物にあるように、竜は蛇のような胴体をしていて、駅ビルに絡みついていた。
 頭部はワニのようで二本の角がにょっきりと高く天を衝く。

 左手に青色の珠を持ち、何もない右手で私を指差してそう言ったのだから間違いない。
 竜に――指名された? いやいや、キャバクラじゃないんだから、指名とかうけたまわってないし!

 まだ中学二年生だった私に、上を見上げてふるふると首を左右にする以外、できることなんてなかった。
 その威容があまりにも衝撃的で、とあるアニメの神龍を見たキャラたちが驚き伏せるのも、無理はないと理解してしまうほどだ。竜は続けて言った。

「珍しい。金目を持つ双子の片割れ。しかも、女人。おもしろい」
「なっ、なにがおもしろ……」

 空を見つめて全身から脂汗を吹き出し、膝をガクガクと震わせる女子中学生。
 もし、このとき事情を見知らぬ他人が傍にいたら、きっと狂った、とでも思われたことだろう。

 救急車とか、もしかしたら呼ばれたかもしれない。
 それほどまでに、彼は恐ろしい存在だった。「宝竜」と呼ばれていて、一族の守り神だって知ったのは、この衝撃的な邂逅のすぐ後のこと。

 宝竜……そのまま、ほうりゅう。
 彼は見るみるまに小さくなり、大型の猫くらいのサイズに変化して、私の首に巻き付く。
 そのまま目をじっと見据えられて、私は昏倒しそうになった。

「恐れるな。我はなにもせん」
「ひっ、ひばっ、ばけっ……」
「だから恐れるな、と」

 今だから余裕を持って見れるその瞳は、私と同じ金色で。
 見つめられたら、じんわりと心が温まり、ほんわかとした気分になって、落ち着きを取り戻す。

 凍えそうなほどに寒かった全身が、いきなり常夏にさらされたような感覚を味わった。
 生まれてから物心ついてずっと私の心を押しつぶしていた、エグい氷の塊のような冷たいものが、どっと音を立てて崩れ落ちていく。

「生まれて母を殺した罪を負わされたか。惨いことよ」
「なん、で……そのこと……」

 やがてそれはさらさらと乾いてどこかに消え去ってしまい、後に残ったのはもう何も恐れなくていい。
 そんな安心感だけだった。偉大なる竜の偉大なる抱擁が、私の心を溶かしたのだ。

 姉が生まれあと、私は難産だったらしい。
 母は産み終わったあとすぐに息を引き取り、残された父は姉を可愛がって、私を「母殺し」と罵り続けた。
 
 それが十二年も続けば、どんな子供だって胸内に闇を抱えるものだ。
 どす黒くて、救いを求めたくても、母を殺したと言われればそれが事実だと受け入れることしかできなくて。

 中学の同級生や数少ない友人、家の使用人たちから姉に至るまで「死んだ魚のような目をしている」とよく、評されたものだ。

 金色の瞳はカラコンを入れているわけでもなく、自前のもの。
 よくそれでいじめにあい、さらにこの顔には生まれたときからもう一つの罪科が課せられている。

「死は縁だ。現世との縁を断たれただけのこと。何の罪があるというか」
「罪は罪よ」

 竜の優しい言葉に耳を傾けられず、そんな素直さを持てず。
 彼のガラス玉のような瞳に映る自分をじっと見つめて、あらためてそう思った。

 腰まである黒髪、金色の両目。ただし、左目だけは火傷を負ったようにただれた痕が、生まれながらについている。
 目は片方しか見えないから、間近に近寄られると、ピントを合わせるのに苦労する。

 金属製のやすりのように硬いのかと思っていた宝竜の鱗は鳥の羽毛のように柔らかで、しなやかでさらに艶やかな美しさを放っていた。

 竜は飽きることがないくらい私をじっと見て、やがて口を開く。
 面白そうに言ってのけた。

「視えたことに褒美を取らせよう」
「は? 褒美? 何の?」

 意味不明なその提案に、思わず訊き返す。
 あやかしを見ることができるのは、もはや、職業柄と言うしかない。私以外にも妖力や神通力や魔力やと世間で言われる力が強い人間は、五万といる。

 陰陽庁や、十二家の当主様たちなら更にそう。
 竜を視ることなど容易く成し遂げてしまうだろう。

 おまけに相手は「竜」だ。
 鬼や悪魔や妖怪や神やとされる異邦の存在のなかでも、間違いなく神に近いモノ。
 
 そんな存在から褒美、だなんて。
 偉大過ぎる力は、転じて身を滅ぼす呪いとなるのかもしれない。

 恐ろしすぎて、あれが欲しいこれが欲しいなんて、言えるはずがなかった。
 宝竜は長ぼそい胴体の先にある尻尾をふよふよとさせながら、さらに私の全身に巻き付いてくる。

 ……これ、憑依されても文句言えないレベル!
 我が身に流れる退魔師の血が、全速力で逃げろ、と警戒レベルを最大にして警報を鳴らし続けるが、もはやどうしようもなかった。私はすでに、宝竜に巻き取られてしまっていたのだから。

「我を視ることが叶った者は、しばらくおらなんだ。褒美をやろう」
「しっ、しばらくって。どの、くら、くらい……?」

 ガクガクブルブルと震える全身を落ち着かせようと、平静を装いながら話を逸らしてみる。
 竜はちょっと戸惑い、「……明治?」となかんとかのたまい始めた。

 明治? もう一世紀も古い過去なんですけど!
 ……そういえばちょっと待て、と思い出す。青海本家の当主が最後に宝竜を従えたのは、確か江戸の末期だったとかなんとか。そんな伝承、本家に行ったときに教わった記憶があるぞ。

「ほっ、ほん、もの……あううう」
「おい、こら!」

 人間、どうにもならない切羽詰まった状況に追い込まれると、本当に「きゅうううっ」なんて悲鳴を上げるのだと、初めて知った。

 ぐったりとしてしまった私が雪で軽く白に染まったコンクリートの上に倒れこまないようにするので、大変だったと後から宝竜に言われた記憶がある。

「竜こわい、りゅうこわい、物の怪いやだ。もう助けて……」
「ぬっ、それが望みか? いや、そんな訳はないな。視えた癖になんとも情けない肝の座らぬ童女のことよ」

 とかなんとか言いながら、尻尾でしたたかにはたかれて気が付いた。
 はっと正気に戻ったとき、私が口にした願いはたったひとつ。

「もうっ、暴力は嫌っ!」
「……心得た」

 薄っすらと薄れゆく意識の狭間で、尾にはたかれて思い出したのは、父親の拳の痛みだった。
 いつもいつも。朝や夜中、時と場所を問わずふるわれた、それ。

 あんな辛い目にもう二度と会いたくない、と望んだのは罪だろうか?
 その瞬間から、宝竜――正式な名は眉だけが白いから白眉はくびという彼は、私の守護竜になったのだった。

 
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