婚約者の死の悼(いた)み方を、彼女は知らない。

秋津冴

文字の大きさ
5 / 9

追いかけてこない影

しおりを挟む
 彼女たちはマーシャが誰の彼女なのかを、理解したらしい。

 そこは商売をしている女性たちだ。
 トラブルを回避する術も、しっかりと学んでいた。

「彼と話をしたいの?」
「私が用があるのは彼だけ」

 亜麻色の髪をした女に訊かれて、そう答える。
 ケインを指差してやったら、青い顔はさらに青く、日焼けをした顔がそれに拍車をかけて彼の顔をより黒くしている。

 マーシャの心は、婚約者の元に駆け寄っていき、どういうことかを問い詰めたいという思いと、この現実に焼けるような痛みを感じておかしくなりそうだった。

「そう……だそうよ、ケイン」
「話があるんだったら二人でやってちょうだい。私達これから仕事だから」
「ごめんなさいね」

 そう言い、彼女たちは、彼らを引きずるようにしてホテルに入っていく。
 ケインの友人たちは消え、しかし、彼女はそこに残っていた。
 仲間たちの後を追わないのか、とにらむと彼女は物欲しげな顔をして手を差し伸べてくる。

「キャンセル料はもらわないとね? こっちも仕事だから」
「……それは彼から受け取ったらどう」
「だって。私の仕事を邪魔をしたのはあなただし」

 どうするの、と亜麻色の髪の女はケインの腕を抱いた。
 それを振りほどこうともせず、呆然と立ち尽くす彼はそれまで愛情を注ぎ合った男性ではなく、ただの他人に成り下がったようだった。

「これはどういうことなの、ケイン。説明して頂戴!」
「……なにもない。男の付き合いに女が口出しするな。結婚して妻になったわけでもないのに……図々しい」
「図々しい? どういう意味よ!」
「そのままの意味だ。俺はこいつと遊んでいる。文句があるなら帰れ! いまは話しなんてない」
「へえ……そう。そうなんだ! ああ、そう!」

 こっちが怒っていいはずなのに、なぜかマーシャは運河で船に絡みついて離れない、面倒くさい水草にでもなった気分だった。
 距離を詰めて、手に力を込め、たった一発。

 拳を固めて殴りつければそれだけで気分は晴れるだろうに。
 目の前に見えない壁が現れたかのように、そこから先に足を踏み出せないでいた。

「これ以上邪魔はしないから、好きにしたらいいわ」

 心の中から憎しみを搾り出すようにしてその一言を告げると、ケインの顔が一瞬だけ軽く華やぎ、それから絶望に襲われたように、目を見開いてこちらを見返していた。

 踵を返す。
 もはや彼にとらわれる必要はなかった。

 戻って父親にこのことを話し、さっさと婚約破棄をして、いつもの現実に戻ろう。
 足早に去るマーシャの名前をケインが叫んだような気もしたが、振り返りはしなかった。

 桟橋に戻ると、手早くロープを解いて、船着き場を後にする。
 一瞬だけうしろを振り返った。

 もしかしたら彼が追いかけてきているかもしれない。
 そんな幻想に囚われてしまった。

 しかしそれは跡形もなく消えていく。
 追いかけてくる人間なんて誰もいなかった。

しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

恩知らずの婚約破棄とその顛末

みっちぇる。
恋愛
シェリスは婚約者であったジェスに婚約解消を告げられる。 それも、婚約披露宴の前日に。 さらに婚約披露宴はパートナーを変えてそのまま開催予定だという! 家族の支えもあり、婚約披露宴に招待客として参加するシェリスだが…… 好奇にさらされる彼女を助けた人は。 前後編+おまけ、執筆済みです。 【続編開始しました】 執筆しながらの更新ですので、のんびりお待ちいただけると嬉しいです。 矛盾が出たら修正するので、その時はお知らせいたします。

婚約破棄、別れた二人の結末

四季
恋愛
学園一優秀と言われていたエレナ・アイベルン。 その婚約者であったアソンダソン。 婚約していた二人だが、正式に結ばれることはなく、まったく別の道を歩むこととなる……。

それぞれのその後

京佳
恋愛
婚約者の裏切りから始まるそれぞれのその後のお話し。 ざまぁ ゆるゆる設定

有能婚約者を捨てた王子は、幼馴染との真実の愛に目覚めたらしい

マルローネ
恋愛
サンマルト王国の王子殿下のフリックは公爵令嬢のエリザに婚約破棄を言い渡した。 理由は幼馴染との「真実の愛」に目覚めたからだ。 エリザの言い分は一切聞いてもらえず、彼に誠心誠意尽くしてきた彼女は悲しんでしまう。 フリックは幼馴染のシャーリーと婚約をすることになるが、彼は今まで、どれだけエリザにサポートしてもらっていたのかを思い知ることになってしまう。一人でなんでもこなせる自信を持っていたが、地の底に落ちてしまうのだった。 一方、エリザはフリックを完璧にサポートし、その態度に感銘を受けていた第一王子殿下に求婚されることになり……。

もう、振り回されるのは終わりです!

こもろう
恋愛
新しい恋人のフランシスを連れた婚約者のエルドレッド王子から、婚約破棄を大々的に告げられる侯爵令嬢のアリシア。 「もう、振り回されるのはうんざりです!」 そう叫んでしまったアリシアの真実とその後の話。

真実の愛の祝福

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
皇太子フェルナンドは自らの恋人を苛める婚約者ティアラリーゼに辟易していた。 だが彼と彼女は、女神より『真実の愛の祝福』を賜っていた。 それでも強硬に婚約解消を願った彼は……。 カクヨム、小説家になろうにも掲載。 筆者は体調不良なことも多く、コメントなどを受け取らない設定にしております。 どうぞよろしくお願いいたします。

嘘の誓いは、あなたの隣で

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢ミッシェルは、公爵カルバンと穏やかに愛を育んでいた。 けれど聖女アリアの来訪をきっかけに、彼の心が揺らぎ始める。 噂、沈黙、そして冷たい背中。 そんな折、父の命で見合いをさせられた皇太子ルシアンは、 一目で彼女に惹かれ、静かに手を差し伸べる。 ――愛を信じたのは、誰だったのか。 カルバンが本当の想いに気づいた時には、 もうミッシェルは別の光のもとにいた。

飽きたと捨てられましたので

編端みどり
恋愛
飽きたから義理の妹と婚約者をチェンジしようと結婚式の前日に言われた。 計画通りだと、ルリィは内心ほくそ笑んだ。 横暴な婚約者と、居候なのに我が物顔で振る舞う父の愛人と、わがままな妹、仕事のフリをして遊び回る父。ルリィは偽物の家族を捨てることにした。 ※7000文字前後、全5話のショートショートです。 ※2024.8.29誤字報告頂きました。訂正しました。報告不要との事ですので承認はしていませんが、本当に助かりました。ありがとうございます。

処理中です...