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第二章 近づく距離
第十六話 道具と貴族令嬢
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どうする? ここで少しでも非難の声を挙げるべき?
それとも先ほどの心の声に従い、さっさとここから立ち去るべき?
しかし、エレオノーラはまだまだオフィーリナを解放したくなさそうだ。
ついっ、と冷や汗が頬を伝う。
「あなたはどう? 彼のことが好き? もちろん、好きよね。だって第二夫人になってくれるくらいだもの」
「え、ええ。もちろん。です、はい」
第二夫人になってみて、その重さを背中に実感した。
正妻との間に生まれる溝というものはこういうものなのか、と。
まさかブライトが自分の魔猟と魔石彫金の腕を褒めてくれたこと。
パトロンとなることを提案してくれたから、それを受け入れて第二夫人になったなどと、口が裂けても言えない。
逆に帝室の血、なんてものだけで自分とブライトの絆が結ばれているとも思いたくない。
契約結婚だが、彼に対する愛情はしっかりとある。
契約結婚だけど……。でも、正妻の前で愛していますとか宣えるほど、オフィーリナの心は頑丈ではない。
せいぜい、「大事にして頂いています」程度の返事をするのがやっとなところだ。
「ブライトはとてもいい人だから、あなたとの仲も長く続いて欲しいわ」
「え、ええ。あ、そうだ。奥様、それを是非、奥様にお渡ししたくて」
「何かしら?」
オフィーリナは強引に話題を変えた。
彼女が持参した小さな包みは、いま寝台横の台に置かれている。
エレオノーラは怪訝な顔つきをし、目を戸惑わせながら嬉しそうにその包みを解いた。
「素晴らしい意匠ね!」
感嘆の声がエレオノーラの口から溢れた。
気に入ってもらえたようだ。オフィーリナはほっと胸をなでおろす。
エレオノーラに贈った物は、オフィーリナ自ら彫金を施したブローチだった。
銀の台座に、黒曜石のような艶やかな親指ほどの真っ黒な魔石が埋め込まれていて、周囲を細い金で彫金してある。
それは朱色に彩られていて、いままさに薄い炎が真っ黒な闇を明るくしているような印象、夜明けの印象を見る者に与えた。
「気にいって頂ければ、何よりです。最近、手に入りました」
「これは素敵ね。どこで購入を?」
「あ……その、魔石はブラウディア鉱石です。月の灯りを長い年月吸い込んだもので、深い地層からしか出て来ません。最近行った魔猟で、獲物が胎内に納めていたものです」
「魔猟? あなたが狩りをするの?」
エレオノーラはオフィーリナが魔猟をするのを、初めて耳にした、というような顔をした。
ええ、そうです。と答えながら、やはり彼女の知るオフィーリナは自分とは別人のオフィーリナだ、と考える。
どこで知り合い、どこで別れ、どこにいまいるのか。
オフィーリナは見知らぬオフィーリナを探してみるべきかもしれないと、そう思った。
「少しばかり嗜んだだけです。その彫金も私が施しました」
「これはとても良いデザインだと思うわ、オフィーリナは抜群の感性をしているのね!」
「ありがとうございます、奥様」
部屋の奥で、カツンとそのかかとで床を踏みしめる音が響く。
小さくて、騒がしくもなく、侍女が体の位置を動かしたために生じたそれ。
でも、オフィーリナがそれとなく侍女を見ると、彼女の目つきは野卑な物を見る視線になっていた。
貴族令嬢は魔猟などしない。
魔石を彫金したりもしない。
そんなものは職人の、平民の仕事であって、貴族の生業ではない。
あくまで趣味に留める、というならばありだが、オフィーリナがエレオノーラに贈った品物は、明らかに趣味の域を超える出来だった。
「もしどこかの店で販売したら、このデザインなら一気に人気の品になってしまうわね」
どこか残念そうに、エレオノーラは頬へ片手を寄せてそう言った。
もしそうなったなら、という建前がそこには含まれいる。
「お店にです、か」
すでに並んでいるのだけど。
ここでは口に出せない。
ブローチを傍らに置くと、エレオノーラの手がオフィーリナの両手をそっと包み込む。
柔らかい彼女の手は、正しく王侯貴族の手。
工房の作業や魔猟で鍛えたオフィーリナのそれとは、正反対のものだ。
「趣味の範囲ならまだいいけれど、旦那様の妻になったからには、もうちょっと控えていただないと」
「そ、そうですね。心いたします」
「よろしくね? あの人に悪い噂が立つといけないから」
その、あの人が認めると言ってくれた、魔石彫金を正妻はやめろ、と言う。
オフィーリナの状況をどこまで熟知しているのか、まったく見当がつかず、反論などしようものならこの場から追放されそうな感触を受けた。
「心しますので。それを喜んでいただけたら、わたしは満足です。奥様……エレオノーラ」
名前で呼んでみれば、親近感が増すだろうか?
エレオノーラはブライトのことをやはり大事に考えているようだ。
しかし、子供を産むのは自分の後にしろ、という。
そんなことをまじまじと語られたら、もう一人のオフィーリナとか、エレオノーラの虚構など、もはやどうでもよくなってきた。
エレオノーラとってオフィーリナはただの、帝室の血と王室の血が混じった子を産ませる道具にすぎないのだ。
ブライトの荷物を受け取り、挨拶のそぞろに、それからしばらくしてオフィーリナは公爵邸を後にする。
エレオノーラが語ることは貴族として当たり前のこと。
だが、物と同列に扱われたことが、オフィーリナにはどうしても許せなかった。
それとも先ほどの心の声に従い、さっさとここから立ち去るべき?
しかし、エレオノーラはまだまだオフィーリナを解放したくなさそうだ。
ついっ、と冷や汗が頬を伝う。
「あなたはどう? 彼のことが好き? もちろん、好きよね。だって第二夫人になってくれるくらいだもの」
「え、ええ。もちろん。です、はい」
第二夫人になってみて、その重さを背中に実感した。
正妻との間に生まれる溝というものはこういうものなのか、と。
まさかブライトが自分の魔猟と魔石彫金の腕を褒めてくれたこと。
パトロンとなることを提案してくれたから、それを受け入れて第二夫人になったなどと、口が裂けても言えない。
逆に帝室の血、なんてものだけで自分とブライトの絆が結ばれているとも思いたくない。
契約結婚だが、彼に対する愛情はしっかりとある。
契約結婚だけど……。でも、正妻の前で愛していますとか宣えるほど、オフィーリナの心は頑丈ではない。
せいぜい、「大事にして頂いています」程度の返事をするのがやっとなところだ。
「ブライトはとてもいい人だから、あなたとの仲も長く続いて欲しいわ」
「え、ええ。あ、そうだ。奥様、それを是非、奥様にお渡ししたくて」
「何かしら?」
オフィーリナは強引に話題を変えた。
彼女が持参した小さな包みは、いま寝台横の台に置かれている。
エレオノーラは怪訝な顔つきをし、目を戸惑わせながら嬉しそうにその包みを解いた。
「素晴らしい意匠ね!」
感嘆の声がエレオノーラの口から溢れた。
気に入ってもらえたようだ。オフィーリナはほっと胸をなでおろす。
エレオノーラに贈った物は、オフィーリナ自ら彫金を施したブローチだった。
銀の台座に、黒曜石のような艶やかな親指ほどの真っ黒な魔石が埋め込まれていて、周囲を細い金で彫金してある。
それは朱色に彩られていて、いままさに薄い炎が真っ黒な闇を明るくしているような印象、夜明けの印象を見る者に与えた。
「気にいって頂ければ、何よりです。最近、手に入りました」
「これは素敵ね。どこで購入を?」
「あ……その、魔石はブラウディア鉱石です。月の灯りを長い年月吸い込んだもので、深い地層からしか出て来ません。最近行った魔猟で、獲物が胎内に納めていたものです」
「魔猟? あなたが狩りをするの?」
エレオノーラはオフィーリナが魔猟をするのを、初めて耳にした、というような顔をした。
ええ、そうです。と答えながら、やはり彼女の知るオフィーリナは自分とは別人のオフィーリナだ、と考える。
どこで知り合い、どこで別れ、どこにいまいるのか。
オフィーリナは見知らぬオフィーリナを探してみるべきかもしれないと、そう思った。
「少しばかり嗜んだだけです。その彫金も私が施しました」
「これはとても良いデザインだと思うわ、オフィーリナは抜群の感性をしているのね!」
「ありがとうございます、奥様」
部屋の奥で、カツンとそのかかとで床を踏みしめる音が響く。
小さくて、騒がしくもなく、侍女が体の位置を動かしたために生じたそれ。
でも、オフィーリナがそれとなく侍女を見ると、彼女の目つきは野卑な物を見る視線になっていた。
貴族令嬢は魔猟などしない。
魔石を彫金したりもしない。
そんなものは職人の、平民の仕事であって、貴族の生業ではない。
あくまで趣味に留める、というならばありだが、オフィーリナがエレオノーラに贈った品物は、明らかに趣味の域を超える出来だった。
「もしどこかの店で販売したら、このデザインなら一気に人気の品になってしまうわね」
どこか残念そうに、エレオノーラは頬へ片手を寄せてそう言った。
もしそうなったなら、という建前がそこには含まれいる。
「お店にです、か」
すでに並んでいるのだけど。
ここでは口に出せない。
ブローチを傍らに置くと、エレオノーラの手がオフィーリナの両手をそっと包み込む。
柔らかい彼女の手は、正しく王侯貴族の手。
工房の作業や魔猟で鍛えたオフィーリナのそれとは、正反対のものだ。
「趣味の範囲ならまだいいけれど、旦那様の妻になったからには、もうちょっと控えていただないと」
「そ、そうですね。心いたします」
「よろしくね? あの人に悪い噂が立つといけないから」
その、あの人が認めると言ってくれた、魔石彫金を正妻はやめろ、と言う。
オフィーリナの状況をどこまで熟知しているのか、まったく見当がつかず、反論などしようものならこの場から追放されそうな感触を受けた。
「心しますので。それを喜んでいただけたら、わたしは満足です。奥様……エレオノーラ」
名前で呼んでみれば、親近感が増すだろうか?
エレオノーラはブライトのことをやはり大事に考えているようだ。
しかし、子供を産むのは自分の後にしろ、という。
そんなことをまじまじと語られたら、もう一人のオフィーリナとか、エレオノーラの虚構など、もはやどうでもよくなってきた。
エレオノーラとってオフィーリナはただの、帝室の血と王室の血が混じった子を産ませる道具にすぎないのだ。
ブライトの荷物を受け取り、挨拶のそぞろに、それからしばらくしてオフィーリナは公爵邸を後にする。
エレオノーラが語ることは貴族として当たり前のこと。
だが、物と同列に扱われたことが、オフィーリナにはどうしても許せなかった。
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