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聖女と魔竜

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 誰かを呪うという行為は自分にも不幸をもたらすものだ。
 例え、命を賭けた呪いであっても、不幸の連鎖からは逃れられない。

 灼熱の熱波により魂の欠片となって、肉体を失ったディーリアの想いは、彼女がエレンに呪いをかけた時に告げた魔物。
 魔竜によって、世界のどこかに呼び寄せられていた。

 その日、竜は退屈によって死にそうだった。
 もう長い間、自分の名を呼び、魔法を行使して何かを成そうとする者はいなかった。
 数百年、いや千年。それを越える時間かもしれない。

 かつて若くて血気盛んな頃は、草原を支配し、人間と支配地を巡って対立したこともあった。
 勇者と呼ばれる存在と戦ったこともある。
 魔王に呼ばれ、幹部になったこともあった。

 しかし、全て遠い昔の話だ。

『名を呼ばれた』

 竜の心は色めきだった。

『呪いを願われた』

 竜は魔物としての本能を呼び覚ます。
 目の前に魂の破片だけどなったディーリアが呼び出された。

 魔竜が菫色の瞳を一瞥すると、それは元の正しい彼女の肉体へと、再構成される。
 しかし、意識が戻ることはない。
 ディーリアは既に死んだ存在だった。

『その報われない願いを叶えてやろう……ディーリア。悲しみの乙女』

 少女の魂に残された断片的な記憶から彼女の悲しみを知った魔竜は、慟哭する。
 瞳の色と同じ菫色の魔石に、少女の肉体を朽ち果てないように、と保存して、自らの寝床の側に飾る。

 そこには、同様にして永遠の眠りに就いた人間やエルフ、ドワーフなどの亡骸が入った魔石が、数百、数千と丁寧に並べられていた。
 自ら呪いを願ったその代償に、ディーリアは置物として永遠にこの場所で過ごすことになった。


 
 ディーリアがエレンにかけた呪いは、それから数年は効果を表さなかった。
 その間に王女はディーリアの婚約者を手に入れ、さらに祝福された王女として、神殿から聖女に選ばれるまでになった。

 聖女の役割は、魔に苦しむ人々を滅することだ。
 最近、国境付近で巨大な竜が出没し、人々を苦しめていると、報告が神殿にもたらされた。
 その竜は被害規模の大きさと放つ呪いの巨悪さから、伝説の魔竜ではないか、と推測された。

 エレンは聖女として、魔竜討伐を引き受ける。
 それは、彼女の死出への旅立ちとなった。


 一生涯をかけて手にしたいものがもしもあったとしたら。
 全身全霊をかけてそれを繋ぎ止めることに何の迷いがあるだろう。

 でもそれは正しいやり方で適度なタイミングを見計らってやらないと、手痛いしっぺ返しをくらう。
 つまりそれが、こういうことだ。

 自分の左足を見た。
 自分のこれからを運んでいく足、彼女のこれまでを運んできてくれた足。
 あいにくとそれは太ももの付け根からえぐり取られてしまっていて、もう二度とこの体を運ぶことはできない。

「まいったわ……」

 彼女の未来は片足ぶんだけなくなってしまったらしい。
 自嘲気味に笑い現実を受け入れると、さてどうするかと視界を真上にやる。

 魔竜は黒光りする鱗に陽光を照り返しながら、ぶしゅるるる、と鼻から炎の吐息を漏らしていた。
 困った。勝てない、そして帰れない。
 そこまで考えて、エレンは数メートル先にある魔竜の恐ろしくも巨大な鎌の先のような黒光りする爪を見て、力なさげにため息を漏らした。

 左足を失った瞬間に戦闘にはいる前から施してあった治癒魔法により、痛覚は遮断され動脈を切断されたというのに赤い奔流はどこにも流れて行かず、幻覚のような左足の感覚すらまだ残っている。

 いま回復魔法を発動させれば、失った部位の再生は完璧に行えるだろう。
 だが……それをするには、戦っている相手が少しばかり悪かった。

「誰よ、相手はただの竜かもしれないから楽勝とか言ったやつ……本物の魔竜相手に……勝てるはずないでしょ」

 人間の魔導師や神官が数百人集まっても、敵うはずもない。
 あっという間に打ちのめされ蹴り散らされて片足を加えられ、空高くへと運ばれて今ここにいる。
 それが、王女エレンの顛末。

 たった数分間の出来事で、ずっと離れた南の草原からはるか北の高山地帯のどこかにある、魔竜の巣へと運ばれてしまった。
 魔竜はエレンを見下ろしている。

 彼女が放った最大級の攻撃魔法は鼻息一つで蹴散らされた。
 お返しとばかりに、口元を軽く振っただけ。
 たったそれだけで、聖女の片足は付け根からぼきりともぎ取られてしまった。

 悲鳴を上げるよりも早く治癒魔法が発動し意識を失うことはなかったものの、この魔法ですらもこいつを倒すことができない。
 その事実に心折れた。

 言葉を喋るわけでもないのに、魔竜の思いは意志の力となってエレンの心に押し寄せる。

 久方ぶりに食べる食事、人間の女というあまり美味しくもなく香ばしくもない。
 だが、これまで食べてきた村や町の人間たちからすれば、桁外れの魔力を持っていておまけに神の加護までその身に受けている。
 これほど強力な魔力を持つ女を食すれば、数百年は何も口にしなくてもまた眠ることができるだろう。

 彼はそう語っていた。

「へ、へえ……悪趣味なことね。人間に手を出せば後で必ず仲間がやってくるって分かってるくせに……」

 おかしい。
 治癒魔法は効果があったはずだ。
 左足の回復を急ぎつつ、だが、体のどこかの異常をエレンは感じ始めていた。

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