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聖家
しおりを挟む第二王子レットーとともに視察団が王都を離れ、二週間が経過した。
その間、どうして恋人は来なかったのかと、悶々とした想いに苛まれながら、オリバーは辺境を視察した。
今回の目的は、ここを水源として南に下る運河の度重なる氾濫を抑えるために必要な、ダム建設のための用地を確認するためだ。
国庫から資金を出して行われる国家事業のため、どうしても王族による視察が不可欠な案件だった。
ダムの用地には人が住む土地や、森林、田畑など海抜の低い土地を用意する必要がある。
移転用に補助金が申請され、ただしくその運用が行われているか。
ある意味で被害者となる者たちに不満がないかを確かめることも、指針に含まれる。
ダムを作ったはいいが、運用を巡り、土地の者と権利者である領主や代官との間で揉め事が起こるのは、これまでの常だった。
「なるべく、いいようにしたい。立ち退く住人にも、我々、国側にとっても‥‥‥」
臨時に用意された宿の一室を借り受け、視察団の予定表や近隣を俯瞰した地図が壁に貼られている。
第二王子レットーは視察団の主らしくもっともらしいことを述べていたが、その心にあるのは夜の接待だと誰もが思っていた。
彼は芸術や武芸、建築のような分野で才を表したが、同時に女性にも貪欲な男だった。
あの夜、カナリアが戻って来ず、レットーの意志で楽屋に残された。
そこまでをオリバーは掴んでいた。
二人が密室に残り、さらに何があったかは彼女のその後の行動に鑑みれば、如実に理解できる。
想像にやすくない。ただ、証拠がなかった。
カナリアはあれから何の連絡も寄越さず、当夜はオリバーを置いたまま、王宮を後にしたと門番は言う。
真実はあの男が知っている―――。
レットーについつい、疑いの眼差しを向けそうになり、オリバーは視線を足元に落とす。
不敬な行為は慎まなければならない。
例えどんな犯罪の疑いがあっても、相手は王族なのだ。
言葉一つ、仕草一つで不敬罪に問われかねない。
それは愚かな選択で、オリバーは賢明な男だった。
昼が過ぎ、夕方が近づいたことで会議に参加した面々の瞼がゆっくりと重たくなる。
実際に現地を視察する予定は消化され、あと数日は現地貴族や要人からの接待を受けるのが殆どだ。
この会議も所詮は、視察という名目をこなすための茶番に過ぎない。
誰が損をして、誰が得をするのか。
ダム建設の計画が立案されたときから、甘い汁を吸う人たちは決まっている。
自分も第二王子の派閥にいて、その一部を享受していると思うと、オリバーは心が妙に虚しくなった。
そんな彼を現実に引き戻すように、ひとりの男が訪れる。
カナリアの父親、レブナン伯爵だった。
「娘から、そして貴族院からだ」
その一言とともに、手紙が三通。
オリバーの前に並べられる。
一通はあの馬車の中でカナリアがしたためたもの。
一通はここに向かおうとした矢先、神殿にいるカナリアがリゲルに新たに郵送したもの。
最後の一通は、貴族院からの通達。
「貴族院‥‥‥?」
レブナン伯爵は同じ伯爵でも、オリバーの実家アーミッシュ家よりも格上に当たる。
とある公爵家の傍流で、王族の係累だ。
彼がこの地を自ら訪れることには、それなりの事情が含まれるということになる。
オリバーはまずカナリアの手紙を開きたかった。
しかし、貴族として優先するべきはまず、貴族の統治機関である貴族院からの通達だ。
それを開き、一読してから最後にあるサインを目の当たりにした青年は、うっと呻くように声をあげ、驚きに目をみはった。
「どういうことですか。新たに聖家を認めるとは?」
聖家とは、文字通り、聖人の家。
聖女や勇者、聖騎士など、神殿から聖なる存在として認められた者の実家が名乗れる家のことだ。
文書にはレブナン伯爵家を聖家として、伯爵から聖家に相応しい侯爵位に列するとあった。
「読んで字のごとく」
「誰が聖人になったと‥‥‥カナリア?」
国王のサインが真新しい筆跡となって読めた。
レブナン伯爵、もとい侯爵は重々しくうなずく。
何の連絡もなく愛娘が女神神殿に上がったのは、二週間前。
つい先週頭に、神殿が発した公布で聖女へと列せられたことを知る。
かつて魔族との戦いの時代ならばともかく、現代において聖女はそれほど多くない。
その歌の才能を女神に愛されることで、文字通り歌姫になったのだと、侯爵は語った。
「娘の手紙がある」
そちらも読むように促された。
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