上 下
70 / 71
エピローグ

第七十話 永遠の約束(最終回)

しおりを挟む
 セナはロバートを顔を見合わせて「そうね」と嬉しそうに微笑んだ。二人と一人だった家族が、いまようやく三人で一つになれたのだと、セナは感じた。

 彼に向かい手を伸ばす。
 自分の涙を拭ってくれたその指先をそっと握りしめて、「行ってもらえる?」と訊いた。

「もちろんだ。俺の知らない君の過去を、一族の話をどうか教えて欲しい。俺もその一員となれるなら、これほど喜ばしいことはない」

 ロバートはうなづいて、セナの手を握り返した。
 セナたちはその夜、魔王の国を離れ、帝国へと戻った。

 突然できた父親という存在に、喜びを感じながらもどう接していいのか考え疲れたらしく、ディーノは食堂車での夕食後まもなく、寝入ってしまう。

 ベッドに早変わりした座席の上で、セナはすやすやといびきを立てる息子の寝顔を見つめては、はあ、と溜息を洩らした。

 そのため息が漏れる度、セナとの間に眠る息子をどう扱っていいか分からず、ロバートも困惑したような、それでいて抱えていた大きな問題が一段落したことに、少なからずの安堵を覚えていた。

「……この子、こんな夜にさっさと寝てしまって。お母様は独りぼっちだわ」
「おいおい、俺がいるじゃないか。そんな言い方はひどいな」
「だって、あなたと最後に過ごしたのはもう数年前よ、ロバート」
「すまなかった。探し出せなかったのは、俺の手落ちだ」
「そんな話してないわ。これから、どうやってあなたとの時間を過ごせばいいのか、とっても困っているってこと」

 じっとロバートを見つめるセナの瞳にはしかし、戸惑いはあっても恐れや悲しみというものは見えなかった。
 ずっと離れていた二人の距離をどう埋めればいいのか、迷っている。
 そういうことだろうと、ロバートは察しをつける。

「他の女性と婚約した俺だ。いまはもう婚約は破棄してきたが……責められても仕方ないと思っている」
「責めたいわけじゃない。私は男性なんて欲しくないと考えたこともあった」
「もう、埋められないのか? 二人が一人で歩いたその過去は」
「過去は無理でも、これからは……そうじゃないかもしれない。でも、距離感は大事かも」
「距離感?」
「息子と父親と母親の三人が一気に一つの家に住むようになるのよ?」

 この発言には、ロバートが驚いた。
 自分は彼女たちの家には招かれてもそれは一時的なもので、朝行けば昼には帰るだろうし、夜行けば食事をして去る、くらいの扱いが数年は続くと思っていたからだ。

「いい……の、か? 俺は君を――」
「捨てた、逃げた、探さなかった。もうこれは禁句ね。子供もそうだし、私たちのこれからに相応しい言葉じゃない」
「驚いたな。俺は数年は、いやもっと長くこれから孤独に住み、ときどき君たちの家に招かれる人生になると思っていたよ」
「結婚式は、ちゃんとしてもらいますからね? 愛のない生活なんてもう嫌なの。それだけは耐えられない。だから、周りのみんなに互いの口からきちんと言いましょう?」
「俺たちはやり直すことにした?」
「違うわよ、始めるの。今から始めるの。そうじゃなきゃ……この数年間を埋める方法なんて思いつかない」
「それは同感だ」

 セナは奪われていたものが、自分のなかに戻ってきたことについて、まだ語られていない詳細を知った時、ロバートや女神に感謝することになるだろうと、なんとなく感じていた。

 だけどそれを受け止められるだけの強さは自分のなかにあるの?
 そう問いかけたとき、孤独でもやってきたでしょう。友人たちの手助けがあってこそだっあたけれど、ともう一人の母親としての自分が、心のなかで弱いセナを励ますように言った。

「まだあるかしら、あの屋根裏部屋の品々……エリンに捨てられてなければいいけれど」
「行ってみてのお楽しみ、だな」
「もう寝るわ」

 そう言い、気のない素振りを見せてセナはロバートに背を向ける。
 息子が寝たら二人はあの夜の二人に戻ってしまい、セナは幼い感覚を思い出してまだ彼に素直になれないでいた。


 翌朝。
 帝都の一角に、セナが取り戻した公爵家があった。
 秋の風に吹かれながら、木の葉を散らして舞うその様は、本当の主人を待つ老いた忠犬のようにも見える。

 長い長い不毛な時間を経て、カーバンクル公爵邸はようやく真実の主の手に、その身を委ねることができたことが嬉しいのか、仄暗い雰囲気に覆われていた屋敷は、セナが敷居をまたいだ瞬間から、太陽に祝福されるかのように、陽光を浴びて輝いていた。
 
 数日前から不在になっていたエリンやレイナの代わりに、死亡したと思われていたセナが現れたことで、家人たちは一様に驚きを隠せないでいた。

 エリンとレイナの断罪がセナたちの帰宅とともに伝えられ、それを聞いた執事長はメイド長と手を取り合って真っ先に、エリン派だった家人を解雇し、公爵家から追い出した。

 折を見たかのように、皇弟のからの使者が公爵家を訪れ、正当なる家の後継者としてセナの復帰を認めることや、貴族籍にはセナの戸籍の再発行と、息子ディーノが新たに登記されたこと、ロバートをの結婚を祝う祝辞などが届けられた。

 その中には義母たちに関する断罪の詳細も記録されていたから、使者がかしこまってそれを読み上げようとした瞬間、セナはディーノの耳を慌てて塞いで、執事長に息子を預け部屋から退出させた。

「僕だって聞きたかったのに!」

 と息子はあとで怒っていたが、あれは子供に不必要なものだよ、とロバートが優しく言い聞かせると、「ふうん。分かりました」と賢そうに頷いて見せる。

 普段は自分の言うことなんてたまにした訊かない息子がこんなにも大人しく振舞ったことに、セナは眉根を寄せてディーノを睨んでいた。

「裏切り者。いつからそんなに聞き分けが良くなったの?」
「知らないよ、僕、いつもこうだもの」

 と、しらばっくれるディーノの頭を軽く撫でると、セナはロバートとディーノを連れて、思い出のなかにある、屋根裏への階段に足をかけた。

 十二段だ。
 それだけ上がれば、そこには天井がある。

 記憶の通り、天井には鍵穴があって、その鍵はいつものように、父親が大事にしていた書棚の片隅に隠されていた。
 その鍵を使い屋根に続く扉を解錠すると、セナはゆっくりとそれを押し上げた。

 埃ばかりが溜まっている、と予測していたのに、不思議なことにその部屋は時間が止まったかのように、なにもかもが真新しく、この部屋に運び込まれたときのままで保存されているようだった。

「……どういうこと?」
「公爵家は聖女様から続く血筋だ。時間の進み具合を変えたのか、それとも何か特別な魔法を用意したのか……。空間だけをひずませているなら、そこでは時間の流れは止まったように感じるほど遅いというからな」
「ああ、空間魔法をうまく使えば、どんなに大きなものでも好きなように持ち運びできるって言う、あれね……」

 仕留めた邪竜をポシェットに納めて、聖女は辺境から帝都へと運んだ、と記録にはある。
 そういう系統の魔法が掛かっているのだろうと、なかを物色しながら、セナは思い出にある、あの写真を探した。
 あれは左側の壁に、額に入って飾られていたはず。

 両親とセナが写った、貴重な思い出の品だった。
 その方向に向けて歩き出すと、先に奥へと走って行ったディーノが、目当ての写真の前で立ち尽くしていた。

 息子が見上げているのは、高い屋根裏の壁にかけれた母親たちの写真ではなく、一枚の肖像画だった。
 そこにはカーバンクル家を興したとされる、初代カーバンクル公爵夫妻が描かれていた。
 ディーノは「誰?」とセナに視線で問いかける。

「聖女様よ。初代様と――あなたの最初のご先祖様たち」
「ママと……似てない、ね?」

 息子の発言を耳にして、その肖像画を見たロバートは聖女の容姿はセナによく似ていると思った。だが、髪色が違う、瞳の色も。セナはシルバーブロンドで青い瞳だ。だが、聖女は栗色の髪に、緑の瞳をしている。
 対して初代公爵は、セナとよく似た髪色に瞳の色をしていた。

 どうやら公爵家は男系の家系らしい、と想像がつく。
 彼女の手におさまろうとしている家族写真の人々もまた、母親以外はセナと同じ髪と瞳を持っていた。

(あなたが真実の愛を捧げるならば、家族は永遠に離れることがないでしょう)

 そんな声をどこかで聞いた気に、ロバートはふと囚われた。
 セナが家族写真を手にして、嬉しそうにしながらそれをディーノに見せ、自分へと見せてくれる。

 今はここにいない彼女の両親の遺影に、ロバートは必ず最後まで愛してみせる、と心で固く誓った。


 * * * *

 読者様へ。
 いつもお世話になっております。
 長い話となってしまいました。
 ここまで読み進めていただきまして、ありがとうございます。
 最終話についてたくさんのご意見をいただきました。
 終わり方が中途半端になっていると感じていたものの、どこまでを描くべきかということで随分長くお待たせしてしまいました。
 このエンディングが最も良い形かどうかは、それぞれ選んでくださった方の判断によると思います。
 作者としては、セナやロバート、ディーノたちがこれからも幸せに生きていてくれる、その姿を想いつつ、このエンディングに落ち着きました。
 この物語を読んでくださった方が、ほんのひとときでも楽しんでくだされば、作者としては喜びに堪えません。
 これからもどうぞよろしくお願いいたします。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

公爵閣下の契約妻

秋津冴
恋愛
 呪文を唱えるよりも、魔法の力を封じ込めた『魔石』を活用することが多くなった、そんな時代。  伯爵家の次女、オフィーリナは十六歳の誕生日、いきなり親によって婚約相手を決められてしまう。  実家を継ぐのは姉だからと生涯独身を考えていたオフィーリナにとっては、寝耳に水の大事件だった。  しかし、オフィーリナには結婚よりもやりたいことがあった。  オフィーリナには魔石を加工する才能があり、幼い頃に高名な職人に弟子入りした彼女は、自分の工房を開店する許可が下りたところだったのだ。 「公爵様、大変失礼ですが……」 「側室に入ってくれたら、資金援助は惜しまないよ?」 「しかし、結婚は考えられない」 「じゃあ、契約結婚にしよう。俺も正妻がうるさいから。この婚約も公爵家と伯爵家の同士の契約のようなものだし」    なんと、婚約者になったダミアノ公爵ブライトは、国内でも指折りの富豪だったのだ。  彼はオフィーリナのやりたいことが工房の経営なら、資金援助は惜しまないという。   「結婚……資金援助!? まじで? でも、正妻……」 「うまくやる自信がない?」 「ある女性なんてそうそういないと思います……」  そうなのだ。  愛人のようなものになるのに、本妻に気に入られることがどれだけ難しいことか。  二の足を踏むオフィーリナにブライトは「まあ、任せろ。どうにかする」と言い残して、契約結婚は成立してしまう。  平日は魔石を加工する、魔石彫金師として。  週末は契約妻として。  オフィーリナは週末の二日間だけ、工房兼自宅に彼を迎え入れることになる。  他の投稿サイトでも掲載しています。

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する

3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
 婚約者である王太子からの突然の断罪!  それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。  しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。  味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。 「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」  エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。  そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。 「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」  義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。

美人すぎる姉ばかりの姉妹のモブ末っ子ですが、イケメン公爵令息は、私がお気に入りのようで。

天災
恋愛
 美人な姉ばかりの姉妹の末っ子である私、イラノは、モブな性格である。  とある日、公爵令息の誕生日パーティーにて、私はとある事件に遭う!?

女嫌いな辺境伯と歴史狂いの子爵令嬢の、どうしようもなくマイペースな婚姻

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
恋愛
「友好と借金の形に、辺境伯家に嫁いでくれ」  行き遅れの私・マリーリーフに、突然婚約話が持ち上がった。  相手は女嫌いに社交嫌いな若き辺境伯。子爵令嬢の私にはまたとない好条件ではあるけど、相手の人柄が心配……と普通は思うでしょう。  でも私はそんな事より、嫁げば他に時間を取られて大好きな歴史研究に没頭できない事の方が問題!  それでも互いの領地の友好と借金の形として仕方がなく嫁いだ先で、「家の事には何も手出し・口出しするな」と言われて……。  え、「何もしなくていい」?!  じゃあ私、今まで通り、歴史研究してていいの?!    こうして始まる結婚(ただの同居)生活が、普通なわけはなく……?  どうやらプライベートな時間はずっと剣を振っていたい旦那様と、ずっと歴史に浸っていたい私。  二人が歩み寄る日は、来るのか。  得意分野が文と武でかけ離れている二人だけど、マイペース過ぎるところは、どこか似ている?  意外とお似合いなのかもしれません。笑

婚姻初日、「好きになることはない」と宣言された公爵家の姫は、英雄騎士の夫を翻弄する~夫は家庭内で私を見つめていますが~

扇 レンナ
恋愛
公爵令嬢のローゼリーンは1年前の戦にて、英雄となった騎士バーグフリートの元に嫁ぐこととなる。それは、彼が褒賞としてローゼリーンを望んだからだ。 公爵令嬢である以上に国王の姪っ子という立場を持つローゼリーンは、母譲りの美貌から『宝石姫』と呼ばれている。 はっきりと言って、全く釣り合わない結婚だ。それでも、王家の血を引く者として、ローゼリーンはバーグフリートの元に嫁ぐことに。 しかし、婚姻初日。晩餐の際に彼が告げたのは、予想もしていない言葉だった。 拗らせストーカータイプの英雄騎士(26)×『宝石姫』と名高い公爵令嬢(21)のすれ違いラブコメ。 ▼掲載先→アルファポリス、小説家になろう、エブリスタ

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

処理中です...