上 下
68 / 71
エピローグ

第六十八話 ロバート、再び

しおりを挟む
 二日目の朝が過ぎ、テーマパークは北国ながらも暖かい陽気に包まれて、蒸していた。
 この都の気温は最先端の魔導で、常に一定に保たれていると聞いたが、今日はいつにもまして暑いと、テーマパークを訪れていた他の客たちが漏らしているのが耳に入ってくる。

 メリーゴーランドやいくつかの絶叫マシン、水棲魔獣が住まう海底へと潜水艇によって潜ってみたり、数キロ上からただ椅子に固定されただけで、いきなり梯子を外されたかのように落下する機械などが、ディーノをこれ以上になく喜ばせ、逆にセナは一つ、また一つと恐怖に心を削られていた。

「……! 削られるのはお尻だけでいいのに!」

 野生の魔獣たちを逃げ出さないように覆った結界の中に住まわせている、魔獣パークでは舗装されていない路面の上を、四輪駆動のバスが客の気持ちなんて考えずに凄まじい速さで疾走する。

 そうしなければ魔獣たちに追いつかれて、襲われてしまうのだという。
 もちろんそんなことになればとんでもない事故となってしまうから、それはただの煽り文句であって、運転の荒さもまたこのアトラクションの楽しみ方の一つだと気づくまでに、ずいぶん時間がかかった。

 それに慣れる頃には薄いクッションの椅子でお尻を嫌と言うほどぶつけ、頭を何度か天井にぶつけてしまった。

 シートベルトをしていたおかげでそれほどたいした怪我ではなかったが、アトラクションの出口の門を通過すると、あれほど痛かったお尻と頭がさっと元通りになっていた。

 痛みなどどこかに消え去り、怪我のあとなんて見当たらない。
 あの門に、高度な回復魔法をかけているんだわ。なんてすごい技術。

 噂どころかここはまさしく世界の最先端。
 こんな場所で息子が学ぶことができるなら、彼は持って生まれた精霊と戦女神の加護も相まって、歴史に名を残す偉大な賢者になるかも。

 魔獣テーマパークのバスを降りて昼食をとるためにレストランに移動したとき、自分の腰あたりに目線のある息子をじっと見下ろしていると、こちらの思惑があけすけにばれてしまったのか、ディーノは「それも悪くないかもね」なんて腕組みをして、ふんふんと肯いていた。

「ちょっとあなた! ママの心を読むような真似をしないで……」
「そんな便利なことできるわけないでしょ」
「だって、いま」
「なんとなく、この国に引っ越したらもっといい暮らしができるのになーとか、ママなら考えそうだって思っただけ」
「ぐっ……」

 正解だった。
 やはり息子は鋭い。

「でもねママ、僕、ようやくラフテルの初等学院の一年生なんだよ? 今の時期に転校とかしたら、みんなと仲良くできるかな」
「……」
「心配だよね?」

 ニコリの笑顔を一つ。息子は母親を殺す武器をいつも携えている。
 そんな彼は、セナが予想しなかったもう一つの殺し文句を口にした。

「殿下も心配そうだけど」
「はっ……?」

 殿下、という言葉はセナにとって特別なものだ。
 それを耳にするだけで心臓が激しく脈動する。彼に会いたい、恋しいという想いが、抑えようのない奔流となって、セナのこころを翻弄し、正しい判断を失わせていく。

 出会ったばかりのあの瞬間に、いとも簡単に戻ってしまうのだ。
 ロバートの真紅の瞳が放つ、情熱的な光に魅せられてしまったら――。

「あそこ」

 とロバートはいまお城を模したアトラクションの二階、そこに突き出したベランダでカフェを開店している店のテーブルに座ったまま、こちらを目指してまっしぐらに歩いてくる、青い髪をした青年を指差した。

「ロバート、そんな……嘘っ」
「幽霊じゃないみたいだけど。魔族のアトラクションの幻影?」
「そっ、そんなはずないでしょう! ほら、行くわよ、早く来なさい、ディーノ!」
 
 まだ料理を半分以上、皿に残したまま、どこに行くというのか。
 息子はセナのそれまでとは打って変わった狼狽ぶりに、きょとんと顔をかしげる。

「まるで逃げるみたいだよ、ママ」
「だって!」

 早く、と急かす母親の耳元に息子は唇を寄せて、そっと告げた。
 僕たち、このままじゃ悪者みたい、と。

 悪者? それは私達から全てを奪った、あの継母と義姉たちなのに?
 不意に両脚から力が抜け、セナは椅子にしゃがみこんだ。

「違うわ、ママはあの人たちのように悪人じゃない……」
「よく分からないけれど、僕もそう思うよ。それに――女神様の祝福があったんじゃなかった、ねえママ?」
「しゅく、ふく……」

 そうだ。二日前。確かに戦女神ラフィネは祝福をくれた。
 なにも恐れるものはなく、危険はもう遅いってこない。逃げる日々は終わりを告げたのだ。あの夜に。

「でも、私には何も残っていない、何も……」
「ママ、ちょっと! どうしたのさ、お腹が痛い? なんで泣くの、ねえ」

 ずっと溜め込んできた憎悪や憎しみといった感情を、セナの心の奥で堰き止めていたそれが、決壊した。
 逃げることは終わったはずなのに、どうして自分は最愛の男性からまだ逃げようとしているのか。

 その矛盾した感情がセナの心を震わせる。
 たった一日でもいい。あの日々を取り戻せるのなら、両親と過ごしたあの瞬間が取り戻せるなら。
 そう願ってやまなかった。
 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

公爵閣下の契約妻

秋津冴
恋愛
 呪文を唱えるよりも、魔法の力を封じ込めた『魔石』を活用することが多くなった、そんな時代。  伯爵家の次女、オフィーリナは十六歳の誕生日、いきなり親によって婚約相手を決められてしまう。  実家を継ぐのは姉だからと生涯独身を考えていたオフィーリナにとっては、寝耳に水の大事件だった。  しかし、オフィーリナには結婚よりもやりたいことがあった。  オフィーリナには魔石を加工する才能があり、幼い頃に高名な職人に弟子入りした彼女は、自分の工房を開店する許可が下りたところだったのだ。 「公爵様、大変失礼ですが……」 「側室に入ってくれたら、資金援助は惜しまないよ?」 「しかし、結婚は考えられない」 「じゃあ、契約結婚にしよう。俺も正妻がうるさいから。この婚約も公爵家と伯爵家の同士の契約のようなものだし」    なんと、婚約者になったダミアノ公爵ブライトは、国内でも指折りの富豪だったのだ。  彼はオフィーリナのやりたいことが工房の経営なら、資金援助は惜しまないという。   「結婚……資金援助!? まじで? でも、正妻……」 「うまくやる自信がない?」 「ある女性なんてそうそういないと思います……」  そうなのだ。  愛人のようなものになるのに、本妻に気に入られることがどれだけ難しいことか。  二の足を踏むオフィーリナにブライトは「まあ、任せろ。どうにかする」と言い残して、契約結婚は成立してしまう。  平日は魔石を加工する、魔石彫金師として。  週末は契約妻として。  オフィーリナは週末の二日間だけ、工房兼自宅に彼を迎え入れることになる。  他の投稿サイトでも掲載しています。

ヒロインではないので婚約解消を求めたら、逆に追われ監禁されました。

曼珠沙華
恋愛
「運命の人?そんなの君以外に誰がいるというの?」 きっかけは幼い頃の出来事だった。 ある豪雨の夜、窓の外を眺めていると目の前に雷が落ちた。 その光と音の刺激のせいなのか、ふと前世の記憶が蘇った。 あ、ここは前世の私がはまっていた乙女ゲームの世界。 そしてローズという自分の名前。 よりにもよって悪役令嬢に転生していた。 攻略対象たちと恋をできないのは残念だけど仕方がない。 婚約者であるウィリアムに婚約破棄される前に、自ら婚約解消を願い出た。 するとウィリアムだけでなく、護衛騎士ライリー、義弟ニコルまで様子がおかしくなり……?

追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する

3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
 婚約者である王太子からの突然の断罪!  それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。  しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。  味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。 「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」  エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。  そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。 「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」  義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。

敗戦して嫁ぎましたが、存在を忘れ去られてしまったので自給自足で頑張ります!

桗梛葉 (たなは)
恋愛
タイトルを変更しました。 ※※※※※※※※※※※※※ 魔族 vs 人間。 冷戦を経ながらくすぶり続けた長い戦いは、人間側の敗戦に近い状況で、ついに終止符が打たれた。 名ばかりの王族リュシェラは、和平の証として、魔王イヴァシグスに第7王妃として嫁ぐ事になる。だけど、嫁いだ夫には魔人の妻との間に、すでに皇子も皇女も何人も居るのだ。 人間のリュシェラが、ここで王妃として求められる事は何もない。和平とは名ばかりの、敗戦国の隷妃として、リュシェラはただ静かに命が潰えていくのを待つばかり……なんて、殊勝な性格でもなく、与えられた宮でのんびり自給自足の生活を楽しんでいく。 そんなリュシェラには、実は誰にも言えない秘密があった。 ※※※※※※※※※※※※※ 短編は難しいな…と痛感したので、慣れた文字数、文体で書いてみました。 お付き合い頂けたら嬉しいです!

【完結】身を引いたつもりが逆効果でした

風見ゆうみ
恋愛
6年前に別れの言葉もなく、あたしの前から姿を消した彼と再会したのは、王子の婚約パレードの時だった。 一緒に遊んでいた頃には知らなかったけれど、彼は実は王子だったらしい。しかもあたしの親友と彼の弟も幼い頃に将来の約束をしていたようで・・・・・。 平民と王族ではつりあわない、そう思い、身を引こうとしたのだけど、なぜか逃してくれません! というか、婚約者にされそうです!

【完結】何故こうなったのでしょう? きれいな姉を押しのけブスな私が王子様の婚約者!!!

りまり
恋愛
きれいなお姉さまが最優先される実家で、ひっそりと別宅で生活していた。 食事も自分で用意しなければならないぐらい私は差別されていたのだ。 だから毎日アルバイトしてお金を稼いだ。 食べるものや着る物を買うために……パン屋さんで働かせてもらった。 パン屋さんは家の事情を知っていて、毎日余ったパンをくれたのでそれは感謝している。 そんな時お姉さまはこの国の第一王子さまに恋をしてしまった。 王子さまに自分を売り込むために、私は王子付きの侍女にされてしまったのだ。 そんなの自分でしろ!!!!!

女嫌いな辺境伯と歴史狂いの子爵令嬢の、どうしようもなくマイペースな婚姻

野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
恋愛
「友好と借金の形に、辺境伯家に嫁いでくれ」  行き遅れの私・マリーリーフに、突然婚約話が持ち上がった。  相手は女嫌いに社交嫌いな若き辺境伯。子爵令嬢の私にはまたとない好条件ではあるけど、相手の人柄が心配……と普通は思うでしょう。  でも私はそんな事より、嫁げば他に時間を取られて大好きな歴史研究に没頭できない事の方が問題!  それでも互いの領地の友好と借金の形として仕方がなく嫁いだ先で、「家の事には何も手出し・口出しするな」と言われて……。  え、「何もしなくていい」?!  じゃあ私、今まで通り、歴史研究してていいの?!    こうして始まる結婚(ただの同居)生活が、普通なわけはなく……?  どうやらプライベートな時間はずっと剣を振っていたい旦那様と、ずっと歴史に浸っていたい私。  二人が歩み寄る日は、来るのか。  得意分野が文と武でかけ離れている二人だけど、マイペース過ぎるところは、どこか似ている?  意外とお似合いなのかもしれません。笑

1度だけだ。これ以上、閨をともにするつもりは無いと旦那さまに告げられました。

尾道小町
恋愛
登場人物紹介 ヴィヴィアン・ジュード伯爵令嬢  17歳、長女で爵位はシェーンより低が、ジュード伯爵家には莫大な資産があった。 ドン・ジュード伯爵令息15歳姉であるヴィヴィアンが大好きだ。 シェーン・ロングベルク公爵 25歳 結婚しろと回りは五月蝿いので大富豪、伯爵令嬢と結婚した。 ユリシリーズ・グレープ補佐官23歳 優秀でシェーンに、こき使われている。 コクロイ・ルビーブル伯爵令息18歳 ヴィヴィアンの幼馴染み。 アンジェイ・ドルバン伯爵令息18歳 シェーンの元婚約者。 ルーク・ダルシュール侯爵25歳 嫁の父親が行方不明でシェーン公爵に相談する。 ミランダ・ダルシュール侯爵夫人20歳、父親が行方不明。 ダン・ドリンク侯爵37歳行方不明。 この国のデビット王太子殿下23歳、婚約者ジュリアン・スチール公爵令嬢が居るのにヴィヴィアンの従妹に興味があるようだ。 ジュリアン・スチール公爵令嬢18歳デビット王太子殿下の婚約者。 ヴィヴィアンの従兄弟ヨシアン・スプラット伯爵令息19歳 私と旦那様は婚約前1度お会いしただけで、結婚式は私と旦那様と出席者は無しで式は10分程で終わり今は2人の寝室?のベッドに座っております、旦那様が仰いました。 一度だけだ其れ以上閨を共にするつもりは無いと旦那様に宣言されました。 正直まだ愛情とか、ありませんが旦那様である、この方の言い分は最低ですよね?

処理中です...